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序章

某ライトノベル大賞で四次落ちした作品です。

お楽しみいただけると幸いです。

序   



そのビルの屋上からは、二つの夜景を望む事ができる。

直径約十五キロの巨大な人工島と、陸側の旧市街とを分かつ海峡に掛けられた橋の袂には、ゲートを抜ける幹線道路に睨みを利かすかのように。スマートな双子のビルがその威容を示している。地上十五階、地下三階建てのこれらのビルこそ、日々、ゲートシティを出入りする人や車を管理し、侵入者の有無を監視するために存在するゲート警備隊の、その本部ビルである。

海際に面した本部ビル屋上からの眺望はすこぶる良い。天気の良い日には、幅約一キロの海峡の対岸を走る自動車がどのような車種かも、はっきりと見て取る事ができるほどだ。

今、一人の警備隊員が、ビル最上階のエレベータを降り、人気のない廊下を、屋上入口に設置された自動扉へと向かっている。鉄製の扉の前で立ち止まった彼は、扉脇に据えられた黒い板に手のひらを広げて乗せる。板に内蔵された生体情報リーダーに、指先の毛細血管パターンをスキャンさせるためだ。

男が手のひらを乗せると共に、板の上部に横一文字の青白い光が走る。やがて光は、板全体をゆっくりと撫でるように降りてゆく。

ほどなくして、リーダー上部のライトが赤から青に変わる。と共に、堅牢な扉が横へと開き、彼に進路を明け渡す。ゲート警備隊員として登録された者であれば誰であれ、この扉をくぐり、屋上テラスへと自由に出入りする事ができる。

目頭を揉みつつ、男は扉をくぐる。

その足取りは、決して軽いとは言い難い。この十六時間というもの、彼は、本部ビル地下一階の情報管理室にて、警備隊の管理サーバーに対する不正アクセスの監視にかかりきっていた。

だが、これは彼にとって、さしてイレギュラーな勤務形態ではない。彼は、一日の大半を地下のパソコンルームに籠もって過ごす生活を、かれこれ二年以上も続けている。

男の佇まいは、多くのゲートシビル―――ゲートシティの人間は、自らを指してこう呼ぶ――――にとって馴染みのある、強靭で逞しい警備隊のイメージとは随分と掛け離れている。

さして高くもない背に、貧弱な肉付き、おまけに、幼さの残る少年のような顔立ちは、警備隊と言うよりも、むしろハイスクールの文科系クラブ生と名乗った方が似つかわしい。

テラスには、すでに先客がいる。ニキビ面も初々しいその先客は、男の肩章に入った三本のストライプを認めるなり、すぐさま踵を揃え、気をつけの姿勢を取った。先客の肩章にはストライプが一本のみ。今春入隊した研修生である。男は研修生に軽い敬礼を返すと、後は構わず、夜風に身を任せ始める。敬礼を解くべきタイミングを逸した研修生は、しばし敬礼を保った後、男の様子を伺いつつ、そっと敬礼を解く。

男は、あくまで虚脱の体で、鉄柵越しの夜景を眺め続ける。それが、十六時間連続で酷使した目の疲れを癒すのに、最も効果的な方法である事を、彼は二年余りのパソコンルーム勤務で、しかと体得している。

「お好きなんですか? ここの景色が」

ふと、背後から声をかけられ、男は声の主を振り見た。先程の研修生が、憧憬と畏怖を込めた眼差しで彼の背中を見つめている。

が、男はにべもなく答える。

「いや、別に」

味気ない答えに勢いを削がれたのか、若い隊員の瞳が、途端にしゅんと熱量を失う。

「それは……失礼致しました」

 しばし、無機質な鉄筋コンクリート製のテラスを、夜空に似た鉛色の沈黙が包む。

 ビルの屋上は、思いのほか静かである。深夜にも関わらず、眼下を左右に貫く幹線道路は、白色のヘッドライトと赤色のテールランプによってびっしりと埋め尽くされている。光の帯は、漆色の海峡を突っ切り、旧市街方面へと一直線に繋がっている。ゲートシティの頚動脈たる幹線道路の物流に、昼夜の別はない。にも関わらず、それら車列の放つ喧騒は、十五階建てビルの屋上まで届く事はない。高性能水素エンジンが開発されてより以来、車両による騒音問題は、次第にその影を潜めつつある。

頭上には、真円を描いた銀月が、ぽっかりと浮かんでいる。

ほどなくして、空気の重量に耐えかねた研修生が、再び口を開く。

「あの、一士は、どちらの景色がお好きですか?」

「景色?」

「はい。ゲートシティ側と、旧市街側の、です」

 男は、左右の景色にそれぞれ軽い一瞥をくらわすと、「さぁ」と、再び要領を得ない答えを返す。その背中が放つ、“黙れ”のメッセージに気付かない研修生は、再度の沈黙を厭い、無理からの会話を繋げるべく、海向こうの極彩色の煌きを指して言う。

「自分は、旧市街の景色の方が好きです。カラフルで、見ていて飽きません」

海峡の先に広がる旧市街は、毎夜、闇の帳が降りると共に、宝石箱をぶちまけたような輝きによって、くまなく埋め尽くされる。赤、青、黄、紫……おおよそ色という色が揃い、加色法の原理で白く煙る風景の中に、オーロラビジョンや立体ホログラムが放つ無秩序かつ強烈な光が、不躾に割って入る。配色という概念は皆無で、光の粒は銘々勝手に色を纏い、撒き散らす。これらの雑然とした輝きのために、漆黒であるはずの夜空は、絵筆を洗った筆洗い水のごとき色に汚辱されている。

「そう」

男は、押し売られた会話に、またしても体温の低い返事をよこす。

生憎ながら男は、その輝きを美しいと思う感性を持ち合わせてはいない。極彩色の街は、確かに、遠目に見る分には華やかで好いたらしくもある。だが、彼にとって、それらの輝きは、食品倉庫に灯された毒々しい誘蛾灯の光と何ら変わる所はない。その見立ては、ある意味で芯を捉えている。事実、旧市街の歓楽街がゲートシティの上客に金を落としてもらうための、誘蛾灯に違いないのだ。

艶やかなだけの夜景を見飽きた男は、もう一方の夜景を振り見る。

互いに競い合うように、おびただしい数の高層ビルが、夜空へと伸び上がっている。いずれのビルも煌々と光を放ち、未だに休息を迎える様子を見せない。こちらは、ゲートシティ中心部に位置するオフィス街の輝きである。ビル表面にドットのように輝く光はどれも直線的で、無色で、無機質ではある。が、それらの光が意味するのは、ゲートシビルの勤勉さと、彼らの弛まぬ努力である。ビル群の頂上部では、無数の赤い航空灯が、ぽかぽかと点滅を繰り返している。緩やかで、かつ、規則的なそれらの明滅は、街全体の呼吸とも、脈動とも見立てる事ができる。

「一士は、ゲートシティの方がお好きなんですか?」

「………」

「ですよね。生まれ育った街ですし、自分も、」

「黙っていて、くれないかな?」

やおら、男の背中が発した鋭利な声に、若い研修生は呆気に取られた。

「僕は目の保養のためにここへ来ている。いわば業務の一環だ。夜景なんぞを愉しみに来ているわけじゃないんだよ。まして、君と無駄口を交わしに来ているつもりもない。君は三士だろう? あまり上官に対して馴れ馴れしい態度が過ぎると、君の上司に、この件を報告させてもらうよ?」

男は振り返るなり、呆けたように口を開く研修生をじろりと睨み据えた。あどけない顔立ちに似合わず、男の目つきはあくまでも鋭く険しい。思わず、研修生は身を縮めた。

一方の男は、畳み掛けるようにさらに厳しい言葉を続ける。 

「それとも君は、君が好きだとほざく、あのふしだらな街に住みたいと言うのかい? あの、怠惰で、腐敗した、ゴミのような人間共の住む街に―――え? どうなんだ!」

「も、申し訳、ありません」

 男の剣幕に、研修生は絞り出すような声で答えると、立派な図体を萎縮させ、すごすごとテラスを後にした。

扉をくぐる間際、研修生は、今にも泣き出しそうな声で男の背中に問いかける。

「あの、この件は、どうか課長の方には報告、」

「―――して欲しくなければ、もう二度と、その軽口を僕に利くな」

言い捨てるなり、男は再び夜景へと目を戻した。


御感想等ございましたらよろしくおねがい致します。

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