議員と詐欺師と冷蔵庫のストライキ
「ふーむ、やっぱり、問題は資金か」
ロードフリフは議会で散々指摘された問題点を赤インクで修正していた。次回の議会提出までに直さなければならない。
「だが、こちらにも手がないわけではないんだ、融資の件さえ何とかなれば……」
「ロードフリフ様、お客様ですが」
執事がノックをして入ってくる。
「ゼニスキー男爵だな。入ってもらってくれたまえ」
今日はゼニスキーという銀行にコネのある貴族と打ち合わせの予定だ。いけ好かない相手だが、この際四の五の言ってられないだろう。
「いえ、フランティスカ・ジオーネと名乗る女性がやってきたのですが……」
ロードフリフはガタっと椅子から立ち上がり机の角に膝を打ち、椅子ごともんどりうって倒れた。
「アポイントメントがないので、お帰り願おうと思うのですが。ご婦人ですので馬車を付けてはいかがかと……」
じたばたと地面でもがいて椅子にしがみつきながら、やっと立ち上がったロードフリフは慌てて食い気味に遮る。
「いやいや、会おう!! 伝え忘れていたが確かに僕はその女性と会う約束をしていたんだ!!」
「しかし、ゼニスキー様はどうなさいますか?」
「来たら待たせておいてくれ!!」
執事は少し考えて、主の言葉通りにすることにした。ここで助言をするほどの給料も貰っていないと考えたのだ。
「では、そういたします」
「ああ、こ、こうしてはいられない」
慌ててロードフリフは部屋着の上から一番上等のスーツを着て、あまり得意ではない香水を少しだけ垂らした。こういう時はアイゼッツォンの紳士の身だしなみというやつも少しは役に立つ、プレゼントしてくれた友に少し感謝した。
「ご婦人をお連れしました。お茶を用意させております」
「こんにちは……どうも、突然申し訳ありません。私はフランティスカと申します。デーブさんの案内で窺うようにと」
「ああ! それはそれは!! いや、事前にお伝えくだされば、晩餐の用意もさせませたのに!」
ロードフリフは二度、友に感謝した。
(いやぁ、そっけないフリして手を回すなんて、デーブも気が利くじゃないか!! しかし、これからどうしたものか、オペラにでも誘うのが主流なのだろうが、僕はあれが苦手で寝ちゃうんだよなぁ)
「いえ、流石にそういうわけには……あら、何か良い匂い。フライドポテトかしら」
「え!?」
ロードフリフはテーブルに置いた瓶をよく見る。
「長らく使ってなかったからわからなかった!? これ、デーブが送ってきた『フライドポテトの匂いのする香水』じゃないか!?」
ちくしょうと悪態を突きながら、ロードフリフは手近にあった椅子に手を置いて、椅子ごとこけた。
「まぁ、椅子の足が折れていますよ」
ころころと転がった椅子の足を拾うフランティスカ。
「く、くそ、まったく」
よろよろとロードフリフは立ち上がった。
「ふふふ、ロードフリフさんって楽しい方なのですね」
笑ったフランティスカは、その全てを忘れさせるほど美しいと、ロードフリフは思った。
「フランティスカさんが入ったのは見えましたけど、ここからじゃ何も聞こえませんね」
「そうだねー」
すっかり仲良くなったニノンとフルリラが街角で張り付く。ニノンは冬用のコートを着て防寒対策は完璧だ。フルリラは完全に自分の家の冷蔵庫での業務を忘れ去っている節がある。
「フルリラさん行ってもらえますか?」
「この館は辛いかな。壁が厚いのもあるけどあそこの部屋暖房がきつそう」
生きるための能力としてフルリラは熱源感知が得意だ。指を指した先は、ロードフリフの部屋だった。
「そう言えば、ロードフリフさんは特別寒がりでしたね。エルフなのに」
「あれ付け耳の人間じゃないよね」
エルフは野外に住む部族なので環境には強いと本で習った覚えがあるが、デーブは。
「ロードフリフは特に貧弱なんじゃ」
と言っていた覚えがある。
「しかし、心配で見に来ましたけど、話が分からないと、本当にどうしようもないですね……帰りますか?」
「アイス買って帰ろうよ」
「……凍えてしまいますよ」
等と話していると、屋敷の前に馬車が一台止まった。小太りの小男と大男が降りてくる。
「お客さんでしょうか?」
「ちょっと近寄ってみる?」
二人は少し近寄った、ここからなら何とか聞こえる。二人は耳が良いのだ。
「いやまぁ、えらい時間がかかっておまへんな」
「はぁ、すみません」
片方の小デブは酷い西方訛りをしていた。一方大男は都会的だ。きちんとした三つ揃いのスーツを窮屈そうに着ている。
「あんさん、今から銀行頭取やるんでっから台本通りにえろうたのんまっせ」
「あ、は、はい」
「高い金出して役者まで雇ったんでっから、成功させて金もぎ取らんことにはやってられまへんで。まったく……詐欺も一苦労でんな、ほんま」
「は、はい」
「さ、うすのろ、行くで!」
そこまで聞いていたのは、例の二人だ。
「どど、どうしようフルリラ!」
「あ、あたし、ひとっ飛びデーブ起こしてくる!」
「そうはいかんな」
そこに現れたのは、黒づくめの男だった。
「ははは、そ、そうですか」
「いやですわ、まったく」
二人は談笑していた。ロードフリフはかなり、いや、とても舞い上がり。この世の春を感じていた。
「あの……もう大分ゼニスキー様をお待たせしていますが」
「む、むむ」
ロードフリフは渋面をする。確かに、そちらも大事な用事だ。というかもうアウトなのではないだろうかと冷静になる。
「あら、すいません。お仕事があるのに長居してしまって。わたくしはそろそろ……」
「ああ、バトラー。彼女に馬車を用意してくれ。僕は書類を用意してすぐに向かう」
わたわたと書類をかき集めるロードフリフ。結局修正案は出なかったが、まぁ何とかなるだろうといつもの楽観主義で決めつける。
「議会のお仕事? 大変そうですね」
「え、ええ、あの汚いスラムを片付ける仕事をするのです。あそこを平らにして公園を作るんですよ。素晴らしい事業ですよ!」
そう言うと、フランティスカはとたんに驚いた顔をした。
「あの、フランティスカさん?」
「あそこを、無くすんですか? それはいけません! あそこにはいま何人住んでるか分かるんですか!? そこにいる人が、子供も、老人も行き場を無くすんですよ!? 私の両親だってあそこにいるのに!」
「っ!?」
突然食って掛かったフランティスカに、鈍感なロードフリフも『まずい』と思った。
「ちょちょちょ、まま、待ってください!! そんな大それたこと誰もしませんって!! 僕の案は、そ、そう!! スラムの掃除です!! 汚いスラムを掃除して美化し、小さな公園を作るんですよ!! は、はは! やっと銀行からの融資も決定したところですから!! で、では、頭取を待たせているので」
思わずロードフリフは口を突いて出た言葉を言い放つ。誰かが言っていた案だった気がするが、この際頂く。
「あ、あら、私ったら勘違いして!! そうですわね!? そんなことする方なんていらっしゃらないですわね!!」
「ミス・ジオーネ。馬車の用意が整ってございます」
執事が助け舟を出す。流石にこれくらいの給料は貰っているらしい。
「それでは、失礼いたしました。また、今度はオペラでも」
ばたんと扉を閉じ、彼女は行った。
「や、やってしまった……」
「ロードフリフ様、ゼニスキー様がお待ちです」
「分かったよ、よし、こうなったらやってやる!」
執事は、『またこの主はろくなことはしないんだろうな』と思った。伊達にうっかり物のロードフリフの元で長らく仕えていない。
「困ってしまいましたデーブ様」
マイヤーから声をかけられ、デーブは目を覚ました。
「どうしたんじゃ? あふぁ」
ベッドから起きてあくびをしたデーブは、のそのそと起き上がった。窓から見える景色は、夕刻前くらいだろうか。雪がちらつく中ではちと暗くて分かりにくい。
「はい、冷蔵庫の妖精がストライキを起こしました」
「……なんでまた」
「『フルリラばかりずるい』『我らに自由を』との訴えです。休暇でも出しますか?」
「いや、当のフルリラを縛り付けて冷蔵庫に戻すのが先じゃろう……はっ、では、そうなると!?」
マイヤーは盆に乗った箱を取り出す。中に入っているのは、『かつてアイスだった液体』である。
「う、おおお、わ、ワシが起きたら食べようと思っていたアイスが……」
「冷蔵品は冬ですので大丈夫ですが、冷凍庫が少しずつピンチです」
デーブはこれはいけないと立ち上がりクローゼットへ向かう。
「で、当のフルリラはどこへ脱走した?」
「ニノンと遊びに行くと言ったきりですね、もうすぐ帰ってきてもおかしくない頃合いなのですが……」
「むぅ」
デーブが唸った時である。
「デーブさん、いる?」
激しくノッカーを叩く音と、大きな声が聞こえた。フランティスカだ。
「……というわけで、前一度聞いたような話だけど心当たりある?」
デーブは起き抜けのオレンジジュースをすすりながら話を聞いた。
「あの話まだ生きとったんじゃのぉ。物凄い久しぶりに聞いたわい。あいつらしい執念じゃなぁ」
「ぱっと書類は見たけど、私は学があんまりないから分からなかったの。デーブさんなら何か分かるかなと思って」
デーブはあまり冷えていないオレンジジュースに舌打ちした。
「言うほどお前さんも不勉強でもあるまい。ロードフリフの書類が読みにくいだけじゃよ。以前スラムを潰して公園にするという話が立っておったが、あれは予算不足だったはずじゃ。そうなると予算の目処がどこからか立ったんじゃなかろうかな?」
「そうだと……困るわね。私の家だって貴族の名前を貰ったって言ってもたかだかスラムのレストランよ? 潰れたら両親にどこに行けって言うのよ」
デーブは一緒に出されたおやつのアップルパイを食べつつ答える。たった八分の一切れなので少し悲しい。
「ロードフリフの家に貰われていったらどうじゃ?」
「彼は、良い人ね。騙そうと思ったけど毒気抜かれたわ。でも、嘘は物凄く下手ね。一瞬で分かっちゃったわ。なんでああいう人があんなことをしてるのかしら」
デーブは自分の分のアップルパイが終わってフランティスカの皿を見る。フランティスカがそっと皿を回そうとしたらマイヤーの視線が刺さった。皿を戻すとデーブが恨めしそうな顔をする。
(どうしろっていうのよ……)
「まぁ、あいつはあいつなりに街のために正義感を発揮しとるんじゃ。物凄い空回りしておるだけで」
「そう、ああ、それから。ゼニスキー男爵って知ってる? 私なんか嫌な予感がするんだけど」
立ち上がりながらフランティスカは言う。アップルパイの皿をデーブは取った。
「ワシも、少し聞き覚えがあるのぉ。あまり良い噂ではなかった気がするのじゃが。ホネロックの店に行ってみたらどうじゃ? あそこの物知りは本当によく物を知っておる。付いていきたいのじゃがワシはワシで迷子を探さんとな」
「ありがとう、そうするわ……ああ、そうだ。いくつか借り受けたいものがあるのだけど、貸してもらえるかしら?」
「おう、構わんぞい。先にこれを食べてから」
デーブはマイヤーにお盆で叩かれた。
中華鍋を振りながらハチマキのスケルトンが出迎える。
「いらっしゃいやせー! 今日は良い冷やし中華が入ってるよ」
「悪いけど、食事じゃないの。話を聞きたくって……あと、これだけ寒いんだから温かいものを勧めない?」
「骨になってからというもの暑さ寒さが分からなくてなぁ!!」
「コーン茶になります。上等な服ですね、フランティスカさん。お仕事ですか?」
羽帽子のスケルトンがお茶を出す。
「ありがと、まぁ、似たようなとこ。でさ、物知りのロミオさん。あなたゼニスキーって人知ってる?」
「なんかうちの店、情報屋みたいになってきたな」
「知ってますよ。なんでも貴族界ではそれなりに有名な人で、色んな事業に手を出しては小狡く金を稼いでいる人だとか」
コーン茶をすすりながらフランティスカは頷く。冬場のお茶は体にしみる。
「そんな人なら銀行の頭取とかとも知り合いかしらね」
「ああ、いや、それはないと思います。小狡いってのは、黒いことにも色々手を出してるので信用は無いに等しいんですよ。何度か詐欺で口実に使ってたって噂ですから、それ系の話じゃないですかね?」
「あらやだ」
とりあえず、スラム街が無くなるという話は無さそうだが……とそこまで思案して、深く考えるためにフランティスカは煙草に火をつけた。
「あ、すまん、うち禁煙なんだ」
「スケルトンがいまさら煙草がどうこう言うんじゃないわよ」
無視して火をつけた。