第25話 剣を手に取り、奪う覚悟
「んー、いい湯だった!」
はあっと息を吐いて、カイリは緩む心ごと頬も緩ませた。
まずは、疲れを癒すこと。
フランツに指示され、カイリはひとまず風呂に入ることにした。
温かな湯に浸かり、一通りの汚れを落とした後、風呂上りの人が集まるための休憩室でカイリは満ち足りた息を吐き出す。偶然にも他に人がいなくて、貸し切り状態なのもまた気持ち良さに拍車をかけていた。
「宿に温泉があるなんて、前は当たり前だったけど……ここもそうなんだなあ」
誰も人がいないのを良いことに、カイリは存分に独り言を呟く。
村にいた時も思ったが、この世界に風呂という概念があるのは正直とてもありがたかった。一日の疲れを取るのに一番最適なのがお風呂だと、カイリは考えているからだ。
汗を流せるのも、野宿を経験してからは一層心地良く感じる。湯に浸かり、心から温まっていく感覚がカイリは好きだった。
「でも、男女別に分かれている温泉宿が珍しいなんて。どうりでシュリアが率先して聞いて回っていたわけだ」
この街にもいくつか宿は並んでいたのだが、宿泊すると決める前に、シュリアが温泉について真っ先に主人に尋ねていた。答えを聞いて彼女が駄目出しをし、その結果何件も渡り歩く羽目に陥ったのだ。
五件目でようやくシュリアが納得し、この宿に決まったのである。何故かとフランツに聞いたら、「温泉の完備の話だ」と苦笑交じりに教えてくれた。入って実に納得である。
「しかも、飲み物まであるし。まあ、あったかいミルクのみっていうのが不思議だけど」
それでも、ほかほかと湯気の立ったミルクは、ほのかに甘くて落ち着く。喉から体に流れ込むその温かさが、カイリの心をなだらかにしてくれた。
この宿は至れり尽くせりだ。風呂上りの飲み物まで注文出来るということで、カイリは事前に宿の者にお願いしておいたのだ。
風呂から上がると、ほどなくして宿の者がミルク入りのポットとカップを置いていってくれた。休憩室に人が入ったら、キッチンにいる者に分かる様になっているらしい。
カップが二つ用意されていたので聞いてみると、「お連れ様の分です」と教えてくれたので、お礼を言って受け取った。
しかし。
「……お連れ様って、……」
フランツは、もう少し部屋で休むと言って風呂にはまだ入っていない。シュリアはいつの間にか消えていたし、カイリとしてはもはや一つしか答えが浮かばなかった。
そして、気の進まない予感ほど、当たるものである。
「……げっ。あなたですの」
案の定、潰れた蛙の様な呻きが前方から上がった。予想はしていても、それでカイリの心が晴れるわけではない。
彼女は、黒い外套を脱ぎ去り、真っ白なシャツに足首まであるロングスカートに身を包んだ非常にラフな格好をしていた。
いつもアップでまとめている淡い紅藤の髪は背中に流れ、緩くウェーブを描いている。その艶やかに波打つ髪と、柔らかな体の線が浮き彫りになるその出で立ちに、カイリは何となく目線を外す。スタイルが良いなという感想が過ぎったが、失礼だと思ってすぐに打ち消した。
「げ、は無いだろ。げ、は」
「あなたこそ、げ、と思ったんではありませんの」
「……。まあ、少しは」
「……。はあ、本当に年上への敬意がありませんわ」
「君は、年下への気遣いが無いけどな」
「……」
「……」
重苦しい沈黙が訪れる。
カイリとしては、最初『あんた』と彼女を呼んでいたが、流石にそれは失礼かと思って、『君』に変更して譲歩をしたつもりだ。
だが、年上なのだから『貴方』と称するべきだっただろうか。後悔はしたが、何となくカイリは抵抗があって素直になれない。
「……二人称が変わりましたわね」
彼女の方も気付いた様だ。
些細な変化だが、彼女はカイリを嫌っている。小さなことでも気に障るのかもしれない。
「貴方、の方が良いか?」
「……今更ですわ。敬語を使われたら気色悪いですし、君で結構」
どうしようか迷った様だが、結局向かいの椅子に彼女は腰を下ろした。
彼女のカップにミルクを注ごうとカイリが手を伸ばすと、シュリアがひったくる様にポットを持っていった。
こうも嫌悪を向けられると、流石にカイリもへこむ。もし、カイリが同じ第十三位に入ると決めたら、毎日こんな日が続くと思うと憂鬱だった。
――本当に、どうしようかな。
将来の進路を描き、視線が下がる。
カイリは、戦いが嫌いだ。村の一件で、その思いは一層深くなった。
それに、血を見るのもかなり辛い。特に、自分が傷付けた相手の血を見ると、卒倒してしまう自信もある。昔からそうだった。
情けないことだが、前世で幼馴染が無残な姿になったのがよほどトラウマとなってしまった様だ。ラインに指摘されるまで気付けなかったが、カイリは未だにあの事件を引きずっている。
だからこそ、自衛の剣の道を示され、それに乗った。同時に、剣を盾として窮めれば、他の者を逃がすための手段にもなると言われ、カイリはその道を目指すことにした。
結局、村の者を守ることは出来なかったけれど。
「……っ」
一度緩く頭を振り、落ちそうになる闇を散らす。
決して忘れはしないが、囚われすぎるといつまで経っても前に進めない。
「……とはいえ、すぐに切り替えは無理だけど」
「何ですの?」
「っ、ああ、いや。こっちの話」
無意識に声に出してしまった様だ。訝しげに視線を上げるシュリアに、慌てて誤魔化す。
第十三位は、任務に間違いなく戦闘がある。シュリアが全力でカイリを拒否したのだ。足手まといになるのは目に見えている。
〝……本当は俺、が教え、たかったけ、ど〟
――でも。
「……あなた」
呼びかけられて、カイリは顔を上げる。彼女から話しかけてくるとは思っていなかったので、少々動作が大きくなってしまったのは仕方がないことだろう。
彼女は、まるで仇を睨むかの様な視線をカイリに向けていた。ここまで堂々と『嫌い』と公言されると、へこみはするが清々しくもある。
「聖歌騎士になったら、第十三位に来るつもりですか」
「……っ」
今まさに考えていたことを突き付けられた。彼女としても早く白黒をつけたいのかもしれない。
「……、足手まといって言いたいんだろ? でも」
「決めるのはあなたの自由ですわ。けれど、あなたは剣を振るえても、攻撃は出来ないと仰いました」
じっと見つめてくるアメジストの瞳は、こちらを逃がすまいと楔を打つかの様に鋭い。心臓を縫い止められた様な鋭利さに、カイリは顎を引いて耐えた。
ここで引いたら、彼女に軽蔑される。そんな予感がしたからだ。
「……。ああ。出来ない」
「攻撃が出来ないというのは、相手に剣を振り下ろせない。そういう意味でよろしいですか」
「……。そうだよ」
「ふん。なるほど」
吐き捨てる様に言い捨て、シュリアは不快さを隠しもせずに眉間に皺を寄せた。
「つまり、まったく覚悟が無いまま剣を握っているということですわね。話になりませんわ」
呆れたと言わんばかりの物言いに、カイリもかちんと頭に火花が散る。あまりに突き放す決め付けに、思わず軽くテーブルを叩いた。
「何だよ、それ。覚悟が無いって、勝手に決め付けないでくれっ」
「決め付けではないですわ、事実です。あなたは、剣を持つという意味をまるで理解していません」
揺れることもせず、真っ直ぐにシュリアは言葉で切っ先を突き付けてくる。
まるで、剣先を喉元に添えられている様な激しさだ。一瞬首の皮が裂かれた様な痛みが走って、カイリは言葉を飲み込んでしまった。
「剣は、どんなに理由をつけても、例え木刀で取り繕っても、相手の命を奪う武器です」
はっきりと、真正面から断言される。
まるで、逃げは許さない。そんな風に鞭打つ様に、彼女は静かに、けれど苛烈な鋭さでもってカイリを視線と言葉で射抜く。
「奪うまではいかなくても、相手を傷付ける刃であることに変わりはありません。例え殺さずを貫くとしても、相手を傷付ける覚悟を持って振るうべきです」
「……っ」
「なのに、あなたは剣を持ちながら、攻撃が出来ない。冗談じゃありませんわ。回避の剣だか防御の剣だかなんだか知りませんが、万が一攻撃を仕掛けてしまい、そのせいで躊躇って隙を見せられたら、こちらとしては守れるものも守れなくなります」
「そ、れは」
「それに、その木刀。一般的なものよりもかなり上質な上に丈夫ですわ。使い方を考えれば、相手の命を奪うことも充分に可能です」
ずかずかと、土足で心を踏み荒らされていく。容赦なく踏み潰され、出かけた芽が死んでいく。
「あなた、見ていて本当にイライラしますわ。あなたみたいな人が剣を持つなんて、わたくし達を侮辱していますの」
「……、お、れは」
「黙りなさい、腰抜けが」
ぴしゃりと撥ね付け、シュリアはカイリの反論を封じる。
切れ味が鋭すぎる言葉を脳裏に流し込み、ろくに思考が動かないまま、カイリは呆然と彼女を見上げた。
そんなカイリを見下す様に、彼女は睨みを強め。
「人の命を奪う剣を握っておきながら、人の命を奪う覚悟も出来ない。そんな偽善者に、剣を握って欲しくはありません」
「――――っ」
真っ向から、否定された。
カイリの剣の意味を、ラインが導いてくれた道を、くだらないと、偽善者だとばっさり切り捨てられる。
ぶるぶると屈辱で拳が震えたが、それでもカイリは言い返せなかった。血が上って爆発しそうな怒りの裏に、やけに冷静な自分が頷いていたからだ。
そうだ。
――彼女の言うことは、正しい。
それが分かってしまったからこそ、カイリは行き場の無い激情を、拳を握って堪えるしかなかった。
「はっきり言います。あなたは足手まといです。お荷物です。第十三位に来られると、迷惑以外の何物でもありません」
「……」
「大人しく、聖歌隊に入ることですわね。あそこなら、絶対ではありませんが、戦闘とは一番縁遠い隊ですわ。攻撃もしなくて良いし、剣を持つ意味もほとんどありませんから」
とん、と飲み干したカップを置いてシュリアが立ち上がる。もう話は終わったと雄弁に物語る背中に、カイリはしかし顔を上げられなかった。
剣は、どんなに理由を乗せても人殺しの道具だ。現に、ラインだってカイリを守るために人を殺した。
守るために、人の命を奪った。
カイリだって、剣を持つ限りはそんな未来が決して来ないとは断言できない。
木刀だからと言って、シュリアが言った様に絶対は無い。まかり間違って剣先がぶれれば、相手の皮膚を破り、喉を突き刺し、最悪命を奪ってしまうだろう。
それに、カイリが囮として剣を振るったとしても。カイリが、いくら相手の命を奪わなかったとしても。
引きつけた隙に別の者が、カイリと剣を交えた相手を殺すのだ。
少し考えれば分かることだった。
いくら防御特化の剣を身に着けたとしても、回避の剣を振るって助けた者を逃がしたとしても、いずれ決着はつくのだ。
そしてそれは、カイリが死んだり捕えられたりするのでなければ、必ず味方が相手を屠る。殺さなかったとしても、叩きのめすのだ。
カイリは、間接的に人を殺すし、傷付ける。
一番質が悪い。
他の者に汚れ役を押し付け、自分は綺麗なままなど。
そんな世界は、ありえない。
「……、そう、だな」
打ちのめされ、ぽつりと零したのは独白のつもりだった。
だが、シュリアは踵を返した足を止める。カイリは俯いたままだったが、彼女が振り返ってきたのが何故か分かった。
けれど。
そんなことは、どうでも良い。
彼女の言葉が、真実だということ。それが、今のカイリには全てだった。
「俺、……全然、覚悟なんて出来てなかったんだな」
「……」
「もう、村のみんなみたいな犠牲者は出したくない。……守りたいって、思っているのに」
それなのに、恐い。
血が。傷が。死が。悲鳴が。
恐くて恐くて、堪らない。
それを自分が作り出すと思うと、更に吐き気と恐怖に襲われた。
自分も、あの村を襲った偽者達と同じになるのではないか。結局同じなのではないか。
そうだ。彼女の言う通りだ。
偉そうな口を叩いたところで、自分は人殺しになる。どんなに攻撃をしなくたって、結局は相手を殺すか、傷付けるのだ。
そんな覚悟は、今の今まで全く持てていなかった。
覚悟なんて、最初から無かったのだ。
「……君に、あんな偉そうなこと言っておきながら、……ははっ」
くしゃりと前髪を握って、カイリは己を嘲る。
旅に出た初日。彼女にラインを侮辱されて怒ったけれど、自分こそ彼を侮辱していたのかもしれない。
彼は、分かっていただろう。カイリが中途半端な位置にいることを。
彼は、己の信念で――守りたいと強く願って人を殺し、カイリを守ってくれた。
だが、カイリは――彼の弟子である自分は。
〝彼らが守ってくれた様に今度こそ、……今度は、俺が! この身で、守ってみせる!〟
願うだけで、そう在りたいと思うだけで、全く実行に移せてなどいなかった。
「……一番ラインのこと、侮辱してたのは、……俺なんだな……っ」
「――――――――」
せっかく道を示してくれたのに、半端な覚悟すら持てなかったカイリでは、彼に顔向けなど出来はしない。
腰に下げた木刀が、カイリを責める様に揺れる。カイリのためにと用意してくれたのに、全く活用出来そうにない自分が恨めしい。
ラインを師匠と仰ぎながら、彼の信念を受け継げない。そんな自分の弱さが、堪らなく苦しかった。
「……、ごめんっ」
誰に謝っているのだろうか。
分からないまま口にして、カイリは滲む視界を乱暴に拭って止める。ここで泣くのは卑怯だ。
「……、ちょっと、あなた」
「俺、部屋に戻る。色々あって疲れたし、寝るから」
少し慌てた様な彼女の空気に、だがカイリは取り合わない。これ以上口を開けば、酷いことも、情けないことも、強くぶつけてしまいそうだ。
だから、振り切って階段に向かおうとしたのに。
「――っ。……待ちなさい」
「……っ、え」
ぐいっと、強く肩を引っ張られた。そのまま振り払う様にカイリを背に追いやり、彼女は腰の双剣を勢い良く引き抜く。
「――甘いですわっ!」
窓ガラスが割れるのと、シュリアが剣を振り抜いたのは同時だった。
がきいっと、甲高い金属音が休憩所に鳴り響く。かと思えば、彼女は視界から一気に消え去った。
え、とカイリが思う間もなく。
「……ぐ、が……っ」
「ひっ……!」
目の前で、人がいきなり床に倒れ込んだ。どっと重い音が転がると共に、辺りに真っ赤な飛沫も激しく散る。
「な、何だよ、これ……っ」
突然起きた惨劇に、カイリが喘ぐ様に壁に縋って寄りかかると。
「フランツ様のところに行きますわよ」
「……、待って、くれ。これは」
「あなたを狙っているのでしょう。恐らく、狂信者です」
「――――――――」
淡々と叩き付けられた現実に、カイリの思考が止まった。
行きますわよ、とやや乱雑にシュリアはカイリの腕を掴んだ。その際、一瞬だけ周りに気を配り、耳を澄ませてから急いで階段を駆け上がる。
〝あなたを狙っているのでしょう。恐らく、狂信者です〟
〝あの二人はお前を狙うだろう。恐らく狂信者だ。お前が捕まったらどうなるか、目に見えている〟
〝馬鹿! 何で出てきたのよ! カーティスさんに逃げろって言われなかったのっ!〟
〝――カイリ、に、……手、出してんじゃねえよっ!〟
自分を狙って。
自分を守るために。
〝あなたは、剣を持つという意味をまるで理解していません〟
――それなのに、自分は。
自分を巡って起きた惨劇が、またすぐに目前に迫っていることに。
カイリは手を引かれながら、己の無力さを握り潰す様に歯を食い縛った。
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