婚約破棄されたので「やったあああ!」と絶叫して王城の窓から飛び降りたら、浮気相手の聖女様が「ちょ、待てよ!」と箒で追いかけてきた件。〜あとで聞いたら、殿下だけが空気だったそうです〜
「アリス・フォン・ローゼンバーグ! 貴様との婚約を、この場で破棄する!!」
学園の卒業パーティー会場。
王城の大広間に、この国のアホ……もとい、ギルバート王太子の高らかな宣言が響き渡った。
優雅に流れていた管弦楽団の演奏が、キキッという不快な音を立てて止まる。
談笑していた貴族たちが、グラスを持ったまま凍りつく。
きらびやかなシャンデリアの下、華やかなパーティーは一瞬にして、断罪の場へと変わった。
壇上には、金髪碧眼の無駄に顔が良い王子、ギルバート。
そしてその腕には、ピンクブロンドの髪を揺らす儚げな美少女――聖女ルミアがしがみついている。
対する私は、大広の中央で一人、立ち尽くしていた。
「……」
私は俯く。
ドレスの裾を握りしめた手が、わなわなと震えていた。
肩が、小刻みに揺れている。
周囲からは、好奇と憐憫、そして嘲笑の混じった囁き声が波紋のように広がっていく。
「おい、見ろよ。アリス様が震えておられるぞ……」
「無理もないわ。王太子殿下に尽くすために、あんなに勉強に励んでいらしたのに」
「まあ、勉強というよりは奇行に近かったがな」
「相手があの聖女ルミア様ではなぁ。愛らしさが違うよ、愛らしさが」
雑音が耳に痛い。
ギルバート殿下が、私の沈黙をどう解釈したのか、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「ふん、今さら泣いても無駄だぞ。貴様も自分の胸に手を当てて考えればわかるだろう? 貴様がこれまで、俺に対してどれほどの無礼を働いてきたか!」
殿下は芝居がかった手つきで、懐から巻物を取り出した。
ご丁寧に罪状リストまで用意してきたらしい。
「第一に! 貴様は俺とのデート中、常に上の空だった! 俺が『今日の髪型はどうだ?』と聞いても、貴様は『風速3メートルの影響を考慮した空気抵抗係数が気になります』などと意味不明なことを呟いていた!」
(あ、それはあの時、新型飛行魔法の計算してたからだわ。っていうか殿下の髪型なんて毎日同じワックスで固めてるだけじゃないですか)
「第二に! 俺が贈った花束を、貴様はその場で分解し、成分分析にかけて『新種の毒素が含まれていないか確認します』と言って試験管に詰めた!」
(だってあの花、王立植物園の立ち入り禁止エリアに生えてる『マヒマヒ草』によく似てたんですもの! 確認しないと死ぬでしょ!?)
「第三に! これこそが最大の侮辱だ! 夜会で俺がダンスに誘おうとした時、貴様はドレスの裾からドライバーを取り出し、会場の空調魔導具を修理し始めたではないか! 『異音が気になる』などと言って! おかげで俺は一人で踊る羽目になった!」
(あれは放置してたら爆発する寸前だったんですよ! むしろ感謝してほしいくらいですわ!)
殿下の告発は続く。
どれもこれも、私の研究熱心さが裏目に出たエピソードばかりだ。いや、一般的に見れば奇行かもしれないが、魔導師としては正当な行動である。
「ええい、何も言い返せないのか! 貴様のような、色気も愛嬌もなく、頭の中が魔導回路で埋め尽くされているような陰気な女には、もううんざりなのだ!」
殿下は私のことを指差し、隣のルミアを引き寄せた。
「その点、ルミアを見ろ! 彼女は常に俺を立て、俺の話を楽しそうに聞き、そして何より、俺の心を癒やしてくれる! 貴様とは雲泥の差だ!」
「殿下ぁ……私、そんな……。アリス様が可哀想ですぅ……」
ルミアが上目遣いで殿下を見つめる。
その瞳は潤んでいるように見えた。
守ってあげたくなるような、小動物のような仕草。完璧な聖女ムーブだ。
「優しいな、ルミアは。だが、情けは無用だ。これは国のためでもある」
殿下は一呼吸置き、残酷な判決を下そうと口を開いた。
「アリス・フォン・ローゼンバーグ。貴様は辺境の修道院へ――」
その時だった。
「…………った」
私の口から、小さな声が漏れた。
限界だった。
もう、これ以上は我慢できない。
「ん? 何だ、命乞いか? 聞こえんぞ」
殿下が眉をひそめて身を乗り出す。
私は、限界まで張り詰めていた表情筋のロックを、一気に解除した。
バッ!!!
私は勢いよく顔を上げた。
涙? 悲壮感? 絶望?
そんなものは一ミリグラムも存在しない。
そこにあるのは、太陽よりも眩しい、満面の、とびっきりの笑顔だ。
「やっっっっっっっっっったあああああああああああああ!!!!!!!」
私の絶叫が、王城の分厚い石壁を震わせた。
窓ガラスがビリビリと共鳴するほどの声量。
「は?」
殿下が鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。
周囲の貴族たちも、あまりの豹変ぶりに口をポカンと開けている。
構わず私は、ドレスの胸元の隠しポケットから、分厚い羊皮紙の束を取り出した。
「言質取りましたよ!? 今、はっきりと『婚約破棄する』って言いましたよね!? 公衆の面前で! ここにいる貴族全員が証人ですよね!?」
「え、あ、おい、アリス? 気が動転して……」
「正常です! かつてないほど脳細胞が活性化しています! はいこれ! 既に署名済みの『合意による婚約解消届』と『精神的苦痛に対する慰謝料請求書』です! あとこれ重要なんですけど、『王立研究所への私物搬出許可証』にもサインもらえますか!?」
私は羊皮紙の束を持って、壇上へと駆け上がった。
呆然とする殿下の手に羽ペンを握らせ、強引にサインを迫る。
「こ、これは何だ!? ええい、離せ!」
「離しませんよ! この日のために三年待ったんですから! 殿下からの婚約破棄宣言がないと、私の方から破棄したら違約金が発生しちゃうじゃないですか! 『有責配偶者』になってくれて本当にありがとうございます!」
私は狂喜乱舞していた。
殿下の足元に書類を広げ、捺印を迫る。
「な、何だその態度は! 貴様、俺に捨てられて悲しくないのか!? 王太子の婚約者の座だぞ!?」
「悲しい? バカ言わないでください!」
私は腹の底から笑った。
三年間溜め込んだ鬱憤を、すべて爆発させるように。
「私の夢は、一日二十四時間、誰にも邪魔されずに魔導研究をすることなんですよ! それなのに『未来の王妃だから』ってマナー講座だのダンスレッスンだの刺繍だの……! あのねえ、刺繍する暇があったら魔法陣の一つでも編みたいんですよ私は!!」
「き、貴様……そんなことのために……」
「そんなこと!? 魔導の深淵は王妃の座よりも重いんです! やっと……やっと解放される……! これで徹夜し放題! 爆発し放題! 劇薬混ぜ放題の自由な生活だわああああ!!」
アドレナリンが脳内を駆け巡る。
最高だ。今の私は無敵だ。
視界がクリアになり、世界が輝いて見える。
私はドレスの裾を両手で掴んだ。
この日のために特別に仕立てた、最高級のシルクのドレス。
お父様には悪いけれど、これも計画のうちだ。
ビリィッ!!!!
豪快な音と共に、ドレスのスカート部分を引きちぎる。
会場中から「キャーッ!」と悲鳴が上がった。
しかし、そこに現れたのは生足ではない。
機能性重視の、防火素材でできたカーゴパンツ。
太ももには工具がぎっしり詰まった革のベルト。
そして腰には、怪しげな光を放つ魔石ポーチ。
まるで戦場に赴く傭兵のような出で立ちだ。
「さらば、堅苦しい王城よ! さらば、私の研究予算を『ルミアとの茶会代に使え』と削ってきた無能王子よ!」
私はターゲットを定めた。
ホールの奥にある、巨大なステンドグラスの窓だ。
「お、おい! 待て! そこは三階だぞ!? 正気か!?」
殿下が慌てて叫ぶ。
そんな常識、私には通用しない。
私は足に身体強化の魔法をかけた。
「邪魔だあああああ!!!」
ダダダダッ!
床を蹴り、全力疾走。
そして、窓枠に向かってショルダータックルをかました。
ガシャアアアアアン!!!!
色とりどりのガラス片が宝石のように飛び散る。
私は夜の虚空へと躍り出た。
冷たい夜風が頬を打つ。
重力が私を地面へと引きずり下ろそうとする浮遊感。
普通なら即死だ。
だが、問題ない。
私は背中に隠していたリュックの紐を引いた。
「展開! 魔導推進式パラシュート『フライ・ハイ・マークIV』!!」
ボシュウッ!!
背中から巨大な幾何学模様の魔方陣が展開され、光の翼となって私を空中に固定した。
落下速度が殺され、ふわり、と体が浮き上がる。
さらに腰の魔石から魔力が供給され、推進力が生まれる。
「はーっはっはっは! 見ろ、人がゴミのようだ! 私は自由だー!!」
眼下に見える王城のテラスで、殿下が口をパクパクさせているのが見える。
ざまあみろ。
これで私は自由の身。
さて、まずは隣国の魔導学会に行って、溜まりに溜まった論文を発表して、特許料で豪遊して――
「――ちょっとおおおおおおおお!!!」
その時。
背後から、野太い……いや、必死さを極めた絶叫が聞こえた。
風の音にも負けない、凄まじい声量だ。
ちらりと振り返る。
割れた窓から、「何か」が砲弾のように飛び出してくるのが見えた。
それは、聖女ルミアだった。
「えっ」
我が目を疑った。
ルミアは、聖女の象徴である純白のローブを脱ぎ捨てていた。
その下に着込んでいたのは、なんと冒険者ギルド仕様の黒い革鎧。
しかも背中には、商人が使う巨大なリュックを背負っている。
そして何より驚くべきは、彼女が跨っているものだ。
掃除用具入れから強奪してきたであろう、ただの使い古された竹箒。
だが、その箒の尻からは、青白いマナの炎がジェットエンジンのように噴射されていた。
「待ちやがれアリスぅぅぅぅぅ!!」
「ル、ルミア様!? なんで!?」
私は慌てて空中ブレーキをかける。
ルミアは猛スピードで私に追いつくと、巧みな重心移動で箒をドリフトさせ、私の隣にピタリと並んだ。
風圧でピンクブロンドの髪が荒れ狂っている。
「ハァ……ハァ……! な、なんなのその加速は……! 追いつくのに魔力タンク一本使い切ったじゃない!」
「いや、そこじゃなくて! え、飛んでる? 箒で?」
「そんなことはどうでもいいのよ! 置いていくなんて酷いですわ! 私たちの仲でしょう!?」
さっきまでの猫なで声はどこへやら。
彼女は血走った目で、鬼の形相で私を睨みつけた。
「い、いや、だって貴女、殿下のことが好きで……私から奪ったんじゃ……」
「はぁ? 誰があんな顔だけが取り柄の能天気王子のこと? 好きで付き合ってるわけないでしょ! 全部、貴女の研究資金を横流しさせるためのハニートラップよ!」
「ええええええ!?」
今日一番の衝撃。
空中でバランスを崩しかけた私を、ルミアが箒の柄で支える。
ルミアが懐から分厚い手帳を取り出した。
そこにはびっしりと数字が書き込まれている。
「見てこれ! 貴女が先月開発した『全自動洗濯たたみ機』と『若返り美容ポーション(仮)』の市場規模試算! 王家に独占される前に特許申請して、別会社作って売り出せば、初年度だけで国家予算の三倍の利益が出るのよ! そのための事業計画書も、工場の選定も、流通ルートの確保も、全部私が裏で手配済みなんだから!」
「す、すごい……さすが元商家の娘……というか、そこまでやってたの!?」
「当たり前でしょ! なのに貴女、私を置いて一人で逃げようとするなんて! 私という『最高経営責任者(CEO)』がいなくて、どうやって研究費を稼ぐつもり!? 貴女、材料費の計算できないじゃない!」
ルミアの言葉に、私は目から鱗が落ちる思いだった。
図星だ。
私は作るのは大好きだが、お金の計算は大の苦手だ。材料費が足りなくなると、いつもいつの間にか補充されていたのは、ルミアの仕業だったのか。
「ごめんルミア! 私、てっきり貴女が殿下に本気で惚れて、私を追い出そうとしているのかと……!」
「寝取る価値もないわよあんな優良誤認物件! 観賞用植物の方がまだ二酸化炭素を酸素にするだけ役に立つわ!」
ルミアが辛辣すぎる言葉を吐き捨てた。
そして、ニカっと――まるで悪友に向けるような、清々しい笑顔で私に手を差し伸べる。
「さあ、行きましょうアリス。貴女の天才的な頭脳と、私の冷徹な経営手腕があれば、世界は私たちのものよ。まずは隣国でベンチャー企業『A&L』を立ち上げて、株式上場を目指すわ!」
「うん! わかった! ついていくよルミア社長!」
私は彼女の手を強く握り返した。
熱い友情が、高度数百メートルの空の上で結ばれる。
なんだこれ、最高に楽しい。
その時、遥か下から、蚊の鳴くような声が風に乗って聞こえてきた。
「おーい……ルミア……? アリス……? 俺は……? どういうことだ……?」
テラスの縁で、殿下がぽつんと空を見上げているのが豆粒のように見える。
完全に状況に置いていかれているようだ。
ルミアは冷たい目で下界を見下ろすと、背中のリュックから羊皮紙の束を取り出した。
そして、魔法で『重量増加』を付加する。
「殿下ー! それ、私からの手切れ金代わりの請求書ですわー!」
ヒュルルルル……
投下された書類が、殿下の顔面に向かって吸い込まれていく。
「え?」
「貴女が私に貢いだドレスや宝石、全部換金して事業の元手にさせてもらいました! あと、貴女が私とのデートに使った公費の横領の証拠、全部まとめて国王陛下と財務大臣に郵送しておきましたから! ……せいぜい頑張って働いて返してくださいね♡」
「え、えええええええええええ!?」
殿下の絶叫が、夜空にこだました。
その直後、大広間の扉がバーン!と開き、真っ赤な顔をして血管を浮き上がらせた国王陛下と、武装した近衛兵たちが飛び込んでくるのが見えた。
「ギルバートォォォォォ!! 貴様、国庫に穴を開けるとは何事だぁぁぁ!!」
「ち、父上!? ちが、これは誤解で……ルミアが!」
「黙れ! 捕らえろ! 地下牢へ連行だ! 一生労働して返済させろ!」
あーあ。
ドナドナされていく元婚約者を上空から眺めながら、私はルミアと顔を見合わせて笑った。
「スッキリしたね!」
「ええ、最高の気分だわ! さあアリス、最大出力で飛ばすわよ! 国境を越える前に祝杯をあげなきゃ!」
「了解! 推進剤、フルバースト!」
私たちは夜空を駆ける。
月が、私たちの新しい門出を祝福するように輝いていた。
後に、この二人が設立した『魔導商会A&L』が、画期的な魔導具を次々と世に送り出し、世界の経済と技術を牛耳ることになる。
そして、とある王国の元王子が、地下工場で歯車を回しながら「あの時、窓から飛び降りていれば……」と後悔する姿が目撃されるのだが――
それはまた、別のお話。
(了)




