第六十五幕 ナーシャとナンシェ
六十五幕
ナーシャとナンシェの時間
辺りがシンッとなる。
「それからは姉様がおっしゃった通り、姉様がおばあさんを切ろうとしていることに気がついて助けなければと間に入りました。そのとき確かに私は切られたのです。しかし、目が覚めるとおばあさんのことも姉様のことも何もかも忘れ、自分は生きていたのです」
「では、貴方がなぜ生き返ったかも、おばあさんがいなくなったことも、羽根が黒くなったことも何もわからないのか」
ナーシャが首を縦に振った。
「はい。目が覚めると私はあの庭に倒れており、おばあさんもいなく、あのペンダントもありませんでした。そして私は怖くなり、家へと帰りました。そしてこの姿を見た一族は私をいないものとして、いることになりました。しかし、あの屋敷のことが忘れてられず、ずっと通いつめました」
「これが、私の思い出した真実です」
「そんな、」
沈黙を破ったのはナンシェだった。
「それでは、私が、私がしたことは一体・・・」
項垂れ、手を握りしめ、震えるナンシェ。
ヒカゲがナンシェに近づいて、しゃがみこんだ。
「ナンシェ」
呼びかけにナンシェは俯いたまま、唇を噛み締める。
「ナンシェ、君はナーシャに、幸せになって欲しかったんだろ」
ナンシェは顔を上げ、ヒカゲの方を見上げた。
「妹の幸せを願ったんだろ」
「そうよ、私は妹の幸せを・・・」
「そう、妹の幸せを願って、思って、考えすぎてしまったんだ」
「え、?」
「どんなに、どんなに妹を幸せにしようと君自身が考えても、ナーシャの思いまでは知らなかった。知る前に、君はナーシャが弱いと思い込んでしまった」
「そんなこと、」
まるで見透かされるかのように、ヒカゲの眼を見ると、奥底に眠っていた思いが溢れそうになる。
「あるだろう?」
否定をしようとしたが、間髪入れずに返される。
「だからこそ、記憶を思い出してほしくなかったし、自分の思いも知られたくなかった。君を希望と言ってくれた、家族と言ってくれたナーシャが自分のことを拒絶してしまうのではないか、いや、そうじゃない。怖かったのは君なんだろ?」
「私が、」
「そう、君がナーシャに、たった一人の妹が自分から離れて、自分の知らないところに行くのが怖かったんだ」
ヒカゲはクルリと振り返り、ナーシャのほうを見た。
「ナーシャ、君も怖かったんだ。記憶もなくなり、羽根も片方黒くなったことによって姉に失望され見捨てられたと思ってしまった。だからこそ、自分で記憶を取り戻そうと、行動してしまった」
お互いに考えすぎてしまった。
姉は妹をことを思い、行動した。
しかし、思いすぎてナーシャをまだ守らなければならないと、まだ弱いと決め付けてしまった。
妹は憧れとも言える姉のことを思って行動した。
しかし、全てを一人でやろうとして、姉に何も告げず、曖昧なまま行動をしてしまったことによって、誤解が生じた。
二人ともお互いの状況がわからないまま、うやむやの目の前のことだけに囚われて、行動したことによって、すれ違ってしまった。
「私はどうすれば、」
ナンシェが呟く。
「私は一体、」
ナーシャが呟く。
ヒカゲはため息をつくとナーシャとナンシェの手を取り、立ち上がらせ、向かい合わせた。
ヒカゲが黙ったままなので、ナンシェとナーシャは首を傾げる。
「今、こうしてお互いに向き合っている。この場にいるからこそ、君たちの気持ちをぶつけ合うべきじゃないのか?」
「お互いの、」
「気持ちを・・・」
二人はお互いを見る。
それを見たヒカゲはクルリと背を向け、フィロスたちの方へ戻っていく。
「長い間かかってしまった時間があったとしても、今はそれでだけでいいと、俺は思う」
バタンッ
今、この場にいるのはナーシャとナンシェだけ。他のものたちはヒカゲに言われて、部屋を出ていった。
「お、お姉様」
言いたいことがたくさんある。しかし、何から話せばいいかわからない。
聞きたいことも、言わなければならないことも、伝えなければならないこともたくさんあるにもかかわらず、どれも言葉になる前に消えてしまう。
それでも二人は目をそらさずにまっすぐ互いの目を見る。
今までそらしていた分を補うかのように。
先に話したのはナンシェだった。
「ナーシャ」
ナンシェの手が頭に伸びてくる。ナーシャは怒られると目をつぶった。しかし、手がナーシャを叩くことなく、ポンッと頭の上に置かれ、ゆっくりと撫でていることがわかる。
恐る恐るナンシェを見ると、あの厳しい姉が、もう自分には笑ってくれないと思っていた姉が、今までに見たことがないくらい、優しい笑みを浮かべていた。
「大きくなったな、ナーシャ」
「はい」
「あの防御魔法は素晴らしかった」
「姉様から、教わりましたので」
「怪我をさせてしまい、すまなかった」
「いいえ、こんなのかすり傷です」
他愛もない話。それでもナーシャとナンシェは、途切れることなく話を続ける。
まるで今までのことを少しずつ思い出し、時間を埋めるように。
「ナーシャ」
会話が途切れる。
「ナーシャ、すまなかった。そして、こんな姉をずっと慕ってくれて」
「ありがとう」
ナーシャはその言葉に抑えていた涙をポロポロと流し始めた。
「わ、私も、今まで、こんな私を助けてくれていて、」
「ありがとう!」
ナーシャは堪らず、ナンシェに抱きついた。
ナンシェもナーシャを静かに抱きとめる。
お互い、目から流れるものなど気にせずに、泣き崩れた。
やっと目をそらさずに分かり合えた