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忽那瑞希〈終〉



「久遠寺朋花さんのことよ」


 真剣な表情でそう尋ねたのは、二組の渥美なつきだ。

 正直面識は差ほどない。全く知らない相手ではないけれど、はてさて会話したことが過去にあっただろうか。

 わからない。

 ただ顔と名前は知っている。

 それも不思議な話だ。いつかどこかで接触したことがあっただろうか。

 いやあったのだろう。そうでなければ違うクラスの人間の顔など覚えるはずがない。


「朋花がどうしたの?」


 そう尋ね返した。何が聞きたいのかわからなかったから。

 渥美がわたしを訪ねてきたのは昼休みのこと。

 まだ冬休みの気分を引き摺った教室のだらけた空気の中、わたしもその一因子としてだらだらと昼食をとっていたその時だ。

 ――あなたが忽那さん?

 と問われたので、はい、と答えた。その時は誰だかよく確認せずにある種の反応として答えた。顔を上げると渥美がいた。

 渥美は続けて聞きたいことがあると言った。

 それが。

 久遠寺朋花のこと――らしい。


「あなた確か部活で一緒よね?」


 その問いにも、はい、と答えた。我ながらつまらない反応だとも思ったけど、恐らく渥美は面白い返しなんて求めていないだろうからそれで良いかとも思う。

 というか。

 渥美は本当に真剣な表情だ。

 くりくりとした大きな瞳と丸い輪郭が幼さを見せるが、それでもその瞳の奥の力強い“何か”が、大人びた印象を与える。


「じゃあ久遠寺さんが怪我したことは知っている?」


 渥美は酷く冷たい声色で言い放った。

 ――怪我?

 朋花が怪我。

 わからない。何のことだかわからない。本当にわからないから、そう答えた。


「そう、知らないの」


「朋花が怪我――したの? それっていつのこと? だって朋花は」


 昨日会った。部活ではない。いや学校ですらないけれど。

 あの夜闇の日。

 あの時、朋花は怪我などしていなかったはずだ。

 いや。

 暗くてわからなかっただけか。

 部活も休んでいた。

 でもあれは。

 ――ずる休みです。

 そう言っていた。嘘か。いや嘘を吐く意味などない。それとも隠したい何かがあったのだろうか。

 あの夜の朋花は確かにいつもと違っていた。

 私服で。

 ゆらゆらと。

 愉しそうに。

 ――秘密の場所ですよ。

 そう言っていた。

 怪我をしたならばその後か。秘密の場所で、何か事件にでも巻き込まれたか。

 でも。


「怪我をしたのは冬休みのことよ」


 渥美はそう否定した。

 冬休み。なら少し前の話だ。

 そういえば冬休みには朋花と会っていない。一度も。いや誰とも会っていない気がする。

 読書ばかりしていた。


「……怪我って、どこを怪我したの? ごめんなさい、わたし冬休みは彼女に会っていなくって。年明け、学校では何度も会ったけど、そんな様子はなかったし、聞いてもいないから」


 そんなに話す間柄でもない。クラスも違う。部活は一緒だが、朋花は欠席することが多く、出席したって特に雑談するわけではない。

 そういえば。

 冬休みが終わってからは特に欠席が目立った気がする。


「左腕とあばら骨二本にヒビ。あとは全身打撲ね」


「お、大怪我じゃない」


「ええ、大怪我よ。普通ならね」


 渥美は何だか複雑そうな表情である。


「普通って。大怪我は大怪我じゃ――」


「いえ。“あの状況”ではある意味軽傷と言えるかも」


 不幸中の幸いってやつかしら、と渥美は冷たく言う。


「軽傷……って。一体何があったの? というかあなたは」


 何を知っているの。

 それに。

 何を聞きたいの。


「わたしもね、何があったのか知りたいの」


 渥美はわたしを射竦めるように見つめる。

 わたしは。

 わたしは渥美のその視線が怖くて目を逸らした。


「わ、わたしは何も知らない。朋花がそんな大怪我したことも知らなかったし、彼女が何を考えているのかもわからないよ」


 わたしは朋花じゃないから。他の誰でもないから。他人のことなんて。

 わからないんだよ。


「わからない。わかるはずない。知らない。知りようもない。秘密の」

 

 ――秘密の場所ですよ。


「それがどこなのかもわからないよ」


「……秘密の場所? 彼女はそう言ったの?」


 言った。小さな声で。微かな幽かな声で。

 確かに、言った。

 渥美は何かを考えている。表情は暗い。

 いや。

 哀しそうだ。


「夜闇が」


 わたしの言葉に渥美が反応する。


「夜闇? 何それ」


「昨日の朋花は夜闇を纏っていたんです」


 星をも隠す濃い夜闇を。

 黒より黒い色を。夜より暗い色を。


「渥美さん」


 あなたは。


「悪魔はいると思いますか?」


 渥美は途端に厭な顔をした。


「……いるよ。悪魔はいるよ」


 そうか。やっぱりいるのか。


「朋花も」


 そう言っていた。

 ――この先にはきっと悪魔がいます。


「そこがどこかはわからないけど」


 きっと朋花はそこで。

 悪魔と出会ったんだ。


「……あなたは」


 渥美の声はさらに冷たくなる。

 冬と同じだ。

 冬の夜と。

 あの夜と同じ。

 ――振り向かずお帰りなさい。

 わたしは。


「振り向いてしまったんです」


 振り向いて。

 夜闇を纏う朋花の背中を。

 見てしまった。

 だから。


「わたしも悪魔の子供〈リリン〉になってしまった」


 ――ふふふ。

 きっとそれは。

 悪魔の微笑。


「きっと、あの人は夜の悪魔〈リリス〉だったんです」


 渥美はとてもとても厭な表情で。

 唾を吐くように。


「バカヤロウ」


 と言い放ち。

 もう誰も見ることもせず。

 静かに。

 去っていった。



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