24.日本武道の奥義
1
騎士団長は一切の迷いなく、一直線にこちらへと突っ込んできた。ただの筋肉ダルマじゃないとは思っていたが、大きな図体からは想像もできないほどそのフットワークは軽い。
構えと重心から察するに、最初に来るのは左右のワンツーからだ。俺は攻撃の『起こり』を見逃さないよう、相手の体全体を視界に収めつつ迎撃態勢をとった。
―― ブンッ! ――
「――っと!」
間合いに入るとほぼ同時に左のジャブが耳元を掠めていった。
風圧だけでも今のパンチがどれほど重いかは大体想像がつく。しかも身長差がある分、上から打ち下ろす形になるのでさらに体重が乗っているだろう。
そしてもう1つ、今の鋭い風切り音を聞いて分かったことがある。それはこの人のパンチがちゃんと『技』として昇華されているということだ。力だけの大男にありがちな大振りのパンチならさほど恐れる必要もないが、これは少しでも気を抜いたら一撃でKOされかねない。
「ふんっ!」
続けて右のストレートが打ち下ろされてくる。俺は腰を落として身を低くすることでそれをかわすと、騎士団長のボディに全力の右拳を叩き込んだ。
「っしぇあ!」
―― パァン! ――
硬い骨が肉を打つときの小気味いい音がして、正拳突きが急所である鳩尾に突き刺さる。いい手応えだったはずなのだが、俺はそれが全く効いていないことを瞬時に理解した。
「~~っっ!(か、硬ってぇ……なんだこの筋肉?)」
そもそも鳩尾は急所といっても筋肉の厚み次第で守れる場所だが、それにしても今の感触は俺にとって味わったことのないものだった。鍛え抜かれた肉体をよく『ゴムに包まれた岩』などと表現するが、ゴムの感触などないに等しい。これはまるで樹皮だけが柔らかい樫の木といった感じだ。
「あんた、何食ったらそんな体になるんだよ。毎日カニの殻でも噛み砕いてるのかい? それとも毎朝コーンフレークを山盛り2杯ってか」
痺れた手をぶらぶらさせつつ、捕まらないよう距離をとって再び構える。
軽口を叩いてはいるものの、俺は内心ビビりまくっていた。こんな鋼鉄みたいな体、一体どうやって攻略しろってんだ。
大男を倒すときのセオリーとしてはローキックで膝周りから痛めつけるのが一般的だが、それはあくまで長期戦が可能な場合の話だ。
この体重差では木刀で大木を切り倒そうとするようなものだし、この人の攻撃をかわし続けながらそれをやるのは野球でパーフェクトゲームを達成するぐらい難しいだろう。かといって関節技で攻めようにも、これだけの筋肉を持つ相手には力ずくで技を返される可能性もある。
(あとは石の床に頭から落とすぐらいだが……上半身裸じゃ柔道の投げも使えないか。こうなったら顔面を狙うしかないな。それも顎か急所を、全体重をかけて打ち抜かないと駄目だ)
作戦は決まったものの、そこまでどうやって持っていくかという問題がまだ残っている。ただでさえ15センチもの身長差があると上段への攻撃は威力が削がれるというのに、相手を前のめりに蹲らせるためのボディ攻撃も通らないのでは、顔面を打つのは至難の業だ。
「その無駄口、すぐに利けないようにしてやろう」
こちらの考えがまとまるより先に騎士団長が間合いを詰め、再び左のパンチを打ち込んできた。
「おおっと!」
空手の受け技とボクシングの『パリィング』という技術を駆使して相手の拳や腕を弾き、大きく逸らすと同時に斜め前方に踏み込んで死角へと回り込む。こうすればワンツーの二撃目が打ちにくくなるだけでなく、敵の正面に立たないので掴まれる心配もない。
この『捌き』こそが体格で劣る俺の生命線だ。こうやってパンチをかわしながら、なんとか顔面を攻撃する隙を見つけ出すしかない。
「ふむ、なかなかいい体捌きだ。常にこちらが攻撃し辛い位置へと逃げつつ、逆に自分の攻撃しやすい体勢から反撃するのが君の戦法か」
くそっ、冷静に分析しやがって。一言一句そのとおりだけど、こっちはあんたのガチムチボディが規格外すぎるせいでその反撃ができないんだよ。
せめてハイキックでも出してくれれば軸足を刈り、転ばせて股間や顔面を踏みつけたりもできるのだが、蹴り技のほうは一向に来ない。
おそらく伝統派空手が上段の蹴りを出さないのと同じく、不安定な体勢になるのを嫌ってのことだろう。そのせいで体勢を崩すための隙もまるで見つからない。
2
試合が始まってからどれぐらい経ったのだろう。5分? いや、まだ3分も経っていないのだろうか。俺は薄氷を踏むような思いで騎士団長の攻撃を捌き続けていた。
一撃一撃が重爆撃のようなパンチを弾いている腕はあちこち青アザだらけになり、感覚もなくなってきている。こちらはすでに限界が近いのに、相手のパンチは鋭さが一向に衰えないのだ。せめて1発でいいから大振りが来てくれれば、カウンターで『あの技』を合わせられるのに。
「どうした! 守っているばかりでは私に勝てんぞ!」
「ぐぅっ……!」
腕の痛みもそうだが、さっきからの連戦で集中力がもう限界だ。そしてほんの一瞬気が緩んだ瞬間――わずかに開いてしまった腕の隙間から、俺の胸に騎士団長のボディブローが炸裂した。
―― ズドンッ! ――
「ごぅっ……ふ……!」
「トウマさん!」
「トウマさんっ!」
どこかでティナとアルが叫ぶ声が聞こえたような気がしたが、目の前が暗くなりそうな痛みに耐えるので今はそれどころじゃない。寺の鐘を撞く丸太で殴られたような衝撃に、俺の肺に残っていた空気は口から一気に搾り出された。
「がっ……は…………」
下から上へのパンチだったことで体が浮き、おかげで胸骨が折れるのだけは免れたようだが、こんな衝撃は重量級で全国優勝した先輩の後ろ蹴りをカウンターでもらったとき以来だ。本当にこれがパンチの威力か?
くそ、肺が空気を欲しがっているのに息ができない。あのときはカウント7ぐらいでなんとか立ち上がったが、この戦いのルールでは跪いている状態でも容赦なく追撃が来るはずだ。一刻も早く体勢を立て直さなくては。
「ふぅ……随分手こずらせてくれたな少年よ。だが、これで終わりだっ!」
床に膝をついた俺の前に立ち、騎士団長がとどめの右拳を打ち下ろそうと振りかぶる。
そのとき、俺は腕を引いた相手の右腋が開いていることに気がついた。さすがの怪物も疲れて動きが雑になったのか、それとも早く決着をつけたくて気が焦ったのか――理由はどうあれ、これこそ待ちに待った一瞬の隙だ。
「ひゅっ!」
力を振り絞って無理やり肺に空気を送り込み、床を蹴って勢いよく立ち上がる。そして打ち下ろしのパンチをヘッドスリップでかわしつつ、俺は騎士団長の腋の下――ポッコリと窪んだ部分に、カウンターで左の『鏃貫手』を突き入れた。
―― ズムッ! ――
「ぐぉっ!?」
腋の下というのはどれだけ鍛えても大胸筋の裏側に窪みができてしまう。さらにこの部分は筋肉が薄く、そのうえ激痛を伴う神経が通っているため、ここを指先などで突かれた者は必ず肘を脇腹に付けて庇おうとする。痛みのあまりもう片方の手を腋に挟んだりする者もいるが、とにかく反射的に腋を閉めようとするのだ。つまり――
(よし、右腕が下がって体が傾いた!)
俺は自分から見て左へ傾いた騎士団長の頭を両手で抱えると、全体重をかけてその体をさらに下へと崩した。そしてその勢いにカウンターを合わせるように、全身のバネを使って左の膝蹴りを跳ね上げる。
―― ごきんっ! ――
無理やり曲げられた首が鳴ったのか、それとも膝で打ち抜かれた顎が鳴ったのか、とにかくもの凄い音がした。
「ぐっ……が…………」
(……どうだ!?)
騎士団長の体がさらにぐらりと傾き、足がたたらを踏む。今ので倒れないなんてことになったら、この人が人間かどうかいよいよ疑わしくなるところだ。
「ぅ……ぬぅぅっ!」
だが、俺の期待を裏切るかのように騎士団長は倒れなかった。それどころか、顎を思い切り打ち抜いたのに視線が泳いでいない。
頭を下げようとする力と顎をカチ上げようとする力で、首にもかなりの衝撃が加わったはずだ。それなのにどうして――いや、あの太い首がダメージを吸収したのか?
「い、今のはかなり効いたぞ少年……」
「いや、効いたって言うならなんで倒れねえんだよ。ったく……マジでどういう体してんだ」
よく見ると、騎士団長は口の端からボタボタと血を流していた。どうやら顎を蹴り上げられた瞬間にわざと自分の下唇を噛んで、その痛みで意識を保ったらしい。
「くそっ、騎士なんてお上品なだけの坊ちゃん集団かと思ってたけど、こりゃ考えを改めないといけないな。あんた、本当に凄ぇよ」
「フフ……君もよくここまで耐えて反撃に転じたものだ。異世界人の根性も侮れんな」
「へへっ、覚えときなよ、俺の国の男には大和魂ってもんがあるんだ。今じゃ俺ぐらいの歳で言うやつも少なくなったがな」
「ならば私も騎士の魂をもって応えよう!」
「おうよ!」
俺は左右の拳を胸の前に持ち上げて腋を締め、2本の腕を正中線(※ 人体の中心線)の前で重ねるように構えた。
『夫婦手』――2つの拳を夫婦の如く、常に寄り添わせることで攻撃や防御に隙を作らないようにするための構えである。
こっちもさっきの一撃ですでに足にきているので、ここからは手技だけで接近戦するしかない。
「ぬあぁっ!!!」
「しゃぁぁっ!!!」
致命打となる一撃だけはもらわないよう、できるだけ体の中心から攻撃を逸らしつつ打ち合う。
肩や胸には何発か被弾するが、やはりさっきの膝蹴りが効いているのか、騎士団長のパンチは重さも速さも半分近くにまで落ちていた。いや、それだけじゃない。腰そのものも落ちてさっきより頭の位置が下がっている。
これなら今まで相打ちを警戒して使えなかった顔面への急所打ちが狙える。俺は必殺の一撃を打ち込むため、激しい攻撃を捌きながら再び相手に隙ができるのを待った。そして――
「むぅん!」
左右のパンチを交互に打っていては捌かれてしまうことに苛立ったのか、騎士団長が両拳で頭部とボディへの同時攻撃をくり出してきた。
空手の試合でも滅多に見られないこの双手突きは、いきなり出されるとどちらか一方にしか反応できず、もう一方への攻撃を避けきれないことが多い。だが、俺はそこに勝機を見出した。この技は両手を攻撃に使うことで防御が疎かになるので、自分もまたカウンターに対応できなくなる危険があるのだ。
「だぁっ!」
俺は自分の顔に向かってきたパンチだけを肩越しに避けつつ、相手の顔面に向けて鋭く右の拳を放った。ただし人差し指と中指だけが中途半端に突き出され、指を曲げたピースサインのようになっている。
―― ぐぎっ! ――
「がぁっ!?」
「ごはっ……!」
俺の技と騎士団長のボディブローが同時に決まった。
腹を押さえながら再び跪いた俺に対し、騎士団長は両手で顔を覆いながら後ろに数歩よろめく。指の隙間から見えたその顔は、両目の間にある鼻の骨が斜めに折れていた。
俺が今使ったのは『無界拳』。日本の古流武術に伝わる、特殊な形の拳で頭部の急所を突く10の技――その名も『北斗十拳殺』の1つである。
この技は拳を握った状態から指の第三関節を伸ばす『平拳』を人差し指と中指の2本だけで作り、鼻を挟むように指を開いて眉根のあたりを突くものだ。
これだけでもかなりの威力があるが、この技の恐ろしいところはヒットした瞬間に手首を返し、第一関節と第二関節の4点支持で鼻筋の骨を捻り壊すことにある。こうなると鼻血はおろか涙も止まらなくなり、とても目を開けてはいられない。
「ぐほっ……! ……っはは……やったぜ」
普通に考えればこれで勝負ありだ。鼻骨や眼窩周辺の骨が砕かれるのは怪我としてもかなり危険な部類で、同じ場所にもう一度攻撃を食らえば脳や神経が傷ついて死ぬこともあり得る。だが――
「ま、まだだ……まだ私は……!」
騎士団長は涙と鼻血でぐしゃぐしゃになった顔のまま、なおも倒れることなく拳を構えてみせた。ほとんど視界が塞がっているだろうに、なんてタフさと執念だ。
「もうやめとけよおっさん。これ以上やったら死ぬぞ」
「私は負けるわけにはいかんのだ。この国の誇りにかけて、騎士団の団長たる者が異世界の小僧に敗れるなどあってはならない!」
「……そうかよ」
自分で終わらせることができないというなら、俺のほうでとどめを刺してやるしかなさそうだ。それも鼻骨の砕けた顔を打たずに、この人の意識だけを断ち切らなければならない。
難しいことではあるが、この状態でやれるとしたら方法は1つ――俺の技の中でも最高の威力を持つ『あれ』だけだ。まだ実戦で使ったことのない未完成の技だが、それならこの場で完成させてやる。
「これで最後だ……倒れろ少年!」
こちらがもう捌きを使える状態じゃないことが分かっているのか、思い切り腕を振りかぶった騎士団長の右ストレートが伸びてくる。
誰もが避けなければ終わりだと思うはずの状況の中、俺は両腕をだらりと下げたまま、打つなら打てと言わんばかりの体勢でそれを待ち構えた。
『北斗十拳殺』……なんて中二心を刺激する技名なんでしょう。『鏃貫手』に関しては第3話の本文中で説明済みですので、今回はこっちの解説をしたいと思います。
この技は20年ほど前まで発刊されていた『格闘技通信』という月刊誌の中で紹介されていたものです。作者が知っているのはこの中でも6つだけなのですが、今回はその中でも実際に使えそうで、なおかつ最も威力の高そうなやつを登場させました。
実際に人差し指と中指を『コ』の字型に曲げ、コ←この部分で鼻の上部を挟んで捻ってみてください。それだけでどれほど痛いか分かりますし、それを勢いつけて打ったらどれぐらい危険か想像できると思います。
ちなみに格闘技漫画として有名な『グラップラー刃牙』でもこの十拳殺の技がいくつか登場します。
トーナメント編で愚地先生が天内悠に使った、掌底で頬を打って顎を外す『風魔殺』。鶏口突き(※ 束ねた5本の指先で突く技)で頭頂部を突いて頭蓋骨の縫合を外す『六波返し』などがそれですね。
『六波返し』なんかは「実際に使える人いるの?」という感じですが、『風魔殺』のほうは作者が実際に空手仲間から食らったことがあります。顎関節こそ外れませんでしたが、2週間ぐらい食事で口を開けるたびに「うぐっ!」と悲鳴を上げるほど痛かったです。毎回言ってますが、危険な技ですので良い子は真似しないようにしましょうね。




