リアル脱出ゲーム 3
(運がよかった、超運がよかった……昼飯を食った後で、助かった……胃の中に残ってる昼飯が、まだ消化途中だった……多分。なんか休んでたら、少しマシになってきた)
二体のゴーレムが破壊された後のエントランスで、十二は腰を下ろして休んでいた。
緊張感もある程度ほぐれ、精神的に安定しつつあった。
力を得たというだけではなく、目の前に事情を説明してくれるギボールの存在があった。
親切かつ丁寧に説明をしてくる彼女の存在によって、十二はこの状況に慣れつつあった。
もちろん、慣れている、というのは混乱しないという程度の意味で、楽しめているというわけではない。
『休んでいる間に聞いてほしいんだがね、この状況を詳しく説明しよう』
「おねがいします」
『君も察したように、マジックガジェットを用いた戦いは負担が大きい。君の場合はできてもあと一回。生きるか死ぬかギリギリまで絞っても、その一回が限度だ』
「……わかってます」
『その関係上、この屋敷からの脱出は無理だーーー今君が想像した、この屋敷が超空間とか異次元空間とかに隔離されているから、とかではない。シンプルに、屋敷の外に超強力な防衛装置があるからだ。その上ここは絶海の孤島に建っていてね、脱出するなら更に海も渡らないといけない』
家の中に防犯用のゴーレムがあるのなら、家の外にはもっと強力な兵器があるのだろう。
それも一台や二台ではあるまい。
そのうえ海を渡るとなれば、どう考えても無理だ。
なるほど、外に出るのは悪手に思える。
『屋敷の中も安全ではない。先程倒したゴーレムのような防犯装置と、長年放置されたことで暴走した魔法道具。二つの脅威が、君に危害を加えようとしている』
「暴走……魔法道具」
この時十二の脳裏に浮かんだのは、アニメ映画やRPGなどに登場する剣や本の形をしたモンスターだった。
誰かがもっているとかではない、それ自体が勝手に暴れているイメージである。
『そうそう、それでだいたい合っている。こいつらの戦闘能力はそこまで高くないが、その代わり『コイツ』の傍にも平気で寄ってくるから注意したまえ』
「注意しようがないんですが、それは……」
『見つからないように注意しろって話さ』
(見つかったら終わりってことですか、わかります)
やはり、先程の想像は正しかったようだ。
今の自分に必要なのは、回復ポイントである。
あと一回の戦闘だけで、なんとか回復ポイントに達しなければならない。
『君の想像は正しい。君は防犯装置や暴走した魔法道具のうごめく屋敷の中で、回復できる場所に到達しなければならない。戦闘できる猶予は、一回だけという状況でね』
「……その回復ポイントは、屋敷の中にあるんですか?」
『それだよ……そこが問題だ』
ギボールは困った声色で、回復できそうな場所を挙げる。
『一つは食糧庫、一つは薬品棚だ。今の君をたちどころに回復させる薬や、高級な食糧が保管されているだろう。とはいえどっちも保存状態を保証しかねるね』
「そうっすよね……没後百年以上は経過してますもんね」
この屋敷の魔法使いが超一流だったとしても、自分の死後も食料や薬品の品質が維持されるようにしているとはとても思えない。
すくなくとも自分なら、そんなことはしないだろう。
ゲームでもあるまいに、生存できるルートが確約されているわけもなし。
十二が諦めていたところで、ギボールが声を上げた。
『そうか、その手があったか』
「どうしたんですか?」
『いやなに、吾輩もボケていたようだ。一つ忘れていたことがあるのだよ……屋内菜園だ!』
「屋内菜園……家庭菜園みたいなものですかね?」
『今君がイメージした小規模な畑よりはもう少し大きいが、おおむねあっている。そこならほぼ確実に、問題を解決できるだろう』
貧困な想像力で、百年放置されていた家庭菜園をイメージしてみる。
雑草がボーボーで酷いことになっていそうだが、多少なり食える物が生えていそうである。
すくなくとも、百年放置されていた冷蔵庫や、百年放置されていた薬棚よりはフレッシュそうだった。
『まあ別の問題は発生するだろうが、今君が死ぬよりはマシだろう?』
「そうっすね……それでおねがいしゃっす」
とにかく生きなければならない。人生にはそういう瞬間が存在する。
※
レトロゲームのRTA走者が敵とのエンカウントが起きないことを願うように、十二も敵との接触がないことを祈りながらできるだけ足音を殺しながら進んでいた。
幸いこの屋敷はダンジョンなどではなく、よくわからないギミックなどを作動させなければ部屋に入れない、なんてことはない。地図を仕入れなければ場所が分からない、ということもない。
ギボールに案内されるまま、十二は迷いなく家庭菜園に向かった。
『一応言っておくが、屋内菜園の中にはかなりの植物型モンスターがいるだろう。入ると同時にリモートメイルを開放して、速攻でケリをつけるんだ。その後の君は餓鬼も同然のヒョロヒョロになるから、なんとしても栄養補給するんだよ』
「うっす……泣きたい……」
こんなに悲しいカロリー管理はそうそうないだろう。
餓死寸前になることが戦術に組み込まれているなど、考えたくもない事態だ。
「……あの、ギボールさん。お伺いしたいんすけど、いいですか?」
『気を紛らわせたいようだね、いいよ』
「なんで俺にここまで良くしてくれるんですか?」
『死んで百年以上経過してぼけーっとしているところに、何の罪もない若人が現れたら、君も同じように対応すると思わないかい?』
「……そういうもんですか」
気は少し紛れた。
とにかく、ルートは既に教わっている。
スニーキングゲームのように、あるいは小動物のように、確認を怠らず、速やかに、音を立てずに移動することだ。
廊下で一回でもエンカウントすれば詰む。
単純すぎる敗北条件が、神経を高ぶらせていた。
割れそうな心臓の音に耐えながら、できるだけ顔を動かさずに廊下の曲がり角の先をうかがう。
宙に浮かぶ燭台が列をなし、ゆっくりと踊るように揺れながら前進していた。
なんともファンシーな光景だが、敵であると考えれば『火』に注視してしまう。
もしも敵として襲い掛かってくれば、自分は焼き殺されるに違いない。
思わず、鍵に手が伸びた。
どれだけ消耗してもかまわない、この後餓死するとしてもかまわない。
とにかく目の前の脅威を退けたい、安心が欲しい。
安易な弱音につぶされそうになる。
そんな時、彼の脳裏に母の言葉がよぎった。
『ハングドマンの意味は、修行、忍耐、奉仕、努力、試練、着実、抑制、妥協。でもね、逆位置では意味が変わるの。徒労、痩せ我慢、投げやり、自暴自棄、欲望に負ける……なのよ』
今まさに自分は、ハングドマンの逆の意味に陥りかけた。
苦しみから逃げるために命を捨てるところだった。
十二は驚異的な状況で、何もしない、という選択肢を貫いた。
列をなす燭台は、十二を照らしこそすれ、襲い掛かることはなく通り過ぎていった。
「ん……ふぅううううう……はあ……ぜえ……」
『良くこらえた、偉いぞ。さあ、急いで……音を立てずにね』
ギボールに返事をする余裕もない。十二は可能な限り音を立てないように注意しつつ、這うように屋内菜園のドアに向かって行った。
ドアを開けるときに音が出たが、もはや配慮する余裕もない。
ええい、と開けて、中に入ってドアを閉めた。
ドアに背を預け、安堵したかのように腰を下ろしてしまった。
『急げ! すぐに来るぞ!』
ギボールからの声が耳に届くより早く、視界いっぱいに脅威が映った。
「ひいいいいい!」
巨大な食虫植物が、よだれのように消化液をばらまいている。
巨大すぎる花弁を持った花が、毒素のありそうな花粉を放出している。
蔓や根などが、どんどん十二へ伸びていく。
『速く!』
「……リモートメイル! 開放」
十二はつい先程まで、鍵を使うまいと思っていた。
だからこそ鍵を使うとなれば、まず腰に下げた鍵束を手に取るところから始めなければならない。
どうしてもワンアクション遅れていた。
一方で幸運だったのは……。
十二が共働き家庭で生まれ、鍵を使うことを日常としていたことである。
腰に差した鍵を手に持って前に出して捻る、というのはそれこそ日常的な物であった。
これがもしも銃などであれば、ホルスターから抜いて安全装置を外して、更に目標に向けて引き金を引く……という早撃ちスキルを要していただろう。
先程と同じように、キャリア―が出現した。
背面にある鍵穴に鍵が差しこまれ、開錠される。
前面が開き、内部からリモートメイルが出現した。
「あ……ああ……」
贅肉が消える、どころではない。
筋肉がしぼみ、骨格がスカスカになり、血液すら消失していく。
餓死者を通り越して、もはや餓死していないことが異常な状態になった十二。
しかしその目には、赤い輝きと共に現れた鎧が、その輝きを抑えつつ前に踏み出すところを見ていた。
『おお……デモンスレイヤーと同じく、純白兵型の傑作機。リモートメイル・イモータルリッパ―!』
その鎧は、もはや鎧の体を成していなかった。
デモンスレイヤーは中に人が入れる形をしているが、イモータルリッパ―はそうではない。
鎧というよりも、剣や刀、槍の穂先などを組み合わせて人の形のようにしているだけであった。
まさに全身凶器の、恐るべき鎧。
つま先もかかともない槍の穂先のような脚を地面に突き刺して、剣のような両手をゆっくりと広げる。
余りにもゆったりとした動き故に、周囲の植物たちも蔓や根を使って拘束しようとするが、逆に切断されていく。
「すげ……」
『当然さ。イモータルリッパ―の装甲はこの世で最も硬いカーボニウム合金製、その鋭利さは比類ない。植物がどう頑張ったところで、傷一つ付けられない!』
しゅおん、と大地を切り裂きながら、イモータルリッパ―は駆け抜ける。
ビニールハウス一つ分の広さがある屋内菜園に根を張る危険な植物を、一瞬で刈り取っていった。
「お……あ……」
しかしながら、その働きに用いられるのは十二の力。
風前の灯になっていた彼の意識は、今度こそ消失する。
『む! やはり無理があったか! だ、だが……だが! あと少し頑張れ! この菜園には……~~!』
ギボールが励ますも、生物学的に、物理的に行動が不能だった。
まず意識がない。体を動かす筋肉がない。体を支える骨格がない。
強力なリモートメイルを、一切の補給なく二度も使用した消耗により、彼はもはや死に体とかしていた。
あおむけに倒れ、口を開き、まったく動かなくなっていた。心臓も、脳波すらも。
『くそ……これでは……む?』
ギボールが慌てる中で、すすす、と近づいてくるものがあった。
イモータルリッパ―が、地面を切り裂きながら十二に近づいていく。
その手には、桃のような、リンゴのような形の果実が乗せられていた。
『気が利くじゃないか、イモータルリッパ―! しかし……もはや、口を動かすことも……』
エネルギー切れ寸前のイモータルリッパ―は、僅かな燃料を繊細に使い、片手に乗せた果実に、もう片方の手を突きさす。
わずかに果汁のついた切っ先を、あおむけになっている十二の口の上へ持っていった。
『お、おお……!』
ただ一滴の果汁が滴り、十二の口に入った。
ただそれだけで、十二は一気に起き上がった。
「う、うめええええええ!」
ミイラ同然の肌にみずみずしさが戻り、筋肉は盛り上がり、骨格は密度を取り戻した。
ほぼ枯渇していた血液は全身を駆け巡り、消化器官はただ一滴を全力で吸収していく。
十二は劇的な回復に感動するより先に、イモータルリッパ―の持っていた果物を掴んで貪る。
ただ一滴の果汁で蘇生に成功した果実の皮を、果肉を、全力で食べ、さらに手に着いた果汁を舐めとる。
その目は血走り、髪の毛は逆立っていた。
「うまい! うまい!」
『はははは! 元気を取り戻してくれてよかったよ』
「ギボール! これって、なんていうフルーツなんです?」
『それは生命樹の果実さ。食べた者の最大MPを増やす果実、と言えば分かるかな? おお、今君が想像したものと大体同じだよ。とはいえ、その上昇量は1とか10とかじゃないけどね』
JRPGなどではみかける、基本ステータスを恒常的に上昇させるアイテム。
それを自分が口にしたと聞いて、十二は『アレと同じってこと!?』と驚いていた。
『君が想像したように、この世界でもかなり希少なものだ。あのタブーも最後にはコレを求めていたが、この実が熟す前に寿命が来てね……その死後百年以上が経過した今だからこそ、完熟しているというわけさ』
「そう、ですか……もしかして、これって、もうない感じですか?」
『ああ、本当に希少だからね。で、美味しかったかい?』
「はい!」
『それは良かった! 美味しく食べてもらえて、吾輩も満足だよ』
「それで……俺はこれで、最大MPが増えたってことでいいんですよね? 俺が死ぬ可能性も、がくっと下がりました?」
『ああ、もちろんだ。最大の危機は脱したよ!』
「あ、ああ~~……よかった~~!」
急激に血糖値が上がったからか、死の危機から脱したからか。
十二は笑いながら菜園で横になった。
仰ぎ見れば、そこにはガラスの天井が見える。
ゆっくりと赤くなっていくソラは、今が夕方であることを示していた。
「すんません……眠くなってきちゃいました」
『……そうか、それならゆっくり寝るといい。イモータルリッパ―が、君を守ってくれるからね』
「うす……」
すう、と。
一瞬で寝付く十二。
その傍でイモータルリッパ―は、直立不動の姿勢をとった。
ギボールもまた、彼の顔のすぐそばで浮かんでいる。
『……さて。これでもう彼の脱出に問題はないが、その後はどうしたものかね』
眠りについた十二が目を覚ますまでの間、ギボールはこの後のことを考えることにした。
死に行く運命だった少年に、試練の待つ人生を示した責任を取ろうとしていたのだった。
そう……。
十二の運命は、ハングドマン、吊られた男、刑死者。
正位置の意味は、修行、忍耐、奉仕、努力、試練、着実、抑制、妥協。
彼の未来は、すでに決定したのだった。