雪子
夜が白く染め上がっていく。
男は手に持っていた真新しい万年筆をぽとりと落とすと、炬燵から這い出るようにして立ち上がった。窓際で、カーテンを僅かに開いて外を覗き見る。
部屋の前の狭い駐車場が白くなっているのが僅かに見える。薄暗い通りと部屋の電灯だけでは、影のようなものが窓の上の方から下へ落ちていくのが見えるだけだった。
夕方から降り始めた雪は夜になってその勢いを増し、珍しく積もりそうな様子である。ベランダの縁に乗った雪は一センチほどだが、夜が明ける頃には倍では済まないだろう。
男は翌日の予定を頭の中で確認すると、安堵したように息を漏らした。雪は積もっても昼間の日に当たればすぐに溶けてしまうから、ほとんど問題はない。ただ、翌日の午前中は出歩くには不都合であるというだけであった。
男はカーテンを元のようにしっかりと閉め、炬燵を振り返った。そこには未だ何も書かれていない便箋が乗っている。この時のために今日買ってきた真新しい便箋である。ごく薄い紫色をしたシンプルな縦書き便箋。真っ白なものを探したのだが、ふと思いついて少しだけ色の付いたものを買った。
男は手紙を書く習慣がなく、この手紙も真面目な手紙としては初めてといっても過言ではない。それ故、便箋を選ぶところからまず問題だった。
次に、何で書くか。ボールペンやインクペンはもちろん持っていたが、男はあえてこのために万年筆を用意した。安物ではあるがそれなりの字が書けるものを見つけてきた。
ここまで来るのに二日かかっている。その手紙は早く書けば書くほどよいものだったが、男はなかなか書き出せずにいた。
白紙の便箋の隣に、几帳面な字で書かれた別の便箋が広がっていた。字体や書き方を見るに、妙齢の婦人の書いたものであることを感じさせた。
男はこの手紙に返事を書かなければならない。それは礼儀であるとか、作法であるとかではなく、ただ男のために書く必要があった。
しかし、男は書けずにいた。男はかしこまった手紙など書いたことがなかったのである。
男はひんやりと冷たい空気が満ちた部屋に立っていた。雪はまだ止みそうにない。時間はあるだろうと判断した男は、とりあえず暖かい飲み物を煎れることにした。
台所へ向かい、流しの脇に伏せてあるお気に入りのマグカップを手に取った。普通の店に売っている代物ではない。特別な柄がプリントされている通販限定のカップである。
男はそのカップを手に入れてからというもの、一度使ったらすぐに水に浸け、汚れや色が付かないようにしている。洗う時も他の食器などとは比べものにならないほど慎重に洗っている。何しろ傷を付けてしまったら、代わりはもう手に入れることはできないようなものなのだ。傷や汚れには細心の注意を払っている。
男はマグカップを手にするとまず汚れが残っていないかを確認した。プリント面にそっと指を這わせ、傷がないかも調べる。すると、側面に油のようなものが僅かに付いているのに気がついた。
目で見ては気付かないし、触ってみてもそんなような気がするという程度のものだった。おそらく洗い物をしている時に洗剤の泡が飛んだのだろう。気にすることもない程だったが、男はマグカップごと流水で洗い落とした。幸い、汚れはすぐに落ちてくれた。男は満足したようにコーヒーを煎れる準備を進める。
コーヒーを煎れるといっても大層な道具を使うわけでもなく、インスタントの粉に粉末クリーム、そして角砂糖を煎れてポットのお湯を注いでかき混ぜる。これだけの作業である。
コーヒーやクリームの瓶が置いてある棚には、封が切られ、洗濯ばさみで止めてあるだけの詰め替え用パックが積んである。瓶と詰め替え用パックの銘柄が違うようだが、男は気にすることなく詰め替えている。
安いものを選んでいるからである。インスタントで適当に煎れるようなコーヒーを飲むだけの男にとって、味とは値段であった。そもそもそれほどの舌も持ち合わせていない。
よって、粉の量も毎度微妙に違う。ただ確実なのは、角砂糖を四つ、そしてクリームもたっぷり入れるということだった。コーヒーといっても甘いコーヒーしか飲めない男なのだった。
また、缶コーヒーも飲めない。男にも理由は分からないが、飲むとしばらくしてほぼ間違いなく腹痛を起こすのである。味は嫌いではないのだが、そのせいで家の外ではコーヒーは飲まない。
その反動か、家では紅茶やココアよりもコーヒーばかり飲んでいる。コーヒー以外のものももちろんインスタントの粉である。
男はお気に入りのカップの底に積もった粉末に、ポットの湯を注いでいく。粉末の量が多すぎるので、七分目ほどで一度かき混ぜなければならない。最初からいっぱいまで注いでしまうとかき混ぜる時に難儀するか、最悪こぼすのである。
そうして慎重に入れたコーヒーを、ここでもこぼさないように慎重に足を進めながら元の炬燵へと戻る。カップを炬燵の上の定位置に置くとようやく一息付ける。
男は炬燵に滑り込んだ。炬燵の上には白紙の便箋がある。
炬燵の左側の床にはノート型のパソコンが閉じておいてある。僅かに音がするのを見ると、起動したままのようである。男は手を伸ばして丁度届く場所にあるパソコンを操作できるだけ自分の方へ引き寄せた。
マウスは無線式で、炬燵の上、便箋の向こうに置いてある。無線なら床に置いたパソコンを炬燵の上からでも楽に操作できるのである。
パソコンを開くと、男はマウスを手元に持ってきた。メールが届いていないか、ネット上に公開しているブログにコメントが付いていないかなどをチェックしていく。
メールもコメントもゼロである。確認するまでもない、オフラインでもオンラインでも、そう頻繁に連絡を寄こす友人を男は持ち合わせていなかった。
男がここ四日で会話したのはレジ係の店員を除けば、これもやはりゼロであった。男は手紙はおろか、人とのコミュニケーションがそもそも苦手であった。手紙同様、単純に経験不足なのである。
パソコンを開いたついでに、いつも巡回しているサイトを見て回る。特に目に付く更新はないようだった。前回巡回したのはせいぜい二〇分前なのだから当たり前である。
そこまで更新が頻繁なサイトは大手ニュースサイトぐらいのものである。それでも更新を期待して見てしまうのが男であった。一時間に三つの更新を見るよりも、二〇分に一つの更新を見たいのである。
時間の無駄であることは男も十分承知していた。ある意味、これも一つの病であった。
十分は軽く過ぎた頃、ようやく男は我に返ったようになってパソコンを元のように戻した。マウスも炬燵の奥の方へ置く。そして目に付くのは白紙の便箋。
男はその隣の便箋を手にとった。返信を書く前に、もう一度受け取った手紙を読もうというのである。丁寧で読みやすい字で書かれた手紙は一見好意的な内容に見えたが、実際はそれほど男にとって喜ばしい内容ではなかった。
男がこの手紙を受け取ることになったそもそもの発端は、二年前の夏まで遡る。まだ大学も小中高校生も夏休みに入るには少し早い、七月の中旬頃であった。男は手紙を落とし、コーヒーをすすりながらぼんやりとその時を思い返す。
男は一人町を散歩していた。大通りから一二本外れた裏道を、特に目的もなくぶらぶらと歩いていた。その懐に男にしては珍しいものが入っていた。
二万円である。一万円札が一枚と千円札が十枚ほど。親からの仕送りで全ての生活を送り、バイトすらしていない男にとって二万円とは、一月に使う金よりもあるいは多くなるかも知れない。それほどの大金である。
なぜその時大金を持ち歩いていたのか。普段は大きな金は必要な時に必要なだけ銀行から下ろしてくるのが常であった。大金を手元に置いておくのが怖い、小心者なのである。しかし、この日に限っては財布を膨らませるほどの札を懐に入れていた。懐とはいうが正確には肩から提げたバッグの中である。
つまりは、その臆病さ故の楽しみであった。普段持ち歩かない大金で財布を膨らませているという非日常感。突発的な問題が起きたらこの大金をどう使うかといった妄想。不幸な事故で財布を落としてしまったらどうしようといった不安。
そういったものを頭で有り得ないと理解しつつもどこかで有り得ることを感じている。その日常と非日常の境をふらふらする感覚を男は求めていた。
当然ながらそれは妄想であった。幻想であった。あるいは理想であった。夢とは叶わないから夢であることを男は知っていた。だからこそ、危険という名の妄想こそもっとも側を通り過ぎていく非日常なのであった。
一時間、二時間と時間は過ぎていった。もともとあまり外を出歩かない男であるから、七月の炎天下、休みなく歩き続けていればそのうち倒れるのは目に見えていた。疲労も確実に感じられてきていた。そこで、男は目に付いた自販機でペットボトルのスポーツドリンクを買った。
一本はその場で空けた。実に清々しい気分が喉を通りすぎ男を潤した。炎天下にありながら、林の中を流れるせせらぎを聞いているような感覚がした。これも妄想であった。
喉は潤ったが完全に乾きが無くなったわけではなかった。水分をとっただけで疲れが取れるはずもなかった。男はもう一本同じドリンクを買うと、開けずに歩き出した。どこか座って休めるところを探し、休みながらのんびりと飲もうと思った。
少し歩くと公園があった。丁度誰もいないように見えた。時間は午後の二時か三時の最も暑い時間帯、生意気な子どもたちも気取った若者たちもいない、実に都合のよい時間だった。
気分よく公園に入った男は、近くのベンチに腰を掛けた。一人であるというのに端に座るのは男の癖であった。大学の教室でも必ず端に座る。席を譲るのも立ち去るのも容易だからであった。
だが、今回はそれが幸いした。一息ついた男がふと地面を見ると、妙な形をした影があった。ベンチの背後には大きめの木が植えてあり、ベンチのある辺りをぎりぎり影に入れていた。ぎりぎりというのはつまり、頭の上が少し影から出るかどうかという状態であったのだが、どういうことだか綺麗に縁取られた木の影が、男の隣で少しだけ出っ張っていた。出っ張りはちょうど頭の形のように見えた。
男は恐る恐る出っ張り影ができる辺りに視線をやった。それは男の座るベンチの反対側の端であった。
女というには若い、娘がいた。少女といってもいい。平日の午後だというのに私服姿であった。ベンチに座って俯いたまま動く気配がない。まるで自分の影を凝視しているかのようだった。
それはないだろう、と男は思った。おそらく少女は男の存在にも気付いていない。男がそうであったように、少女は自分の外への注意がまるでないのである。ない、というよりできない状態にあるという方が正しいだろう。男は見ず知らずの少女に自分のふがいなさを重ねていた。
本来ならばそのまま立ち去るべきだった。男は少女とはいえ女性の近くに座る、ましては声を掛けるなどできるはずもなかった。二十年生きてきて彼女の一人もいたことがない男だった。
だが、そのまま立ち去るのもなんだか申し訳ない感覚を覚えていた。少女を無視することがどうしてか男には罪のように感じられた。あるいは男が少女の場所に座っていたら?
そう考えることが男にはできた。そして、持っていた開けていないスポーツドリンクの有効な利用法を閃いた。少女の脇にそっと置いて何も言わずに立ち去る――
なんと素敵な想像であろう。少女はおそらく、すぐではないにしろ自分の脇に置かれたペットボトルに気がつくだろう。それがただの忘れ物ではなく、何らかの意図を持って少女に捧げられたものであることは理解がいくだろう。利発そうな少女だった。
そして、それを捧げたものが誰であるか分からなくとも、その意志は感じることができる。少女を気遣う意志がどこかにあった、それに気付いて貰えれば男は十分であった。
男は妄想を実行に移した。立ち上がりできるだけ音を立てないようにしてベンチの反対側まで歩いていった。少し温くなったペットボトルを少女の太ももの脇の辺りに置くと、何気ない風を装って背を向けて歩き出した。妙な達成感が男を包み込んだ。
――もしあのペットボトルに毒が入っていたらどうだろう?――ふと、男をそんな想像が過ぎった。でなくとも、この炎天下に自分がずっと持っていたペットボトルのスポーツ飲料が、果たして気遣いの表れとして少女に映るだろうか。嫌がらせだろうかと考えるのが自然ではないだろうか。
男を不安が襲った。今すぐ先ほどのペットボトルを回収してこなければならないような気にさせられた。失敗に関しての男の行動は速かった。既に公園を出ようとしていたところだったが、ベンチに戻ろうと振り返った。
そこに、先ほどの少女が、ペットボトルを両手で胸の前に抱いて立っていた。どうみても男が先ほど置いたものだった。男は、極端な表現をすれば、死を覚悟した。
白紙の便箋を前にして、男は思わず吹き出した。今思えばあの長く美しい黒髪と透き通った瞳を持つ少女が、その程度で怒るはずがなかった。単純に男の女性、少女扱いの経験不足からの幻想だった。
男は大学に入るまで、入ってからも彼女というものがいたことがない。その事実は脇に置いておくとして、彼女はいなくとも仲のよい少女がいたことはあった。もう一押しで彼氏彼女の関係になったかも知れないと思うような少女が、過去に二人いた。
一人は中学時代の友人。この友人は男が物心ついた頃から一緒にいた少女で、家も近所で学校以外で一緒に遊んだこともあった。家族ぐるみの付き合いもあり、ただの幼馴染みとはいえ仲は決して悪くないといえた。
しかし、そこは期待を裏切らない男であった。男はある程度仲がよくなった子ができるとそれ以上の関係にならないよう、自分から突き放すのである。具体的には何の前触れもなく少女を無視しだした。実に愚かな行為であった。
男は人が怖いのである。女性に限らず、自分が相手に依存すること、相手が自分を頼ること、それに応えられないことに恐怖するのである。男自身ではどうしようもない感情であった。
もう一人は高校時代の友人。男は最初Tという有名進学校に進学した。しかしそこで何らかのつまらない失敗をし、実家から通うことのできるM高校に転校した。そこには幼馴染みが数人通っていた。その中に、先ほどの少女ではないが、仲のよい少女が一人いた。
この少女の意識的あるいは無意識の配慮によって、男は何とかM高校での二年と二ヶ月ほどを過ごし無事卒業することができた。言わば少女は男の恩人の一人であった。少なくとも男は恩を感じていた。
恩は返さなくてはならない、と律儀な男は思い、高校に通っている間、男のできることで少女の手助けをしたつもりであった。そのためにはある程度親しくならなければならない。その親しさにも男は恐怖した。
遂に何も起こらず高校時代は終わった。男の青春の終わりであった。
詰まるところ、男は人と親しくなることへの恐怖があるのである。それがこの時、少女と対峙して死を覚悟した理由である。
とはいえ、それが誤解であることはすぐに分かった。というのも、少女はまず男に頭を下げたのだ。困惑したのはもちろん男の方であった。少女は男へ感謝の言葉を述べた。男の妄想通り、ペットボトルそのものよりも男の気遣いへの感謝であった。澄んだ声をしていた。
そしてその後、男の妄想を越えた要望を少女は持ち出した。誘拐相談である。少なくとも男の立場を考えればそう取れた。少女を男の家へ連れて行き、しばらく泊めて欲しいというのである。
少女の話を要約すれば、少女は家庭に何らかの問題を抱えており家出をした。しかし行く当てがないのでここで呆然としていたが、思わぬ心遣いを受けた。この人なら無理も頼めるだろうと男を追いかけたということである。
断るべきだと男は思った。男は仕送りで日々を過ごしている身で、余計な出費は抑えなければならない。でなくとも、若い見ず知らずの少女を部屋に泊めるなど、下手をすれば犯罪である。あるいは少女の言葉は全て嘘なのかも知れない。
断るべきなのは明白だった。先ほどのように無視して立ち去るのが賢いやり方であった。
だが、仮に少女の言葉が全て真実だとして、もし男がここで少女の申し出を断れば、少女はどうするのだろうか。またあのベンチで人を待つのだろうか。馬鹿を言え、男のような変人がそうそう現れるはずがない。よくて野宿、下手をすればそれこそ犯罪に巻き込まれるだろう。この美しい少女がそんな目に遭うのは男としてもいい気分ではなかった。
流れるような黒髪、水晶のような透明感を持つ瞳、清々しいまでに通る声――この少女はそんな質の悪い嘘をつかない。そして、決して男を裏切らないだろうと思った。
そこまで分かった時、ふと懐事情にも思考がいった。財布の中には使う予定のない二万円が入っていた。仕送りを普通に使っていても一月に一万ほどは余裕ができる。今まで貯めた分もいくらか残っている。それを少女に使ってしまえば、一月ほどは何の問題もない――
そうして、男は頷いたのである。これが少女と男の出会いであり、今、男が白紙の便箋を前にしている原因となった出来事である。
男は炬燵を這い出ると、本棚へと向かった。本棚といっても幅もなく二段しかない小さなものだった。そこに並べられているのは大学で使う教科書、趣味で読む柳田の本、漫画、そしていくつかの小説であった。
その中の一つを男は手に取った。ぱらぱらとめくってその題を探し出す。樋口一葉の『雪の日』である。
少女は男の部屋にいる間よく本を読んでいた。男の部屋には娯楽といえばゲームか本しかない。少女も男もテレビ嫌いであり、少女はゲームをやらなかった。となれば、家事などを済ませて時間が空いた時には本を読むほかないのである。
『雪の日』もその時に読んでいた中の一つだった。少女は男以上によく本を読んだが、その中でも特に気に入ったようで男との少ない会話の話題にもなっていた。少女の熱意につられて男も読んだ。『雪の日』は少女と男の数少ない架け橋であった。
そうして平凡な非日常の日々は過ぎていった。その間、本当に何も起こらなかった。少女の保護者や関係者が家に押しかけてくることも、怖い電話が掛かってくることもなかった。少女自身もすぐに生活に馴染んで、一週間もすればまるで長く一緒に暮らしていた妹のように振る舞えるようになった。男は少女に自分を重ねていたが、その適応力は比べるべくもなかった。賢い少女だった。
幸せな日々だったといっていいだろう。しかし、その日々がそう続いていくはずもない。八月の中頃になると少女はふと気がつくと物思いに耽っているようになった。男は既に長い夏休みに入っていたので家にいたが、そんな少女を見ながらもそっとしておいた。
生活こそ偽りの家族のようであっても、あくまで男は家出少女に仮の宿を貸しているだけだった。そう遠くないうちに少女は自分の意志で男の元を去っていくことは分かっていた。
やがて少女の男に対する態度が少し変わった。それまで妹のように気兼ねなく話していたのが、どこか距離を置いたようになった。自然に目を逢わせることができなくなった。その仕草はまるで恐れのようであった。
男はその時ようやく、自分が少女に対して自然に接することができていたことに気がついた。少女の態度があまりに自然で優しかったために、男は人嫌い、対人恐怖の感覚を無意識のうちに抑えることができていたのである。少女と男の不思議な生活の成果であった。
それがその時、逆の立場になろうとしていた。少女は何かに恐怖していることを男は感じ取った。それが何にであるかは分からなかったが、男はかつての自分を思い返せば少女の気持ちを察することができた。
少女は僅かではあったが、男を避けるようになった。といっても食事は一緒に摂り、家事もそれまで通りこなしていた。正面に座って向かい合うことを嫌うとか、シャワーを浴びた直後の姿を隠したがるとか、そのようなものであった。
男は少女に特別何をしてやったわけではない。ただ少女が自然体で部屋にいることができるようにしただけだった。それが男の優しさであった。
そして遂に、八月の末、世間での夏休みが終わる頃、少女は男の前から姿を消した。
少女がいなくなったこと自体は何ら不思議なことでもなかった。いつか来る時が来たというだけだと男は理解できた。理解はできたが、心の何処かで納得できないことを感じていた。何も言わずに出て行ってしまった少女が恨めしく、また少女を失うことで返ってきた日常が、酷く貧しく悲しいものに思えた。
しかし、どうしたことだろうか、少女は一枚の書き置きを残していた。それは男に向けた一首の歌であった。
男は『雪の日』を本棚に戻し、あの頃から変わらず使っているバッグから財布を出した。財布には明らかに札ではない、折りたたまれたメモ用紙が入っている。それを開くと、中央に綺麗な字でこう書いてあった。
幸薄きたまとなりにしこの身にも月よ花よと降れる白雪
男は二年前、教育学部に所属しており、この春、教員免許を取得する。
男に届いた手紙には、少女の両親が家出していた間の娘の様子を男から聞きたいというようなことが書かれていた。文面は丁寧であったが、つまりは男が娘に手を出していないかを問い詰めたいのである。
下手なことは書けないが、そもそも何も起こっていないのだから何も書けない。しかし、時計を見ればそろそろ日付が変わろうかという頃である。いい加減書き始めなければならない。万年筆をとる。
ようやく男は返信を閃いた。得意の妄想を利用して、少女との日々を幻想的に書き記す。嘘を書いても分かるまい、手紙に寄れば少女はあの日々のことをほとんど両親に話していないようだった。
そうすれば当然、両親は少女に確認をとるだろう。その時にはこの返事の手紙を少女も読むはずだ。
ならば、この手紙で書かなければならないことはたった一言である。
日付が変わる。今夜の雪は今日中に止むだろうが、必ずもう一度雪が降るに違いない。
自然主義表現の試験作の一つであると同時に、「物語の登場人物も人間である以上、視点人物ですら嘘をつく」というADVに養われた私の信条を現した話。「二万円の少女」の裏側である。