34.けもの相撲・異世界場所
直径7~8メートルほどの土俵の中、向かい合う鹿の獣人と俺の構えは対照的だった。
俺は相撲で四股を踏むときのように足を左右に開いているが、見た目に反してこの立ち方は横よりも前後のほうに動きやすい。カニのように横歩きできなくもないが、擦り足で前に出るときにこそ安定感を発揮する立ち方なのだ。
逆に足を前後に開いた相手の構えは横に動きづらいようにも見えるが、足を交差させることで横に素早く回り込むこともできる。あの立ち方と上半身の重心の高さからみて、さっきの試合と同じように俺の突進を誘ってから土俵際でそれを捌こうという作戦だろう。
相手の意図が明らかな以上、わざわざそれに乗ってやる義理はない。俺はしっかりと腋を閉めて上半身はコンパクトに構えたまま、じりじりと相手との距離を詰めていった。
「……ふふふ、裸の猿とやるのは初めてだよ」
不意に鹿の獣人が口を開き、不適な笑みを浮かべながら呟いた。おそらく俺を挑発して突進を誘おうというのだろうが、それもまた見え見えだ。
「俺も蹄の先が割れてない鹿とやるのは初めてだよ。偶蹄目の獣人は指も偶数かと思ってたぜ」
獣人の手は種族にかかわらず人間と同じように長い5本指を持ち、毛むくじゃらではあるがちゃんと物を掴めるようになっている。別に身体的な特徴をからかったつもりはないのだが、今の言葉を『人でも獣でもない半端者』とでも言われたように感じたのか、鹿の獣人はむっとした顔で俺の顔を睨んできた。
「ふん、ただの人間が調子に乗るなよ。獣の力と人の頭脳、両方を兼ね備えた獣人に勝てると思っているのか」
「おいおい、先に挑発してきたのはあんたのほうだろうが。つべこべ言ってないで……組み合えよっ!」
互いの距離はすでに手と手が触れ合える位置まで詰まっている。俺は地面を蹴って前に出ると、相手の腰に巻かれたベルトを前のほうからガッチリと掴んだ。相撲でいう前褌を取ったのだ。
「うっ!?」
鹿の獣人は一見鈍重そうな構えに油断していたのか、俺は難なく組み付くことができた。あとはこのまま胸を合わせ、上体を起こして一気に寄り切ってやる。
「へへっ、腰が高いぜ鹿さんよ」
腰のベルトを手前に引きながら相手の胸に自分の胸を押し付け、さらに腰を落として下から押し上げるように相手の上体を起こしていく。相撲で肝心なのはこうして相手よりも低い位置から胸を合わせることと、絶対に腋を開けないことだ。
「ぬぐぐ……は、放せ……」
鹿の獣人は俺を突き放そうと肩のあたりを押してきたが、上半身がぴたりと密着しているためにそれほど力が入らない。おまけに腋が閉まっているので手も差し込めず、俺の肩越しにベルトを掴むことしかできないのだ。ゴリラや象のようなパワーがあればそのまま俺を持ち上げて土俵の外にポイと放り投げられるのだろうが、鹿の腕力ではそれも無理だろう。
「そりゃぁぁっ!」
「ぐぉぉぉ!?」
俺はそのまま鹿の獣人を寄り切ろうと一気に前へ出た。だが土の地面に木の枝で描いただけの円から出る寸前で、なぜか足がピタリと止まってしまう。
「く……止められた?」
あと1歩で相手は土俵を割るというのに、そのたった1歩がどうしても前に出られない。
よく見ると、彼のつま先が大きく地面にめり込んでいた。本物の鹿と同じ強靭さを具えた足腰が、ギリギリのところで俺に寄り切られるのを防いでいたのだ。
「ふ、ふふふ……獣人の力をなめるなよ。人間がそう簡単に押し切れるものかっ」
「……っっ! なるほどね、これが獣のパワーってわけだ。けど、それならっ!」
俺は前褌を掴んでいた左手を放すと、彼の右手首を掴んでグンと引っ張った。それと同時に右手で相手の左胸にかかったベルトを掴み、身を翻しながら右肘を相手の右腋下に滑り込ませて担ぎ上げる――柔道の背負い投げだ。
「うおっ?」
それまで押す方向へ働いていた力のベクトルが一瞬のうちに引く力へと変わり、鹿の獣人が前につんのめる。
このまま腰を跳ね上げてやれば、彼の体は俺の背中の上でぐるりと半回転するはずだった。だが――
「なっ?」
俺は鹿の獣人を背中に担いだまま、数字の『7』のような体勢で硬直してしまっていた。
自分の股の間から覗いてみると、さっきまで美しい曲線を描いていた彼の脚が、今はボディビルダーも真っ青なぐらいパンパンに膨らんでいた。この発達した太ももの筋肉と、つま先が地面にめり込むほどの脚力で強引に踏ん張ったのだろう。技を防がれたのは俺がそれほど投げを得意としていないせいもあるが、彼の言うとおり獣人のパワーというやつは人間の常識を超えている。
「ふぅ、驚いたよ。奇妙な技を使うじゃないか。だが、これでもう次の手はあるまい?」
「なんの、もう一丁!」
「何度やっても同じことだっ!」
俺がもう一度背負い投げの体勢に入ると、鹿の獣人は再び脚のパワーを解放して踏ん張った。しかし俺も最初から破られるために技を出すほど間抜けではない。
俺はさっきと同じように技の勢いが止められてしまう前に、わざと左手を放して自分から引き手を切った。そしてその手を背中のほうへと回し、彼の両足首を抱えつつ後ろへ体を預けていく。
「おわっ!?」
再び力のベクトルが変化し、バランスを崩された鹿の獣人が今度は後ろに下がって踏ん張ろうとする。だが俺に足首を掬われたため、彼は足を踏み出すことができずにそのままあお向けに倒れてしまった。
―― どたん! ――
2人の体がもつれ合い、地面にごろりと転がる。そのとき背中を着いたのは、鹿の頭を持つ彼のほうだった。
「それまで! 勝負あり!」
―― ウォォォォォォォ……! ――
審判である犬顔の獣人が決着を告げ、観衆から大きな歓声が上がった。
今のは相撲の『襷反り』を変形させたもので、柔道ならばズボンの裾に指を引っ掛けて相手をひっくり返す技である。背負い投げを耐えられたときに変化してこの技に繋げるコンビネーションは、投げ技の才能がなかった俺の親父が相手を転ばせるために身につけたものだ。柔道では今の転び方だとせいぜい有効しか取れないが、今回のように相手を転ばせれば勝ちという勝負や、とにかく寝技に持ち込みたいときには重宝する。
「くっ……! まさか人間相手に負けるとは」
「はは、あんたが相手の勢いを利用する戦法で象のやつに勝ったのと同じだよ。知恵と工夫で獣のパワーを凌駕するのが人間ってもんさ」
「むぅ……」
プライドの高そうな鹿の獣人は苦虫を噛み潰したような顔で悔しがっていたが、今のはあくまで技の勝利だということを俺が認めてやると、素直に納得した様子で野次馬たちの中に引っ込んでいった。
さて、1人抜きをしたからには次の対戦相手が出てくるはずだが……どんなやつだろう?
「では、次は私がお相手しよう」
そう言って土俵に入ってきたのはウサギの顔をした獣人だった。しかも腰から下もウサギそのもので、ガニ股気味の脚はZ型の関節をしている。
(何この人、可愛いっ!)
思わず声に出して叫んでしまいそうになった。俺は基本的に犬も猫もウェルカムな動物好きだが、特にウサギやハムスターのようなげっ歯類には目がないのだ。
(ヤバい、モフモフしたい。取っ組み合いにかこつけてモフモフしたい……!)
「始めっ!」
そんな邪念を抱いていた俺は、次の瞬間背筋が凍るような思いをする羽目になった。ウサギの獣人は開始の合図とほぼ同時に俺のベルトを掴んできたかと思うと、そのままもの凄い勢いで前に出てきたのだ。
「のぉぉぉぉぉっ!?」
なんて脚の力だ。これがウサギの――いや、ウサギを人間大にスケールアップしたからこその脚力か。
ヤバいぞ、このままでは一方的に寄り切られる。だからといって止めようにも、さっきの鹿ほどの足腰の強さは俺にはない。どうする?
「くそっ、脚力で勝てないなら……腕の力だぁっ!」
俺は再び相手の前褌を取ると、そのまま体をのけ反らせてウサギの獣人を強引に吊り上げようとした。両足を地面から離してしまえば、どれほど脚力があろうとそれを発揮することはできない。
「ぬぉぉぉぉぉっ!」
さらに俺は自分の右脚を相手の股間に差し込み、小麦色の毛に覆われた尻を膝に乗せるようにして持ち上げた。本来は上手を取って使う技だが、相撲でいう『やぐら投げ』だ。
―― ずだぁん! ――
「どわっ!」
土俵際、寄り切られる寸前で俺の投げが決まった。今のを写真に撮っていたとしたら、きっと鳥獣戯画でカエルがウサギを投げ飛ばしているシーンのようになっていたに違いない。
それにしても今のは危なかった。相手の姿に別の意味で油断していたのもあるが、やはり獣人のパワーというのは恐るべきものだ。しかもたった2戦しただけなのに、思った以上に体力が消耗している。
「はぁ……はぁっ……こ、こりゃキツいわ…………」
元々相撲は消耗の激しいスポーツではあるが、5人抜きが難しいのはこのせいもあるらしい。これ以上勝ち抜こうと思うなら、一気に勝負を決めてしまわないといけないな。あと3人――次の相手はどんなやつだ?
「よし、次はオレが相手だ!」
名乗りを上げたのはジャガーの獣人だった。
豹やチーターやジャガーといった猫科猛獣は模様で見分けがつくが、こいつの斑模様は特に怖いな。しかし顔にビビっている場合じゃない。噛み付かれる心配はないのだから、とにかく楽をして勝たなくては。
「始めい!」
「ガゥゥゥッ!」
ジャガーの獣人が唸り声を上げながら迫ってくる。うーん、半分は人間だと分かってても至近距離だとやっぱり怖い。
俺は相手に組み付くと同時に、さっき鹿の獣人にやったように背負い投げの体勢に入った。猫科だけに猫背だし、前のめりの相手にはやはりこういう投げ技が有効だろう。
「おおっと!」
最初から俺がそう来ると読んでいたのか、ジャガーの獣人は足を開いて踏ん張ることで背負い投げを防いだ。俺はまた先ほどのように引き手を切って襷反りにいったが、それも読まれていたかのように掬いにいった足を引いて防がれる。
「ガハハ! 同じ手が二度も通用するかよっ」
「そうかなっ?」
彼に言われるまでもなく、同じ技が二度も三度も通用するとは思っていない。俺が背負い投げからの襷反りをもう一度使ったのは、足を引かせることで相手の重心をさらに前のめりにするためだ。
俺は前後に足を開いたジャガー獣人の股下から左腕を差し込むと、尻のほうからベルトを掴んで彼の体を自分の肩に担ぎ上げた。
「うわぁっ?」
襟を掴んだ手のほうを引き手とし、相手の体をもう片方の手で持ち上げながら肩に担いで放り投げる『肩車』――柔道でもかなり初期の頃に編み出された技である。この背負い投げからのコンビネーションは、後ろに重心をかけて踏ん張った相手には襷反り、足を引いて前のめりになった相手には肩車と、敵の反応に合わせて変化できるものなのだ。
そしてジャガーの獣人は三日月のような美しい弧を描き、背中から地面に叩きつけられた。
「ぐわっ!」
「勝負ありっ!」
よし、短時間で勝負をつけることができたぞ。あと2人で5人抜き達成だ。
「ふぉっふぉっふぉっ、やりおるな異世界からの旅人よ。では、次はワシが相手になろう」
次に土俵に入ってきたのは、全身真っ白な猫の獣人だった。
えらく歳をとっているようで、口元には仙人のような長い髭が生えている。しかも全身が獣っぽいのに全体的には妙に丸っこく、まるでデフォルメされた着ぐるみのゆるキャラみたいだ。なんか、これはこれで凄く可愛いな。
―― ザワ…………ザワ…………ざわ………… ――
「?」
年老いた猫の獣人が出てきた途端、周りのギャラリーたちがざわめき始めた。今までのような熱狂的な騒がしさではないのに、衝撃と動揺の大きさは今のほうが上だ。
「長老様だ……」
「長老様が出てきたぞ……」
ざわめきの中にそんな声が聞こえる。この人は族長とはまた違う意味で偉い人なのか?
「ふふふ、よそ者に5人抜きされたとあっては、さすがに一族の沽券にかかわるのでな。このあたりで敗退願おうか」
猫の獣人はにこやかな顔でそう言うと、招き猫のようなポーズで構えた。一見間抜けな格好なのに、妙な迫力があるのは気のせいだろうか?
いずれにせよ、どんな相手にもとりあえず挑んでみるというのは強くなるために大事なことだ。俺は息を整えて腰を落とすと、再び両手を高く持ち上げて組み技の構えをとった。
今回はモンゴル相撲っぽい戦いということで、相撲と柔道の投げ技をいくつか登場させました。
相撲のやぐら投げはただ好きな技というだけで登場させただけですが、1人目と3人目に使った背負い投げからのコンビネーションは作者が実際に得意としたものです。
使うときに大事なことは、背負いを耐えられたときに相手の重心が前後どちらにあるか見極めることと、相手の足の位置です。なぜなら実はこの襷反りと肩車という2つの技は技術体系が非常によく似ていて、相手の足が揃っていたり前後に開いていなければ襷反りが有効ですし、相手の重心が前寄りだと肩車が仕掛けやすく、足が開いていると相手の体を持ち上げるための手を股の周辺に突っ込みやすくなります。逆に足が前後に開いていると襷反りを耐えられることが多いですし、相手がしっかりと踏ん張って重心が後ろにあるときはこちらの肩に担がれてくれません。
前回のあとがきにも書いたように、柔道には『寝技にマグレなし』という格言があり、個人的にこれは立った状態での投げ技でも同じだと思っています。作者は中学高校と体育の授業で柔道のあるところに通っていたのですが、打撃技以上に才能がなかったので誰とやってもせいぜい引き分けに持ち込むのがやっとというレベルでした。それが高校になってこのコンビネーションを身につけてからというもの、その他の技も組み合わせることで7割近い勝率を誇るようになった……といえば、これがどれほど初見殺しの二択技かお分かりになると思います。
もっと前から身につけていたとしても、中学のときはそもそも『授業で習った技以外は使っちゃいけない』という謎ルールがあったので使えなかったのですが……仮にポイントを入れてもらえなかったとしても、反則負けにさえならなければ相手を転ばせて寝技に持ち込むための足がかりとして使えますよ。
ただ、寝技へ移行するのに特に有効な襷反りは数年前から柔道での足取りが禁止になっちゃったので今はどうなんですかね……作中でも書いたように、ズボンの裾に指をかけて引っ張ると面白いようにかかるんですが。




