予言師
・岩手県盛岡市の大通りの一角に、粗末な椅子に腰掛けた一人の老婆がいた。
・彼女の前には小さなテーブルがあり、テーブルの向かいには、これまた粗末な椅子があり、座る者が来るのを今か遅しと待っているようだった。
・一見すると、老婆は『占い師』のように見えたが、粗末なテーブルの上に置かれた小さな行灯に書かれた文字は、『占い』ではなく、『予言』であった。
・平日の、しかも真夜中の盛岡市の大通りを歩く人々の姿は少なく、老婆の姿に目を止める者も、また、なかった。そして、小さな行灯の中で燃える小さな蝋燭の火も、効果的な宣伝効果をもたらす程、目立ってはいなかった。
「なあ、あれ、占い師じゃねぇ? 」
・居酒屋のバイト終わりの男子大学生二人組が、老婆の存在に気が付いた。先週にはなかった光景に、違和感を覚えたのだ。
「この間は、あんな婆さん、いなかったよな」
「なあ、冷やかしに、寄ってみっか? 俺、占いとか興味あるんだよね」
・『不気味だ』といぶかしがる仲間をよそに、男子大学生の一人は老婆の正面に置かれた小さな椅子に腰掛けた。
「僕を占ってくださいよ」
・男子大学生は、鑑定料金三千円をテーブルの上に置いて、老婆に声を掛けた。
「わしは占いは、せん」
・老婆の嗄れた声が、そう言った。
「占いじゃなかったら、お婆さんは何をする人なのさ? 」
・男子大学生が聞くと、老婆は「わしか? わしは、『未来』を観る予言師だ」と答えた。
「なあ、帰ろうよ」
・二人のやりとりを傍で見ていたもう一人の大学生が、小さく声を掛けた。それほど、目の前の老婆からは、普通じゃない雰囲気が漂っていたのだった。
「へぇ、お婆さんは『未来』が観れるんだ。面白そうじゃないか。僕の『未来』を是非観てくれよ」
・椅子に座っていた男子大学生は、傍らに控えている大学生を笑顔で制すると、老婆に向き直り、そう言った。
「お前さん、本当に『未来』を知る覚悟はおありかな? 」
・それが、老婆の答えだった。
「覚悟? 覚悟はあるよ。昨今は何かと先行き不安な世の中だろう? だから、未来が分かれば、便利かなって。お婆さん、あんた、さっきっから色々言ってるけど、本当に未来が観えるの? 」
・少しイラついた男子大学生がそう言うと、老婆は気にする風もなく、「信じられぬと言うのなら、今を言い当ててやろう」と言って、椅子に座っていた男子大学生をじっと凝視した。
「今目の前におるのは、田中春樹。二十歳。日髙見大学教育学部二年生。英語に関する集まりに所属。高校の担任の教師の影響で、将来は教師として働きたいと思っている。それに相違ないかな? 」
・大学生二人は、驚きのあまり、『ウォー』と唸り声を出していた。老婆の鑑定は、当たっていたのだ。
「なんも、驚く事はない。『今』を分からぬ者に『未来』は観れぬ」
・老婆は涼しい顔で、当たり前のようにそう言った。
「本物じゃね? 」
・椅子に座っていた大学生がそう言うと、傍らに立っていたもう一人の大学生が頷いた。
「お婆さん、僕の未来を是非観て下さい」
・椅子に座っていた大学生ーー田中春樹は、改めて老婆に依頼した。
「よかろう。『未来』には『運命』と『宿命』の二つがある。『運命』は、自身の行動により、良くも悪くも変えられる。一方、『宿命』は、自身がどう足掻こうとも変えられぬ確定した未来じゃ。さて、ぬしは、どちらを知りたいのじゃ? 」
・夜風が、小さな行灯の蝋燭の火を揺らし、老婆の顔の陰影を変えた。大学生二人には、この老婆が、実は実在しない、幽鬼のような存在に見えていた。
「まあ、知りたいって言えば、俺の寿命っよな。なあ、お婆さん、俺は長生き出来るのかな? 」
・田中春樹は、わざと威勢のよい声でそう聞いた。
「人の人生は、例えて言うなら、ゴールを知らされていないマラソンのようなものだ。皆、オギャアと生まれて必死に自分の人生を走るが、誰も自身のゴールは知らぬ。ある日突然、レースの終わりを告げられるのじゃ。だが、それも幸せかもしれんぞ。『寿命』というのは、『宿命』。自身には変えられぬ。それでも知りたいか? 」
・そう言って、老婆はニタリと笑った。
「お、おぅ。自分の人生のゴールが予め分かっていれば、逆算して人生設計がし易くなるだろ。だから、言ってくれ。俺の寿命は、いくつなんだ? 」
・田中春樹の言葉に、老婆は「それで良いんだな? 」と念を押した。
「くどい! さあ、言えよ! 」
・老婆は大きく深呼吸をすると、一つ間を置いて「お前の寿命は『三十七歳』だ」と言った。
・老婆の言葉が夜風に飲まれると、辺りは無音の静寂と化した。誰も言葉を発しなかったし、辺りに物音もしなかった。
・全てが死に絶えた時間が、五分ほど続いた。
「さ、さん、三十七歳・・・って、俺はあと十七年しか生きれないって事か・・・
? 」
・田中春樹の口の中は、一気にカラカラに乾ききっていたので、彼の発する声もまた老人のそれに変化していた。
・否定するのは、簡単だった。『なんだぁ、婆ぁ、ふざけた事言ってんじゃねぇぞ! こいつは、詐欺師だ! 人を怖がらせて金を巻き上げるペテン師だ! 』と言って、席を立ち、歩き出す事も可能だった。
・だが、二人の大学生はそう出来なかった。
(俺の・・・素性を当てたよな・・・)
(こいつの・・・素性は、当たってた・・・)
・既に二人は、この老婆の実力を認めていたのだった。
「待てよ・・・三十七歳って事は、俺が大学を四年間で卒業して、ストレートで教員採用試験をパスして働き始めたとしても、十四年間しか働けねぇって事か? それに、結婚は・・・子供は・・・十四年じゃ何も出来ないじゃないか・・・なぁ、なぁ! 」
・田中春樹が老婆に掴み掛かろうとした寸前、辛うじてもう一人の大学生が田中春樹を羽交い締めにして、「止めよう! もう、帰ろう! なぁ、こんなくだらない予言なんか忘れて、朝まで飲もう。俺、付き合うから、な? 朝まで、俺が傍にいるからさ! 」と言って、半狂乱になりかけの友人を伴って、老婆の側を離れた。
・遠くなる、田中春樹のわめき声を聞きながら、老婆は涼しい顔で目を閉じた。彼女にとっては、この顛末もいつもの事のようだった。
・田中春樹が、再び老婆の元を訪れたのは、十日後の深夜の事だった。この十日間、田中春樹は大学にも行かず、バイトも休んで、アパートの自室に篭りきりだった。あまり食欲もなく、一日一食の宅配ピザで、十日間食いつないでいた。
・田中春樹は、十日前の田中春樹とは別人だった。頬は痩け、目は爛々と妖しく輝き、無精髭も伸びきっていたけれど、何故かスッキリとした表情だった。
「なんだ、予言師の婆さん、まだ此処にいたのかい」
・田中春樹は微かに微笑むと、老婆の向かいの小さな椅子にドカリと腰掛けた。
「この間は、取り乱してすみませんでした。
俺、あれから考えたんだ。自分の人生の事をさ。この十日間、今まで生きてきた中で一番人生について考えた。そして、決心したんだ。
俺、やっぱり教師になるよ。何年生きようと関係ねぇ。死ぬ瞬間に『俺の人生、最高だった』と言えれば、俺の勝ちだろう? なあ、婆さん」
・田中春樹はそう言うと、ニカリと笑った。
「覚悟は出来たようじゃな」
・心なしか、老婆も微笑んだように、見えた。
「ああ。婆さん、ありがとな。じゃ、俺、行くわ」
・田中春樹はそう言うと、老婆の元を去り、夜風吹く盛岡の街中へと消えていった。