サーロインステーキと恋
脂の匂いが充満し、床は歩くたびに軽くべとっという。ロードフリフはあまり良くない清潔感に少し目を細めた。
「お前さんがこんなところに呼び出しとか珍しいの」
目の前の友人、デーブ・デーブは先んじて食事を始めている。……ステーキ皿等のセットが横に重なっている。すでにこれで数セット目だ。お目付け役のはずのニノンが呆れている。
「こんにちは、ロードフリフさん」
横に座っていたニノンはぺこりと挨拶をする。
「どうやら待たせたようだね」
「いや、まだ十分くらいしか待っておらんよ」
「……はい、そのくらいしかたってないです」
ニノンは苦笑し、ロードフリフは閉口した。いつも通りの健啖ぶりだ。古びたステーキハウスが待ち合わせ場所だった。むろんスラムである。
「いや、ちょっと聞かれたくない話があったもんだからさ」
椅子に座ると椅子も少しべたついているような気がした。この際目を瞑ろうとロードフリフは思う。
「お前さんが、珍しい。政治献金詐欺にでもおうたか?」
「君は僕をなんだと思っているんだ! ウェイター、僕にはオレンジソーダを」
ウェイターは『なんだ食わないのかよ』という顔をする。
「ああ、ワシはサーロインをもう一枚」
「あの、デーブ様、流石に」
「なに、ロードフリフの奢りじゃから」
「いえ、そうではなくて……」
「はい、畏まりました」
ウェイターは露骨に態度に差を見せると踵を返した。
「従業員教育がなっていないな、ここ」
「顔見知りにならないと、ここはまともに接客してもらえんぞい」
デーブは残っていた肉片を放り込むと、付け合わせの野菜を残して皿を寄せた。
「お前はまたそういうことをするんだな。もったいないじゃないか」
「嫌いなものは食わん。そんなもので胃袋を埋めるのはワシの女神の考えに反する。『美味しく太ろう』がワシへの女神の言葉じゃ」
ロードフリフは頬杖を突いて渋面をした。横のニノンもちょっと渋い顔をしている。女神は与えるばかりで教えをくれたりはしない。だから、いつまでたっても世界の人は女神に甘えてばかりだ。突然女神の加護が消えでもしたらどうやって食べていくつもりなのだろうと
ロードフリフは思う。
「お待たせしました。ドリンクとサーロインステーキでございます」
「やっぱりこれじゃよな。牛は霜降りふりの方が旨い。最近は赤身ブームとかでわざわざ牛舎で飼って痩せさせるのがヘルシーとか言うとるが、何がヘルシー志向じゃ。牛は野生で麦をたらふく食ってぶくぶく太ったほうが旨いに決まっとるわ」
そう言い、またでかいサーロインステーキを切り分けかぶりつくデーブ。ロードフリフはもう何も言うまいと思った。今日は彼の健康や、もったいないの観点について論争しに来たわけではないのだ。
「んじゃあ、さっそくだけど相談があるんだけど」
「政治献金はせんぞ」
「そんな場所に私がいていいのでしょうか?」
「だから僕を君たちはどういう目で見ているんだよっ!! 真面目な話なんだ、真面目に聞いてくれ!!」
そこで、ロードフリフは一つ咳ばらいをし呟いた。
「そ、その、恋の話なんだ」
「ぶぼぉっ!?」
デーブは口の中で咀嚼していたものを盛大に吹き出し、ロードフリフの顔面にぶちまけた。
「ワシのサーロインステーキを返せ」
「物凄く腑に落ちない」
ロードフリフは怒りたくなるのをぐっと我慢して布巾を頼んだ。ここは下手に出るべきところだ。
「で、誰に恋をしたんじゃ」
わざわざ新しいサーロインステーキを注文してあげたり、いつの間にかTボーンステーキになっていたりと色々突っ込みたいところはあったが、ロードフリフはぐっと言葉を飲み込んだ。ここは頑張る所だと自分に言い聞かす。
「それでお前さんが鬼の霍乱を起こして恋をしたのは誰じゃ。明日は槍が降るかもしれんの」
「僕だって恋くらいするさ。……その、見たのはちらりとしか見ていないんだが、以前アイゼッツォンの館で見かけた女性なんだが、黒髪の女神的な」
「ぶぼぉっ!?」
デーブは口の中で咀嚼していたものを盛大に吹き出し、ロードフリフの顔面にぶちまけた。
「何をしてくれるんだよっ!? さっきから!?」
二度目はさすがにロードフリフもキレた。
「いや、流石のワシも予想がつかんで」
「はい、私も驚きました。いくらなんでもフランティスカさんに」
「あ、こら、ニノン、そこは知らぬ存ぜぬで通せ。めんどくさい」
二人のやり取りにロードフリフはテーブルを叩く。
「僕は真面目に相談しに来ているんだ!?」
「じゃからと言ってもなぁ」
「あの方はフランティスカさんというのだよな? で、どんな方なんだ?」
二人は顔を見合わせた。そう、とても堅物のロードフリフには言えないと思ったのだ。
(ど、どうしましょう?)
(流石に泥棒じゃとは言えんわなぁ)
「何をこそこそ話してるんだい? そんなにやんごとない方なのかい?」
「そこは、大丈夫じゃと思うんじゃがなぁ」
というより男爵の養女になっただけで彼女は基本的には一般人である。身分の差と言えばロードフリフの方が問題であろうが、幸いロードフリフには身内らしい身内はいない。
「まぁ、いけるんじゃないか?」
「そうか、いけるか!!」
「あら、デーブちゃんじゃない? こんなところでまた食べて、マイヤーさんに怒られても知らないわよ? ウェイター強いの一杯!」
唐突にフランティスカが降って湧いてきた。間が悪いことこの上ない。
「ニノン!」
デーブの指図でニノンが席を立つ。
「あ、はい!! す、すいません、別のところ行きましょう!! 実は折り入って話が!?」
「なになに、ニノンちゃん? 私まだ飲んで……」
「奢りますから!! 大事なお話なんです!! この場ではちょっと!!」
ニノンは無理やりフランティスカを引きずっていった。そこで、ロードフリフが振り返る。フランティスカが後ろに立っていたおかげで辛うじて見てはいないようだ。
「なんだ、騒がしいな。知り合いの人か何かだったのか?」
「そうじゃな、ここじゃと邪魔が多いじゃろう。ちょっと場所を変えて話そう。ここは都合が悪い」
「え? ここで良いだろう?」
慌てるロードフリフ押しやっていく。
「おい、会計は……」
「ツケにしといてくれマスター!!」
バタバタと逃げるようにその場を去っていった。ウェイターが言う。
「焼いちゃった次のステーキどうしましょうかね」
「勘定に入れておけ、食っていいぞ」
ウェイターはごちそうにありついた。
「ここなら邪魔も入らんじゃろう」
「いきなり来て貸し切りにしないでもらえるかな? ランチタイム時に」
「そうですよ、仕込みどうするんですか」
ホネロックとロミオは激しくデーブに抗議する。
「ロードフリフが払ってくれるわい。それで、彼女のどこが好きなんじゃ?」
「……それは、一目しか見てないから一目惚れなんだけど。あの、彼女から漂う清楚な聖女感というか、むしろ女神感というか……」
「ぶぼっ」
デーブは水をむせた。
「この話してるとき物は口に含めんの」
「物凄い顔をして僕を見ないでくれるか?」
「だって、ワシ、生まれて初めて遭遇したモンスターを見とる気分じゃ」
何やら言い返したいロードフリフだったが、無視して続ける。
「社交界でも見たことがなかったからね。きっと箱入りのお嬢なんだろうけど」
「うわー、それはないのぉ」
「いちいち今日は突っかかるな、デーブ」
「まぁ、想像するだけはタダじゃし。んで、結婚したいのか?」
慌てて手を振って否定するロードフリフ。いつもの堅物な彼からは信じられない。デーブは空恐ろしい体験をしている気分になった。
「いやいやいや、そんな恐れ多い! お近づきになって手の甲にキスをして、せめて贈り物とダンスを一曲と思ってるだけさ!」
「思ったよりロマンチストなんじゃな、お主」
「そ、そうかなぁ、はははは」
褒めていないという単語を、デーブは水と一緒に喉の奥に飲み込んだ。
「た、ただいま戻りました」
ニノンが帰ってきたのは、ランチタイムを大幅に終わった夕刻ごろになった。心なしか酒臭い匂いがする。
「あらあら、お風呂に入って、あとでリンゴの香水でもかけましょうかね。ちょっと匂いますよ」
「すいませんマイヤーさん」
「おう、ご苦労じゃった。そっちの首尾はどうだ?」
ニノンは半泣きで答える。
「どうもこうもないです。あっちは泥棒さんですよ。あっという間に事情を聴きだされました」
「まぁ、お主、まだ子供じゃからのぉ」
デーブはよしよしと頭を撫でてやるとニノンは目をこすった。
「全部聞くとフランティスカさん張り切って行っちゃったんですが、大丈夫でしょうか?」
ニノンの問いにデーブはあくびをしながら答える。
「よくよく考えたら気にすることなんかないわな。ロードフリフが誰に引っかかろうがワシは気にするまでもないわい」
ニノンは少し口をとがらせてデーブに抗議する。
「それはちょっと酷いです。ロードフリフさんは友達でしょう?」
「フランティスカ嬢も友達なんじゃ。まぁ、根が悪い人間じゃないから何とでもなるじゃろう。ワシは寝る」
ニノンは、唸って考えていた。