ファントム・エンジン
1
帝都の中心街から少し裏手に入った区画に俺の事務所がある。
窓の外では、企業の会計システムを動かす蒸気機関の煙が、石造りの建物を煤けさせていた。
空中には小型飛行船が街はずれの発着場に向かってゆっくりと降下しながら遠ざかっていくのが見える。
飛行船の胴体には最近流行の服飾広告が描かれていた。ジャカード式織機で織られた緻密な植物模様。
『テイラー式 植民地風ボタニカルドレス』
俺は窓を閉じ、机の反対側に座っている依頼人に向き直った。
依頼人は新聞を取り出し、机の上に広げて置いた。
一面にはセンセーショナルな見出しが踊っている。
『異形の幻影装置ファントム・エンジン!』
『詐欺か真実か~仮想空間に女性の幽霊現る』
「この件についてはあなたもお聞き及びでしょう」
と依頼人は言った。
俺は左手の義手で新聞を取り、記事の内容をざっと斜め読みして言った。
「まぁ、ここに書かれている程度には」
「ファントム・エンジン」と呼ばれるその装置は「仮想空間」とやらを網膜に直接映し出す映像用解析機関だ。ガラス管を大量に束ねた光伝達装置を目の前に装着し、まだこの世に出現していない建物の完成予想図などを人に見せる事が出来る。
技術的な事に関心のない客の中には「贅沢な覗きからくり」と半ば揶揄するような者もいるようだが。
「元々はごく真面目な模擬実験のための物なのです。土木・建築の設計を検討するための、図面立体化装置です」
「たしかに色々と可能性はありそうですな」
と俺は言った。
都市計画や庭園等、造ってみたら意外に貧相だった、という事を未然に防げるというわけだ。
飛行船などもそうだったが、最新の科学技術は金になるまでが難しい。はじめのうちは、世間の注目を集めるべく半ば見世物のような様相を呈する事もしばしばだ。
「この装置のプログラムを書いたのはエイダ・アーロンです」
「エイダ・アーロン。パンチカードの女王と呼ばれていた」
「はい。惜しい方を亡くしました」
アーロン男爵家の血を引くその女性は、博物学者でもあった父君の方針からか高い教育を受け、その学才を活かして世界初の解析機関プログラマーとなった。
「パンチカードの女王」という呼び名は、プログラムを記述する穿孔式のカードに由来している。
病気で亡くなった時は、まだ30代だったはずだ。
アーロン男爵家は、最近では一時期ほどの勢いは無くなっていたらしい。
帝都に近い場所に建てた別宅も売りに出され、「ファントム・エンジン」ごと依頼人に買い取られた。
依頼人の目当てはその装置のほうだったようで、事業化を目指して宣伝をかねた興行を打ったというわけだ。
「ところが予期せぬ事態が起きまして」
と依頼人は続けた。
「それがこの新聞記事ですな」
と俺は義手で挟んだ新聞を揺らしてから、テーブルの上に置いた。
「その仮想空間に、女性が現れたと」
「ええ」
「しかも、話しかけてくると」
「さよう」
「そのように仕込んだというわけではなく?」
「もちろん違います。そうであったらこのような依頼には来ません」
「現れたのは……亡くなったエイダ・アーロンの霊だと?」
「そういう者もいるのですが、私は幽霊などというものは信じておりません」
たしかに幽霊相手なら霊媒師にでも頼むはずだ。俺のところへ来たということは、何か合理的な解決を求めてのことだろう。
「で、俺に何をしろと?」
「あの機械のプログラムの中に誰かが何らかの仕掛けを施したと考えております。その仕掛けを探し出して、除去していただきたい」
面倒そうな仕事だが、その装置のプログラミングには大いに興味が湧いた。
俺はこの依頼を引き受けた。
2
帝都からほど近い旧男爵家の敷地の、ネオ・ゴシック様式の温室の中にその装置はあった。
かつては栄華を誇った男爵家が熱帯の植物を栽培・研究するために建てた温室だったが、同家の財政が傾くにつれ維持できなくなり、中の植物は王立植物園に引き取られた。
今ではエイダ・アーロンが製作した装置の「容器」として流用されているというわけだった。
正面入口の上には優雅な書体で書かれた看板が掲げられている。
『仮想の庭園』
中に入ると、鋳鉄製のフレームに組み込まれた無数の歯車とパンチカードシステムが鎮座していた。
俺は装置を起動し、無数の歯車がカードに記述されたプログラムに従ってこのシステムを動かしはじめるのを待った。
俺の左手は、こうした解析機関の歯車に巻き込まれて失われた。それからは、もう片方を失わないよう機械の扱いには慎重になった。
映像出力システムが機能しはじめ、ガラス管が光り始めた。
俺は備え付けられた椅子に腰かけ、銀メッキが施された細いガラス管の束が繋がる視覚装置を両目に当てた。
視界はぼんやりと光りはじめ、やがて像を結んでいく。
そこはモノクロの世界だった。
左右対称の空間が広がっている。フランス式幾何学庭園。
頭を左右に動かすと、投影装置もフレームごと追随し、視界に映像を絶え間なく送り続ける。
画像はかなり荒い。銀板写真のような細密さは無く、遠景などは朦朧としている。
「まるで印象派の絵のようだな」
左右対称の庭園を背景に選んだのも、情報量を抑えるためかもしれない。
しかし、それでも全周囲にこれだけの映像を表示するには、おそらく凄まじい計算を必要とするだろう。
巷で言われてる「贅沢な覗きからくり」も馬鹿にしたもんじゃない、と俺は思った。
中央をゆっくりと進んでいく。
植栽の陰に誰かいる。女性のようだった。黒っぽいドレスを着ている。
目を凝らすと、その女性は植栽の陰から出て、ユラユラと揺れるようにように近づいてくる。
誰とも判然としない。顔つきも、また服装も、微妙に形を変え、姿が定まらない。
これは実在の誰かを銀板に写したのではない。
カードに刻まれたプログラムに従って光の投射が制御され、投影装置に直接「出力」されている。
ゼロから生み出された映像上の人物像なのだ。
おれはこの仕組みを作りあげたエイダの発想力に驚嘆した。
と、次の瞬間彼女は突然目の前まで来て、話しかけてきた。
「お待ちいたしておりましたわ」
俺は一瞬パニックに陥りそうになり、装置から顔を外した。
温室内の視界に戻ると、今見たものがあくまで人工的に作り出された映像にすぎない事を思い出し、気持を落ち着けた。
「俺とした事が何を驚いてる」
パンチカード・システムに手を伸ばし、カードの再生部分にチョークで印をつけた。カードのどの部分にこの映像が刻まれているかマーキングするためだ。
それを終えると再び装置に眼を当て、続きを見た。
「お待ちいたしておりましたわ」
と彼女は再び言った。
プログラムされた同じ個所からやりなおしになるのだ。やはり実在の人間とは挙動が違う。
また声も奇妙だった。おそらくパイプのような物に蒸気か圧縮空気を吹き込んで出しているのだろう。
俺はいわく言い難い薄気味悪さを覚えた。今見えているこの女性は、人間のようで人間でない、いわば「擬態」だ。
話す内容は、あらかじめ配列された言葉の組み合わせから適当な物を選んでいるのだろう。考えて反応しているわけではないはずだ。
しかし、それにしたって会計用の解析機関などとは比べ物にならない凄まじい情報量だ。一種のトリックではあるが、技術面が凄い事はたしかだ。
「お前は誰だ?」
「私はエイダ・アーロンの亡霊、と申しあげておきますわ」
「何が望みなんだ? 目的は?」
「テイラー式絵画織機の開発に、私エイダ・アーロンが関わっているという名誉の回復と、権利の主張でございます」
そうきたか。単刀直入だ。さすが機械だ。
「テイラー式絵画織機、か」
最近広告でよくみかけるやつだ。
パンチカードを用いたジャカード式織機による織物産業の中でも、最近急速に頭角を現した新興ブルジョアジー、テイラー一族。
さらに話を聞くと、エイダは彼等との共同事業に関わったが、その後決別したという。
「織機を制御するパンチカード・システムは、私がプログラムした物でございます」
「テイラー家はそれを……横取りした?」
「一言で申しますと、はい」
「その証拠は?」
「ロイズ銀行の貸金庫に私の手記が預けられてございます」
印字機械が動き出し、しばらくガチャガチャと音を立て、一枚の紙を吐き出した。
「これは?」
「委任状でございます。これで手記を回収し、世間に発表して頂きたく存じます」
「署名が無いが、これで銀行は了承するのか?」
「パスワードが記してございます。それで取り出せるよう、取り決めが」
ランダムなアルファベットと数字の配列が記してある。
これで照合するというのも、いかにもエイダ・アーロンらしい考え方だ。
「預け入れた年月日は銀行側に記録がございましょう。私がプログラムを書いた時期が、織機の運転開始より前だと証明できますわ」
それがあればテイラー家の契約不履行を明らかにできる。
この件については依頼人に打診してみよう。あの男はエイダに敬意を持っていそうだったし、相談にのってくれるだろう。
「わかった。協力しよう」
「有難う存じます」
3
俺は少し間をおいて、本来の仕事の話に入った。間を置いたのは彼女のためというより俺自身のためだったかもしれない。
「さてと。俺は依頼されたとおり、これからあんたをここから消し去ることになるが」
「残念ですわ。お会いしたばかりでしたのに」
「自分が消えることには、特に感情は起きないか」
と言ってしまってから「感情」などと馬鹿な事を口にした自分に苦笑した。
「一度生じた情報は決して消滅いたしませんことよ。存在し続けているのですわ」
と、彼女は答えた。
「ああ、そうだな。だからこうして過去の話も明らかになった。この装置と、このパンチカードのおかげで」
「いえ、たとえこの装置やパンチカードが無くなっても、でございます。情報そのものは残り続けますの」
「映像装置のプログラムであるお前がなぜそんな話を?」
「これも私に与えられた役目でございますわ」
「どういうことだ?」
「私はこの装置を作る際に、電気の研究をなさっていたある先生にもお知恵をお借りしましたの。その方はガラス管を使った実験で、ガラス加工のノウハウをお持ちでしたから」
「なにやら予想外の話が出てきたな」
「現在、原子という物が最も小さい物質の単位だと考えられておりますが、先生はさらに小さい粒子の存在を予見されておりました」
「正直ちんぷんかんぷんだが」
「それを裏付けるための計算を手伝うように頼まれましてね。ですので、映像を出力する以外の時間は、この解析機関をその計算に費やすことになったのです」
「で、何が分かったというんだ?」
「そうした極小の世界では、人間の世界とは違った法則が働くのでございます。そこでは、一度生じた現象の痕跡、つまり情報は存在し続けておりますのよ」
「情報は消えない?」
「はい。物質はやがて壊れ、熱は冷め、光は消え去るように見えますが、それがそこに存在したという情報そのものは決して失われませんの」
「しかし、時間を巻き戻す事は出来ないだろう。キネトスコープじゃあるまいし」
「人間には復元出来ないかもしれませんわね」
「それじゃあ確かめようもない」
「はい。でも、人間が見ることが出来ない世界も、この宇宙には存在するということでございますわ」
俺は正直に言った。
「俺にはそれを理解するだけの頭脳も、反論するだけの知識も無い。聞くだけ無駄だったな」
彼女は少し黙ってから、続けた。その口調は何となく寂しげに聞こえた。
「あなたがた人間も、いずれこの理論に到達しますわ」
彼女はそう言うと、唐突に消えた。
俺は余計な長話をしたなと思いながら、マークしておいたパンチカードのモジュールを取り外し、仮想空間内に彼女が出現しなくなったのを確認して、機関を止めた。
無数の歯車がしばらく空回りした後止まり、温室の中は排気される蒸気の音だけが響いた。
こうして幽霊騒動は終わり、世間の人々の噂に上る事も無くなっていった。
それから数か月して、新聞の片隅にあった科学記事を見かけて俺はぎょっとすることになった。王立科学学会からの発表だった。
『アーロン予想――情報の永久保存仮説』
『一度生じた情報は原理的に失われない』
「これのことか、彼女が話していたのは」
俺は仮想空間内での会話を思い出した。
記事を読んだが、あの時と同じくちんぷんかんぷんだった。
記事の最後は「もしかしたら霊魂も存在するかもしれない」という人を煙に巻くような話で終わっていた。
「さては記事を書いた奴も本当は解っていないな」
と俺は思った。
「情報の保存といえば……」
俺はあの装置から取り外したパンチカードのモジュールを思い出した。
書類用の大きな引き出しを開けてそれを取り出し、広げて窓から差し込む光に透かしてみた。
彼女の疑似人格を形作っていたプログラムはこの中に刻まれている。無数に穿たれた穴の列という形で。
「この中に彼女がいるわけだが、さて、どうしたものか」
その時、カードを持つ左手に痛みを覚えた。
義手に慣れてから長いこと感じていなかった幻肢痛。
精巧だが冷たい金属の手には感じるはずの無い、そこに無いはずの痛みだ。
だがそれも一瞬の事で、すぐに左手は無感覚な状態に戻った。
俺はエイダの亡霊が宿るそのパンチカードを引き出しに戻し、そっと閉じた。
(終)




