第20話 おめでとう。笑って、幸せに
カイリの目の前で、両親が、友人達が、優しい顔で佇んでいる。
夢でも見ているのだろうか。
そう思いながら、カイリは信じられない心地で彼らを見つめた。
よく見れば、みんな体が淡く発光している。はらはらと何かが解ける様に光が舞っていて、不思議な姿だった。
だが、確かにカイリの前にいるのは両親達だ。
昨日までと同じく、笑って、カイリに向かって話しかけている。
「……カイリ」
「……っ、かあ、さん……っ! 父さん……っ!」
駆け出したのは無意識だった。体当たりする様に二人に抱き付く。
泣きそうに顔を歪めながら、母が、父がカイリを抱き締めてくる。自分も必死に抱き締め返し、取り戻す様に強く寄せた。
感触がある。熱もほのかにだが感じる。
だが。
「……っ、音」
心臓の音が、しない。
それに気付き、ざっと顔から血の気が引いて行った。
だが、母も、そして父もカイリの様子には触れない。嬉しそうに、淋しそうにカイリを柔らかく抱き締めた。
「ああ、最後にこうして会えるなんて……カイリの歌は、本当に素敵ね」
「本当にな。父さんは、誇らしいぞ」
「……っ、なん、で。どうして……っ」
「おかげで、当日に告げることが出来るぞ、カイリ。ありがとう」
「え?」
一瞬父に言われた意味が分からなくて、カイリが首を傾げる。
そんなカイリに、両親もライン達も悪戯っぽく笑って。
「カイリ! お誕生日、おめでとう!」
叫ぶと同時に、ライン達も抱き付いてきた。どおんっと体当たりする様な突進に、カイリは堪らず地面に転がった。いつもの様に、押し倒される。
ますます混乱しながらも、カイリはぼんやりと思う。
頭上では、夜の闇がうっすらと薄くなっていっている。もう日付が変わったのだろう。何となく推測した。
「たん、じょうび」
「そうよ! ほら、カイリ、これ持っていって!」
ぼふんっと顔に叩き付ける様にミーナから何かを渡される。
少しじんじんとする鼻頭を押さえ、カイリは押し付けられたものを見下ろした。
それは、真っ黒でシックなデザインの、ポシェットの形をした鞄だった。ぱかりと開ける蓋の隅の方には、小さく『K』と刺繍がしてある。
「ふっふーん! 愛の証、ミーナお手製! 蓋の裏にはきちんと、『M』って縫ってあるわよ!」
つまり、名前の頭文字ということか。
表にはカイリの、裏にはミーナの。何だか彼女らしくて、笑ってしまった。
「そっか。刺繍、相変わらず上手いな。さすがミーナ」
「でっしょー! これ、旅に必要でしょ! リックと一緒に作ったんだから!」
「うん! ぼく、がんばったよー!」
「……、ありがとう」
「だから、それを持って行って。妻となるはずだった私からの、最後のプレゼントよ!」
「……、っ」
言葉が詰まって、上手く声にならない。
だから代わりに二人の頭を撫でると、幸せそうに顔が緩んだ。そんな表情を見るのが久しい気がして、カイリの顔も自然と緩む。
だが。
「……、ミー……」
「俺からはこれな!」
カイリの言葉を遮り、元気良くラインが振り上げてきたのは真新しい木刀とそれを納める鞘だった。
え、と咄嗟に受け取って、まじまじと見つめてしまう。
確かに木刀ではあるのだが、今まで使っていたものと材質が違う気がする。頑丈で、ちょっとやそっとでは壊れそうにない。
「それは、俺特製の木刀だぞ!」
「ちっがうだろうが! 俺も手伝ったわ!」
「あいたっ!」
後ろから、ごいんとヴォルクがラインの頭に拳骨を落とす。いってー、と悲鳴を上げる彼をよそに、ふんっとヴォルクが得意気に胸を反らした。
「ラインに頼まれたからな。仕方なく」
「「仕方なく?」」
「い、いや! 喜んで! カイリ専用の木刀を作らせてもらったんだ」
妻と娘のミーナに挟まれ、ヴォルクはびしっと直立しながら敬礼した。相変わらずのやり取りに、カイリは笑おうとして――顔と喉が引きつる。
頬に手を触れて愕然としていると、立ち直ったラインが真っ直ぐに見下ろしてきた。
腕の中で息を引き取る前と同じく、彼の顔はひどく大人びている。
「カイリは、多分この先も真剣とか持て無さそうだしな。だからせめて、お師匠様としては真剣に耐え得る木刀を用意したってわけだ」
「……ライン」
「……それでさ、剣道とかも教えてもらえよ。剣術を二種類身に付けたら、相手を翻弄するのにも役に立つしな」
腰に手を当てて、ラインが目を伏せる。
その言葉に、カイリは改めて現実を突き付けられた。
彼の、彼らの言葉には、もう未来がないことを。
「……っ、ライン……」
「わしらからは、これじゃ」
村長が畳み掛ける様にどしゃっと袋を落としてくる。思わず受け取ってから、カイリは「重っ!」と泣き言を口にしてしまった。その姿に、どっと周りが笑い出すので恥ずかしくて堪らない。
だが、本当に重い。中はじゃらじゃらと硬質な音がして、一つの結論に思い至った。
「……まさか」
「わしらが少しずつ集めていた金じゃ。いつか、……お前がこの村を出て行く時のためにとな」
「――」
その言葉に、ずしりと一層手の中の重みが増した。ふるっと頭を振ってしまったのは無意識だ。
「でも」
「どちらにせよ、もうわしらには必要ないものじゃ。良いか、無駄遣いはするでないぞ」
こつん、と茶目っ気たっぷりに村長に額を小突かれる。
その音がやけに優しく響いて、カイリは唇を噛み締めた。
どうして、そんなことを言うのだろうか。
何故、そんな風に諦めるのだろうか。
だって、今、目の前にこうして――彼らは。
「カイリ、少しラリエットを見せてね」
母が、続いて父が、胸にぶら下がる石に手を添える。
何かを紡ごうとするのに、彼らはカイリに何も言わせようとはしない。それが故意だと分かって、焦燥が焼ける様に胸を焦がす。
「母さん、父さん。俺」
「さあ、パイライト」
「……どうか、頼むぞ」
【――カイリのこと、これからもずっと守ってね】
【――カイリの行く先に、幸あらんことを】
母と父から紡がれた言葉に、カイリの頭が真っ白に弾ける。
ああ、どうしてここで怒涛の様に真実が明かされていくのだろう。
ラインもミーナも、すっかり話し方が子供ではなくなっている。ラインは自分には前世の記憶があると言っていた。恐らく、ミーナも同じなのだろう。
父も母も日本語を操っている。もしかしたら、前世の記憶が同じ様にあるのかもしれない。
ならば、どうして隠していたのだろう。
いや、そもそも。そんなことよりも。
「……嫌だ……っ」
震える様に声を絞り出す。
彼らの動きがぴたりと止まる。空気が揺れるのが手に取る様に分かった。
知っている。我がままだ。どうしようもない。どうにもならない。
だけど。
「嫌だ」
それでも。
「嫌だっ! ……何でっ! 何で、そんな、最後みたいな言い方するんだっ!!」
叫ばずにはいられない。
どうして、彼らが死ななければならなかった。
何故、助かる道が無かった。
自分が、もっと上手くあの偽物を追い払えていたら、こんなことにはならなかったのだろうか。
次から次へと溢れ《あふ》てくる罪悪感に、カイリは頭から押し潰されていく。
「ミーナ! 君は、俺の妻になるんだろ!」
「カイリ……」
「だったら、もっと生きてくれよ! 今のままじゃ年齢的にも結婚なんてできないだろ! だったら、……だったらっ! もっと生きて、ちゃんと、結婚できる年齢になって……!」
ヴォルクに睨まれながら追いかけられて。
それでももし、その時にカイリが結婚したいと思えるほど彼女への想いが育っていたならば。
ヴォルクに何度も挑んで、頼み込んで、プロポーズをするだろう。
そんな未来だって、本当はあったかもしれない。無かったかもしれない。
だが、そんなことはその時にならなければ分からないことだ。
なのに、彼女は。――もう、いない。
「ラインも! 何だよ! 俺に教えたいことたくさんあるって言ったくせに! なのに、剣道を他の奴に教えてもらえって! お前が教えてくれよ! お師匠様だろ!」
「……、カイリ」
「記憶あるって言っただろ。俺もあるんだよ! もっと話したいことたくさんあったよ! リックだって! どんな大人になるのか楽しみだったのに、何で死んじゃうんだよ! 何で! 何で、みんな……っ」
母も、父も。誰も彼も。
「……、父さん、母さん、……っ」
目の前に寄ってきた父に、カイリはどんっと胸を叩く。どんっどんっとだんだん激しくなっていって、止まらない。痛いだろうに、止められなかった。
だが、父は全て受け入れてくれた。黙って静かに、カイリが叩いてくるのを受け止めてくれる。それが堪らなく悔しくて、ぼろぼろ目の奥から感情が溢れて止まらなかった。
「何で、何で! 父さん、嫌だ。何で、俺だけ生き残ったの……っ」
「……カイリ」
「嫌だよ、……嫌だっ。そんなの、いや、だ。お願い、父さん、おねが、い、……っ、ねえ、……っ」
――行かないで。
最後は言葉にならない。ただ嗚咽に紛れて消えて行く。
父が、そっと背中に手を回してくる。ぎゅっと強く抱き締めてくれた。
けれど、それはいつもの苦しいくらいの強さではない。カイリを労わる様に、苦しくない様に、どこまでも優しい温かさだった。
「カイリ、すまない。……すまない」
「……っ、とう、さ」
「だが、俺たちはお前を置いていかなければならないんだ」
「――っ」
ひぐっと、喉が嫌な風に引きつる。
嫌だ、と聞き分けのない子供の様に泣きじゃくるカイリを、父は絶えず背中をさすってあやしてくる。
それが父の辛さを表している気がして、カイリは噎せる様に泣き続けた。
「カイリ。これからお前はきっと、色んなことを体験するだろう。辛いことも、苦しいことも、穢いことも、……それこそ、この村に起こった様な惨いことも。たくさん、たくさん、経験するだろう」
「……っ、父さ」
「だけどお前は、きっと乗り越えていける。お前は父さんや母さんに似て、頑固で実は負けず嫌いで向こう見ずで、けれど真っ直ぐで、己の道を貫こうとする。弱くても這い上がろうと足掻く強さ、そして相手そのものを見れる優しい目と心を持っている」
「……っ」
「だから、きっと。これからのお前には、嫌なこと以上に良い出会いが待っているはずだ」
だから、大丈夫だ。
ぎゅっと強く抱き締めて、父はそっと手を離してくる。
離れると、父の体が透ける様に輝いていた。焦って見上げれば、父の笑顔がだんだんと遠くに行く様に消えていっている。
「え、何で。父さん、……待って」
「時間だな。……フランツ、迷惑をかける。だが、……カイリのこと、頼んでも良いか」
「……愚問だな」
静かに見守っていてくれていたらしいフランツが、父の言葉に呆れた様に頷く。
短かったが、しかし二人の通う空気で本当に親しかったのだと知れた。
「カイリ。……愛しているよ。父さんも母さんも、そして」
「当然! 俺たちもな!」
「……ということだ。俺たちは、いつでもお前と共にある。例え見えなくてもな」
「父、さん……っ」
「だから。……今は無理でも、どうか、……笑って、幸せに生きてくれ。それが、父さんたちの最後の願いだ」
ぽんぽんと頭を軽く撫でられる。
母が抱き寄せて、額にキスを落としてくれた。
ラインもミーナもリックも、カイリに抱き付いて最後のお別れを言葉なく告げてくる。
彼らは、願ってくれている。こんなに弱い自分の幸せを。きっと塞ぎ込んでいたから、耐えきれなくなって最後に姿を見せてくれたのだろう。
本当は、嫌だ。彼らと別れるなんて。
だが、そんなことを言っていたら、いつまでも彼らはどこにも行けない。
だから。
「……、うん」
自分は、笑わなければいけない。
「ありがとう、みんな」
彼らが安心できる様に、笑って見送らなければならない。
「俺、ちゃんと生きるから。だから、安心して」
声がみっともなく震える。
だが、それでも紡がなければ。もう時間が無い。彼らの体は今や、背後にある景色が見えるほどに透けていた。
「みんな、大好きだ。絶対、忘れない。……笑われない様に、頑張るから」
だから、と。しゃくり上がる声を叱り付け、カイリは必死に笑った。
「さよなら。ありがとう。――絶対、幸せになるからっ!」
だから、眠って。
最後は声になっただろうか。分からないが、彼らはくしゃりと顔を歪めて、笑って手を振ってくれた。
そうして、遠くへ行く様に彼らがすうっと消えていく。
後に残ったのは、棺を焼き尽くした残り火と。
大切な者達の、真っ白な骨だった。
「……っ、ふ、……うっ……」
手元に残されたものをカイリは見下ろす。
木刀に鞄に、そしてお金の入った袋。それだけが、今の光景が夢ではなかったのだと告げてくる。
彼らは、逝ってしまった。
もう、二度と帰って来ない。
笑って生きると決めた。
だったら、せめて。
せめて、今だけは。
「……っ、う、あ、……ああああああああああああああああああっ!!」
彼らが死んだ時には上げられなかった慟哭を、カイリは初めて解き放った。
その泣き声を、闇を深くした夜空だけが、見守る様に吸い込んでいった。
もし、物語を読んで「面白い!」「続きが気になる!」と思って下さいましたら、
ブックマークや感想、「いいね!」または星を下さると嬉しいです!
更新の励みになります!




