恋、というもの
何を言えばいいのか、何を感じればいいのか。
まずは体の端だねって、悪魔が囁いたのと同時に、指の先が動かなくなり、徐々に、腕が動かなくなった。
左上から、上がっていき、広がり、目が見えなくなり耳が聞こえなくなった。
声を発しようと喉元を動かせば、もちろん機能せず。なぜこうなったのかも僕には分りがたい。
慌てることなどしなかった。
もし、どこぞの悪魔さんがこのまま殺してくれるなら、それは、僕にとってとてもありがたいことだ。死んでしまいたい。
「つれていってあげる」
耳じゃなく、体に染みる声。
悪魔が次に囁いたのは予想通り天へのお導き。
声が戻る。
「うん」
悪魔に実体はない。ただ、そこにいる。
「でもね」
棒読みとでも言いましょうか、音程の変わらない、不規則な声。
「条件がある」
死ぬことに条件が必要なのか。
「今日、」
思い出したくないことだ。
今日。
「別かれた奴が居ただろう。振ったのか、振られたのか」
低く笑う声が聞こえる。
「悪趣味だ」
振った振られたの話ではない。付き合ってさえ、いなかったのだから。
「どちらでもいい、さ。生涯永久。そいつの不幸がほしい」
頬に触れた空気は冷たい。
「傍にいられなくなったのだろう」
涙なんて、もう、でないと思っていた。
幼いころから傍に居て、傍に居ることを望まれて。あの人の笑顔さえあれば大抵のものは溝に捨てられた。
「どうした」
付き合ってる人ができたと、とても嬉しそうに微笑んだあの人の顔が過ぎる。
「なんでも、ない」
残酷なものだ、友情なんてものは。
傍に、いられなくなったのではない。自らしたのだ。
もう、会わないと。
今日。
「憎しみはあるのだろう?」
それは、それは、何を恨んでいいのか分らないほど。
人の気も知らないあの人も、それを受け止めた自分も。
あの人の横で過ごしているだろう、到底、知りえない男も。
「不幸にしてやろう。手に入らないものなど、如何なってもかまわないだろう?」
かまわないさ。
痛むのは胸だけだ、この体、捨てるものならばそんなことを心配する必要もないだろう。
「不幸なんて、どうする」
気づけば、体全体が動くようになっていた。
腰を上げる。
やはり、悪魔の姿は見えない。
「食べる。美味しいんだ、俺達にとったら、甘い蜜だ」
人の不幸が、甘い蜜。
「至福だ、快感だ」
ああ、そうか、ならば。
「不幸なのはあなたですね」
自分の不幸に目もくれず、人の不幸ばかりを眺めていたのだろう。
なぜだろう、酷く、可笑しい。
「 」
真っ暗な寝室の電気をつける。
涙が乾いた頬が緩む。
「死にませんよ、サヨウナラ」
無謀なやり取りだったかもしれない。こんなものは。
小さな舌打ちをして、悪魔は消えた。
残ったものは、あの人で埋め尽くされた着信履歴。
今だ震えながら青く光るライトが、胸を締め付けるように、痛い。
「早く、早く、消えてくれ」
ただ、今は、祈るだけだ。
貴方が幸せであるように、と。