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28.勇気の1歩を


 1


 アンディの話そのものはわずか数分で終わった。

 要約すると彼の学校には誰もが憧れる可愛い女の子がいて、その子が彼に好意を寄せていたことが発覚し、それに嫉妬した男連中――特に喧嘩の強いガキ大将的なやつが主導でイジメを始めたという話だ。しかもその内容は結構えげつなく、肉体的な暴力も常態化しているらしい。

 構図そのものは単純極まりないが、こういう嫉妬絡みの話は思った以上に面倒だ。論理じゃなく感情の問題なので、少なくとも話し合いで解決できることじゃない。こちらがそれを望んでも、相手が聞く耳を持たないのだ。

 親父さんの言ったとおりになってしまうが、これはやはり腕力で解決しなければならない案件だろう。それも俺やシャーロットがしゃしゃり出てどうこうするのではなく、この子自身の力でどうにかしないといけない。問題はこの覇気の欠片もない子にどうやってそれをさせるかだが……。


「ふーん……で、他の連中は助けてくれたりはしないのか?」


「男の子は誰も……。女の子たちも最初は可哀想とか言ってくれてたんですけど、最近はなんだか笑い者にされてるみたいで……」


「ふん、だろうな。一度でも『こいつはイジメてもいいやつなんだ』と認識されたら、そのうちそれが当たり前になってくるんだ。おまけに下手にかばえば今度は自分がターゲットにされるかもしれないんだから、そこに手を差し伸べようなんてやつは心身ともに強いやつか馬鹿のどっちかさ」


「…………」


「お前、そこまで舐められて悔しくないのか? そのガキ大将といい他のやつといい、お前のことを人間扱いしてないってことだぞ。ぶっ飛ばしてやりたいとか思わないのか?」


「そ、そんな野蛮なこと、僕にはとても……」


 出たよ、この手のお上品な人間にありがちな暴力アレルギーが。俺に言わせりゃ暴力ってのは文字通り『分別なく暴れる力』なんだから、それを抑止するために腕力を振るうのは『正義の鉄拳』というやつで、明確に区別すべきものだと思うんだが。


「確かに人を殴ったりするのは野蛮なことさ。力に対して力でねじ伏せるってのは畜生ちくしょう――けだもののルールだ。けどな、相手が先にそのルールを振りかざしてきた以上、話し合いは通じないんだよ。なんせけだものなんだからな」


「…………」


「犬猫をしつけるのと同じだよ。けだもの相手ならそれ相応に、殴って『どちらが上か』ってことを教えてやらなきゃいかん。そういうルールを振りかざして生きてるやつは、同じルールにしか従えないんだ」


「それでは本当にけだものの世界じゃありませんの。人間のすることとは思えませんわ」


 シャーロットが見かねて口を挟んできた。まあ彼女の言うことは人間として何一つ間違ってはいない。


「そりゃ人間だって動物の一種だからな。獣性じゅうせいとでもいうべきものが本能的に具わってるのはどうしようもねえよ。だから人間は自分たちの社会が滅びないように、法律ってものを作ってそれを抑制してるんだ」


「でしたらその法に従って、正式な手続きをもって争うべきでしょう」


「大人ならそれでいいんだろうけどな。子供同士の世界、学校という閉じられた空間の中じゃそう単純な問題でもないんだよ。逆に大人が子供のイジメに対して鈍感なのはそのせいさ。自分たちはしっかり法律で守られてて、いくら悪ガキといっても所詮は大人の社会に逆らえない子供だと思い込んでるから、イジメられている子にとってはそいつがどれだけ凶悪で恐ろしい存在に見えてるかが分からないんだ」


 俺がそう言うと同時にアンディは顔を上げ、初めて俺の目を真っ直ぐに見た。今の言葉で『この人は自分の置かれた状況を分かってくれる』と思ったのかもしれない。


「それに国の法律だって、結局最後は力ずくで犯罪者を押さえつけるんだから同じさ。人間の倫理にも社会の法律にも従わない畜生、欲望のために自分より弱いやつを踏みにじるド外道は、やっぱり力でねじ伏せるしかないんだよ。ここまでOK?」


「……で、でも僕にはやっぱり暴力なんて野蛮なことは……」


「アンディ、よく聞けよ。お前は力で物事を解決することをそうやって『野蛮』の一言で片付けるがな、その気があればできるのにあえてやらないのと、その言葉をできないことの言い訳にするのは大きく違うぞ。お前は自分がイジメの相手に立ち向かえないことの言い訳にその言葉を使ってないか? もう一度自分の心に問いかけてみろ」


 俺だって何がなんでも腕力で物事を解決すればいいと思っているわけじゃない。例えばガンジーのように、相手に殺されても『それでも信念は曲げないから、俺を殺したお前の負けだ』と言い切れるなら、つまり不服従を貫いて悔いがないならそれはそれで立派な生き様だと思う。だが自分が生きていれば得られたかもしれない幸せや権利を奪われて、相手はそれを反省もせずにのうのうと生きてるなんてことが納得できないのなら、そうなる前に相手が二度と刃向かってこなくなるまで叩き潰すべきだ。

 そして暴力を伴うイジメにおいては、おう々にしてそういう対応が正しいことのほうが圧倒的に多い。それで周囲から嫌われようが怯えられようが、社会的にという意味も含めて自分が殺されるよりはましだろう。


「それにな、腹を空かせたけもの相手に『人を傷つけるのは野蛮なことだから僕を食べないでください』と言って通じると思うか? いくら野蛮だ、下品だ、馬鹿のすることだと罵ったところで、それで相手は攻撃をめてはくれないんだぞ」


「…………」


 アンディはまだ黙ったままうつむいている。

 ここまで言ってもまだ駄目か。これはもう一種の病気だな、『臆病』という病気だ。

 仮に腕力に頼らない解決策があるにせよ、それを実行するには必ず本人の勇気が必要だ。それがなければ、どこに逃げても必ず同じ壁にぶつかって同じ事を繰り返すことになる。ここは多少厳しいことを言ってでも、この子の意識を変えてやらなくては。


「俺はこの手の問題に対して『イジメられるほうにも原因がある』なんて言わないけどな、イジメに限らず人生のあらゆる問題は自分で立ち向かうしかないと思ってる。なぜなら何が起ころうと、それを不幸ということに『してしまう』のは結局自分の弱さだからだ。逆に打ちって乗り越えてしまえば、どんな苦難であろうとそれはもう不幸じゃない」


「苦難を、乗り越える……」


 そう、子供には持ち上げられない荷物も大人なら軽々と担げるように、苦難の重さなど自身の心の強さ次第で変わる。もちろん力が足りずに打ちのめされることもあるだろうが、それは完全な負けではない。本当の敗北とはそこでへこたれて立てなくなり、人生そのものを諦めてしまうことだ。


「今は喧嘩の強さにそれほど不自由してない俺だって、あと5年もすれば腕力なんてほとんど意味のない、大人の社会で生きていくための戦いをしなきゃならなくなる。そんなとき、辛いことや苦しいことがあるからって逃げ出せると思うか? 人は生きている限り、必ず何かと戦わなきゃいけないんだよ」


「…………逃げちゃ……いけないんですか?」


「逃げちゃいけないんじゃない、逃げられないんだ。自分が強くならない限り、苦しみはどこまでもお前を追ってくるぞ。もちろん自分の身や心を守るために一時的に逃げるのはありだが、現実から逃げて引き篭もってもジリ貧に追い込まれるだけだ。まずこの世で生きていくため、自分の居場所を確保するための戦いだけは常に止めちゃいけない」


「…………」


「そこまでになさい。これ以上アンディを追い詰めるのは私が許しませんわよ」


 アンディの前にシャーロットが立ちはだかり、俺がさらに何かを言おうとするのをさえぎった。今にも泣き出しそうな弟を思わずかばいたくなったのかもしれないが、ここで逃げ道を作ってしまったらこの子は前に踏み出せない。


「お前がそうやって甘やかすからだな……」


 そう言いかけて、俺はその先を口にするのを止めた。まるで本当に子育ての方針を巡って争う夫婦の会話みたいで嫌だったからだ。

 すでに言いたいことはあらかた言い尽くしたが、最後の一押しがまだ残っている。俺は黙ってシャーロットを脇に押しのけると、アンディの頭にポンと手を置いた。


「お前が怖がってるのは、要は相手が自分より強いってことだろ? そこは心配するな。俺がこの1ヵ月の間に、お前がそいつに勝てるように鍛えてやる」


「えぇっ?」


「ま、最初から親父さんに頼まれてたことでもあるしな。かなり苦しいだろうが、騙されたと思って1ヵ月だけ我慢しろ」


「お、お待ちなさい。そんなこと、この子にできるわけが……」


「家族のお前がこの子の可能性にふたしてどうすんだよ。大丈夫だ、あの親父さんの子でお前の弟なんだぞ。どうだアンディ? この先ずっとここで膝を抱え続けるか、人の目を真っ直ぐ見て生きられる人間になれるか、今がその瀬戸際だぞ」


「…………」


「どんなことでも一番大事なのは、勇気を持って最初の1歩を踏み出すことだ。その壁さえ越えられるなら、強くなれないやつなんていない。それは才能なんか微塵もなかった俺が保証してやる」


「……分かりました、やってみます」


「アンディ!」


「よしっ、それでこそ男の子だっ!」


 ずいぶんと説得に時間がかかったが、ようやくアンディはやる気を出してくれたようだ。俺は口の両端を吊り上げてにかっと笑うと、彼の頭をわしゃわしゃと撫でてやった。


 2


 次の日の朝――アルファード家の庭で、いよいよアンディの特訓が始まろうとしていた。

 彼のスパーリングパートナーにしようというわけではないが、ついでなのでアルも一緒だ。逆にシャーロットはいちいちうるさそうなので、特訓中は親父さんに頼んでこちらの様子を窺いに来ないよう見張ってもらっている。

 俺の足元にはトレーニングに必要ないくつかの道具が置かれている。ジャージによく似た動きやすい服に身を包んだアンディは、一体何をさせられるんだろうという不安げな表情でそれをじっと見つめていた。


「さて、今日からさっそく特訓を始めるわけだが……。といってもあまり時間がないんでな、俺がお前に教えるのは2つだけだ」


「2つ?」


「人を殴るための拳作りと、人を1発でKOするための腕力作りだ。それさえあればあとは根性でなんとかなる」


 アンディとアルが2人揃って「ええ……」という顔をする。だが格闘技の技を基本から教えている暇はないので、まずは喧嘩に勝つために最低限必要な土台作りをやったほうがいい。


「腕力作りのための道具は執事さんたちに用意してもらってるけど、揃うのは多分明日か明後日になるだろうからな。今日はまず拳作りからだ」


「それでトウマさん、アンディくんにどんなことをさせるつもりなんですか?」


「ふっふっふ、これだ」


 そう言いつつ、俺は足元から6枚の板を拾い上げた。1辺が15センチ四方の立方体で、厚みが3センチほどある樫の木の板だ。


「誰でも一度は拳を握ったことがあると思うけど、何より大事なのは1にも2にも握力だ。パンチの威力に関係するのはもちろん、人を殴ったときに手を骨折しないためにもしっかりと握り込む必要があるからな。アンディ、お前腕立て伏せはできるか?」


「い、いいえ……」


「だろうな、その細腕じゃそうだろうと思ってた。だから最初はそこまでしなくていい。握った拳をこの板の上に乗せて、腕立て伏せの格好だけして体を支えてろ。これは腕力を鍛えるための下準備でもある」


「うう……痛そうだなあ……」


「拳をしっかり握ってないと余計に痛いし、だからこそ握力と拳が同時に鍛えられるんだ。握る力を緩めると体勢が崩れて手首がグキっといくから気を抜くなよ。それともう1つ、手っ取り早く握力を鍛えるための秘策がある」


「秘策?」


「これを見ろ」


 俺が指差したのは、足元にあるブリキの洗面器だった。中には半分ほど水が入っていて、その水面には洗濯を終えた後のようにモコモコと泡が立っている。


「これって……」


「ただの石鹸水せっけんすいだよ。これに両手をひたして、指の間をヌルヌルにした状態で拳を握るんだ。少しでも握りが甘いと滑って拳の形が崩れるから、痛い思いをしないためには思い切り力を込め続けないといけない」


「うわぁ……」


「よし、とりあえず最初は100数えるまで我慢な。それ、さっさと手を濡らして腕立て伏せの体勢作れー」


「はいっ」


「は、はい……」


 俺はアンディとアルに2枚ずつ木の板を渡すと、自分の足元にも2枚の板を置いて両手を洗面器に突っ込んだ。人にやれと言う以上、自分も同じ事をやってみせるのが俺のポリシーだ。


「いーち、にー、さーん、しー…………」


 そうして3人で腕立て伏せの体勢になり、アンディをイジメっ子に勝たせるための特訓が始まった。

 拳での腕立て伏せがもはや日常となり、ゴツゴツしたアスファルトや岩の上だろうと拳立て伏せができる俺にとってはぬるいトレーニングだが、拳を鍛えた経験などないアンディはすでに体がプルプルと震えている。今、この子は生まれて初めて自分から痛みに立ち向かい、それに必死で耐えようとしているのだ。


(頑張れアンディ、大事なのはイジメの相手に勝つことなんかじゃない。自分につことなんだぞ)


 あと1ヵ月これに耐え抜けば、アンディはきっと大きく成長するだろう。仮にイジメの相手に勝てなかったとしても、あの部屋からずっと出てこられないような弱虫ではなくなるはずだ。俺は淡々と数をカウントしながらも、心の中で彼にエールを送り続けた。

 今回は技の代わりにトレーニング法の紹介をしたいと思います。

 作中で主人公たちにやらせた、手を石鹸せっけんでヌルヌルにした状態で拳を握るトレーニングというのは、とある空手の選手が昔の格闘技雑誌で紹介していたものです。

 空手には拳から中指だけを少し突き出し、第二関節の角で相手の急所をピンポイントで殴る『一本拳』(中立ち一本拳とも呼びます)という拳の形があるのですが、これは相当の握力がないと殴ったほうが指を痛める技です。相手のほうが体重が軽かったり、顔の急所を軽く殴るだけならまだいいのですが、自分より体重のある人間の胴体部分をこれで殴ったりすると確実に指を傷めてしまいます。

 そこでこれを使うに相応しい握力をつけるための方法として、前述の選手が紹介していたのがこのトレーニング方法です。あえてヌルヌルにした状態でしっかりと握ることで、握力がつくと同時に拳をギチギチに固める感覚が身につきます。

 もちろんずっとこんなふうに力を込めていてはパンチが遅くなるので、実戦では拳が当たる瞬間にだけギュっと握り締めるのですが、拳を握る力というのはいわば『ヒットしたときの反作用に耐える力』でもあるので、拳をしっかり握れる=それだけ強い力で殴れるということになるんですね。


 板を使っての拳立て伏せは、昔住んでた家に畳の部屋しかなかった作者が拳を鍛えるためにやった方法です。

 これは何年もかけてやることで拳頭けんとう――すなわち人差し指と中指の付け根にタコができ、硬いものを殴ったときでも拳が痛まなくなるので、今回の話のように1ヵ月程度だとせいぜい気休め程度にしかなりませんね。

 ですがやらないよりはやったほうが当然効果はありますし、今回はむしろ『痛みに耐性をつけさせる』ことに主眼を置いています。


 作中でも書いたように、努力して強くならない人間なんかいません。どれだけ才能がなかろうと、昨日の自分よりは確実に強くなります。そして今日の自分より強くなるために鍛えるのが努力というものです。

 今、イジメなどで悩んでいる人は今回と次回で紹介するトレーニング方法でも実践してみてください。現代社会ではこの作品のように力で問題を解決するのは難しいでしょうが、それでも自分が強くなった分だけ見える世界が変わりますよ。

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