第8話 葬儀の先に願ったこと
真っ黒な幕が会場全体に下りる中、しめやかに葬儀は行われていた。
――ああ、またこの夢か。
思いながら、カイリは繰り返される悪夢の一つと対面する。
カイリの幼馴染のケントが、目の前で死んだ。
事故だったので色々警察が行き来してごたごたしていたが、葬儀は普通に執り行われた。
声を殺して泣く親戚や、まだ信じられないと写真を見ながら疑う同級生、何故彼がと嘆く教師に、魂が抜けた様に座り込む人々。
その中で焼香を上げながら、カイリは重い足取りで輪を外れた。顔を突き合わせて泣く仲の良い同級生もいないし、どんな顔をして良いか分からなかったからだ。
自分を庇って、彼は死んだ。
どうして自分を、というやり切れなさと、何故自分では無かったのかという罪悪感。あの日から、ずっと自分を苛み続ける葛藤だった。
カイリにとって、ケントは鬱陶しい幼馴染だった。
勉強に集中しているのにしょっちゅう話しかけてくるし、くだらない話題で笑うし、食事も静かに取りたいのに誘ってくるし、辟易もしていた。
だが。
それでも彼と過ごす時間は、カイリにとっては悪くないものだった。
彼が聞いたら「本当?」と笑うだろうが、カイリは邪険にしながらも本気で追い払おうとする気はなかった。
それを彼も分かっていたのだろう。
気付いていなければ、彼は自分に話しかけるのをやめていたはずだ。彼は他の者達には、来る者拒まず去る者追わずだったから、それくらいカイリも気付いていた。
大切な幼馴染を、亡くしてしまった。
せめて安らかに眠れる様にと願うが、今、彼はあの世でどう思っているのだろうか。
後悔はしていないだろうか。恨んではいないだろうか。
カイリには、助けられるほどの価値があっただろうか。
ぐるぐる問答しながら、不意に目の奥が熱くなる。
慌てて頭を振って、湿った気持ちを振り払った。今は泣きたくない。泣くならば、一人になってからが良い。
かと言って会場に戻る気にもなれない。既に葬儀は終わった。お経は頭の中を清々しく通り過ぎていってしまったが、ずっと彼の眠りを祈っていた。それで許して欲しい。
両親も来たいと言っていたが、緊急の仕事が入ってしまい放り出すことは出来なかった様だ。後日家にお参りに行くと伝えて欲しいと、伝言を頼まれていたのを思い出す。
「……仕方がないな」
両親もケントには感謝をしていたらしい。何でも、無愛想なカイリを構ってくれたからだとか。
いつも寒々しい会話しか出来ず、カイリを放り出している彼らが言える義理かとも思ったが、彼らはケントを気に入っていた様だ。伝言をふいにするわけにもいかない。つくづくカイリも人が良い。
重く溜息を吐き、カイリが彼の両親を探そうとしたその時。
「――でも、良かったわよね」
「――」
廊下の曲がり角から、声が聞こえた。
確か彼の母親だ。カイリは思わず足を止めてしまう。
「姉さん、ここでそんなこと言ったら駄目よ」
「でも、本当だもの。あんな子、死んでくれてせいせいしたわ」
「――っ」
冷や水を心臓に浴びせられた様な衝撃を覚えた。
どくどくと、燃える様に鼓動が暴れるのに反して、心ごと体が指先まで冷え切っていく。
彼女は――彼女達は何を言い出したのだ。
漏れそうになる荒い息を押し殺し、カイリは黙って立ち尽くす。
「だってあの子、お医者様になるんだって言って聞かなかったのよ? 大学だって学費が高くなるし、そんなお金、どこにも無いのに」
「で、でも自分でお金を稼ぐって言っていたんでしょう? 迷惑はかけないって」
「冗談じゃないわっ。いざとなったら夫に泣き付くつもりだったのよ。夫はあの子に甘かったもの。連れ子のくせして、……生意気なっ!」
がん、と何かを殴り付ける音がする。
ひっと一緒に話している女性が悲鳴を上げたが、カイリにはそれどころではなかった。
連れ子。死んで良かった。学費。生意気。
それらの単語がばらばらに、けれど一つ一つが意味を成す様に頭の中で蠢いて、カイリの手先が震えた。思わず出そうになる声を堪え、口元を押さえる。
「私の子供たちのことまで懐柔してっ! 弟や妹に穢い手で触るのよっ。あの子たちも注意しても仲良くするし。それこそあいつの思う壺よ!」
「ね、姉さん」
「死んでせいせいしたわ。あの子に一銭でも使うのは惜しかったし。この葬儀だって夫を説得してずいぶん安くできたわ」
「……っ! ね、ねえさ……」
ふと、女性とカイリの目が合う。
血の気が引いた様に、姉と呼ぶ者の口を塞ごうとしたがもう遅い。勢い付いた彼女の罵倒が止まることは無かった。
「あー、明日の告別式なんてやりたくないのに。何でやらなきゃならないのかしら」
「ね、姉さん! ちょっと待って。あの子……」
「私、明日休もうかしら。あの子が死んで悲しすぎて立っていられないって理由をつけたら、夫だって――」
「――こんばんは、おばさん」
「――っ」
息を呑む音が鋭く上がった。愕然と振り返ってくる女性の顔がやけに醜く歪んでいて、吐き気がする。
元々カイリは愛想があるわけではない。無表情でいれば、感情も読み取られずにすむだろう。
「あ、あら。えっと。確か、あなたは」
「ケントの幼馴染です。両親から伝言があったので」
「そ、そうなの。……あの子のために、ありがとう。嬉しいわ」
取り繕う様に笑顔を振り撒くその顔が悪魔に見えた。
視界に入れるのもおぞましい。ひどく冷えた指先が、今にも相手の顔を引っ掻きそうに動くのを必死に堪える。
決して彼の名前を言わない。この母親と顔を合わせたのは数えるほどしかなかったが、他人に興味の無いカイリは気付けなかった。
彼は、この母と一緒にいる時はどんな顔をしていたのだろうか。
彼は、この母に名前を呼ばれたことはあったのだろうか。
彼は、この母と暮らしながら何を思っていたのだろうか。
何一つ気付けなかった。
いつもへらへらと何でも無さそうに笑っているから、家庭が複雑だということも知らなかった。カイリ以外に来る者拒まず去る者追わずだったのは、この理由も関係していたのだろうか。
分からない。今となっては、真相は全て闇の中だ。
そんな愚かな自分が。気付こうともしなかった自分が。ひどく腹立たしくて悲しくて、堪らなかった。
「ケントには俺もかなりお世話になったので。医者の父と裁判官の母が、是非とも後日お焼香に伺いたいと」
「っ! そ、そう。光栄ですわ……」
わざと両親の職業を強調したが、この女性は意地汚い。何故この期に及んで「光栄」なのか。反吐が出る。
本当は、彼の両親に頭を下げたかった。大事な息子の命を、自分のために台無しにしてしまった。申し訳ないという謝罪と、助けてくれた感謝を告げたかった。
けれど。
――誰が、こんな奴に頭なんか下げてやるものか。
父親は彼に甘かったらしいが、こんな女性を妻にしたことが間違いだ。若いと言われようと、カイリには許しがたい存在だ。
許せない。――そう、許せない。
「では、失礼します。――また、『明日の』告別式で」
「――っ」
女性があっという間に青褪めたが、知ったことではない。そのまま踵を返してカイリは大股で立ち去る。一秒でも彼女と同じ空気を吸いたくはなかった。
どうして、彼が亡くなってしまったのだろう。彼女を喜ばせることになってしまった。
彼は、生きるべきだった。生きて、夢を叶えて、彼女の鼻を明かしてやるべきだった。
なのに。
助かったのは、何もかも中途半端なカイリだ。
目指す大学も受かる確率が低い。夢だって無い。他人に興味もなく、ただ無為に生きる日々。
彼の方が、よっぽど日々を一生懸命生きていた。
カイリよりも遥かに幅広い知識を持ち、明るく笑い、夢に向かって走り続ける。そんな彼を、カイリは秘かに嫉妬しながらも尊敬していた。
それなのに。
「……ケント……っ」
ああ、叶うのならば。彼に、生きていて欲しかった。
自分の命など構わないから、彼にこそ生き抜いて欲しかった。
何故、彼がこんな目に遭わなければならなかったのか。何故、自分が生き残ってしまったのか。
だから、どうか。もし間に合うのならば。
――どうか、彼を。
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