白い結婚で、趣味に生きたら自由になった件
「だから言っているだろう、余計なことはするな。
屋敷の空気が悪くなる」
居間で、夫の声が荒れている。
「だって、私は“あなたの女”でしょう?」
愛人が、わざとらしく肩をすくめた。
「この屋敷で自由にして、何が悪いんですの?」
「自由と勝手は違う。
波風を立てるなと言っているんだ」
「まあ……!
私が悪者みたいじゃありませんか。
私はただ、あなたのためを思って……」
そしてこの屋敷の女主人はというと、
少し離れた廊下で、壁にもたれながら静かに頷いていた。
(……過度な要求は拒絶するのは、
揉め事そのものが嫌なだけ、と)
懐から小さな帳面を取り出し、急いでペンを走らせる。
(今日もいいネタありがとうございます!)
◆
これは、望んだ結婚ではなかった。
没落しかけた家のための、よくある金のための政略結婚。
相手は爵位欲しさで、金だけはある商家の男。
結婚初夜、彼は淡々と告げた。
「誤解してもらうと困るが――
君に、夫婦としての役割は求めていない。
体裁だけ整っていれば、それで十分だ」
「え……あ、はい……そうですか……」
ショックがなかったと言えば嘘になる。
だって、政略結婚で相手に見向きもされないのは、
それなりに心に来るものだ。
「面倒が起きないよう、
最低限だけ整えてくれればいい」
「……わかりました……」
こうして、私たちは白い結婚となった。
(一生を共にする相手に、
最初から興味すら持たれないって……どうなの)
そんな思いを胸の奥に押し込みながら、
女主人としての役目を淡々と果たしていた。
――しばらくしてから、彼に愛人ができた。
彼女は、派手で、華やかで、
私とは正反対の女だった。
(ああ……そりゃあ私は、彼の好みじゃないわね)
そう思いながら様子を見ていると、
彼女は日に日に態度を大きくしていった。
「それくらい、私が決めますわ」
「奥様は細かすぎるのよ?」
使用人にそう言って、私の指示を覆す。
来客時には当然のように前へ出て、
上座に座り、夫の横にぴたりと寄り添う。
「……そこは、本来こちらの席ですけれど」
私が静かに注意すると、
「旦那様は、
そんなこと仰っていませんでしたけど?」
(うわ……テンプレ嫌な愛人……はっ!)
その瞬間、前世の記憶が蘇った。
――趣味で小説を書いていた、あの頃の私。
(そうそう、当にこういうの。
夫と愛人と、空気みたいな妻の話……)
それからは、記録する日々が始まった。
(腹立つから、この鬱憤を
小説にぶつけたる……!)
お気に入りのカップを割られる等の、
嫌がらせの内容。
使用人のリアクション。
そして、夫の決まり文句。
「そのくらい、構わないだろう」
「面倒なことは起こすな」
(なるほど、夫は徹底したことなかれ主義、と……メモメモ)
小説ネタとして見れば、
痛くも痒くもない。
むしろ、嫌がらせを楽しみにし始めた。
(愛人は……生けるネタの玉手箱や〜)
“インタビュー”も欠かさない。
「どうして、こんなことを……?」
顔を伏せ、肩を震わせて泣く。
「私、奪うつもりなんてなかったんですよ?
でも……譲ってくださらないから」
(なるほど……ならば奪うと、盗賊発想ね)
正直きつかった。
演技って、難しいのね。
「奥様……最近、更に影が薄いですね」
(いいよいいよ! そのセリフ!)
そうして調子に乗った愛人は、
帳簿、采配、人脈――
屋敷の仕事を次々と奪っていった。
「彼女に任せておけ。
今さら変えるのも面倒だ」
夫は、いかにも厄介事を避けるように言った。
(ええ……そんな……丸投げしてもいいの?)
ありがたいことに、私は時間を手に入れた。
夜、小さな机に向かい、
流行りの恋愛小説を買い集め、
構成や台詞回しを研究する。
そうしてようやく、小説が出来上がった。
(ちょっと……傑作では?)
思いきって、お小遣いで写本を作り、
匿名で商人に託した。
前世で叶わなかった夢を、実現させたのだ。
(うう……私の本が、人の手に、渡っている……!)
流行った理由は、単純だった。
ちょうど世間では、
「理不尽な結婚」
「雑に扱われる妻」
――そうした題材が、
貴婦人たちの間で密かに流行していた。
(ふふ……しかも私はノンフィクション!)
「これ、誰かの実話じゃない?」
「うちの親戚にそっくりだわ」
そんな噂話と一緒に、
本は人から人へと渡っていった。
噂は広がり、
貴婦人の集いで回し読まれ、
朗読会で話題になり――
(こ、これは……来てる?
……波……来てるのでは!?)
◆
「最近、妙な本が流行っているそうだな」
ある日、夫が同僚からそう聞かされた。
「白い結婚の妻と、
でしゃばる愛人の話だそうだ」
「……へえ」
笑って返したものの、
胸の奥が、ざわりとしたらしい。
その夜、
夫は屋敷の金の流れを調べ始めた。
無駄に増えた支出。
愛人の衣装代。
見栄のための交際費。
私は、取材でとっくに気づいていたが、
あえて口を出さなかった。
だって「任せておけ」っ言われたんだもの。
――そして、最初に戻る。
「だから言っているだろう!
余計なことはするな――」
居間で、二人は言い争っているところ、
私は、そっと咳払いをした。
「お二人とも」
視線が集まる。
「私の身の回りのことは、
もう心配いりません」
「……は?」
写本の売上と朗読会の謝礼で、
しばらくは暮らしていける。
「ですから……出ていきます。
今までお世話になりました」
夫は一瞬、言葉を失った。
愛人は口角だけ上げ、
「あら、そうですか……
あとは、私に任せてくださいね」
と、嬉しそうに言った。
私は足取り軽く、
荷物を持って玄関を出た。
形だけの結婚だったのだから、
離縁もまた、驚くほど静かに終わった。
――後から聞いた噂では、
屋敷はすぐに立ち行かなくなったという。
「……申し訳ありません、旦那様。
次の支払いが、どうしても合わず……」
「君が“任せろ”と言ったんだろう。
どうして、こんな数字になる?」
「だから言ってるでしょう!
使用人が、ちゃんとやらないからよ!」
「いい加減にしろ!
責任逃れするな!」
「私だって頑張ってるわ!
全部、押し付けたくせに……!」
――その声が、屋敷に響かなくなったのは、
そう時間が経ってからではなかった。
「最近、あの屋敷……人が続かないそうよ」
「愛人に任してたんですって」
評判は落ち、
愛人への庇護も、自然と消えていった。
私はというと、
小さな家を借り、執筆している。
「前世で叶わなかった
小説家の夢を……
今世で叶えるなんてね」
人生、何が起こるかわからない。
少なくとも――
私は、もう空気ではなかった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
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