14.お嬢様の逆恨み
1
「おーい、大丈夫だったかー。怪我してないかー」
すっかり疲れてしまった俺は、もはや何もかも面倒臭くなったかのようにシャーロットに話しかけた。また動く人形が出てきても相手をする気も起きないし、さっさとこんな場所からは離れたい。
「え、ええ……助かりましたわ」
なんだよ、この娘、素直に礼も言えるんじゃないか。
俺はシャーロットに手を伸ばし、彼女を立たせてやろうとした。だが――
「――――っ?」
立ち上がろうとしたシャーロットがいきなり何かに気付いたような顔をして、再び床に座り込んだ。
「おいおい、いつまでも腰抜かしてんじゃねえよ。さっさと立てって」
もう一度手を伸ばすが、シャーロットは首を横に振って立とうとしない。
「なんなんだよ、もう……」
「も、もういいですから! 貴方は先にお行きなさい!」
「そういうわけにいくか。まだ同じやつが他にもいるかもしれないんだ。そうなったらお前らだけじゃ対処しきれないだろ」
ティナの魔法で執事のおっさんたちはほぼ回復しつつあるようだが、それでも彼女たちが持ってきた武器はあの人形たちを倒すのに相性が悪すぎる。ワーウルフもいない以上、この場に長居する理由など何もないはずだ。
俺はシャーロットの腕を掴み、無理やり彼女を立たせようとした。
「い、嫌ぁぁっ!」
引っ張られて体勢を崩したシャーロットがよろめいて1歩前に出る。その瞬間、俺はなぜ彼女が立とうとしなかったのか理解した。床に敷かれた高級そうな絨毯が、ぐっしょりと濡れていたからだ。
「あー……なんていうか、スマン。見なかったことにしておくよ。うん、俺は何も見なかった」
「――――っっ!」
顔を真っ赤にしたシャーロットが、俺の頬に向かってまたも右のビンタをくり出してくる。
―― バチィン! ――
すっかり静かになった部屋に大きな音が響いた。俺が思わず左腕でブロックしたせいで、彼女はそこに手首を思い切りぶつけてしまったらしい。
「~~~~~~~~っっ!」
シャーロットが手首を押さえながらプルプルと震える。今のはかなり痛かったみたいだな。
「……重ねてすまん。これは癖みたいなもんで、わざとじゃないんだ」
俺が親父から教えられた空手は、4大流派の1つである『剛柔流』をベースにしている。この流派は手首を返して前腕に激しい捻りを加え、攻撃してきた敵の手足を逆に痛めつける受け技を得意としているのだが、俺の体にもこの技が深く染み付いてしまっていて、咄嗟に攻撃を防ごうとするとつい手首を返してしまうのだ。
「く……くく…………」
ふぅふぅと荒い息を吐くシャーロットがぎろりとこちらを睨んだかと思うと、不意に俺の脇を通り抜けてずかずかと歩いていく。彼女は部屋の入口まで歩くと、ようやく体を起こせるようになった2人の執事を見下ろしながら低い声で言った。
「アンドレ、オスカル、行きますわよ」
「は、はいお嬢様」
「ですが、よろしいので? 助けていただいたのですから、ちゃんとお礼をされたほうが……」
「うるさいですわ! いいから早く立ちなさい!」
「は、はいぃっ!」
執事たちが床に落ちていた燭台を拾って立ち上がり、傷を治療してくれたティナに一礼してから主人に続こうとする。そのとき、シャーロットが部屋の扉をくぐりかけたところでふと足を止め、振り返って俺の顔を見た。
「……そういえば、あなたのお名前をまだ伺っておりませんでしたわね」
「ああ、燈真だよ。神代燈真だ」
このとき、気軽に名前を教えてしまったことを俺は後悔することになる。なぜならこの後シャーロットが言ったことは、俺にとって今よりもはるかに大きなトラブルの幕開けを告げるものだったからだ。
「カミシロ・トウマ……その名前、忘れませんわよ。この私にこんな恥をかかせたこと、絶対に許しませんわ!」
シャーロットが下唇を噛み、猛獣のように歯を剥きながら俺を睨む。
「はぁっ!?」
「覚えていらっしゃい。今日はこのまま引き下がりますが、次に会ったときは必ずこのお返しをして……いいえ、それだけでは済ませません。あなたの仕事をとことん邪魔してやりますわ!」
「ちょ、ちょっと待て! なんで助けてやったのにそこまで恨まれにゃならん!?」
俺は慌ててシャーロットを追おうとしたが、彼女は止める間もなく廊下をずんずんと歩いて行ってしまった。おいおい、邪魔って具体的には何をするつもりなんだ?
「トウマさん、きっと彼女は照れているだけですよ。少し落ち着いたらきっと分かってくれるはずです」
ティナが慰めてくれるが、あの剣幕だとそれは期待できそうもないように思える。
参ったな……俺が貴族とかそういうものに馴染みがないせいもあるが、上流階級の人間が持つ独特のプライドってやつはどうにも理解できない。まさか命を助けて逆恨みされるとは思わなかったぞ。
「はぁ……しょうがない、とりあえず1階に下りてフリージアさんたちと合流しよう」
「そうですね」
ティナと書斎を出て、2人で元来た道を戻っていく。すると1階への階段までもう少しといったところで、アルとフリージアさんがこちらにやって来るのが見えた。
「あ、トウマさん。そっちは大丈夫でしたか?」
「ああ、なんとかな」
「さっきの女の子たちが出て行ったから無事だとは思ってたけど、どうやら怪我もなさそうね」
「なんつーか、どっと疲れましたけどね。あいつらを助けたのも裏目に出たみたいだし、ほんと骨折り損だった……」
「男の子がグチグチ言わないの。冒険者やってればそういうこともあるわよ。それで、上にワーウルフはいた?」
「いいえ、下にいたのと同じ人形だけでした。なんとか倒しましたけど、1体やるのに一苦労でしたよ。フリージアさんはあいつら全員やっつけちゃったんですか?」
「ええ、全部ぶっ壊してきたわよ。魔王が生きてた頃はもっと強い魔物の群れに襲われたこともあるし、あんなのに手こずるもんですか」
本当にこの人は凄いな。きちんと剣技を習うなら、師匠としてこれ以上の適任者はいなさそうだ。こうなったら正式に仲間になってもらえるよう頼むだけじゃなく、俺に剣の扱いを教えてくれないか訊いてみようか。
「それで、今回の俺の仕事ぶりはどうでした? 冒険者として、ちゃんとやっていけそうですかね?」
「うーん、まだまだ荒削りではあるけど、センスは悪くないと思うわよ。ちゃんとした師匠に戦い方を教われば、それなりに名のある冒険者になれるんじゃないかな」
「そのことなんですが、フリージアさんに指導をお願いできませんか? 正式な仲間というだけじゃなく、俺の剣の師匠になっていただきたいんです」
「そうねえ……いいわよ。どうせギルドの仕事も少し退屈だったし、君が元々身につけている技もなかなか興味深いわ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
「じゃあ、町に戻ってワーウルフの毛皮を換金しましょうか。さっきの人形たちからも魔石がいっぱい出てきたから、毛皮が取れなかった分も余裕で補填できるわ」
「え? 魔石ってもしかして、人形の首のとこに入ってたアレですか?」
「ええ、そうよ」
「ええっ!? あれって売れるんですか? なんかヤバそうなオーラを感じたから剣でぶった斬っちゃいましたよ」
「それはもったいないことしたわねえ。あれはあの人形みたいに無機物を魔物化したりもするけど、ちゃんと処理すれば無害だから魔道具の材料としても重宝されるのよ」
「ご、ごめんなさい。すぐに人形から引き離せばいいと思って叫んだんですが、私がそれを言う前にトウマさんが剣で魔石を壊してしまったので……」
「い、いや……ティナのせいじゃないよ。ちゃんと最後まで話を聞かなかった俺が悪い。でも、そうかぁ……高く売れたのかあ……」
「壊しちゃったものはしょうがないですよ。僕も1体倒したんですけど、やっぱりフリージアさんみたいに体ごと叩き割ったりはできないから、首の隙間を狙って魔石を壊すしかありませんでしたし」
「そうか。命の取り合いやってるときに、いちいちそこを傷つけないよう気を遣ってられんわな」
あれが1つでいくらするものだったのかは気になるが、どちらかというと貧乏性の俺にとってはむしろ聞かないほうがいいのかもしれない。うん、失ったものを数えるよりも、得られたもののことを考えよう。
2
城を出て町に戻った俺たちは、さっそく手に入った素材を金に換え、旅の道具一式を買い揃えるために雑貨屋へとやって来た。どんなものが必要なのかはよく分からないので、何を買うかはフリージアさんに丸投げだ。
「さあ、これで大体揃ったわよ。とりあえず4人分の食器と炊事用具、水汲み用の桶、あとは雨具や洞窟を探検するときに必要なランタンとかね。着替えなんかもあるからもう少し増えるかも」
「これを全部持ち歩くとなると、結構な荷物になりますね。何に入れて運ぶんですか?」
「刃物なんかは身につけて持ち歩けばいいけど、道具類はこういう筒型の皮袋に入れて、パーティの中で力のあるメンバーが運ぶのが一般的よ。もちろん私たちの場合は……トウマくん、お願いできるわよね?」
「それは構いませんけど……(あんたのほうが力あるだろって言ったら怒られるだろうから黙っていよう)」
フリージアさんがにっこりと笑いながら指差したのは、壁にかかっていたサンドバッグのような形の皮袋だった。
荷物を運ぶのは足腰の鍛錬にもなるから最初から自分が持つつもりでいたが、この皮袋、担ぐためのベルトが1本しかないのが気になるな。片方だけに負荷がかかると筋肉のつき方が歪になるから嫌なんだが。
そう思いながら店内を眺めていると、ふと面白いものを見つけた。これ、使えるかもしれないぞ。
「なあ店主のおっちゃん、これも売り物か?」
そう言いつつ、店の隅っこでホコリをかぶっていたものを指差す。それは、人間が丸々1人は入れそうな大きさの樽だった。
「ああ、だけど冒険者がそんなもん持ち歩いてどうすんだ?」
「まあ、ちょっとな。これを少しばかり加工して売って欲しいんだけど、頼めるかな?」
「別に構わんが……どんな加工をしろっていうんだい?」
「これを荷物運び用のリュック代わりにしようと思ってね。左右両方の肩に担げるように、取り外し可能なベルトを2本つけてくれないか。あとはゴニョゴニョ……」
他の3人に聞こえないよう、小声で店主に耳打ちする。もしもこういう世界での旅が俺の想像しているとおりのものなら、この細工はきっと後で役に立つはずだ。
「ふむ……それなら1日あればできると思う。買ってくれた物はそこに詰め込んでおくから、明日になったら取りに来てくれ」
「わかった」
「トウマくん、そんなものに荷物を入れたら重いでしょう。きっと長旅になるでしょうから、できるだけ荷物は軽くするべきよ」
「ま、この意味はそのうち分かりますよ。それより次は鍛冶屋のほう行きましょう」
「持つのはトウマくんだから、あなたがそれでいいって言うなら構わないけど……」
俺がなぜこんなものを旅の荷物入れにしようと思ったのか、今はまだ秘密だが、店主に頼んだ細工の意味を知れば絶対に3人とも喜ぶはず。
次はいよいよ武器と防具選びだ。とりあえず俺たちは買った物の手付金だけを払い、雑貨屋を出て鍛冶屋へと向かった。
今回は受け技のみの登場です。
空手では上段受け、腕を体の中心から外側へと回す中段受け、逆に外から内へと捌いて攻撃を逸らす中段受け、下腹部への突きや股間への蹴りをいなす下段払いなどが基本的な受け技になります。(中段受けの2種類はそれぞれ『外受け』『内受け』と呼びますが、どちらをどちらと呼ぶかは流派によって違ったりします)
どの流派でもこれらの受け技を使うときは自然と手首が返るものですが、4大流派と呼ばれる伝統派空手のうち、作者が最初に学んだ『剛柔流』では特にそれが顕著です。こちらの受け技が攻撃を仕掛けてきたほうの手足をバチンと弾く瞬間、捻りが加わった前腕が抉り込まれることになるんですね。
そういうわけで、この受け技で攻撃を弾かれたほうはかなり痛い思いをすることになります。作者も学生時代にふざけた同級生が背後から丸めた雑誌を振り下ろしてきたことがあるのですが、そのとき振り向きざまに思わずこの上段受けで防御したら、その同級生は今回のシャーロットと全く同じリアクションをしていました。
以前登場した落花などもそうですが、空手には他にも攻防一体の技が数多くあります。『剛柔流』という流派名が特にそれを得意とすることから名づけられたのかどうかまでは分かりませんが、いずれにせよ看板に偽りなしですね。




