20.王都エスペランサ
1
王都エスペランサ――ここは俺たちが今いるメルセデス大陸を統べるクライスラー王国の首都である。
大陸内でも最大の人口を誇るこの都市は、あらゆる人とモノが行き交う交通の要衝だ。黄金都市で『アウラの涙』を見つけることができなかった俺たちは、新たな手がかりを入手するためにこの都市を訪れていた。そして今、俺が何をしているかというと……。
「はい、風船ウサ。ケーキを買ってくれたお礼ウサ」
「わあ……!」
「よかったわねえ。ウサギさんにお礼を言いなさい」
「うん! ウサギさん、ありがとう!」
可愛らしい女の子がぴょんぴょんと飛び跳ねながら俺の手から風船を受け取る。そして母親と思われる女性に手を引かれて去っていく間も、女の子は何度もこちらを振り返って手を振っていた。
(うーん、喜んでくれるのは嬉しいんだけど、こっちもずっと手を振り返してるのは疲れるんだよなあ……)
俺は今、城下町の噴水広場にあるケーキ屋の前でウサギの着ぐるみに入り、風船配りのバイトをしていた。もちろん旅の資金を稼ぐため、ギルドから正式に請け負った仕事だ。
他のメンバーは何をしているかといえば、アルとフリージアさんは町で『アウラの涙』に関する情報を集め、ティナは宿のほうで魔道具や薬を作る内職をしてくれている。こうして役割を分担することで、手がかりが見つかったらすぐに旅立てるようにしようという計画なのだ。
「ふぅ、そろそろ水飲まないと脱水症状がヤバいな」
朝から昼までずっと立ちっぱなしので、すでに着ぐるみの中は汗の湿気とこもった熱気でサウナ状態だ。俺は一度着ぐるみの頭を外して水を飲むため、店の裏手へ回ろうと振り向いた。そのとき――
(げっ! シャ、シャーロット?)
俺のすぐ真後ろにシャーロットがいた。まさかこの町に来ているとは……。もしかして、また俺を追ってきたのか?
「…………」
いつものように襲い掛かってくるのかと思ったら、シャーロットは妙に目をキラキラさせながらこっちを見ていた。よく考えたら、着ぐるみに入っているんだから俺だと認識できるはずもないか。
「か、可愛い……」
「?」
どうやらウサギの着ぐるみが気に入ったのか、彼女は両手をワキワキさせながらこちらに近づいてきた。おいおい、俺も可愛い動物は大好きだが、これはあくまで着ぐるみであって、中に入ってるのは汗にまみれたゴツい男だぞ?
「お、お待ちになって! どうして後ずさりして逃げますの?」
いや、そりゃ逃げるだろ。動きが不審者そのものなんだよお前。
「わ、私はただ、あなたのモフモフしたお体をちょっと触らせていただきたいだけですのよ。体が駄目なら、せめて握手! 握手だけでも!」
ヤバい、こいつ完全に変なスイッチが入ってしまっている。下手に抵抗して中身が俺だとバレたらえらいことになりそうだし、こうなったら握手だけしてさっさとお引取りいただこう。
「…………(スッ)」
声で俺だとバレないよう、無言のまま着ぐるみの右手を差し出す。シャーロットはそれを両手で握り締めると、舐め回すようにわさわさと触り始めた。
「あぁ……モフモフですわ。モフモフですわぁぁ……」
うっとりとした表情で俺の手を撫で回すシャーロット。その感触にゾワゾワしたものを感じた俺は、思わず半歩後ろに下がってしまった。その拍子に着ぐるみの手袋がすぽりと抜けて、生身の手が露わになる。
「――あ」
それを見たとき、シャーロットの目が俺の手の甲に釘付けになった。俺の手は拳の角の部分、つまり指の付け根にかなり大きな拳法ダコができていて、もの凄く特徴的なのだ。もしもシャーロットがそのことを覚えていたとしたら――
「……あなた、もしかして……」
慌てて着ぐるみの手を取り返して右手を隠したが、シャーロットはいつもの睨みつけるような目つきでこちらを見ている。まさか、バレたか?
「ねえウサギさん、ちょーっとその頭を取ってみてくださるかしら? いえ、中の人が私の知ってる方でなければよろしいのよ? ただ、カミシロトウマという方でなければ……」
「な、なんのことウサ? ボクはウサギの妖精、ファビットくんウサ。中の人なんていないウサ」
「その声、やっぱりカミシロトウマですわね!」
「し、しまった! 言い訳するのに思わず喋っちまったぁ!」
「一度ならず二度までも私の恥ずかしい姿を……。ここで会ったが100年目ですわ!」
「今の醜態はお前が勝手に晒したんだろうが!」
シャーロットは腰に下げたサーベルを抜き、照れ隠しのように斬りかかってきた。まったく、どうしてこいつとはこんなにも巡り合わせが悪いんだ?
「おい馬鹿やめろ! 風船が割れたら日当が出なくなるだろ!」
「知ったことではありませんわ!」
風船を割らないよう自分の体でガードしながらシャーロットの剣をかわし、噴水広場の中を逃げ回る。そんな昔のカンフー映画じみたアクションを演じていると、周囲から何事かと集まってきた野次馬たちがどんどん増えていった。
「うぉっ!?」
シャーロットの横薙ぎの一閃が俺の首を狙って走り抜ける。思い切りダッキングすることでなんとかウサギの耳も斬られることなく避けられたが、もしも棒立ちだったら俺の頭は着ぐるみの頭部ごと地面に転がっていたところた。
「こ、殺す気か! ……って、ああっ!?」
俺が顔を上げたとき、しっかりと持っていたはずの風船が全て空高く舞い上がっていた。首への一閃を避けるために頭を下げたことで紐が無防備となり、斬られてしまったのだ。
「お前……よくも仕事の邪魔をしてくれたな。今日という今日は許さねえぞ! 公衆の面前で、今までのなんか比べもんにならないぐらいの大恥をかかせてやるから覚悟しろ!」
「それはこっちの台詞ですわよっ! 今日こそあなたを叩きのめして、私に関する記憶を全て消去してやりますから覚悟なさいっ!」
「やってみろこのお転婆め!」
「ええいっ!」
さっきの横薙ぎをかわされたシャーロットが、今度はフェンシングのような突きをくり出してくる。
線ではなく点の攻撃である突きは確かに見切りづらいが、空手やボクシングなどを相手に経験を積んだ俺にはそれほど難しいことではない。要は肩や肘、腰の捻りや足の踏み込み、そして何より相手の目を見て攻撃の『起こり』を察知すればいいのだ。もちろん過信しすぎるとフェイントに引っかかったりもするが、こいつのように殺気がむんむんと漏れ出ているような相手は分かりやすい。
「ほっ!」
俺は上体を捻って半身になりつつシャーロットの突きをかわすと、剣が戻りきる前にそれを手で掴んでピタリと止めた。生身でやれば手のひらが斬れるが、今は分厚い着ぐるみの手袋がそれを防いでくれる。ウサギの肉球が革で再現されているので、滑り止めもバッチリだ。
「なっ? は、放しなさい!」
「ふんっ!」
―― びきっ! ――
ガラスが割れる音にも似た金属音とともに、シャーロットの剣が真ん中から二つに折れた。俺が剣を掴んだまま先端が地面につくよう押さえつけ、その横っ面を足で踏み抜いてへし折ったのだ。
もちろんフリージアさんが使っているクレイモアのように、ある程度厚みのある剣であればこれほど容易く折れたりはしないだろう。だが彼女が持つサーベルは刃が薄く、テコの原理で力を加えてやるとあっけないほど簡単に折れてしまった。
「――っっ!」
剣を折られたことでシャーロットが怯み、思わず半歩後ずさる。俺はその隙を逃がさず、一気に間合いを詰めて彼女の腹に肩でタックルを食らわせた。
「ぐほっ!?」
大した勢いはつけていないし、このタックルそのものでダメージはないはずだ。俺は『く』の字に折れた彼女の体をそのまま肩に担いで持ち上げ、広場にあるトレヴィの泉のような噴水の縁に駆け上がった。
「何をするつもりですの? 下ろしなさいっ!」
「ああ、お望みどおり下ろしてやるよっ!」
「きゃぁぁっ!?」
―― どぼん! ――
俺は振り返ってシャーロットの体を小脇に抱えなおすと、そのまま噴水の縁に座り込むようにして、彼女の頭だけを水の中に突っ込んだ。
「ぷあっ!」
水中から顔を上げたシャーロットがざばざばと水をかき、俺の腕の中でもがく。
「どうだ? 少しは頭が冷えたかこのヒステリー女め」
「こ、この私をこんな目に遭わせて、後でどうなっても知りませんわよ!」
「まだ言うか……。だったら続けてお仕置きだっ!」
「ひゃぁっ!?」
俺はシャーロットの腰を脇に抱えたまま少し持ち上げると、彼女のスカートを上半身のほうまでまくり上げた。それによっていつもパンツの上に重ね穿きしているというドロワースが露わになり、衆人環視の下に晒される。
「きゃぁぁぁぁっ! な、何をなさいますの! この変態!」
「うるさいウサ!」
―― バチィン! ――
「痛ぁっ!?」
俺は再び営業用のウサギ口調に戻ると、シャーロットの尻を思い切り引っ叩いた。着ぐるみのモフモフした手だから遠慮することもないと思ったので、かなり強めの一撃だ。
「いい加減お転婆が過ぎるウサ! 子供たちのための風船を台無しにして、少しは反省するウサ! ボクはお前をそんな娘に育てた覚えはないウサッ!」
―― バシィン! バシィン! バチィン! ――
「痛っ! 痛いっ! わ、私もあなたに育てられた覚えなんかありませんわよっ! 痛ぁぁっ!」
説教しながらシャーロットの尻を何度も着ぐるみの手で打ち据える。
肉体的ダメージもさることながら、年頃の女の子が公衆の面前で尻叩きをされるというのはさぞかし恥ずかしいだろう。ドロワースまで下ろしてパンツ丸出しにしなかったのは最後の慈悲だと思うがいい。
「お……お嬢様!?」
「な、なんというお姿で……!」
ふと聞き覚えのある声だと思って顔を上げると、周りを取り囲んでいる群衆の中にシャーロットの執事たちが来ていた。街中ではぐれた彼女を今まで探していたのだろうか、2人とも少し息が切れている。
ヤバいな。このままだと3人を同時に相手どって戦うことになりかねない。あのプロレスラーみたいな体型の2人には素手同士でさえ勝てそうもないのに、こっちだけ丸腰の今の状況でかかってこられたらどうしようもないぞ。
「そぉい!」
「きゃあっ!?」
―― ざぶん! ――
俺はシャーロットの体をひっくり返すようにして彼女の全身を噴水の中に放り込み、まだ群集のいない路地のほうへ向かって一目散に逃げ出した。こうなったらしばらく身を隠して、後から着ぐるみだけ店のほうに返しに行くしかない。
少し離れたところで振り返ってみると、2人の執事に助け起こされたシャーロットはずぶ濡れの姿で何かを喚き散らしていた。まったく、文句の1つも言いたいのはこっちのほうだ。
そして噴水広場での騒ぎが収まった頃を見計らい、俺はこっそり店に戻って事情を説明した。幸い話の分かる店主だったので半日分の給料はもらえたが、それも斬れていた着ぐるみの手袋と無くした分の風船を弁償したことでほとんどチャラだ。仕事帰りに交通違反で罰金くらったサラリーマンじゃあるまいし、あんなつまらないことでタダ働きになってしまったのかと思うと泣きたくなる。
それにしてもシャーロットめ、さっきは『後でどうなっても知らない』とか言ってたが、それはこっちの台詞だ。今度会ったときには二度と俺に構おうなんて思わなくなるよう、超特大のトラウマを植えつけてやるから覚えてろ。
2
それから2日後――
―― コンコン ――
「……ん?」
宿で眠っていた俺は、部屋のドアをノックする音で起こされた。窓の外を見るとすでに日はかなり昇っていて、どうやらもう早朝という時間でもないらしい。
「んん……トウマさん、どうかしましたか?」
隣のベッドで寝ていたアルも起きたらしく、寝ぼけた顔で俺に訊ねてきた。
「さあな。誰か来たみたいだけど……ティナかフリージアさんかな? ふぁぁ……」
あくびをしながらがちゃりとドアを開けると、そこには見慣れない格好をした40歳ぐらいの紳士がいた。頭には兜のようなものを被っているのだが、服装のほうは軍服という感じで、立派なカイゼル髭はキューバの革命家ホセ・マルティによく似ている。
「あの……どちら様でしょう?」
「お初にお目にかかるね。私はこのクライスラー王国首都、エスペランサの憲兵隊長チャールズ・アルファードという者だ。君は……カミシロトウマくんでよかったかね?」
俺よりも少し背の低い紳士は人の良さそうな顔でにこりと笑い、握手を求めるように右手を差し出しながらそう言った。この町の憲兵隊長だって? そんな偉い人がどうして俺の名を知っていて、しかもこんな朝から宿を訪ねてくるんだ?
「は、はい。そうですが……」
俺は握手に応じながらも、すぐさま気持ちを戦闘モードに切り替えた。あからさまに敵意や殺気を放ったりはしないが、相手が何を仕掛けてきてもいいように少しだけ重心を落として身構える。
「実は、君に少しばかり用があってね。詳しい事情は馬車の中で説明するので、お仲間と一緒に来てもらえないかね?」
なんだなんだ、起き抜けにこの展開は。いきなり国の偉い人がやって来て、詳しい理由も告げずについて来いとか、きな臭いにもほどがあるだろう。
「ちなみにお断りすることは……」
「残念だが、これは国王陛下直々のご命令なのだよ。もしも同行を断るというのなら、我々としては力づくで君を拉致するしかなくなってしまう」
そう言うと、チャールズと名乗った紳士は笑顔のまま指をパチンと鳴らしてみせた。その途端に廊下からドタドタと音が聞こえ、甲冑で武装した兵士が部屋の中へなだれ込んでくる。
「――っ!」
「私としても無理強いをするのは本意ではない。どうか我々を信じて、一緒に来てくれんかね? 決して悪いようにはせん」
国王陛下の命令だって? ますます訳が分からない。一体何がどこでどうなれば、そんな大物からそんな命令が出るっていうんだ。
ともあれ、この状況では断るのは不可能と考えたほうがいいだろう。俺1人なら窓から飛び出して逃げることも考えられるが、そうするとこの場にいるアルや別室にいる女性陣2人も人質に取られてしまう。
「分かりましたよ。けど、武器の所持を認めてもらえますかね? 王様の前ではさすがに預けますけど、丸腰のまま拉致されたんじゃ対等とは言えないし、信用しろってのが無理な話だ」
「ああ、もちろん構わないよ。むしろ使い慣れた武器なら持っていってくれたほうがありがたい」
「?」
考えれば考えるほど腑に落ちないことばかりだが、とりあえず行ってみないことには何も分からないようだ。
俺とアルは手早く身支度を整えて部屋を出ると、ティナとフリージアさんも呼んで憲兵隊長の後について行った。
今回は主人公がやった『刃止め』からの剣破壊について解説です。
主人公が使った剣の掴み取りは『ベルセルク』で主人公ガッツもやっていましたが、実際に剣というのは防刃素材のグローブなどがあればガッチリと掴むことで結構簡単に止められます。(ただし前後に動かせないようにするためには、握力が最低限70キロから80キロ以上は必要と思われます)
今回は着ぐるみの手袋がぶ厚かったことと、相手が非力だったおかげで止められたという設定ですので、ゴムイボつきの軍手なんかで包丁などを掴んで真似をしないでくださいね
サーベルの破壊については作者が実物を見たところ、これなら先端が地面についた状態で上から踏めば折れると実感した体験によるものです。オリンピックで使われる突き専用の剣(フルーレ)などは柔らかいので曲がるだけで済むのですが、斬ることも想定したサーベルはしなりも少なく、そのくせ形状も針のようなフルーレに比べて扁平なので折れやすいんでしょうね。




