夏祭りは恐怖を連れ帰る
夏ホラー2007参加作品です。
恐怖の夜をお楽しみ下さい。
夏祭り。祭囃子と屋台の光。水風船とたこ焼き。浴衣とちょうちん。
――人形と、形代。
あたしの住む町には、古くから行われてきたお祭りがあった。水の災害の多かったこの地域では人柱の伝統があり、その鎮魂のためのお祭りだと、親から聞いたことがある。
あたしの家は何十代という長きにわたってこの町に住んでいた。大昔は地主だったらしい。小難しいことはよくわからないけど、未だに大昔の伝統を語り継ぐのは、地主という血筋のせいなのかもしれない。
「お母さん、浴衣どこ?」
明日、お祭りがある。同じクラスの友達からお祭りに行こうと誘われた。
ちょっと気になってる男の子、悠太君も来るらしい。
だったらやっぱり浴衣を着なきゃ。普段と違うところを見せて、惚れてくれちゃったりしてね。
そんなことを考えながら、どでかいタンスをあさっていたのだけれど、浴衣が見つからない。
見つからないっていうか、あるかどうかすら知らないんだけどさ。うちにはたくさん着物があるんだから浴衣だってあるだろう。そう思ったのに、見当たらない。
うちの町のお祭りは、古くからのしきたりで十六歳未満の女の子は参加してはいけないことになってる。
もちろん、そんな古いしきたりを未だ守ってるのは何代に渡ってこの土地に住んでる家くらいのもので、ほとんど誰もそんなもん守っちゃいない。
あたしはまだ十五歳だけど、今年十六歳になる。行ってはいけない歳ではあるが、もうすぐ十六歳なんだし、大丈夫だと思う。
毎年お祭りに行こうとして親に阻止されてしまっているが、今年は絶対に行ってやる。だって、悠太君来るんだもん。
「浴衣って、美知、お祭り行く気?」
「違うよ。部活の発表の時に着るんだよ」
嘘ですけどね。吹奏楽部の夏のイベントで着るという嘘八百を私は流暢に説明する。
母は信用したのか、赤い布地に朝顔が咲いた浴衣を持って来てくれた。
ちょっと子どもっぽい柄だけど、しょうがない。
「懐かしいわね。この布地。覚えてる?」
「え?」
「人形に作ってあげた浴衣と同じ生地なの、覚えてない?」
人形? 鮮やかな赤い色が網膜を刺激する。あ、覚えてる。うん、知ってる。
「あたしが小さい頃に大事にしてた人形だよね。あれ、どこやったんだっけ?」
「忘れたの? ったく、しょうがない子ね」
母は苦笑いを浮かべただけで、人形の行方を教えてはくれなかった。
次の日、あたしは母に友達の家で遊ぶと言って出かけた。
ものすごい勢いで引き止められたけど、強引に家を出た。
「祭りには絶対行くな」と何度も言われた。迷信を信じるじいちゃんばあちゃんは特に口揃えてそう言うから合唱のようだった。うざいなあ……。
友達のお母さんに浴衣を着付けてもらい、お祭りへと赴く。
女の子四人、男の子三人。その中には悠太君もいる。
みせびらかすように浴衣の袖を振ってみせると、男どもは「かわいいじゃん」と褒め称えてくれた。ひゃあ、気分いい!
祭囃子に赤いちょうちん。水風船にりんごあめ。たこ焼き、フランクフルト、クレープ! 隣には悠太君!
やばい、めっちゃ幸せ。
下駄を鳴らしながら悠太君と歩くひととき。悠太君の視線があたしの浴衣に注がれるたびに心臓は爆発しそうだった。幸せだなあ……。
あたしたちが一通り祭りを満喫した頃、神社では松明が掲げられ、火が踊っていた。キャンプファイヤーみたいなかんじのもので、毎年行われてる行事だ。
大昔、この神社の近くの川に人間が人柱として投げ込まれていたらしい。大昔はよく氾濫していたこの川だが、人柱を毎年捧げれば、氾濫しないという言い伝えがあったのだそうだ。その人柱になった人々に捧ぐ鎮魂の火だという話だ。
ジジババに昔話としてしょっちゅう聞かされていたから、よく覚えてる。
「毎年思うけどさあ、怖いよな」
悠太君がわざとらしく身震いして、そう言った。
「人柱の話?」
「そう。俺たちくらいの子どもだったんだろ? 人柱になるの」
そう。そうなのだ。十六歳未満の女の子が人柱に任命されていた。祭りにその年齢の子が行ってはいけないといわれているのも、それが理由なのだ。
誰も守ってないけどね。
組み上げられた丸太を燃やし、高い火柱が上がる。火の粉が舞い、がらりと音を立て、丸太が崩れてゆく。その丸太の間から、何かが見えた気がした。
燃える、日本人形。
まるで生首があたしの方を向いているみたいな、顔をこちらに向けた日本人形とあたしはバチリと目があった。
なぜ、人形が燃やされているの――
ぞくりと、総毛立った。人形はあたしを見たまま、髪の毛を燃やし、体を溶かし、姿をなくしてゆく。
「帰ろう」
あたしは皆を促したけれど、誰も動こうとしない。わいわいとしゃべり、あの人形を拾おうなどと言っているバカもいた。もちろん、悠太君はそんなこと言わない。
誰かがいたずらで人形を投げ入れたのかもしれない。
きっとそうだ。
「このあと、どうする?」
「川の方に行って、肝試しでもやらね?」
「いいね!」
「やだあ、怖いよぉ」
皆は人形のことなんて気にも留めず、会話に夢中になっている。
だけど、あたしは人形に目が釘付けになってしまっていた。
やがて人形は赤い火に飲まれ、姿を消した。
首筋を舐めていくような生温かい風が吹く。気持ち悪い。顔が熱い。
「ちょっと! 美知! その顔!」
友達があたしの顔を指差し、鏡を差し出してくれた。
左の頬が赤く爛れたような色に染まっていた。
あたしはみんなを待たせることにして、神社の近くにある公衆トイレに行った。
赤く爛れた頬を水で洗い、ハンカチで拭う。ハンカチについたそれは赤いペンキみたいなもので、怪我をしているわけではなかった。
ほっと一安心して、鏡に映る自分の顔を眺める。
せっかく少し化粧したのに、すっかり落ちてしまった。
「ひっ……」
息が止まりそうになった。
鏡に映るあたしの右肩に、白い小さな手がつかまっていたのだ。あたしの指先くらいしかない小さな手が、ぎゅっと浴衣をつかんでる。
きっと誰かがいたずらしたんだ。もしくは何かの拍子で、手みたいなごみがついてしまっただけなんだ。そう言い聞かせる。
怖いのに、見たくないのに見てしまう。
その手が、もぞもぞと動いた気がした。
瞬間、あたしはそれを左手でなぎ払い、前のめりにこけそうになりながらトイレの外に出た。
出てすぐ、何かがあたしの足をつかんだ。たまらず思いっきりこけてしまう。慌てて身を起こし、足元を見る。
そこには、あたしの足首をつかんだ白い小さな手がいた。
唇がわなわなと震える。何? これは何? 何なの?
足首を振り回し、ずりずりとお尻で後退する。腰が抜けて立てない。
「に、人形?!」
あたしの足首にぶら下がるのは、真っ白の肌をした日本人形だった。左目が溶けてなくなっていて、おかっぱの黒い髪の毛は左側がちりちりになっている。白い肌もところどころ黒く焦げ、着ている赤い浴衣は半分が焦げてなくなっていた。
赤い、浴衣――朝顔の咲く、赤い浴衣。
人形が着ている浴衣と、あたしが着ている浴衣は同じ生地だった。
まさか。そんなことがあるわけない。
だって、この人形は、それじゃあ、あたしのあの、人形――。
無表情の顔が、あたしをじっと見つめている。
ガラス玉の目は、赤いちょうちんの火を映し、めらめらと燃え上がっている。それはまるで、怒りの炎のような。
じりじりと人形は足首からふくらはぎへ。そして太ももへと、あたしの体を這って、近付いてくる。どろどろに溶けたもう無い左目は、あたしを捉えて離さない。
「いやだっ! あっち行け!」
足を振っても、人形は意に介する様子はない。じりじりと迫ってくる。
あたしはとっさに人形の頭をつかんで思い切り放り投げていた。
人形がどこに行ったかなんて確認もせず、震える腕で体を持ち上げ、一目散に走り出す。
こんなに暑いのに、唇も手も足も震え続ける。
あれはなに? どうして、あの人形が?
思考回路は麻痺して、あたしはただがむしゃらに走っていた。
あたしは馬鹿だ。友達のところか、人がいるところへ行けばよかったのに!
着いた先は、とうとうと流れる真っ暗な川。そこには人っ子一人いない。あたりには光も無く、かすかに祭囃子だけが聞こえてくる。
いや、祭囃子だけじゃない。人の声も聞こえる。誰かがいる。どこかに誰かがいる。
耳を澄ませ、どこに人がいるのか気配を辿ろうとする。
祭囃子にのるように聞こえる、抑揚の無い低い男の声。これは。
――読経の声だ。
総毛立つ、ってこういうことなんだ。じりじりと耳の後ろ辺りがむずがゆくなる。冷や汗が頬を伝っていく。
ビシャン、と何かが水に落ちる音。強まる読経の声。
目の前にある橋から、後ろ手にした白い着物の女の子が川に落ちてゆく。まさか、自殺?
ビシャン、ビシャン、ビシャン、ビシャン。
次々に聞こえる水の音。違う、こんなの自殺じゃない。
誰かが、あたしのすぐ後ろでぼそりとつぶやいた。
「次の人柱は、お前だ」
繰り返される、人柱の伝統。
終わらない、人身御供。
あたしはいつの間にか、橋の欄干に手をついていた。
十六歳未満の女の子は祭りに行ってはいけない。あのしきたりは……こうならないためのしきたりだったんだ。
閉じられた負の歴史は、闇の向こうで幻となって繰り返され、次の生贄を待ち望んでいた。
あたしは、ここから身を投げて、死ぬんだ。
あたしを囲む読経の声。「死ね、死ね」とあたしを煽っているかのよう。
体が勝手に動く。
欄干を乗り越えようとした、その時だった。あたしの足に痛みが走った。つねられたような痛み。
ゆっくり、ゆっくりと振り返る。
あの人形が、あたしの足にしがみついていた。
「ああ、あああああ!」
喉の奥からかすれた悲鳴をあげる。あたしは人形の強い力に引っ張られ、どしんと地面に尻餅をついてしまった。
人形の目にあたしが映る。
記憶がよみがえる。
あたしが七歳になった時、母親と一緒に神社に参拝に行ったことがあった。
あたしが大切にしていたこの人形を、母は身代わりとして神社に預けると言っていた。当時のあたしは母の言っていることがわからず、大切にしていた人形との別れにただ悲しんでいた。
あたしが人形を大切に思うことで、人形もあたしを大切に思ってくれる。あなたを守ってくれる。母は、そう言っていた。
「あたしを守ってくれたのね……」
どろりと溶けた左目。煤けた体。燃えた髪。その様相は恐ろしいけれど、それでも、人形を抱きしめる。
いつの間にか読経の声は聞こえなくなり、川の流れる音だけが聞こえる。
右側のガラス玉の目が、にこりと笑った気がした。
人柱の歴史を持つこの町。十六歳未満の女の子を人柱に捧げなければならなかった。
その伝統が終わりを告げたとき、川の神様に娘を奪われないようにと、身代わりの人形を神社に奉納するようになったのだという。
それはこの地域に古くから根ざした家だけに伝わってきた風習。あたしの家も例外なく、その風習を守っていたのだ。
十六歳になる年に、奉納された人形は役目を終えたとして、人知れず燃やされる。この祭りの行事の一環として。
役目を終えるはずだったこの人形は、最後の力を振り絞り、あたしを守ってくれた。
人形を神社の境内にそっと置く。ここに置いておけば、神主さんが供養してくれるだろう。
人形に向かって手を合わせ、心の中で何度も「ありがとう」と呼びかける。
お祭りもいつの間にか終わっていて、神社は静かだ。祭りの後の静けさってやつだ。
あたしは踵を返す。早く家に帰ろう。友達も親も心配しているだろうし。
その時だった。
背中に何かがしがみついたのだ。
思わず背中がピンとのびる。
こ、今度は何?
背中に手を回し、しがみついた何かを引き剥がす。
境内に置いたはずの人形だった。
冷や汗が体中から吹き出す。
「ちょっと、なんで? なんかおかしくない?」
ぽちりとした小さな唇が嬉しそうに歪んでいる気がする。なんで? 普通はここでお別れで終わりでしょ?
……思い出した。なんてこった。
この人形を奉納した日、七歳だったあたしは、泣きながらこの人形に言ったのだ。
「必ず迎えに行くから」
人形はあたしにつかまって離れない。仕方なく、あたしは人形を家に持って帰った。あたしを守ってくれた人形を無下には出来ない。
でも、火傷したように爛れた人形を見えるところに置いておくのはやっぱり怖くて、クローゼットに閉まったりもした。だが、気付くと人形はあたしのベッドの枕元に鎮座している。どこに置いても、どうやらそこがお気に入りの場所らしく、いつの間にか戻ってきている。
綺麗に残った右目はいつも嬉しそうで、あたしはそれが逆に怖い。
たまに思う。
あの日、この人形はあたしが迎えに来たと勘違いしたのではないだろうか。
それで付きまとっていただけなのではないだろうか。
たまたまそれがあたしを助けてしまっただけで。
何も語らない人形の真意なんてわからない。
言えることはただひとつ。
あたしはあの日、恐怖を連れて帰ってしまった。
人形は今日もあたしのベッドの脇で、右目だけを爛々と光らせて笑っている。
読んでいただき、ありがとうございました。
少しでも涼しい思いが出来ていたらいいのですが……
他の方の作品もぜひ読んで、恐怖の夜を満喫してください。