誰でも経験出来ないエピソード
弟1章(自然体験)
自分が北海道に住んでいた頃の体験談を、紹介したいと思います。親父の関係で、小学三年から、僻地五級の釧路市から厚岸に向かって車で約1時間30分位走った所に掘株と言う村に、小学五年迄居たが、此が又興味深い経験が沢山できた。全校生徒17名の複式学級の小学校で、複式学級と言っても今の若い人には解らないかも知れないので、一応説明しておきます。全校生徒の人数が少ない為、一年生と二年生が同じ教室、三年生と四年生が同じ教室、五年生と六年生が同じ教室と言うシステムが複式学級で有る。今考えると給食もひどかった、カンパン一袋とダッシュ粉乳で、自分でも今だにダッシュ粉乳が良く解らないが、粉っぽい牛乳で温めたものが出て来るのですが、冷めて来ると表面に皮状の物が張り、此が自分は苦手だった、又カンパンはダルマストーブ(薪を燃やして使うのだが)の上に乗せて、焼きそのカンパンをダッシュ粉乳に浸けて食べるのが当時のやり方だった。自分の同級生は3人で他の二人は家の手伝(昆布干しや牛の世話等)して居る為、養父が校長で(自分の通う学校の)養母が元教師の家に居た自分は、勉強した記憶は無いが、当然3人の中で成績が一番良い訳で、自分は湧別と言う当時石炭で栄えてたマンモス学校に行くまで、頭が世の中で一番良いと思っていたのは、言うまでも無い。僻地とは良い順に僻地一級、2級~5級とランクづけされて居て、自分は僻地5級の一番厳しい地域に居たので、店等有る訳が無く、たまに軽トラで食材等を積んで来る位だったが自分は世の中そんなもんだと思って居たので、なにもその時は感じず過ごしたと思う。逆に今考えると売ってる物等には全く興味がなかったと思う。つまり自分で充分美味しい物を取って満足してたからだと思う。まずは、海の幸から説明しよう。ばふんウニは、浜辺で地元の友達に教えられて沢山取れた、又浜辺からジ−ウメ−トル位離れた沖合いで、月面着陸をした時の宇宙服とそっくりな、潜水着を着た人が酸素を送る為のホ−スを着けて、ウニ漁をして居て、『おんちゃ~ん投げて』と叫ぶと沢山自分達の居る浜辺に投げてくれて、また沖合いで採ったばふんウニだから、此が大きい。そのウニを割って海水で洗って食べるのだから、不味い訳が無い。昆布漁で生計を立ててた所なので、上質な新昆布が採れるのは、言うまでも無い、その新昆布を親指と親指を使って、キレイに2つに剥がすと昆布の中心に、とろろ昆布の原料だと思うが透明の粘膜が、出て来る。その粘膜がまたおやつに成った。アワビは地元の子供は採る事を黙認されて居て、ビックリしたのは地元の子は自分と一緒に海に潜って採るのだが、大きなアワビが岩にガッチリくっついて居るのに、なんと海水の抵抗を上手く交わして、素手で採った事だった。自分はいくらやっても岩にガッチリくっついて結局ドライバ−で採る始末だった。アワビは殼から取り丸ごと食べたので
余りその時は硬いばかりで、美味しく思わなかった。今考えると贅沢だと思いますが、ナマコは自分は今でも嫌いだがアワビ採りをしてると、急に目の前にボゴっと出て来るし、見た目もグロテスクで、結局は食わず嫌いかなぁ?又冬に成ると青年浜で布海苔をバイトで採らせてくれるが、此がつらい。北海道の極寒の海でザルを持って、軍手の先をハサミできって波しぶきをかぶりながら、岩から布海苔を引きちぎって採るのだから、でもお母さん達はとにかく早い、自分がザル半分位採る間に2つのザルが、もう一杯に成っていた。プロにかなう訳が無いのは当たり前だが。しかし自分達の食べる分だけ貰って家で食べる布海苔は格別だった。又流氷が来ると思いもしない自然の恵みを持って来てくれる、それは1つはミズダコだ、流氷の下は海面に出て居る何倍も有るため、昆布と一緒にミズダコを持って来てくれる。此がまたデカイ、馬ソリにで採りに行くのだが、3匹馬ソリに積むと持ち帰るのが、やっとで実際ミズダコは死んで居るのだが、天然の冷蔵庫だから全く問題無い。ただ自分は今でも食道が狭いので、良く喉に肉など詰まらせるのだが、子供の頃も同様で採って来たミズダコは刺身にすて貰うのだが、大き過ぎて食べられず、そのひと切れの刺身を、8当分に切らないと食べられ無かった。其れほど足一本でも大きく、頭から足先迄なら2~3メ−トルあった様に思う。又、流氷は秋田で有名な魚はたはた
の卵も運んで来る、其が全色と言って良い位卵の色が、個々に違い大きさは鶏の卵の黄身を膨らました位で(例えが悪いが)粒々の小さな卵が沢山くっつき合って、1つの卵に成って居る。味はけして美味しいとは言い難いが、食感はゴムを食べて居る様な感じで塩味しかしなかった様に思う。自分達は其をガムの様な感覚で食べて居た。又、大変なのが海苔作りだ、採って来た大きな海苔を最初に細かく刻み、その後水洗いをするのだが、この単純行程を何度も何度も繰り返し、最後に簾に手で摘まんで、簾に均等にひきつめる、その後天日に干して出来上がりだが、自分では海苔を均等にひきつめた、つもりだが、実際に出来上がると、自分の作った海苔は穴だらけの悲惨な物だった。つまり均等簾にひきつめる事が子供には、無理だと言う事だが味は穴だらけでも、同じ海苔なので最高に上手い。子供心に一番美味しかったのが、花咲蟹で有る。海に裸足で入って行き、子供の胸位の深さの昆布の密集した所に花咲蟹が沢山居る、その場所でたも網を持ったまま、素足で花咲蟹の甲羅を踏みつけて探す、海水の浮力と昆布の弾力で蟹の甲羅を踏んで探すのだが、素足でも痛くは無いが、1つだけ見つけてから問題が有った、それは、素足で見つけた蟹を採る時、どうしても手を海中に入れて採らなければ、ならない為、蟹の甲羅は痛く無くても、蟹にしてみれば必死な訳で、自分(蟹)のハサミで自分の手をはさむ為、上手く採らなければ、思いっきりはさまれる訳で、沢山採る為だいぶ痛い目にあった。採った花咲蟹はたも網に入れて、家に持ち帰った。苦労しても新鮮で、茹でて食べるのだが、蟹味噌も、蟹のヘソ(蟹の通の人は、解ると思うが)蟹をひっくり返すと三角に切れ目が入った部位があり、その部位が人のヘソに似て居たので、ヘソと呼ぶのですが、其所が又旨い。家族3人で食べ終わると大きなテーブルが山の様に成り、他に何も置けない位の状態だったのを覚えて居る。山の幸は、此もまた沢山採る事が出来た、グスベリ、おんこの実、山ブドウ、マタタビ、コクワ、ウド、野イチゴ、アイヌネギ、フキ、薔薇イチゴ、ハマナスの実、まだ沢山あるが、皆さんの馴染みの無いから、説明したいと思う。山ブドウは、そのまま食べると、凄く酸っぱい為、大人の人は梅酒ならず山ブドウ酒にして、居た。コクワはマタタビと同じ味ですが、形がマタタビと異なり丸いだけである。薔薇イチゴは東北にも有るため、説明はしないでおきます。アイヌネギは、ニンニクと同じ様な味わいで、ネギを小ぶりにした物と考えて頂くと理解して頂けると思うが、食べた後はニンニクより、はるかに臭いが今思うと、自分はニンニクより美味しいと思う。ハマナスの実は、ハマナスの花が実を結んだ物で、10個位のハマナスの実を糸のついた針で通して、天日で熟すまで、縁側に吊るしておく、干し柿と同じ要領だ、その後、熟して赤みが増したハマナスの実を、半分に割って中の種を取り出して皮の部分だけ、食べるのだが、1つ問題が有る。何故かは解らないがハマナスの実を食べた翌日は、肛門が痒く成る、原因は今でも不明で有る。グスベリはビイダマと良く似て居て、まん丸で薄いグリーンの様な色をして居て、そのまま食べるが少し酸っぱかった様に覚えている。おんこの実は何の木か不明だが、限られた木に小さな赤い実が沢山成る、木に登りその実を食べるのだが、甘くて美味しいが、小さい実のわりに種が大きく、沢山食べ無いと満足感が無かったのを覚えている。今までの事は小説のタイトルほど、パンチの無い内容だったと思いますが、ほんの序章で次回からは皆さんも読んで、驚く内容に成ると思われるので、ご期待下さい。