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17.お風呂と階段


 1


 マローダの町を出て13日目の夜、俺たちは川辺でキャンプを張っていた。ここまでの道のりはおおむね順調で、すでに目的地の黄金都市があるという台地はここからも見えている。


「いいか、行くぞ」


「はいっ!」


 アルは両足を前後に開いて半身になり、右拳を鳩尾みぞおちの前に、そして左拳を顎の高さに構えていた。俺が教えた基本の構えだ。

 俺は一気に間合いを詰めると、両手で軽いパンチを無数にくり出した。寸止めなので危険はないが、ほとんど力が入っていない分、その速さは本気で攻撃するときよりもさらに上だ。


「うわわっ!?」


 アルが慌てて俺の攻撃を防ごうとするが、はたいてさばくにせよガードするにせよこっちの手数が多すぎる。そのせいで対応しきれないアルは腕を無闇に振り回すのみで、もはや一発一発をちゃんと見ようとしていない。

 この攻撃自体は敵の意識を上半身に集中させるための見せ技にすぎないが、それならそれで目晦めくらましの役目は十分に果たしている。俺は前に置いた左足をさらに深く踏み込むと、アルの左足を手前へ引っ掛けるようにしてがくりと体勢を崩した。


「あっ?」


 さらに左手で頭、右手で顎を上下から掴んで反時計回りにぐるりと半回転させ、手の中でアルの体をあお向けにする。そのまま尻餅をつかせたときには、アルは俺の顔を逆さまに見上げるような格好になっていた。


「それ」


 右手でアルの頭を下から支えるように抱え、左拳でその顔を打つ。これも寸止めだが、アルは観念したようにぎゅっと目を閉じてしまっていた。


「目を閉じるな。ここからが大事なんだ」


 俺に言われて恐るおそる目を開いたアルの顔に、もう一度拳を振り下ろす。さらに二度、三度、四度――


「それ、それ、それ、それ、それっ、それっ」


「…………っっ!」


 実戦であれば、仮に手で拳を防いでいたとしてもアルの綺麗な顔はすでにボコボコになっているだろう。軽いパンチでも数え切れないほど打ち込めば、人の顔を血まみれにしたり腫れ上がらせたりすることはできるのだ。


「見たか」


「は、はい」


「これが詠春拳えいしゅんけんだ。敵に接近して手足を小さく使い、素早い連打で滅多打ちにして相手を倒すってのがコンセプトなんだが……。元々は厳詠春イム・ウィンチュンという女性が創始した拳法だと言われていて、非力な子供や女性が学ぶのに向いている」


「なるほど……」


「お前もまだ体が小さいし、体重もないから攻撃が軽い。前みたいに人間を相手に素手で戦うことがあるなら、これを覚えておけばきっと役に立つだろう」


「凄いや。僕のことをちゃんと考えたうえで、ピッタリ合う技を教えてくれるんですね」


「当たり前だ」


 俺の親父も俺自身もそうだが、才能のないやつは頭を使って工夫することでその差を埋めるしかない。逆に自分がそうやって『理』で技術を修得してきた人間というのは、直感でコツを掴んでしまう天才よりも人に教えることが得意だったりするのだ。


「ま、本格的な技を教えるのはまた今度ってことにして……今日の稽古はこれぐらいにしとくか。もうティナたちも上がってくるだろうし、先に風呂入ってていいぞ」


「今日も僕が先でいいんですか?」


「疲れた筋肉を回復させるにはぬるめのお湯に長時間浸かるのがコツなんだよ。言っておくが、俺がいつも最後に入るのは『ティナやフリージアさんが入った後の残り湯ハァハァ』とかいう変態的な理由じゃないからな。つーか、それならお前を先に入らせたりしねえし」


「誰もそんなこと思ってませんってば」


「俺はまだ少し柔軟やってるから、お前はその間に入っちまえよ」


「柔軟運動ってお風呂上がりにやったほうがいいって聞きましたけど……」


「へえ、この世界でもそう言われてるんだ。けど、そりゃ一種の迷信だな。要は体が暖まってりゃいいんだから、普通に運動した後でも同じことなんだよ。つーか風呂上りに動いたらまた汗かくだろうが」


「じゃあ、お言葉に甘えて先に入らせてもらいますね」


「おう」


 地面に打ち込んだ2本の杭の間に布を張り、目隠しされた場所の裏へとアルが歩いていく。それと入れ違うようにして、濡れた髪をタオルで包んだフリージアさんとティナがこちらに歩いてきた。


「トウマくん、おっ先ー」


「今日もいいお湯でした」


 2人が俺の傍にあった大きな石に腰を掛け、火照った体を冷ますために服の襟をパタパタする。うわ、なんか凄くいい匂いがするぞ。

 俺は慌ててその場に座り込み、両足を前に投げ出して前屈運動を始めた。よし、こうして柔軟体操をやっていれば、文字通り前屈まえかがみになっていても不自然じゃない。


「ね? 俺が雑貨屋に頼んで細工してもらった樽、役に立ったでしょ」


「本当ね。私も長いこと冒険者をやってきたけど、こんなに快適な旅をするのは初めてだわ」


「ほんと、トウマって意外と気が利くのね」


 フリージアさんやティナはもちろん、リーリアまでもが上機嫌でニコニコと笑っている。やはりあの樽を買ったのは正解だったようだな。

 俺が雑貨屋の店主に頼んだのは、樽の内底に銅版を張り付けてもらうことだった。さらに外側の下部も五徳のような足付きの鉄板で覆い、中に水を入れて焚火であぶることで風呂桶になるようにしたのだ。

 これがあればキャンプ地が水場からよほど遠いか、もしくは雨の日でもない限り毎日でも風呂に入ることができる。最後に入った俺がお湯を捨ててしばらく空焚きしておけば、次の日の朝までに樽は乾き、再び荷運び用のリュック代わりになるという寸法だ。


「ふっふっふ、俺は向こうの世界でも特に風呂を愛する民族ですからね。旅先だからって何日も風呂に入らないとか、我慢できない性質たちなんですよ」


「うふふ、男の子でも綺麗好きなのはいいことよ。おかげで私たちもさっぱりできるし」


 最近の俺たちは午前中から午後3時ぐらい(時計がないのであくまで体感だが)までの間に移動を済ませ、それから日が沈むまでにキャンプの準備をするという生活サイクルになっている。夕食が終わったら水の入った樽を焚火の上に乗せておいて、風呂が沸くまでの間に俺とアルがフリージアさんに剣の指導をしてもらい、そして女性陣が入っている間に俺がアルに武術の稽古をつけてやるという流れだ。

 疲れた体を癒すのはもちろんだが、稽古の後には汗だくになってしまうのでやはり風呂は欠かせない。男の俺ですらそうなのだから、女性陣はきっとこいつを気に入ってくれると思っていたが……思った以上に好評なようで何よりだ。


「さて、そろそろ俺も入ってくるかな」


 まだ20分ほどしか経っていないはずだが、もうすぐアルも風呂から上がるだろう。俺は立ち上がって自分のタオルと着替えを用意すると、それを持って布で張られた目隠し用の衝立ついたてのほうへと歩いていった。


「おーいアル、もうそろそろ上がるかー?」


 ティナたちから姿が見えない位置に来ると同時にシャツを脱ぎ、ズボンとパンツも下ろして素っ裸でアルに話しかける。


「わっ!? と、トウマさん? ちょ、ちょっと待ってください。今すぐに上がりますから」


「おいおい、男同士でなーにを恥ずかしがってんだよ」


「どわぁぁっ!? ま、前ぐらい隠してくださいよ!」


「だーから、男同士で恥ずかしがる必要ねえだろって。むしろ見ろ! この彫像の如く鍛え抜かれた筋肉を!」


「い、いいです! 僕もう上がりますから!」 


 アルが慌てた様子で樽の風呂桶から立ち上がる。すると、お風呂大好き民族の俺にとって許しがたいものが目に飛び込んできた。なんとアルは温泉番組のレポーターがそうするように、バスタオルを体に巻いたままお湯に浸かっていたのだ。


「あっ、お前それはマナー違反だろ。しかも男のくせになんで胸まで隠してんだよ。取れ取れそんなもん!」


「わぁっ!? な、何するんですかぁっ!」


 手をかけて引っ張ってやると、アルの胸元からバスタオルがはらりと落ちる。

 腰から下は樽に隠れて見えなかったが、アルの上半身は少し痩せすぎじゃないかというほどにか細く、胸板は見事なまでに薄かった。胸の小さい女性の蔑称に『板胸いたむね』というのがあるが、これはまさに胸板むないたというよりも板胸だ。


「なんだ、胸板ペラッペラだなお前。これを恥ずかしがってたのか? まあ俺のと比べたらその気持ちも分からなくはないがな。お前の成長期はこれからだろうし、しっかりメシ食ってしっかり鍛えてりゃそのうちデカくなれるって」


「うぅぅ……トウマさんの馬鹿ぁ!」


 ―― ばしゃん! ――


「おわっ!?」


 突然アルが俺にお湯を浴びせてきた。ええい、ちょっと裸を見られたぐらいで、乙女かお前は。


「おい馬鹿やめろ。お湯が減ったら俺が肩まで浸かれなくなるだろうが」


「もう! これから広いお風呂がある宿に泊まっても、トウマさんとは絶対一緒に入りませんからね!」


 結局アルは体を拭いた後も新しいバスタオルを体に巻きつけ、てるてる坊主のような格好になって着替えていた。やれやれ、プール授業の終わった小学生じゃあるまいし、男同士でどうしてそこまで裸を隠したがるんだか。

 俺も風呂に入ったが、やはりアルが暴れたせいで樽の中のお湯は減っていた。鎖骨の下あたりまではお湯があるが、肩までは浸かれない。

 

「うーん、この樽じゃさすがに狭すぎて潜ることもできんな。変に体が冷えて風邪でもひかなきゃいいが」


 しょうがないので手桶でお湯をすくい、頭から何度もかぶって肩の周囲も温める。

 こんな風にくだらないドタバタを演じながら、この世界に来て2週間目の夜は更けていった。


 2


 次の日――早々とキャンプを引き払って出発した俺たちは、まだ早朝のうちに目的地へと辿り着いた。目の前にはオーストラリアにあるエアーズロックのような巨大な岩山がそびえ立ち、視界から空の半分以上を覆い隠している。


「すっげぇ……」


 海外旅行の経験がない俺にとってこの世界の景色はどこも雄大そのものだが、これは今まで見た中でも格別だ。山の中腹あたりには霧がかかっていて、どことなく霊峰っぽい雰囲気も感じられた。


「ん? あれは……」


 目の前の岩山をよく見ると、台形をした岩山のド真ん中に何やらジグザグの模様が刻まれている。麓まで近づいてみると、それは岩山の斜面を削って造られたつづら折りの階段だった。おそらくここを登って上まで行けということだろう。


「うわぁ、こりゃキツそうだなぁ」


 岩山の麓にある洞窟に入って落とし穴だらけのダンジョンを少しずつ登っていくとか、ろくな装備もなしに女子供を連れてロッククライミングするよりはましな気もするが……。これはまた違った意味で大変そうだ。

 そして数時間後――


「はぁ……ふぅ……。はぁ……ふぅぅ……」


 俺たちはようやく岩山の1/3あたりと思われるところまで来ていた。

 進みが遅いのは主に俺のせいである。その原因はもちろん、背負った樽が重すぎるためだ。


「だ、大丈夫ですかトウマさん? 少し休憩したほうが……」


「ま、まだ大丈夫だよティナ。こいつはちょっと重いけどな……」


 今さら気付いたが、俺はこの樽を担いで歩くのが平地に限らないということを完全に失念していた。歩くのが他人よりも少し速い俺にとって、平坦な場所であればこの重さは皆と歩調を合わせるのにちょうどいいが、こういう場所では負荷が大きすぎる。

 さすがに30キロ前後はある荷物を担いでこの階段を登るというのは、さながらレンジャー訓練のようなものだ。ティナたちの前なので強がってみせてはいるが、すでにかなり前から1段飛ばしで登ることはできなくなっていた。


「こういうとき、その樽はちょっと邪魔になっちゃうわねぇ」


「とはいえ、荷物番もなしに麓に置いておくわけにもいきませんからね……。俺がこの重さに慣れるしかないでしょ……」


「ふふっ、私に頼ろうとしないところは偉いと褒めておいてあげるわ」


「フリージアさん、ちょっと代わってくださ……」


「だーめ♪ 男の子が甘えないの」


「…………」


 確かに、この樽を買うと言ったのも担ぐと決めたのも俺自身だしな。こうなったら根性見せるまでだ。

 

「ぬぅぅぅぅ……」


 そうして俺は自分に気合を入れながら、さらに上を目指して階段を登っていった。くそっ、これで黄金都市とやらがしょうもない場所だったら泣くぞ。

 さらに30分後――


「さ、さすがにもう駄目だ。ちょっと休憩しよう……」


 俺は背負っていた樽をその場に下ろし、大の字になって地面に転がった。

 何度目かの休憩だが、完全に寝そべることができたのは初めてだ。つづら折りになっている部分の踊り場が、ここだけ少し広くなっていたのが幸いだった。

 なんだかよく分からないが高カロリーの食材を練り合わせた冒険者用の携帯食料を口にし、キャンプ地の川から汲んできた水筒の水を一気に飲み干してようやく一息つく。


「ふぅ、やっと人心地がついたけど……あとどれぐらいあるんだこの階段?」


「ようやく山の中腹ってところね。階段はまだまだ……って、あら?」


「フリージアさん、どうしたんですか?」


「ここよりも上のほうは霧のせいでよく見えなかったんだけど、階段が山の途中で途切れてる……。この先には踊り場がもう1か所しかないわ」


「ええっ!?」


 俺のほうは今まで顔を上げる余裕もなかったのだが、上を見ると確かに階段は山の中腹あたりで終わっている。どういうことだ?


「とにかく行ってみましょう」


「ええ」


 少し休んでカロリーも摂ったので体力はかなり回復できた。俺は力を振り絞って立ち上がると、再び樽を背負って階段を登り始めた。

 今回登場したのは、かのブルース・リーが学んだことで有名な詠春拳です。

 どんな技かはブルース・リーの映画を見るよりも、その師匠である葉問イップ・マンの生涯を描いたドニー・イェン主演の映画『葉問~序章~』を見ていただければ分かるかと思います。ほんと、相手をベチベチ殴って血だるまにしてますので……。

 あとはブルース・リーの『燃えよドラゴン』でも、リーがオハラと戦うシーンの冒頭で詠春拳の技が見られます。

 前にある敵の防御(のための手)を叩き落としてパンチを食らわせる『パクサオ』とか、こちらの攻撃を防いだ相手の手を押さえつつパンチを食らわせる『ラプサオ』などですね。

 詠春拳の真骨頂は超接近戦での素早い手技にあるのですが(+足技による崩しも忘れてはいけませんが)、空手にもまた違ったコンセプトの超接近戦技術があるので、いつか作中で紹介できればいいなと思っております。

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