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30.接近戦の極意


 1


 それから約1ヵ月後、体の酷使と回復を繰り返したアンディは見違えるようにたくましくなっていた。俺から見ればまだまだ細マッチョの域を出ていないが、肩幅や胸の厚みは目に見えて大きくなっている。

 これなら自称・喧嘩自慢のイジメっ子とやらを殴り倒すのに十分なパワーが備わっているだろう。俺の世界ではまだ中学生にもならないガキの喧嘩レベルなら、3人ぐらいは同時に相手をしても負けはしないはずだ。


 そして夏休みが明け、ついにイジメっ子との対決の日がやって来た。

 俺たちは学校の近くにある公園に集合して、アンディとともに相手がやって来るのを待ち構えていた。すでに果たし状的なものは俺が文面を考え、アルに清書してもらって相手方に送りつけてある。今日は俺の世界と同じように始業式だけらしいので、アンディには早朝のうちに学校に忍び込んで、そいつの机に手紙を入れておくよう言っておいたのだ。

 付き添いの俺たちは目立たないよう、アンディのいる場所のすぐ後ろにあるやぶの中に隠れている。立ち会うのは別に俺1人でもよかったのだが、シャーロットがどうしても一緒に来るといって聞かないので、他のメンバーはいざというときにシャーロットが首を突っ込まないよう抑え込むために来てもらった。


「と、トウマさん、来ました。あいつらです」


 アンディが指差す方向から、20人近い集団がゾロゾロとやって来た。一部は女の子やいかにも大人しそうな子なのでただのギャラリーだと分かるが、5人ぐらいはアンディのことを憎々しげな目で睨んでいるので、多分こいつらがイジメの主犯格連中だろう。


「あの真ん中にいる大きなやつがリーダーです」


「へえ、あれがねぇ……」


 アンディに言われて見てみると、リーダーと呼ばれた子は身長が160センチ近くはあろうかという、12歳にしては大きめの子供だった。将軍の子であるアンディをいじめるからには同じ貴族の家柄だろうに、そばかすづらのいかにも悪ガキといった感じの風体だ。


「な、なんか凄く怒ってるみたいなんですけど……」


「そりゃあ自分が舐めきってる相手に挑戦状なんか叩きつけられたらなぁ。しかも俺がアルに書かせた文面さ、あいつのことを弱い者イジメしかできないタマ無しのオカマ野郎とかドヘタレとか、それはもうボロックソに書いといてやったし♪」


「そ、そんな……!」


「だいじょーぶだいじょーぶ。俺、あいつを一目見て確信したわ。絶対に今のお前のほうが強いよ。あとはお前がビビりさえしなけりゃ100パーセント勝てるって」


「そ、そうでしょうか……」


「何度も言わせるな、大丈夫だ。やってみればすぐに自分のほうが強いことが分かるさ。いいか、俺は絶対に手を貸さないからな。何があろうと自分1人の力でなんとかするんだぞ」


「は、はいっ」


 いくら肉体が強くなったとしても、肝心なのはそのパワーを扱う精神のほうだ。いくら切れ味の鋭い最強の剣を持っていても、使い手が世界一のビビリではチワワにすら勝てはしない。だが精神力のほうもこの1ヵ月で十分に鍛えたはずなので、あとは本人が自信を持って挑むだけだ。


「ちょっ、相手は10人以上もいるじゃありませんの! これは1対1の決闘ではありませんでしたの? 卑怯ですわ! 私がすぐに加勢を……」


「落ち着けシャーロット、ありゃただのギャラリーだよ。ちゃんと果たし状に自分の取り巻きや他の連中も連れて来いって書いといたんだ。こういうのは証人に勝ったことを広めてもらうのが大事だからな。心配すんな、アンディにはああ言ったけど、もしもあいつらが大勢で総がかりなんて真似をしたり、武器を持ち出したりしたらすぐに俺が止めに入るから」


「分かりましたわ……。だけどもしアンディに何かあったら、あの子たちの前にあなたをぶち殺しますわよ」


「へいへい」


 そう言っている間にアンディは歩を進め、イジメっ子グループと対峙した。


「ようアンディ、しばらく見かけないと思ったら随分と偉くなったみてえだな。俺にこんな手紙書いてよこすとはよぉ!」 


 リーダー格のガキは苛立いらだち混じりの声でそう言いながら、くしゃくしゃに丸められた手紙を地面に叩きつけた。俺がアルに書かせた挑発文は、どうやら思った以上に効果があったようだ。


「お前もう学校来んなって言ったよな? せっかく忠告してやったのに……分かってんだろうな? お前もう死んだぞ」


 ちっ、お前こそ糞野郎にありきたりの脅し文句を吐きやがって。口を動かしてる間にさっさと始めろ馬鹿。


「……僕はもう、お前らなんかに負けない! 僕はこれからも堂々と学校に行くんだ! 文句があるやつはかかって来い!」


「…………!」


 よし、よく言ったぞアンディ。

 これは戦う前にまずそう叫ぶように俺が言っておいたのだが、ここまで言い切ったからには相手も黙ってはいまい。ここからが正念場だぞ。


「…………分かったよ。ほんと死にてぇんだなお前。おいジョニー、行け」


 イジメっ子のリーダーは隣にいた腰巾着こしぎんちゃく風の子供に向かってそう言うと、アンディに攻撃するようあごで促した。

 ほんとクソ生意気だなこのガキ。何が「ジョニー、行け」だ、マッドマックスのトーカッターかお前は。


「はっ、馬鹿だなお前。何考えてんのか知らねえけど、悪く思うなよ」


 リーダーに命令されたジョニーとかいう子供はアンディに向かって近づくと、その胸倉を掴んで顔に右のパンチを打ち込もうとした。だが次の瞬間――


 ―― ごづんっ! ――


「ぶっ!」


 ジョニーの顔が後ろにのけ反り、彼は鼻血を噴き出しながらあお向けにぶっ倒れた。胸倉を掴まれて引っ張られるときの勢いを利用し、アンディが鼻っ柱に頭突きを食らわせたのだ。これは最初にかかってきた相手にやるよう俺が指示しておいた。

 ああやって胸倉を掴むというのはあの手のチンピラがよくやることだが、格闘技の観点から見ればメリットがほとんどない危険な行為である。以前のアンディのようにビビって硬直してしまう相手ならそのまま一方的に殴るのにちょうどいいが、今のように引っ張り込むと距離が近づきすぎるため、反撃の意思を持った相手にとっては頭突きや金的への膝蹴りを入れるのに恰好のまとになってしまうのだ。仮に掴んだ腕をピンと伸ばしていたとしても、例えば俺なら相手の肘にチョップを打ち下ろして無理やり腕を曲げさせるし、その勢いに合わせて相手の顔面に頭突きなり裏拳なりを入れるだろう。


「う、うわ…………血……血だぁ…………う、うぁ……うわぁぁぁぁぁん!」


 上半身を起こしたジョニーは自分の鼻からボタボタと流れる血を見た途端、まるで赤ん坊のように泣き出した。所詮は強い者の陰に隠れて自分も強くなったかのように錯覚していただけのガキで、本当は殴られた経験すらほとんどないのかもしれない。


「こんの野郎……調子に乗りやがって!」


 部下をやられたイジメっ子のリーダーは目の前にいるのが今までのイジメられっ子ではないとようやく気付いたのか、自ら前に出てアンディに向かっていった。アホめ、ことわざには『男子、3日会わざれば活目して見よ』(※ 男は3日もあれば別人のように成長するから、久々に会ったら舐めてかかってはいけない)とあるのに、体つきまですっかり変わっているアンディを見て今まで違和感を抱かなかったのか。

 しかし……俺の世界でもしょっちゅう見かけたが、この手のアホというのはどうしてすぐに「調子に乗るな」系の言葉を口にするんだろうな? 自分と相手の力量差も理解できず、この場で一番調子に乗っているのは紛れもなくお前自身だろうに。


「っらぁ!」


 俺がその頭の悪さに呆れていると、イジメっ子のリーダーはジョニーの失敗にりもせずにアンディの胸倉を掴み、その顔に右のパンチを入れようとした。


 ―― ガツッ! ――


 再び鈍い音がする。だが今度は頭突きによるカウンターが入ったわけではなく、アンディはパンチをガードした腕ごとそのまま殴られていた。


「オラァ! どうしたよ弱虫ぃ! 今までとは違うんじゃねえのか!?」


 イジメっ子のリーダーが両拳を構え、さらに何度もパンチを打ち下ろす。アンディは腕を曲げて拳を耳の後ろに当て、両肘を顔の前に突き出すことで頭部だけはしっかりとガードしているが、その腕やガラ空きの胸には雨のようにパンチが降り注いでいた。


「アンディっ!」


 シャーロットがやぶの中から立ち上がろうとする。俺たちは慌ててドレスの裾を掴んで彼女を押さえ込むと、その口を塞いで無理やり黙らせた。


「んーっ! んんーっ!」


「だから落ち着けってば。大丈夫だよ、ありゃほとんど効いてねえから。アンディのやつ、俺が教えたことがちゃんとできてる」


 俺の言うとおり、アンディは一方的に殴られているにもかかわらず、1歩も後ろに下がっていなかった。いや、それどころか相手が攻撃してくるたびにじりじりと前に出ている。


「な、なんだこいつ?」


 殴っているほうもようやく自分のパンチが効いていないことに気付き始めたようだ。その顔には玉のような汗が浮かび、表情には明らかな動揺が見て取れる。

 そう、これこそが最後の10日間、俺がアンディに課した特訓の成果なのだ。


 2


 今から10日前――


「さて、今日からはいよいよ実戦の練習に入るぞ。アンディ、俺に向かって全力で殴りかかってこい。まずは戦いにおいて『勇気』と『度胸』というものがどれだけ大切か教えてやる」


「と、トウマさんと戦うんですか……」


「始める前からビビるな。安心しろ、俺は一切反撃も防御もしない。ただ黙ってお前に殴られてやるだけだ」


「ええっ? ほ、本当にいいんですか?」


「いくら修行したからって、お前のパンチなんかで俺が倒されるかっての。遠慮せずにかかってこい」


「は、はい。じゃあ……行きますっ!」


 アンディが意を決し、勢いよくこちらに突っ込んできた。ボクシングでいうピーカブー(いないいないばあ)スタイルに似た構えだが、これはグローブをはめていないとあまり意味がないどころか、ガードの上から殴られたときに自分の拳で自分の顔を打ってしまうので、両拳の位置はそれよりも少し下がっている。


「ええぃっ!」


 記念すべきというべきか、アンディが生まれて初めて他人に向けるであろう拳が俺に向かって飛んでくる。俺は軽く腰を落として下腹に力を込め、しっかりと足を踏ん張りながらそのパンチを胸で受け止めた。


 ―― ドムッ! ――


「よしっ!」


 肉を打つ小気味のいい音がして、アンディの右拳が俺の左胸にクリーンヒットした。前に体重の乗ったいいパンチだ。体重差があるので重さはほとんど感じないが、まだ拳が小さいだけに突き刺さるような鋭い痛みがある。


「いいぞ、そのまま疲れるまで打ち込んでこい。顔を狙っても構わんぞ」


「は、はいっ!」


 そうして約3分ほどの間、俺はアンディに好きなだけ自分を殴らせてやった。顔にも何発か遠慮しがちなパンチが飛んできたが、それらも防御することなく、全てほおで受け止めた。


「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」


「これぐらいでいいかな。どうだ、初めて人を殴った感想は?」


「………………」


「あまりいい気分じゃないって顔だな。まあいいさ、こんなことが気持ち良く感じるようになったらそれはそれで性根がじ曲がってる証拠だ。だが、お前がいまいち殴り心地の悪さを感じていた原因はもう1つある」


「?」


「俺は最初の1発だけは殴り心地が良くなるよう、わざと最高の間合いで受けてやった。けどそれ以降のパンチは全部、お前の腕が伸びきらない位置まで踏み込んで間合いを潰していたんだ」


「間合いを……潰す?」


「お前は今まで巻藁まきわらを殴るとき、ちょうど自分の腕が伸びきったところでヒットする位置に立ってただろ? あれがお前の間合いだ。どんな人間のどんな攻撃にも、最高の威力を発揮できる距離ってものがある。自分が攻撃するときには相手との距離がちょうどその位置に来るよう踏み込まなきゃいけないし、逆に相手の攻撃が来たらそこから身をかわさなきゃいけない」


「な、なるほど……」


「一番良くないのはその場で棒立ちになることだ。相手にとって一番攻撃しやすい位置にいるってことだからな。次に良くないのは、攻撃を怖がって真っ直ぐ後ろに下がること。これは攻撃を空振りさせることはできるものの、相手にとっては次の攻撃をくり出せばいいだけだから何も怖くない。それどころか下がれば下がるほど追い詰められて、しまいにゃボコボコにされるというジリ貧コースだ。ならどうするか……相手の攻撃が発生しきる前に1歩踏み出して、わざと攻撃を食らってやればいい」


「わ、わざと?」


「俺がさっきやったのもそれだ。お前が攻撃モーションに入った瞬間、少し踏み込んで自分から拳に当たりにいってたんだよ。すると腕が完全に伸びきらないから威力が半減して、実際にはほとんど効かないってわけだ。逆にお前は力を出しきる前に攻撃が潰されてたから、中途半端な手応えしか感じられなかったのさ」


「そんなことを……」


「相手がナイフなんかを持ってたら距離を取らなきゃいけないけどな。本来はもっと深く踏み込んで、体で相手を押し返すんだぞ。お前もイジメっ子に勝ちたいなら、こうして相手の攻撃に自ら突っ込む勇気と度胸を身につけないと駄目だ」


「うぅ……それって痛くないんですか?」


「そりゃあ失敗すれば――いや、失敗しなくても痛いことは痛い。だがまともに食らうよりは何倍もマシだからな。そこでこれからお前がやるべきことは、俺の攻撃を食らいながら前に出る練習だ」


「ええっ!?」


「怖いか? だが素手同士の喧嘩ではこの接近戦インファイトこそがモノを言う。それにな、イジメを克服するってのは相手に勝つことよりも、暴力の恐怖に打ちつことのほうが大事なんだ」


「………………」


「といっても本気で打つわけじゃないから心配するな。それにもし俺の攻撃に耐えられたなら、仮にイジメが止まなくても同級生の暴力なんぞ蚊が刺したようなもんにしか感じなくなるぞ」


「そ、そう聞いたら余計に怖いですよぅ……」


「これはお前の成長にとって絶対に必要なことだからな。お前の心が決まろうが決まるまいが、心を鬼にしてやらせてもらう。行くぞ! ゲロを吐きたくなかったら脇腹と鳩尾みぞおちだけはしっかり守れよ!」


「ひぃっ!」


 3


 こうして、俺はアンディを10日間にわたってしごき抜いたのである。

 いくら手加減していたとはいえ、俺の攻撃に耐え抜いた今のアンディにとってはこんなガキのパンチなどマッサージのようなものだろう。1発ごとにしっかりと対応して間合いを潰しているし、唯一危険な頭部はガッチリと両腕でガードしている。


「く、くそっ! なんだよ! なんなんだよお前ぇっ!」


 すでに相手の顔からは余裕が消え、むしろ恐怖が浮かんでいる。あとは反撃に転じるだけだ。行け、アンディ。


「うわっ!?」


 イジメっ子のリーダーが攻撃を押し返され、思わず半歩後ろに下がる。その瞬間、2人の距離がちょうどアンディにとって絶好の間合いまで開いた。


「そこだっ!」


 思わず叫んでしまった俺の声に合わせるように、アンディが腰を落として腕を引く。そして――


「せぇいっ!」


 アンディは裂帛れっぱくの気合とともに、左の正拳突きをくり出した。

 サブタイトルのとおり、今回は接近戦の極意についての解説です。

作中でアンディがやったように、大きく踏み込んで相手の攻撃を発生・成立前に潰してしまうというのは接近戦インファイトにおいてかなり有効です。打撃というものは加速させる距離が長いほど勢いが増して体重も乗るので、それが稼げないと威力が削がれてしまうんですね。

 回し蹴りにしても伸びきる前に膝を押さえてしまえばそれ以上伸びてきませんし、前蹴りも膝を上げるための隙間がなければ出すことができません。


 ボクシングのように相手に抱きついたクリンチ状態ではお互いに有効打が出せなくなりますが、今回のように『攻撃は出せるが力が乗らない』距離だと先に引いたほうが不利になります。相手は『1歩引く→攻撃を出す』の2拍子なのに対し、自分は『敵が引いてくれた瞬間に攻撃を出す』の1拍子で済むため、相手の攻撃が来る前に攻撃を入れられますので。

 相手が2拍子目を防御にすれば防がれてしまいますが、それでもこちらはそのまま攻撃を続ければいいだけなので有利は変わりません。


 主人公VS騎士団長のときのように体重差がありすぎると難しいですが、差が10キロぐらいまでなら、まさに『勇気を持って前に出たほうが勝ち』になるでしょう。今回のアンディも攻撃を押し返すことで自ら絶好の間合いを作り出しています。

 本当ならこれに横の動きも加えて戦いをさらに有利に運ぶ方法もあるのですが、今回は『試合』ではなく『喧嘩』ですので、主人公はアンディに勇気と根性を持たせるためにあえてそれを教えなかったというお話にしました。『喧嘩は度胸と根性』とよく言われますが、技があってもそれは変わらないということですね。

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