妹馬鹿アイゼッツォン
深夜、キッチン。
「のぉ、ちょっとだけ、ちょっとだけじゃから」
「ダメったらダーメ!」
「そこをなんとか!!」
ランプの明かりでかざす先は、冷蔵庫。
そこには、氷の羽を持った白い服の少女がいる。体長はデーブの掌よりも小さい。
「というより、冷気が逃げて暑いから早く閉めてよ、もう!」
「冷蔵庫は開くもんじゃろう」
「省魔力も考えてよね! あたしはマイヤーさんから呼び出されてるからマイヤーさんの命令が絶対なの! だから深夜に許可なくデーブに餌は与えられないのよ!」
冷蔵庫の一番下で両手を広げてデーブの侵入を阻止するゼスチャーをする。彼女は氷の妖精。妖精は女神ウィートが与えてくれた人類への加護の一つである。
妖精は様々な力を持ち、妖精使いに力を貸してくれる。妖精は呼び出されれば命令次第で普通の人にも力は貸す。妖精は人類の良きパートナーなのだ。
ちなみにかまどの中にも火の妖精がいる。この間は部族のお面の中に潜んでいた。
「というわけでおととい……おとといじゃ来れないから明日の朝来なさい!」
「お主おととい来やがれの意味わかってないじゃろう」
やれやれと、デーブは立ち上がった。腹は減ったがもうこの深夜ではホネロックの店も開いてはいないだろう。
「空腹で倒れられればまだいいのじゃが、空腹で寝れんわい」
そこに、激しくノックをする音が聞こえる。
「なんじゃい! 腹に響く!」
扉を開くと、そこには酷く疲れたアイゼッツォンがいた。
「どうも済まないな、深夜に呼び出して」
「いや、うちで話したほうが早いだろうに。なんじゃって家まで呼んだんじゃ? まぁ、おかげで助かっとるが」
デーブは簡単な食事、パンにチーズとベーコンとソーセージに目玉焼きを挟んだものを頬張っていた。
「後でマイヤーさんに言ってやろうっと」
ひょこんと肩の上に氷の妖精が現れる。
「なんでお主までついて来とるんじゃい。冷蔵庫はどうした」
「あたしほどの妖精になると、離れていても冷蔵庫位冷やせるのよ」
「交代要員に任せただけじゃろうが。暑いのはどうしたんじゃ」
氷の妖精は胸を張って答えた。
「しんとうめっきゃくすればひもまたスムージー!」
「背中の氷袋見えとるぞ」
「ああ、そちらのレディは?」
「……そういやなんて名前じゃったかの? フリッター?」
氷の妖精はデーブの頬を両手で叩いた。ぺちーんと良い音がする。
「あいたっ!」
「誰が揚げ物よ! フルリラ!! 良い名前でしょ?」
「似たようなもんじゃないか、あいたっ!」
ぺちーんと、二度目の音。
「仲の良いことだね。すまないが、こちらの話に入ってもいいかな?」
「なんじゃ、ずいぶん参っとるようじゃのぉ。その様子じゃ見合いの話でも来たか?」
ずーん、と思いっきりアイゼッツォンが落ち込んだ。
「なんじゃ、またかい。帰るぞ」
紅茶を飲み干してデーブが椅子から立つ。
「あら良いの? 結構悩んでるみたいだけど」
「いつものことなんじゃよ。この年齢で顔と立場じゃ。じゃから偉くなるのは嫌なんじゃ」
アイゼッツォンも立ち上がって、デーブの手を取る。
「待ってくれ、話だけでも、話だけでも聞いて行ってくれ、いや協力してくれ!! 君の力が必要なんだ!!」
「いい大人なんじゃからそれくらい自分で断れば……」
「そうだ、ピザを頼もう!!」
「少しくらい居ても良いじゃろう」
デーブは椅子に座り直した。
「んで、今回は何がちがふっはふっ」
「落ち着いて喋りなさいよ。あとそれ、熱い」
「ピザ冷やしたらそのまま溶かすぞい、お前」
熱々のピザを頬張りながらデーブは聞く。コーラで流し込んだ。
「……で、何が違うわけじゃ?」
「それがな、今回の相手は、いつもの母からの紹介ではなく……妹の、イスミアの紹介なんだ」
がっくりと項垂れて話すアイゼッツォンに、デーブは相槌を打った。
「そりゃ無理じゃな。おとなしく結婚すると良い」
「そんな、友達甲斐の無い!?」
「……なんでそうなるの?」
フルリラの言葉にデーブは答える。
「こいつはな、超が付くほどのシスコンなんじゃ」
「うわぁ、それがダメだって妖精の私にもわかる」
二人にアイゼッツォンが非難する。
「言わないって約束したのに!!」
「ええい、女々しいわい! 一度見りゃお前さんと妹以外の誰しもがわかるわい!! あのロードフリフでさえ知っておるぞ!!」
「そ、そんな!?」
ピザを飲み干してデーブが続ける。
「話が終わらんから、早めに解決するしかないじゃろう。難癖付けて蹴ってしまえ」
「そんな妹のメンツに泥を塗る真似ができるわけないだろう!?」
コーラの残りも飲み干してしまうと、デーブは言い放った。
「ならどうしろって言うんじゃ」
「それを考えてくれよ!! こう、イスミアの顔が立って私がイスミアに嫌われなくて結婚しなくてよくて、できればイスミアにもっと好かれてできればイスミアと結婚できるようなやつを!!」
「できるか!? 帰ってもいいんじゃぞ!?」
「ああ、謝る、謝るから!! せめて結婚しなくて出来るだけ嫌われない妙案をくれ!!」
デーブは数秒唸って。
「無いわけではない」
「本当か!?」
「じゃが、それには多少の費用と……まぁそっちは旧友の馴染みじゃ。持ってやっても良い、あとはお前さんの演技力がいるぞ?」
「いくらでも支払うさ!!」
アイゼッツォンは胸を叩いた。
翌日、夜会。
「あの、私が夜会にご一緒してもよかったんでしょうか?」
ニノンを同席させ、パーティーに参加していたのはデーブだ。ニノンはいつもの服ではなく、着慣れないドレスを着ている、ピンク色の春めいたドレスだ。本来は冬用のドレスではないのだが、マイヤーが『これはこれで趣があるのです』と着つけてくれた。
「構わんじゃろう。ウェルオ……ウェルウォナット家の内々のパーティーじゃ。本当に親しいものしか呼ばれておらん。ロードフリフすら呼ばれてないようじゃしな、まぁ、あいつは騒がしい上に話がややこしくなるからワシが呼ばんかったんじゃが」
デーブは噛んだ舌をニノンに渡されたオレンジジュースで冷やした。
「言いにくくてかなわんわい、あいつの家の名前。おお、しかし、よく冷えておるなこのジュース」
「あたしが冷やしたんだもの」
「お主、ワシの家の冷蔵庫での職務を放棄しすぎじゃないか?」
フルリラは胸を張って答える。彼女もなぜか水色のドレスを着ていた、これもマイヤーの趣味だろう。
「有給休暇を貰って来たのよ!」
「お主有給休暇の意味も分かってないじゃろう?」
そこに、今日の主役であるアイゼッツォンが現れた。
「やぁ、デーブ君、ごきげんよう。あとニノンちゃん。今日はずいぶん可愛らしいドレスを着ているね、まるで妖精のようだ」
アイゼッツォンは笑みを浮かべながらそそくさとデーブに耳打ちをする。
(例の件、本当になんとかなるんだろうね?)
(お主が台本通りにやれば大丈夫じゃて)
「あら、デーブ様。いつも兄がお世話になっておりますの」
ちょこんとお辞儀をするのは、アイゼッツォンと同じ金髪を長く伸ばした、人形のような少女だった。薄い緑のドレスに身を包んでいる姿が、『こちらこそ妖精ではないだろうか』とニノンに思わせたほどだ。
「おお、イスミア嬢か。今日も奇麗じゃな」
「そちらのお嬢様も、ごきげんようですの。イスミア・ウェルウォナットと申します」
「あ、はい、ニノン・デーブと言います、こ、こんにちは」
驚いたようにイスミアは扇を口元に当て。
「まぁ、デーブさんが養女を得たとは聞きましたが、こんなに可愛らしい方だったとは」
「は、はい、恐縮です」
ぺこぺこと頭を下げるニノンに、デーブはこのまま話したらマイヤーに怒られるだろうなと苦笑をこぼした。
「お兄様も、お久しぶりですね、たまには家にも顔を出せばいいですのに」
「ああ、いや、うん、そうだなぁ、いやイスミアはいつ見ても愛くるしい」
「相変わらずの口下手ですのね、では失礼しますの」
ぺこりと頭を下げてイスミアは人の中に入っていく。
「奇麗な方ですねぇ……」
ニノンは、ほうとため息をついた。心なしか目が輝いている、さもあらんイスミアはまさに、理想の少女像だった。
「それにしても、アイゼッツォン様とは結構お年が離れてらっしゃるんですね」
「ああ、そうじゃの。十六歳じゃったか、おい、アイゼッツォン、帰って来い」
「ぐぼぁっ」
イスミアの方を見てうっとりとして自分の世界に入っているアイゼッツォンにデーブは周囲から見えない角度からの拳を腹に叩き込んで目を覚まさせた。
「夢見取るんじゃない。お前は」
「あ、ああ、すまなかった……美しいなぁ、わが妹は」
「帰って来とらんじゃないか」
「……もしかして」
デーブはニノンの言葉に頷き、答える。
「そう、こいつ、大体妹が関わるとこんな感じ。ワシも、もう駄目なんじゃないかと思って来た」
「うわぁ、末期ね」
こりゃ駄目だとフルリラは首を振った。
馬車が到着するのを見て、アイゼッツォンは落ち着かなくなった。
「ほうひひたんはんはいへっふぉん」
「飲み込んでから喋ってくれデーブ。来たんだ、たぶん彼女だと思う」
デーブコーナーと呼ばれるテーブルで飯を飲み込んでいたデーブにアイゼッツォンが言う。
「あー、ひょっとしてお前さんが苦手だと言っていた彼女か?」
「うん、彼女」
ニノンとフルリラはハテナマークを浮かべている。
「はっはらしょうめんはらことはれは」
「飲み込んでから最初から言い直してくれ、聞き取れん」
「だったら正面から断ればいいではないか」
苦渋に満ちた顔でアイゼッツォンは答える。
「彼女はイスミアの親友なんだよ、滅多な理由がないと断れない」
「友達選ばないのじゃな、お主の妹」
「お兄様、お待たせいたしました。到着が遅れてごめんなさい、どうも馬車が事故にあっていたらしくて」
アイゼッツォンは『来なければ良かったんだが』という言葉を必死に押し込んだ。
「いや、構いやしないよ。他でない愛しの君の友達だ」
アイゼッツォンは優しく、まるで最愛の、いや、実際最愛なのだろう女を抱くようにイスミアを抱き寄せた。感極まって少し泣いている。
「まぁ、嫌ですのお兄様ったら」
「あの……デーブ様、あれ」
ニノンが指をさすが、デーブは首を振って答える。デーブはデーブゾーンのフライドポテトを貪る。
「ああ、平常運転平常運転、妹前にしたらアイゼッツォンあんなもんよ」
「完全にポンコツねー」
フルリラは完全に呆れてアイスを齧っていた。食事が必要なわけではなく、単に冷たくて甘いという嗜好を味わっている。
「あぁ、イスミア……愛くるしい」
「もう、いい加減になさって、皆さん見ていますのよ」
強引にイスミアが振りほどくと、アイゼッツォンは呟いた。
「逃避行できないかなー」
「それはワシが止めるわい、倫理上」
フルリラとニノンは激しく頷いた。
「お久しぶりですわ、アイゼッツォン様!」
思わずマナーを忘れて駆け寄るのは白い肌、というよりは多少青白く見える感じの、控えめに言って細見、言いきってしまえば痩せぎすな少女だ。白と青を基調にしたドレスが一層病的さを醸し出しているが、それは誰も口にしない。
駆け寄り始めるが、三歩でよろめき、五歩で息が切れる。
「ああ、もう大丈夫かい。トリートリシアさん」
アイゼッツォンから手を差し伸べると、傍目にも目を輝かせその手を取った。一人の世界である。
「あの、どなたですか?」
「トリートリシア・ベクセル。王家とは遠縁ながらも公爵家の一人娘じゃ……これ、社会的に断れんのと違うか?」
「うわ、お偉い人ですねぇ」
二人は遠巻きに静観することに決めた。
「と、フルリラ、合図じゃ、お前さん行ってこい」
「なんで私が」
「居るんじゃから使うに決まっとるじゃろう」
フルリラは渋々飛んでいく。そうこうしているうちにも会話は一方的にヒートアップしていく。
「アイゼッツォン様、挙式はいつになさいましょうか。私はもうイスミアさんからお話を通してくれると言われた時には舞い上がってしまって!」
「いや、私も相手がトリートリシア君だとは思わなくてね。しかし、その、困ったな」
アイゼッツォンが明らかに『おい、デーブどうしたんだ』的な視線を送ってくる。それにデーブはあくびで返した。
そこに、駆け寄ってくる女性がいる。黒髪を編み込んでいて、飾り気そのものは少ない。
「アイゼッツォン様!」
二十代の中頃の女性。年の頃で言えばトリートリシアとは十ほども違うだろうか。病的なトリートリシアとは真逆に豊かなプロポーションをしている。豊かな胸は特にステータスだ。『女神的な』と比喩される。
赤のナイトドレスが非常に似合っていた。色っぽさを感じる。
「き、君が、いや、君はフランティスカ」
「大根じゃのぉ」
「大根ねぇ」
「フルリラお前さん大根の意味も分かってないじゃろう」
「失礼ね、時々冷やしてるわよ」
などと言い合いつつもたどたどしくアイゼッツォンとフランティスカの『演劇』がスタートする。
「アイゼッツォン様! お見合いをするって本当なの!?」
「ああ、いや、その、断り切れなくてね」
たどたどしいアイゼッツォンに比べて、フランティスカはまるで流れる水のように口を開く、逆にそれが臨場感を感じられた。まるで、愛人に責められる男のような印象があったのだ。
「ええ、確かに、確かにわかるわ。身分の差もありますもの。あなたが侯爵に比べて、私は男爵の養女、それも生まれは卑しい身分と囁かれています」
「いや、それでも君を、愛し」
「愛してるとおっしゃるのなら、この場で私を」
と、舞台が最高潮に盛り上がった時、そこに水を差す言葉があった。
「そんなはずがありませんわ!!」
トリートリシアだ。声を張り上げ、ヒステリックに言い放つ。
「私はアイゼッツォン様の全てを知っておりますわ!! そんな女性に接触したことはないのはすべて知っておりますわ!!」
『はっ!?』
その場にいる、全員が凍った。フルーツ凍らせて遊んでいるフルリラを除いて。