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渥美なつき〈解〉

 


 冬の真っ白い世界が、とても儚く見えた。

 昨夜から深々と降り続ける柔らかな雪が髪を睫毛を頬を撫でる。

 寒くはない。

 いやそりゃ寒いのだけれど、寒さを忘れるくらい。

 見惚れていた。

 雪が包む町の夜景に。

 静かだ。どんよりとした雪雲は音をも隠す。空気は張りつめているのに、音が響かない。道々往来する人々の喧騒も、車の音も、どこかの店から流れるBGMも、真っ白な世界へ飛び立てば、すぐさま地面に落とされる。

 本当に。

 静かだ。

 だけれど不思議なことに、雪を踏んだ時の小気味良い音だけははっきりと聞こえる。

 だから。

 意味なく踏んだりしてみた。

 足踏み。

 白い地面にぽっかりと靴の形の穴が開く。踏む度深くなる。

 ――はあ。

 何をしているんだろうな。

 わたし。

 もうすぐ二年生になるのに。

 ため息も白く着色される。そしてすぐ消える。世界に溶けるように消える。微かな、いや幽かなものだ。それすらも儚く見えた。

 ――結局。

 こうなるんだよね。

 誰に言うわけでもないのに、ついつい口に出してしまう。独白する度気分も滅入る。

 ――ああそこにも白か。

 くだらないことばかり考えるのは、明らかに現実逃避の現れだ。待ち合わせ場所についてから十分。わたしはくだらないことばかり考えている。

 山桜ビルディング。

 そう彫られた金属製のプレートにも僅かに雪がちらついていた。

 放っとけば良いのに。

 わたしはなぜかプレートについた雪を払う。

 冷たい。まるでこのビルのような冷たさ。見上げる。無機質で温もりがない。まあ建物なんてどれもそうだろうけれど。

 何階建てだか知らない。ここら辺では高い方だ。首が痛い。もう何度も来ているのに、馴染めない。

 あんまり良い思い出がないからだ。

 というか。

 わたしがここにいるという事実は、否応なしに“最悪な結末”を意味するわけで。

 だから。

 ここに来ると、厭な気持ちにしかならない。

 ――本当に、わたしって無力。

 それは本気で思っている。

 わたしが今まで関わったすべての事件がわたしの動きで回避出来たかどうかと言えば、そりゃ無理な話だ。それは痛いほどわかっている。わたしごときがどう動いたところで、何かがどうにか出来たとは思えない。そこは重々承知している。過信も慢心もない。

 だけれど今回は。

 ――どうにか出来たかもなあ。

 とは感じている。ある種の罪悪感もある。

 でも結局。

 どうにもならなかった。

 どうすることも出来ずに事件は発生してしまった。

 悔しい、という気持ちの方が強いのかも。

 でも正直。

 どっちでも良いや。

 わたしのやるべきことはやった。複雑な紐はすべて解いた。この先わたしの出番はない。すでに満ちた局面はもうわたしの手中では動かない。どうにも出来ない。

 あとは。

 夜闇次第。

 空を見上げる。

 濃紺。そして白い。ゆっくりと深々と。

 降り続く。

 二月上旬には大雪になるそうだ。

 その前に。

 闇を払おう。

 いや今回は悪魔払いか。


「人のこと、ですよ」


 自動ドアが開く音と同時に。

 静かな声。

 まるで赤子をあやす母のような、とたとえたのは誰だったか。

 わたしは好きじゃない。その声を聞くと厭な思い出が蘇るから。

 振り返る。

 黒い陰、ひとつ。

 厭な。

 厭なひと。


「人、ですか。でも今回は悪魔払いなのでしょう」


 きっとわたしは今、厭な表情をしている。それがどんな表情なのかは説明出来ないけれど、きっときっと、厭な顔だ。

 陰が微かに揺れる。比喩ではあるけど、本当に黒い。いや黒いというより淡い。まるで陽炎のように輪郭がぼやけている。それも恐らく比喩だけど、わたしにはどうしてもそう見えてしまう。

 夜闇か。

 いや。

 やはり陽炎。

 掴むことも出来ず、触れることも出来ず、なのに見ることは出来るもの。

 それは。

 幽霊と同じだ。

 幽霊――。

 その言葉が、わたしの記憶を掻き回す。

 それは。


 夕暮れ色に染まった、幽かな物語。

 帰れぬ日々と戻らぬ友との淡いお話。

 ないものとあるものを別つ断罪譚。


 頭を振る。幻を消し去るために。

 ――人のことですよ、と陰が繰り返す。


「悪魔でも幽霊でも何でもね、人のことなんですよ」


 人のこと。

 そうなのかも知れない。今までのことすべても。


「まあ、ご令妹さまは『悪魔よ悪魔の仕業だわ!』なんて楽しそうにされてますけどね」


 ご令妹さまとはある意味でわたしたちの雇い主である女性のことだ。

 いやわたしだけだろうか。

 思うに、このひとはそのご令妹さまの組織図には配置されていない気がする。別系統、というよりこのひとは“本物”だろうか。それも正しい言葉ではない気がするけれど、でもきっとわたしとは違う。

 まあそれもあってないようなもの。

 どうでも良い。


「今日も随分と冷えますね。ああ、雪がまだ――」


 そうだよ。

 雪が深々と世界を染めているんだ。

 町も音も吐息も人も。そしてわたしも。

 なのに。

 貴女は決して染まらない。

 いつだって陽炎。

 今まで起きた事件、そのすべてが人のことだとしても。

 貴女は決して人ではない。

 貴女は昔々の――。


「のんびりしていると風邪を引きますね。さあ」


 行きましょうか――。

 夜を纏い。闇を被り。影を携え。

 音もなく。気配もなく。感情もない。

 幽霊のような陽炎は、わたしの横をすり抜けて。

 白い世界に降り立った。


 だけれど。


 冬の真っ白い世界は、その黒を抱いてもなお。

 その儚さを損なわなかった。



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