第9話 歌を歌えるということ
ぱちっと、カイリは目を覚ます。
薄暗い中、見慣れた天井が映った。少し視界が滲んでいるのは、確実に夢のせいだろう。
「……また、あの夢か」
喉がひりついて痛い。泣いていたのだと気付いて恥ずかしくなる。誰も見てはいないのに顔を両手で覆ってしまった。
いつまで経っても、あの頃の傷は癒えてはくれない。
そして、同時に思い知らされる。
自分にとって、彼は本当に大切な存在だったのだ。
亡くしてから気付くなんて、本当に愚かだ。もう伝えることさえ叶わない。
だから、せめてこの人生では、大切な気持ちは素直に伝えようと思っていた。両親や子供達の純粋な愛や気持ちは恥ずかしかったが、邪険にすることだけはしないように気を付けた。
おかげで、彼らとは照れくさくも仲良く暮らせていると思う。最初は他人に疑心暗鬼になっていたが、随分と緩和された。
この村の者達は、大切なことをたくさん教えてくれていると思う。
心を開くには、まず自分から。
別に悟りを開いたわけではないし、全ての人に通じるわけでは無いことも悲しいくらい知っているが、閉ざしてばかりでも駄目だと思い知らされた。
こればっかりは、前世の記憶も絡まっているので伝えられないが。それでも感謝は尽きない。
「……水、飲もうかな」
悪夢のせいで目もばっちり覚めてしまった。喉もひりつく様に乾いている。潤して楽になりたい。
身を起こして窓の外を見れば、まだ夜も深く眠っている。隣の部屋で寝ている両親を起こさない様に部屋の扉を開け、慎重に階段を降りようとカイリが忍び寄った時。
「――ら、単刀直入――――」
「――」
階下から話し声が聞こえてきた。
知っている声を耳にして、反射的にカイリは手を止める。
「……、村長?」
ぽそっと呟いてカイリは少しだけ階段を降りて耳を澄ませた。なるべく物音を立てない様にと細心の注意を払って手すりに寄りかかる。
「カイリに、剣をやめさせてはどうじゃろうか」
「――っ」
ずん、と鉛を大量に胸に突っ込まれた様な重みが走った。
いきなりの忠告に、しかもよりによってカイリ自身のことを指摘され、寒くもないのに指先が小刻みに震える。
剣をやめさせる。
やはり、村長達はカイリが剣の稽古をすることを良くは思っていなかった。
薄々感付いてはいたが、改めて突き付けられて苦味が口の中にも心の中にも広がる。ぐっと、奥歯を噛み締めてしまった。
「村長……」
「だって、そうじゃろう? カイリは剣が苦手なはずだの。なのに、ラインが余計なことをしたせいで、最近はヴォルク相手にさえ少しずつ持つ様になってしまった。これはまずい」
ラインを引き合いに出され、カイリは激しく息を呑んでしまった。ごほっと噎せてしまい、――血の気が引いていく。
「誰じゃ!?」
厳しい詰問に、カイリは肩を跳ねさせた。
だが、誤魔化すことなど出来はしない。観念して、そろそろと階段を降りて姿を見せた。
「……、カイリ。お主」
「すみません。立ち聞きするつもりじゃ……、その」
悪夢を見て目が覚めましたと、正直に言うのも気が引ける。
だが、テーブルを挟んで村長の前に座っていた両親には気付かれた様だ。少しだけ苦しそうに眉根を寄せて、おいでと手招きをしてきた。
「お水よ。飲みなさい」
「ありがとう、母さん」
自分が羽織っていた綺麗な薄い若草色のショールを、カイリにかけてくれる。ふわっと香る温かさに、また胸の奥が痛くなった。
「あの、村長。……ラインのこと、怒らないで下さい。俺が頼んだんです。攻撃しなくても良い剣術があるなら教えて欲しいって」
「……、カイリ」
「だから、ラインは悪くありません。怒らないで下さい」
頭を下げてカイリは請う。両親が何か言いたそうにしていたが、気付かないフリをした。これは、カイリの問題だ。
しかし、村長は是とも否とも言ってはこない。
焦れったくなり、カイリが言葉を募ろうと顔を上げると。
「村長。俺は、カイリが剣を覚えることに反対はしませんよ」
「カーティス!」
がたっと椅子を蹴り倒す様に立ち上がる村長に、父が穏やかに首を振る。
他を圧する様な激しい村長の剣幕に、父は一歩も引かない。その父の背中を見つめ、泣きたくなるほど苦しくなった。
「父さん……」
「カーティス、分かっておるのか。ただでさえ『歌』が歌えるというのにっ。このままでは」
「それはもちろん。カイリが何事もなく村で一生を終えられたら、きっと一番良いのでしょう。父親としても、本当はそれを望んでいる」
「ならば」
「けれど、それは夢物語です、村長」
静かに、だが断固たる現実を乗せて父は語る。
波立たぬ水面の様に、けれどどこまでも清冽に響く気迫が父から部屋一帯に放たれ、村長は言葉を失くした。カイリも、口を挟めなくなる。
「もしこの村に何かが起こったら、どうするのです。カイリは身を守る術を覚えるべきだ」
「……、じゃが」
「それに、どれだけ隠し事をしてもいつか秘密はバレる。カイリが今、少しずつ疑問を持ち始めている様に」
「……っ」
どきりと、カイリの心臓が小さく跳ねる。
歌のこと。剣術のこと。外のこと。そもそもの世界のこと。
様々なことに疑問を抱いていたことは、父には疾うに筒抜けだった様だ。父は普段は快活で大胆なのに、他人の機微をよく見ている。
「聖地にいる親友に相談しました。カイリの誕生日に合わせて、来てくれるそうです」
「……お主、いつの間に」
「別に、カイリをその日に外に出すつもりじゃありません。外に出るかどうかは、カイリの意志で決めて欲しいですから」
「……」
「村長には、村の者には、本当に感謝しております。……だからこそ、……」
にっこり笑って、父は結局言葉を切った。良い笑顔で脅す様なのに、その実笑顔の裏には抱えきれないほどの感謝と苦悩も見える。
村長が、ぐぬっと唸った。脅迫だけではなく、感謝も苦悩も透けて見えたからだろう。言葉が無くなったらしい。
普段は村長の方が上なのに、ここぞという時には父が強くなる。久々に見たなと思いながら、カイリはぼんやりと勝敗が決しそうだと感じた。
村長はしばらく厳しい表情で黙っていたが。
「……まったく。好きにすれば良い」
疲れた様に溜息を吐き、村長は玄関へと向かっていく。
カイリは何か言おうと口を開いたが、それは彼が振り返ったことで中断されてしまった。
「カイリよ。……お主にとって、何が一番良いのか。わしにも本当は分からん」
「……、村長」
「じゃから、……よく考えなさい」
諦めた様に笑い、村長は「ではな」と去って行く。
ぱたん、と軽く閉じられた音が淋しそうに聞こえた。
静寂が余韻の様に響くのを感じながら、カイリはぎこちなく両親の方へと振り返る。
父は、穏やかにカイリに微笑みかけていた。まるで何かを覚悟したかの様な強い眼差しに、胸が押し潰されそうになる。
「……、父さん」
歌を歌えるのに、ってどういうこと。
剣を覚えない方が良いと思ったのはどうして。
秘密って何。
外の世界には一体何があるの。
聖地って――。
ぐるぐると聞きたい内容が頭の中を激しく渦巻く。
だが、焦れば焦るだけ言葉が溶ける様に意味の無い音になって散っていった。その言葉を口にしたら最後、今まで築いてきた世界が砕けそうになる予感がして、喉に詰まってしまった。
胸元からせり上がってくる熱が、焼け付く様に痛い。
ぼろっと、何かが零れそうになるところで、父がぽんとカイリの肩を叩いた。
「今不安に思っていること、聞きたいこと、父さんの親友に相談するといい」
「……、しん、ゆう」
「ああ。フランツと言って、教会の総本山のある国……フュリーシアにいた時代の親友なんだ。教会騎士団の第十三位団長でもある」
「……、え? 十三? 団長?」
唐突に重要な単語が一気に噴き出した気がする。
とてつもない裏話を聞かされた気分だ。カイリが臆すると、強く父に引き寄せられた。
――逃げるな。
態度でそう発破をかけられ、カイリはぐっと踏み止まった。揺れながらも、父の瞳を真っ直ぐ見つめる。
「カイリ。……父さんも母さんも、お前が歌を歌えると知った時、どこまでを教え、どこまでを秘密にすれば良いか分からなかったんだ。……だが、本当は最初から教えておかなければならなかったのかもしれないな」
「……、そんな」
「その証拠に、こんなにお前を不安にさせた」
ぎゅっと力強く抱き締められる。
その腕が泣いている様に震えていて、思わずカイリは縋る様に抱き付いた。母も背中から抱き締めてくれて、せき止めていた熱が知らず頬を伝っていた。
「父さん、母さん。……俺、知っても良いの? 歌のことも、剣のことも、……聞いても良いの?」
「ああ。……本当は、危険なのかもしれない。だが、ずっと隠し通すことも難しいのではと、最近よく思う様になったからな」
「カイリ……どうか、これだけは覚えておいてちょうだい。どんなことがあっても、どんな運命が待ち受けていても、あなたは私達の大切な子供で、自慢の息子。何かあれば、すぐに駆け付けるからね」
ぎゅうっと強く、苦しく、二人がカイリを抱き締めてくる。
離したくない、けれど離さなければならない。そんな葛藤を如実に物語っていて、カイリも見えない未来に縋り付く様に腕を伸ばした。
両親は、何を恐れているのか。
〝あんな子、死んでくれてせいせいしたわ〟
不意に、あの日の女性の言葉が脳裏に甦る。
ぎゅっとカイリが手に力を込めれば、両親もあやす様に力を込めてくれた。
何故、あんな夢を見てしまったのだろう。
何故、こんなに怯えているのだろう。
――成人を迎える日。自分は、一体どうなってしまうのか。
怯えながら、震えながら。
それでも良い方向に進む様にと。薄暗い予感に抗うために、カイリ達はひたすら強く抱き合っていた。
「……、うーん。聞こえないわねー」
山の麓の茂みの中。
真っ黒なローブを纏った女性は、弱り切った顔で村を見つめていた。
その隣では、全く同じ服装で佇む強面の男性が腕を組んで女性の視線を追いかけている。彼はひどく無口だが、女性はさして気にしなかった。お喋りすぎる人間は、よほど口が上手くない限りボロを出す。人生の邪魔だ。
「歌を歌える人間がいるって聞いたのに。これじゃあ、歌ってもらえないじゃない」
当てが外れたのだろうか。
そんな不安が一瞬過ったが、情報元が嘘を吐くとは思えない。こちらに気を許し、懐柔させてからぽろっと口にした言葉だ。間違いはないだろう。
だが、野盗に数日見回りさせたのに、結果は何も聞こえなかったという。しかも、村の者達が巡回していて村に近付くのも不可能だとか。面倒なことこの上無い。
「……あの行商人の情報が、古い可能性もある」
男性が地鳴りの様な声で指摘をする。
ここまで低い声を出す人間がいるのかと初めは女性も驚いたものだが、慣れれば割と楽しい声である。
「なるほどねえ。まあ、そろそろ接触して確かめるっていう手もあるかしら」
「……、聞いた話では、確かに素人ばかりの村らしいが」
「教会騎士がいないなら大丈夫よ。それに、都合が悪くなったら潰せば良いんだし」
さらりと、歌う様に女性が宣告する。
男性も特に驚くこともなく淡々と冷たい視線を村に注ぐだけだ。
女性も男性も、この村がどうなろうと知ったことではない。
ただ、自分達にとってとてつもない宝が眠っている。それだけ喉から手が出るほど欲しい逸材なのだ。
「ちゃんと手懐けておいてよ? あいつら、金さえ大量にばら撒けば一応は言うこと聞くはずだから」
「……問題ない」
短く返答した男性の声に、迷いも嘘も無い。ただ事実を事実として認定した断言に、女性は何よりも強い信頼を傾けた。
ならば、後は確認をするだけ。
「私たちが先に行くのよ。幸福の世界へね」
無論。
そんな声なき肯定が聞こえた気がした。これも、付き合いが長いからだろうか。
そうだ。最終的に目指すのは『幸せなる未来』。そこに辿り着き、新たなる世界へ手をかけるのは自分達だ。抜け駆けは個人の権利である。
そのために。
「確保するわよ。――幸せなる未来のために」
「――未来のために」
誓約を交わし、女性と男性が身を翻す。
まるで闇に溶け込む様に、その姿は風が吹き抜けると同時に消え去った。
もし、物語を読んで「面白い!」「続きが気になる!」と思って下さいましたら、
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