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久遠寺朋花〈終〉



「あんたのことよ」


 なつきは見舞い用のフルーツを皿に盛り付けながらそう言った。


「私の、こと?」


「……呆けちゃって。さっきからそう言ってるじゃん」


 そうだっただろうか。そうかも知れない。でもわからない。

 頭の芯がぼやけている。


「だから、怪我はどうなのって聞いているの」


 ああ。そうだった。


「……全治二週間だって」


 そう言われた。今は病室にいる。今日は念のため入院らしい。

 別に。

 大したことじゃないのに。


「二週間ね。冬休み終わっちゃうじゃん」


「別にどうでも良いよ。特にやることもないしね」


 私は。

 生きていることが苦痛だから。

 生きるために休むのなんて地獄だ。

 だから、怪我しようが何しようが、変わらない。

 生き地獄。


「痛くはない?」


「大丈夫」


「困っていることもない? 言ってくれれば何でもしてあげるよ。まあわたしに出来る範囲でだけどね。あ、ちなみに宿題とかはパスね」


「ふふ、大丈夫よ。ありがとう」


 心にもない感謝の言葉。

 なぜ私は生きているのだろう。なぜ生きたくないのに生きなければならない。

 私は私が何よりも嫌いで、でも私以外も大っ嫌いなんだ。

 学校も家も友人も家族もみんなみんな。

 大っ嫌い。

 死ねば良かったと思っている。あのまま死ねばどれだけ楽だったか。

 でも死ななかった。

 骨の一本も折れなかった。痛みだけだ。

 痛みだけが。

 残った。


「……私はどうすれば良いんだろう」


「あん? どうするもこうするも、安静にしてとっとと怪我を治すのさ。それ以外ないよ」


 怪我が癒えたところで苦痛は続く。その先はずっと同じだ。


「ああ、色々心配してんのね。でも」


 大丈夫よ、と微笑みながらなつきはフルーツを盛った皿をテーブルに置いた。様々乗っている。色鮮やかだ。でも食べる気にはならない。


「学校もご家族も今回の件は問題にしたくないみたいだからね。表沙汰にはならないわさ」


「表沙汰?」


 なつきはそうよと軽い調子で言い、皿に手を伸ばす。


「リンゴうめえ」


「結局私は」


 どうなったのだろうか。

 昨日。

 そう昨日の夜。

 私は学校の屋上から。


「誤って落ちたことになっているよ」


「誤って、落ちた……?」


 そんなわけはない。

 いや確かに落ちたのだ、私は。落ちたからこそ怪我を負ったのだ。

 だけどあれは。


「学校はね、生徒が自殺しようとしたなんてこと公表したくないのさ。世間体悪いからね。時代も時代だし、“飛び降り”なんてことがあったらすぐにいじめがどうだの言われて責任問題になるのよ。だから隠したいんだよ」


「自殺……?」


 何だか目眩がした。

 一体、私以外の世界はどうなっているのだろう。何がどうなった。


「でもね、そんなこと簡単に隠せはしない。子供が怪我したんだ。普通なら親が黙っていないさ。だから大抵露見する。問題になる。そうして学校側は責任を問われて大パニック。ま、普通ならね」


「どうなったの?」


「だから、あんたの今回の件は自殺なんかじゃなく、あんたが誤って屋上から転落したことに“なってる”よ」


 どういうことだろう。何だかひどく心地が悪い。


「つまりはさ。あんまり言いたくはないけど、学校側とあんたの親御さんの意見が合致したってこと」


 ああ、そういうことか。

 あの二人は私を。


「あんたの親ってさ、結構な権力者らしいじゃん。だからそういうの困るんでしょう?」


 困るだろうな。

 娘の不祥事なんて。

 あの人達なら、確かにこういう結果に修正するだろう。


「だから今回は自殺じゃなくて事故にすり替えられたんだよ。何だかむかっ腹立つけどね」


 なつきは頬を膨らませながらもリンゴをもうひとつ頬張る。器用な人間だ。


「そうなんだ。そういうことになっているんだ。でも、あの人達らしいよ。こういうの」


 むしろ心配される方が気色が悪い。私が私を嫌いなように、彼等も私が嫌いなのだ。

 それはそれで良い。

 私なんか嫌って当然だ。親は子に無償の愛を――なんて言わない。思わない。誰だって嫌いなものは嫌いなのだ。理屈じゃない。

 だから。

 哀しくも悔しくもない。

 怒りもない。

 彼等は彼等の本能に従っただけだ。私と同じ。


「……んで」


 なつきは口許に付いた果汁を手で擦り取ると、私を真っ直ぐと見据えた。

 その表情は。

 冬の空気より冷たい。

 そんな気がした。


「昨日の夜、あんたは何で屋上にいたのさ」


 それは。


「自殺するためよ」


 私は私が生き続けることをよしとしない。

 だから。

 死ぬのだ。

 早く。


「それはないね」


 なつきははっきりと言う。


「あんたは絶対に、逃避を死に求めない」


「求めるわ。求めているわずっとずっと」


「嘘だね」


 なんで。

 何がわかると言うの。私でもないあなたに。


「あんたは自殺しない。そりゃ絶対だ」


「なぜ、そう思うの?」


 あんたがあんたを嫌っているからさ――。


「どういう――」


「そんなことはどうでも良いよ。それより昨日の夜のことよ。あんたなぜ学校に――いえ、それも聞かないことにしましょう。そこは大して問題じゃないもんね。問題は」


 ――あんたの後ろに誰がいたか、よ。


「――それは」


 私の後ろには。

 ――星が見えるかい?

 影が。涼やかな、風鈴のような声が。


「朋花」


 なつきはとても哀しい顔をする。その顔をするなつきを、私は過去に一度だけ見た。

 あれは。


「あんたとは中学時代からの付き合いだったわね」


 そう中学生の時だ。なつきのその表情を見たのは。

 確か、二年生の――。


「そんなに長い付き合いじゃないけれど、でも短い付き合いでもない。一方的かも知れないけど、わたしはあんたとは気が合うって思ってんのよ。友達としてね」


 友達――。そう友達が――。


「だからさ。あんたもう少しわたしに頼っても良いんだよ。あんたはわたしのこと友達だって思っていないかも知れないけど、わたしは友達だって思っている。友達ならね、もっと頼って良いんだよ」


「なつき、あなたは」


「哀しかったり苦しかったり、痛かったり泣きたかったりしたら、我慢せずに、一人で背負いこまずに、友達に吐き出せば良いんだよ。吐き出せば楽になる。それで問題が解決しなくても、楽にはなるんだよ」


「楽に」


 なる、だろうか。わからない。


「なるさ。あんたはそれをやったことがないんだ。やったことがないからわからない。だからやってごらんよ。独りで抱え込まずにさ。友達にも少し持って貰えばいい。そしたら」


 ――楽になる。

 そうかも知れない。それが出来ていれば“あの子”の短く終わってしまった人生も、もう少し違ったものになっていたのかも知れない。

 あの子。

 あの子の名前は。


「笹野さん」


 なつきは瞬間びくりと体を反応させた。

 そうだ。思い出した。あの子。中学二年生の時の。

 笹野こより。

 なつきが。なつきが哀しそうなあの表情を見せたのは、笹野こよりが亡くなった時だ。


「あの子。笹野さんも独りだったね。いつも独りぼっちで」


 いつの間にか亡くなっていた。音もなく気配もなく言葉もなく。

 消えてしまった。

 私は笹野こよりの顔も声も姿も匂いも覚えていない。

 ただ。

 その名だけは、私の中から無くならない。

 なぜか。

 

「なつきは覚えている?」


「……覚えているよ。顔も声も姿も匂いも、みんな覚えている」


 そうか。羨ましいな。私は覚えていない。


「哀しい記憶だけ」


 哀しい事があったことだけ。その哀しさ切なさだけは心の隅っこに、残滓のように残っている気がした。


「それだけで良いさ。あんたの中に僅かでも笹野さんの欠片が残っているのなら、それで良い。もう笹野さんは“ないもの”になってしまったけど、あんたやわたしや、誰かの中にはあるのさ。だから」


 それで良い――となつきは視線を逸らした。

 ないものとあるもの。

 この世は曖昧なものばかりだ。昨日あったものも今日はないかも知れない。なくなったことにも気づかないかも知れない。

 笹野こよりはなくなってしまったけど、私はまだある。

 なら私がなくなってしまえば、笹野こよりも、いや私の中にある笹野こよりの欠片も、なくなってしまうだろう。

 それは。

 何だか厭だ。

 顔も姿も覚えていない人間なのに。なぜだろう。不思議だ。


「人はね、死んでしまったら終わりなんだよ。そこから先には何もない。未練も後悔も、夢も希望も何もない。ううん、何も感じない。悲しみも喜びも、怒りも憎しみも愛も恋もない」


 なんにもないんだよ――。


「死んで悲しむのは生きてる人だけさ。逆に言えばね朋花。あんたが死んでも、あんたが嫌う久遠寺朋花という人間の記憶は、生きている誰かの中に残ったままなんだよ」


 だからあんたは絶対に、あんたの意思であんたを消せやしないのさ――。

 それは。

 それはまるで呪いの言葉。

 そんなこと、私は――。


「わかっているだろうね。あんたは。だからあんたは絶対に自殺しないのさ」


「……お見通し、ね」


 そう。私は私を消せやしない。絶対に消せやしない。そんなこと、ずっとずっと前からわかっていた。

 だから私は。

 あの夜闇に隠したかったのだ。

 私というすべてを。

 生きても死んでも無くならないなら。

 隠すしかない。

 誰も見ることが出来ず、誰も触れることも出来ず、誰も知らない存在に。

 幽霊よりも幽かなものに。

 なりたかった。

 でもなれなかった。私は、あの無限の空に広がる闇に届かなかった。届かず落ちた。

 それだけだ。


「誰もいなかったわ」


 あの場所には。


「……そう。あんたがそれで良いならそうしときましょう」


 なつきはじゃあ体大事にね、と言って立ち上がる。私は止める。気になっていたことが一つだけあった。


「ねえなつき。あなたはなぜ私が怪我したことを知っていたの?」


 昨日の今日だ。親ならともかく、担任ならともかく、冬休み中の、しかもただの同級生がこんなに早く知り得るはずはない。

 そもそも今回の件は公にはならない。ならないと言っていた。

 いや。待て。

 なつきはなぜその話を知っていたのか。

 親に聞くわけはない。聞いても答えるはずがない。学校側だって同じだ。

 なら。

 嘘か。

 いやその話が嘘だとしても、なつきはここにいる。ここにいるなつきは嘘じゃない。

 ならなぜ。


「……あんたねえ、そんなこともわからないの?」


 わからない。

 そう答えるとなつきはバカヤロウと返した。そして、


「友達だからだよ」


 と笑った。

 友達。

 そうか友達だからか。

 あまりにも単純で、馬鹿馬鹿しいほど簡単な答えに、私は久しぶりに頬を緩ませた。

 病院までも探し当てる友達なんてびっくりだけど。

 そういうことにしておこう。

 追求しても意味はない気がするから。

 なつきはじゃあね、と軽く手を振って病室の扉を開ける。だけどその手は扉を半分だけ開けて止まった。


「そうそう言い忘れていたけど」


「何?」


「笹野さんは独りじゃなかったよ」


「え?」


「笹野さんにはね。とても優しい友達がいたんだよ」


「……そうなの」


「あんたと同じさ」


 なつきは振り返らずに、私にピースサインを見せた。

 暖かい。

 冬なのに、とても暖かい。

 だけど厭じゃない。

 私は私が嫌いだけど。心の底から大っ嫌いだけど。

 なつきが友達と認める私のことだけは。

 少しだけ好きになりそうだった。


「……文芸部の」


 私の言葉になつきは振り向く。


「文芸部の同級生」


 それが犯人。

 悪魔の子供〈リリン〉よ――となつきに伝えた。


 なつきは僅かに戸惑いを見せたが、すぐにいつもの柔らかい表情に戻し、そして。

 あとはわたしに任せなさい。

 と微笑んで。


「これで仕舞いよ」


 とスカートを翻し。

 格好良く病室を去っていった。




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