聖女ニノン
「参ったのぉ」
デーブはため息を吐く。
「参りましたねぇ」
マイヤーもため息を吐いた。
ニノンはこの場にはいなかった。
時は数週間前に遡る。
「え!? ニノンさんに聖女の才能が!?」
聖女、もしくは聖者とは、聖術と呼ばれる。女神の加護の中でもとびっきりの物を使える、限られた人間の称号である。
その才能は限られており、大抵の人間は生まれた時にその見極めを教会でされるらしいのだが、ニノンの村には教会がなく。タイミングが悪く今まで調べたことがなかったそうだ。
「それは……どうしようもないのぉ」
デーブは唸る。
「こればかりはどうしようもありません。限られた才能ですから、活かして頂かないといけませんから」
「あ、あの、私は、どうなるんですか?」
シスターは戸惑うニノンに優しく声をかける。
「ニノンさんはしばらく、この教会で女神の加護の使い方を勉強してもらうことになります。その後……場合によっては、戦争などで加護が弱まった場所に点々と」
「そ、そんな! 私あのお屋敷を出たくはありません!!」
泣いて、必死にデーブに縋りつくニノン。ニノンがわがままを言って、ずっと聞かなかった日は、それが初めてだった。
「まるで火が消えたようじゃないか。あまり、気を落とさないようにしたまえ。本当はめでたいことなんだから」
アイゼッツォンがやってきて、元気づける。彼自身もどう言葉をかけるべきか少し困っているようだ。聖女というのは得難いものである。才能が顕現すれば、それは喜ぶべきであるが。
「うむ、それでもな、むぅ」
デーブは唸りながらベッドに転がる。マイヤーもティーテーブルに突っ伏していた。
「もう二人とも何日もこの調子よ。デーブなんて食欲が落ちてるんだから。マイヤーさんも仕事してない」
フルリラの解説にアイゼッツォンが唸る。
「それはよっぽどだな……いっそ、様子を見に行ってはどうだい?」
『それだ!!』
二人は立ち上がった。
静謐な雰囲気に包まれた教会の中で、聖女のローブを纏ったニノンが聖言を唱えている。
祭壇にあるのは、枯れかかった切り花だ。
しかし、聖言を与えたことで、そこに光とともに女神の加護が降り注ぎみるみる花は生き返り、大輪の花を咲かせすぐさま実をつけた。
「はい、今日はここまでです」
「ふにゃあ」
手近な長椅子に崩れ落ちるニノン。
「こら、お行儀がよくありませんよ」
それを咎めるシスター。折り目正しい佇まいをしている。
「だって、この服、なんかすごく重くって」
「女神さまの服はいつだってそういうものです。ふくよかな胸と腰をお隠しになるのが礼儀となっています」
「……あと、聖言難しい」
「それは覚えてください。その言葉は女神さまに語り掛けるための言葉となります。きちんと覚えれば、女神さまへあなたの思いを届けることもできるのですよ」
ニノンは口をとがらせて、最後の不平不満を言った。
「後、シスターさん、固い」
「聖職者とはそういうものです」
ますますニノンはふくれっ面になった。
「はぐ、ふむ。割と元気にやっているようじゃな」
「ケーキの立ち食いはどうかと思うのですが」
マイヤーが咎めるが、デーブに元気が出たのは良いことだ。小言は一言に留めておく。
「というか君らは入らないのか? 彼女も会いたがっていると思うが」
「会うと互いに辛くなっちゃうからのぉ」
「ですよねー」
デーブとマイヤーはため息をついた。
「よぉ、こんなところで何をしてるんだ?」
アイゼッツォンが『これは駄目だ』と思ったところで話しかけてきたのは、ワンニャンコ・ギャングスターであった。相変わらず犬猫を連れている。
「お主こそどうしたんじゃ?」
「見ての通りさ、散歩中」
ワンニャンコは持っているリードを見せる。部下が紙袋を持っていた。
「どうだ、お前ら何なら一緒にちょっと茶でもしねぇか?」
「構わんのじゃが、お前飲めんじゃろう。ゴーレムなんじゃから」
全員がはっきり頷いた。
じゅうじゅうと焼ける肉の音が響き、脂の焼ける匂いが充満する。
卓の上には所狭しと霜の降りまくった肉が並び、テーブル中央は窪んでおりそこに炭を入れ、上の網で焼くのだった。
「なぁ、お茶って話だったよな?」
アイゼッツォンが疑問を問い放つ。
「マイヤー、そこ焼けとるぞい」
「あ、すいませんデーブ様」
「なぁ、おい。何で焼肉焼いてるんだよ」
そう、これは焼肉という行為だ。薄切りにした肉を焼くだけなのだが、これがどうして趣深い。やはり、人は『熱い』という食べ物についていつも憧憬を抱くものなのだろうか。
「どうした、アイゼッツォン。箸が止まっとるぞ、じゃんじゃん焼けるぞ?」
デーブはアイゼッツォンに肉を押し付ける。デーブは焼肉では焼きたがりだ。肉の扱いにはこだわりがあるらしい。
「そうそう、まぁ良いじゃねぇか。たまにはな」
「そもそもワンニャンコ君、君は食わないだろう。ゴーレムなんだから」
「俺はこうやって楽しむ」
そっと持参してきた可愛い皿に焼いた肉を乗せると、犬が食いだした。
「良い肉なんじゃぞ、もったいない」
「良いじゃねぇか、どうせ安いんだろう?」
草原では麦がやたら実っているし、果実も鈴なりに実っている。それらを食べて育つ野生の牛は美味しい。しかもやたら数がいる、畜産は、牛を痩せさせるための手段であった、そういう好みは上流階級に多い。
「ワシ的にはこれが一番うまい肉なんじゃがのぉ、肉はやっぱり野生の脂たっぷりに限るわい」
デーブはライスの上にのせて頬張る。
「……で、君らは何をしたいんだ?」
『食事』
デーブとワンニャンコが同時に答えた。
「……はぁ、もう良いよ。元気は出たみたいだし」
「しかし残念じゃのぉ」
「ニノンさんをお姫様に仕立て上げる計画が台無しですね」
デーブとマイヤーのつぶやきにアイゼッツォンが問いただした。
「君たち、そんなことを考えていたのか?」
「ああ、そうなったらなんかハッピーっぽいじゃろう? じゃからそうすると決めてたんじゃ」
「まぁ、聖女は聖女で得難いもので、お祝いすべきなんでしょうが」
「まぁ、そこは分かるよ、いきなり離れてしまうのは、やはりかわいそうだからね」
アイゼッツォンは笑みを浮かべながらカルビを食べた。少し冷めていた。
「すっかり遅くなってしまったな」
あまりに遅くなったので、迷惑になるだろうと部下と愛犬愛猫は先に帰した。一人になったワンニャンコがスラムを急ぐ。
「月が無いのか、こんな夜は女神の加護も薄い。急いで帰らなくて……」
「残念ながら、帰れないわよ」
月のない暗闇の中、オカマスキーがサーベルを抜き放った。
これが、最初の事件である。
「ちょっと、ちょっと起きてくれデーブ!!」
ロードフリフが乱暴にドアを叩く音でデーブは目覚めた。目覚めたといっても昼前のことなのだが。
「はいはい、なんでしょうかロードフリフ様」
「ああ、マイヤーさん。ちょっとデーブに話があるんだ! 急ぐよ!!」
ロードフリフが、デーブの着替え中に部屋に乱入してきた。
見たくないものを見ることになった。
「……で、お主、人の着替え覗いてまで伝えたい事ってなんじゃったのかの」
「僕だって見たくて見たいわけじゃない。いや、そんなバカやってる場合じゃないんだ!! ちょっと外へ来てくれ!!」
デーブの腕をひっつかんで、ロードフリフは表へ出た。
「なんじゃなんじゃ、何がどうしたんじゃ?」
デーブと、ついでに来たマイヤーは庭でロードフリフが指さしたものを見た。
「これを見てくれ」
「む……これは」
「麦が枯れていますね」
麦が枯れることは、そこまで珍しいことではない。刈り取るのを怠った麦が、冬の季節に枯れるのは、人間の怠慢だからだ。女神は働くのを忘れた人間に恵みを与えるほど、むやみに優しくはないのだ。
「じゃが、これは、なるほど、麦を植え直しても生えてきそうにない気配がするの」
「ああ、識者の君に意見を聞きたかったんだ。この状況を見て街の人はパニックを引き起こしている。説得が必要だ」
デーブは、あくびをして手に取った枯れた麦を投げた。
「気にするほどのことはないじゃろ」
「気にするほどのことはないって!?」
激高するロードフリフをデーブは手で制する。
「まず、国家には備蓄っちゅうもんがある。普段はネズミにも見向きもされんもんじゃが、しばらく……そうじゃな、毎日宴会をしても春くらいまでは持つじゃろう」
獲れすぎた麦は基本備蓄に回される。麦以外にも豆など保存の効きそうな物は全てだ。しかし、腐らせるのは何なので国はこれを飼料や酒の材料などに回し回転させているのだ。
「じゃから、そう心配することはない。規模にもよるが、……どのくらいじゃ?」
「この市街の周辺、といった所だな」
「なら、足りんものは輸入すればいいじゃろう。それくらいの金もあるじゃろう? 何ならワシも出しても良いし、ワシが持っている倉庫もやっぱりかなりの余剰在庫があるわい。なにも普段から何の備えがないわけでもないんじゃぞ」
ロードフリフは、少し唸った。
「それに、女神は世界の管理を怠るような方ではない。たまにあることじゃし、すぐに元に戻るから安心したほうが良いぞい」
「……そう、だな。なるほど、分かった市民に落ち着くように説得してくる。名前を借りてもいいか?」
「職員も足りんじゃろう。社員を貸すぞい。どうせこの状況じゃ下手に輸出業はできんからの。船着き場は一時ストップじゃろう」
マイヤーがお辞儀をして離れる。会社に通達に行ったのだ。
「分かった、また後で話し合いたいことがある。とりあえずはありがとう!!」
言うと忙しくロードフリフは馬車に駆け込んだ。
「やれやれ、忙しい奴じゃのぉ」
デーブは、その足で屋敷の外に出た。なんとなく朝食を買い食いしたかったのだ。
「ななな、なんじゃとぉおおおおおおお!?」
デーブは肉まん屋台の前で驚愕していた。
「ええ、ちょっと、無理なものは無理でして……」
「ぬ、ぬぬぅ!?」
つまりはこういうことだ。スラム街の人間は基本その日暮らしである。仕入れも前日の売り上げで市場から買い付けるため、相場の上げ下げに弱い。
「今日は、めちゃくちゃ小麦粉も野菜も肉も高いんですよ。買う人はそれでも買っている始末なので、下がる気配がないんです」
「ぬ、ぬぐぐぐ……!?」
そう、不安からこういう動きは起こる。店は値段を釣り上げ、それでも買う消費者が現れ、さらに値段が上がる。その動きで一番打撃を食らうのが、スラムの屋台やレストランだ。
「これは早急に解決せねば行かんの!!」
「どうしたんだよデーブ。物凄い形相でいきなり心変わりして」
「大体わかる気がするな」
ロードフリフとアイゼッツォン、デーブが一堂に揃って昼食を取っている。嫌いなメニューこそ出ていないが、デーブの苦手な高級コース料理だ。
「まぁ、このクラスの店になると値段にも影響は出ていないが、どうなるかはわからないからね」
アイゼッツォンがワインを口に含みながら言う。おおよそ彼の推測は間違ってないだろう。
「ぐぬぬ……」
「まぁ、真剣に取り組む気になったんなら構わないんだけどさ。それとは別の話題があるんだ。ちょっと聞いてくれよ」
「どうしたんじゃ、ロードフリフ。フランティスカにでもフラれたか?」
「どうしてそういう話題になるんだっ!?」
「お客様、他のお客様もおりますので」
ギャルソンが口を挟む。
「すまない。こほん、そうじゃなくて、最近市街にイビルデッドが増えているんだ」
「ゾンビやスケルトンくらい、兵が何とかしてるじゃろう?」
悪人は基本死ぬが、悪に染まりすぎ、自然に動き出したアンデッドが存在する。それらはイビルデッドとして、人間の手で退治しなければいけない。
人間のことは人間で片付けるというのが、女神の審判であった。
「そのために兵を割いているんだからもちろん当然のことだと思うよ。だけど僕も最近軍に戻らないかと声をかけられた。それほどひっ迫しているらしい」
戦争と言えば、イビルデッドの退治が基本である。彼らは群れ、集団で行動するため対するには人間も軍を作るしかなかったのだ。
「お主がか、軍への在籍期限を無視しても頼まれてるのか」
軍へあまり在任していると他の者が活躍する機会を奪うとして基本は期限が存在する。三人はそれぞれ期限一杯まで在籍していた。
「だけど、ロードフリフは戻ったほうが君のためだと思うけどな」
「君! ……君らな」
ギャルソンから睨まれつつロードフリフは続ける。
「それだけ危機的状況だということだと思う。最近は戦線も拡大しつつあると思うから、君らも声をかけられるかもしれない」
「ロードフリフ、お主はどうするんじゃ?」
「僕は……通したい議題がまだあるしなぁ」
「それは通らんじゃろ」
「ああ、通らないな」
ロードフリフはギャルソンに二度怒られた。




