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【全話執筆済】『孤独になった俺を、彼女は最後まで家族と呼んだ』  作者: ブヒ太郎


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第二十九話:白き上司の影と、砂が語る残響

ネロは、執行官部隊専用の、表向きの局員は知らない医療室のベッドで意識を取り戻した。


無機質な白い天井。消毒液の冷たい匂い。


(ここは……ヴィクセドの医療室か)


身体を起こす。


極大負荷の余韻が神経をピリピリと焼くが、筋肉は問題なく動く。


ふと、右手の指先に、滑らかな絹のような感触が触れた。


視線を落とす。


ベッドの縁に突っ伏すようにして、艶やかな黒髪を散らしたフィオーネが眠っていた。


彼女の白い外套『白百合ジリオ・ビアンコ』の袖口や裾には、辺境の村で付着した死の灰や土埃がそのまま残っている。


ネロは微かに口角を上げ、その黒髪を壊れ物を扱うように優しく撫でた。


「いやぁ……義弟想いの素晴らしい義姉さんだねぇ。僕ぁ、感動しちゃったよ」


背筋を氷でなぞられたような感覚。


ネロが視線を上げると、病室の片隅に、汚れ一つない純白のスーツを着こなしたルカ・グラディ管理官が立っていた。


息の音も、衣擦れの音も、一切なかった。


「……ルカ調律官。いつからそこに」


「んー……ついさっきさ。またお手柄を立ててくれた優秀な部下を見舞うのは、上司として当然の務めだろう?」


ルカは慈愛に満ちた温和な笑みを崩さない。


だが、そのバイオレットの瞳の奥はどこまでも澄み切っていて、感情の底が全く読み取れなかった。


「……そうですか。捕縛したあの巨漢は、いまどこに?」


「地下の特別尋問室にいるよ。ただ、なかなか口を割らないってカルロ隊長が嘆いていたねぇ」


「……わかりました。モーディ」


『はいはーい、ここに居ますよぉ〜』


足元でスリープモードに入っていた多脚機が、モノアイを点滅させる。


「お前は先に尋問室に行って、状況を記録してきてくれ。俺もフィオーネを起こしたらすぐに行く」


『了解ですっ! マスターの命令とあらば、音速で向かっちゃいますよぉ!』


ガシャガシャと軽快な金属音を立てて、モーディが病室を後にする。


ルカはそれを見送り、同情するような声音を落とした。


「……仕事熱心なのはいいけど、あまり無理をするのは感心しないな。キミの身体は、対策局にとっても重要な資産なんだから」


「……大丈夫です」


「そうかい。じゃあ、僕は僕の仕事があるから、ここで失礼させてもらうよ。ゆっくり休むといい」


純白のスーツの裾が翻る。


ルカが病室から出ていき、重い気密扉がカチャリと閉まった。


その金属音に反応し、フィオーネがビクッと肩を揺らして目を覚ました。


「……ん……。ネロッ!? 意識が戻ったのか!!」


跳ね起きた彼女は、ネロの顔を見るなり血相を変えて身を乗り出した。


「俺は平気だ。怪我はないか? フィオーネ」


「私の事より自分の心配をしろっ! ……あの馬鹿げた出力を放って、無事で済むはずがないだろう!」


怒声に近い悲痛な叫び。


「……俺は大丈夫だよ。ちゃんと護れて良かった」


ネロはもう一度、今度は力強く彼女の頭を撫でた。


「……ネロ……」


彼女から伝わる、痛いほどの力。


首筋に押し当てられた額から、すがりつくような微かな震えが伝わってくる。


(良かった。今度こそ、護れたんだ)


静かな安堵がネロの胸を満たす。


だが。


(どうして、姉さんの『最期の顔』が、思い出せなくなったんだ……?)


フィオーネの黒髪を撫でるネロの手に、微かな冷や汗が滲む。


温もりを抱きしめながら、彼の内側には、記憶という基盤が崩れ落ちていく底知れぬ恐怖が、どす黒く渦を巻いていた。


* * *


重く冷たい空気が支配する、地下の特別尋問室。


ネロとフィオーネが鉄扉を開けると、そこには分厚い鋼鉄の椅子に魔導鎖で厳重に拘束された巨漢――トビアの姿があった。


だが、その頭は力なく胸元へ垂れ下がり、微かな呼吸すら感じられない。


傍らには、普段の陽気さを完全に消し去り、腕を組んで苛立たしげに壁に寄りかかるカルロの姿があった。


「……先生。奴は何か話しましたか?」


ネロの問いに、カルロは忌々しげに舌打ちをして首を振った。


「……いや。口が堅い上に……こいつ、奥歯に仕込んだ毒薬で自害しやがった」


「……!?」


「……カルロ……! お前がいながら何をやっている!」


フィオーネが鋭く責め立てる。


第一部隊の隊長であり、数々の死線を潜り抜けてきたカルロが、捕虜の自害を許すなど通常ではあり得ない失態だ。


「……仕方ねぇだろ。俺だって、あんな化け物みたいななりをした奴が、こんなにあっさり自害を選ぶとは思ってなかったからな。歯の裏まで確認する隙がなかった」


言い訳を口にするカルロの拳が、ギリッと音を立てて握り込まれる。


己の油断に対する激しい怒りが滲んでいた。


「……くそっ……。折角手に入れた、組織の手がかりが……」


ネロが歯噛みし、拳を壁に叩きつける。


「……ネロ」


フィオーネがネロの肩にそっと手を置く。


「……俺の隊も今、動かす準備をしてる。辺境の村周辺を徹底的に洗わせる」


カルロが低く宣言するが、尋問室に漂う徒労感と重苦しい空気は晴れない。


だが。


その絶望的な停滞を、無邪気な電子音が容赦なくぶち破った。


『……おやぁ? どうやら、そんなに落ち込む必要もないようですよぉ?』


部屋の隅で検分を終えたモーディが、モノアイをピコピコと得意げに明滅させる。


「……ん? どういうことだ……まさか」


カルロが眉をひそめる。


『ふっふーん! 僕を誰だと思ってるんですかぁ? 対策局の頭脳たる技術局が開発した、最新型の超・高・性・能AIですよぉ!』


ガシャガシャと脚を鳴らし、モーディは拘束されたトビアの足元を指し示した。


『この大男が身につけているセラミック装甲の隙間。そこに付着している砂と微小な鉱物成分を分析すれば、少なくとも奴らが【どの辺りの地層】を通ってきたかくらい、一発で割り出せますからねぇ!』


「でかした、モーディ!!」


ネロの顔に一気に生気が戻る。


『いやぁ、もっともっと褒めてくださ〜い! マスターの賞賛が僕の最大のエネルギー源ですからねっ!』


無機質な空間に、モーディの間の抜けた声が反響する。


「……ふっ。どうやら、完全に手がかりを失う最悪の事態だけは避けられたようだな」


フィオーネが小さく息を吐き、微かに口角を上げた。


カルロもまた、毒気を抜かれたように肩をすくめる。


死体の口は完全に閉ざされた。


だが、その足跡にこびりついた「砂の痕跡」が、沈黙するテロ組織への細く確かな糸を紡ぎ出そうとしていた。


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