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『孤独になった俺を、彼女は最後まで家族と呼んだ』  作者: ブヒ太郎


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第四十一話:回復する異常と、墓標を暴く覚悟

聖都ルメンティアの中心にそびえる中央塔。


その最上層にある管理総監室は、分厚い防音ガラスによって外界の音から完全に切り離されていた。


巨大な木製の執務机の奥。


ガロ・ヴァレンティは組んだ両手の上に顎を乗せ、重く、苦みを含んだ息を深く吐き出した。


「……そうか。アロンゾの部下の、ベラくんは……」


「……はい。あのテロ組織の幹部、セリアがそう言っていました」


デスクの前に直立するフィオーネの声は、氷のように冷たく、ひどく掠れていた。


戦闘で汚れた純白のコートから着替える間もなく、彼女の白い頬には深い疲労と焦りが色濃く張り付いている。


共に死線を潜り抜けた多脚機・モーディもまた、極限の連続駆動によって内部回路が焼き切れかけ、現在は技術局のレインの元で緊急の延命処置を受けていた。


「……ネロは、今どうしている」


ガロの静かな問いに、フィオーネは無意識に、身体の横に下ろした拳を強く握りしめた。


「応急手当をした後、自宅で休ませています。……ですが、帰還してからは自室の窓から外を眺めるだけで、一言も口をきこうとしません」


「……すぐに医療班を向かわせよう。あの馬鹿げた出力を三度も使ったのだ、右腕はおろか全身の細胞が崩壊しかけているはずだ」


ガロがデスクの通信機へ手を伸ばす。


だが、フィオーネは切羽詰まった声でそれを止めた。


「いえ、それには及びません……!」


「……どういうことだ」


ガロが怪訝に眉を寄せる。


フィオーネは酷く乾いた唇を舐め、事実を口にするのを恐れるように、わずかに視線を泳がせた。


「……信じがたいのですが。ネロの身体は、帰還からわずか数時間で……あの筋肉の断裂と内臓の損傷が、すでに『軽傷』のレベルにまで回復しているのです」


「…………」


総監室の空気が、見えない重しを乗せられたように凍りついた。


それは、対策院の誇る最先端の医療技術であっても絶対にあり得ない治癒速度。


人間の構造を根本から外れた、『魔獣の再生能力』そのものだった。


「……ウイルスへの適応が、そこまで進んだか」


ガロの低く唸るような声が響く。


「……ネロは……まだ、人か?」


「……はい」


フィオーネは即答した。


少しでも間を置けば、自分の中にある恐怖が漏れ出してしまいそうだったからだ。


「……受け答えに問題はありません。ただ……セリアの生存と、過去の真実が、彼に何を残したのか……」


「……そうか。ネロの姉、セリアか……」


ガロは深く目を閉じ、背もたれに体重を預けた。


「……とりあえず、ネロには一週間の休暇を命ずる。フィオーネくん、お前が傍についていてやれ」


「……はっ! 承知致しました、閣下!」


フィオーネは鮮やかな動作で敬礼し、重厚な扉を開けて総監室を出ていく。


広い部屋に一人残されたガロは、静かに独り言を漏らした。


「……どうか、人のままでいてくれよ、ネロ。あの子には……フィオーネには、お前が必要なんだ……」


ガロは窓の外に広がる聖都を見つめたまま、長いあいだ動かなかった。


* * *


中級居住区、アトラス家。


重い足取りで玄関の扉を開けたフィオーネは、靴を脱ぎ捨ててリビングへと向かった。


「……ネロ、具合はどうだ」


声をかけようとした彼女の足が、ピタリと止まる。


リビングの中央。


黒シャツを脱ぎ捨て、上半身を剥き出しにしたネロが立っていた。


「……何をしている、ネロ」


ネロは自身の右腕を顔の高さまで上げ、ゆっくりと開閉を繰り返していた。


だが、その腕の筋肉は、あきらかに人間のそれではなくなっていた。


皮膚の下でどす黒い血管が蠢き、筋肉の繊維がまるで別の生き物のように不気味な脈動を繰り返している。


それは、魔獣ウイルスを意図的に活性化させている、異形の兆候だった。


「ん? おかえり、フィオーネ」


ネロは振り向き、いつもの好青年のように人懐っこい笑みを浮かべた。


「ちょっと、ウイルスの力をどこまで引き出しても『俺の理性に抵抗がないか』、調べていたんだ」


「…………ッ!!」


フィオーネの顔から、一瞬にしてすべての血の気が引いた。


彼は、自身を化け物へと変えるかもしれないウイルスの侵食を、恐れるどころか『実験』と称して自ら深めようとしているのだ。


「やめろッ!!」


フィオーネは悲痛な叫びを上げ、駆け寄ってネロの腕を力強く掴み下ろした。


「今すぐ灰の連中のようになりたいのか!? 自分が何をしているのか、分かっているのかッ!」


怒りと恐怖で震える義姉の顔を、ネロは驚いたように見つめ、やがて困ったように息を吐いた。


「……ごめん。もうやめるよ」


ネロが力を抜くと、腕の異様な膨らみがスッと収まり、元のしなやかな青年の腕へと戻っていく。


だが、フィオーネの身体の震えは止まらない。


「……そんなことより、フィオーネ。頼みがあるんだ」


「そんなこと!? お前の身体や命以上に、今大事なことがあるというのか!?」


フィオーネの激しい叱責を、ネロはひどく静かで、どこまでも冷たい声で遮った。


「……姉さんを埋めた場所を、教えてくれないか?」


「!?」


フィオーネが息を呑む。


四年前。


彼女が「亡骸を丁重に弔った」と告げた場所。


あのセリアの言葉が事実なら、そこに埋まっているのはセリアではない、名も知らぬ誰かということになる。


「……フィオーネ?」


沈黙する彼女を、ネロが覗き込む。


「……教えて、どうするつもりなんだ……」


「……掘って、確認する」


ネロの漆黒の瞳には、一切の迷いがなかった。


「あの女の言葉が本当かどうかじゃない。……ただ、俺の記憶の底で、扉を蹴破って俺を助けに来てくれて……俺の目の前で首を落とされた誰かの『最期の顔』が……あの女の顔と、どうしても一致しないんだ」


ネロの静かな声が、リビングの空気を重く沈み込ませる。


「あそこに埋まっているのがセリアじゃないなら。あの日、俺の手を引いて一緒に逃げようとしてくれたのは、一体誰だったのか。……俺はそれを、確かめたい」


それは狂気に任せた衝動などではない。


すでに自分の中でひとつの残酷な仮説に行き着き、その最後のピースを自らの手で拾い上げようとする、極めて冷酷で研ぎ澄まされた『確信』だった。


死者の眠りを暴くという、許されるべきではない行為。


通常であれば、都市の治安を守る対策局の人間として全力で止めるべき事案である。


だが。


一切のブレがない、冷たく研ぎ澄まされた義弟の瞳を見たフィオーネは、きつく噛み締めていた唇をゆっくりと開いた。


「…………いいだろう」


「……ありがとう、フィオーネ。……いや……義姉さん」


ふいにネロの口から零れた、『義姉』という言葉。


フィオーネは一瞬だけ目を伏せ、すぐに顔を上げてネロを真っ直ぐに見据えた。


「……そうだ。私は何があっても、お前の義姉だ。……それだけは、世界の何がどう変わろうとも、絶対に変わらん」


それが、彼女の覚悟だった。


ネロがどんな真実を知ろうと、どんな地獄が待っていようと、絶対に一人にはしない。


「……あぁ、そうだな」


ネロは、ふっと憑き物が落ちたように柔らかく笑いかけた。


小一時間後。


夜の帳が完全に下りた中級居住区の路地裏。


二人は私服姿のまま、物置から持ち出した二本のシャベルを軍用車の荷台へと静かに積み込んでいた。


魔導機関の低い駆動音が、夜の静寂を震わせる。


真実を確かめるため、一人の青年と彼を護る義姉は黒い装甲車に乗り込み、暗闇の広がる都市の片隅へと静かに走り出していった。


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