第二章 4
ゴーヤの作業をぼんやりと眺めていた。
畜産というより、犬と一緒に障害物の突破を目指す、なんとかという大会の練習に近い。つまり、餌を与えて、糞の処理をして終わりではなかった。ブルジを走らせて、精密に操っている。操る方法は、腰に携えていた鞭だ。
かなりの腕前で、例えば、規則正しくジグザグに動いたり、急ブレーキに急発進と、自然界ではお目に掛かれない芸当をやってのけた。犬がやるのなら、それもわかるが、ブルジはバイソンに近い大型の牛だ。そこまで知能が高いのには驚いた。
「やってるね」背後から声がした。振り返ると、チェコがいた。ただ、彼女がこちらに向かってきているのには、気付いていた。昨日、到着したばかりの集落で、背後を取られるほど油断はしない。刀も、常に腰に差している。
「あれは祭りの催し物なのか?」俺はきいた。
「まぁ、そんなとこ」彼女は俺の隣に三角座りで座った。三角座りには向いていない服装だが、他人の座り方を強制させるような身分でもない。下着を身に付ける習慣のない村のようだし、体の前後は隠せても、横は丸見えの服なので、三角座りをした時に、お腹の肉がプニッと一段乗っているのが見えた。
ゴーヤの他にも、何人かの男がブルジの調教を行っている。祭りの当日はサーカスでもやるのだろうか?
しばらく、無言のままゴーヤたちを眺めていた。
「外の世界ってどんな風なの?」彼女がきいた。
「さっきも答えたけど、俺も詳しくは知らない。ここから南に行くと、水も食料もない土地がずっと広がっている。徒歩で他の集落に辿り着くのは、不可能に近いと思う」
「他には?」
「他は、俺が住んでいた集落しか知らない。そこは……まぁ、悪くない場所だった。強くなる為に、毎日修行をしていたし、ご飯もそれなりに美味しかったし」
「なんで、そこから出て行ったの?」
「自分から望んだわけじゃない。敵の襲撃に遭い、結果的にそうなった。集落を探して辿り着いたのがここだ」
「ふーん」彼女はつまらなそうな目をした。
近くで見ると、ゴーヤよりも幼いことがわかった。俺と同い歳くらいだろう。目の下にそばかすがあるが、それもチャーミングだった。小顔で丸顔だ。
「私も、誰かに連れ出して欲しい」彼女は言った。
「なんで?」
「ここにいても、ずっと同じことの繰り返しだから。毎日、チャルに水やりをして、収穫の時期がくれば、その作業。服の修理に、料理。毎日。毎日。このまま歳をとっていくだけ」
「………楽しいことはないのか?」
「ない」彼女は溜息をついた。「なんかさ。私ってあの子みたい」彼女は一頭のブルジを指さした。それは、メスのブルジだった。
「ブルジの肉は、再生したての新しいところは、あまり美味しくないの。だから、普段は、あの子ばっかり食べられる。美味しいお肉は、記念日に取っておく為なんだって。そうやって、なんでもない日に、消費されるのが、私。特別にはなれないの」
……抽象的で、わかりづらい言い回しだった。
でも、哀しんでいるのはわかる。かといって、なにか、気の利いたことが言えるようなコミュニケーション能力を持ち合わせていない。持っていたら、元の世界でも人気者だっただろう。
「ゴーヤとは仲が良いんじゃないのか?」俺はきいた。二人は幼馴染のような関係に見えたからだ。
「仲は良いよ」彼女は答えた。
「話しているだけで、楽しくはないのか?」
俺は、カリンと一緒に話しているだけで、楽しかった。彼女に会うのが、今の生きる目的でもある。
「楽しいって感じでもない。たまに、口うるさいし」
「そうか」
……。
彼女がなにを望んでいるのかわからない。そんな話を、五日後に去っていく人に話したところで、解決にはならないだろう。
それとも、すぐに去って行く人間だから、愚痴も言えるのだろうか?閉鎖した空間で、愚痴を呟けば、すぐに広まってしまう。その後の生活にも支障をきたすだろう。
「ゴーヤのあれは、なにをやっているんだ?」俺は話題を変えた。
よくわからないが、気が滅入る時は、その原因については、話さない方がいいだろう。解決方法があるのなら、彼女はそれをやっているはずだ。それがないから、彼女は俺に愚痴を零したのだ。だったら、気を紛らわした方がいい。
たぶん、根本的な解決を、俺が望んでいないのだろう。そこまで、首を突っ込むつもりはない。彼女の悩みも、どこにでもある、ありふれたものに思えた。
「あれは、祭りの為にやってるの」彼女は答えた。
まぁ、そうだろうな、という回答が返ってきた。一つ確かなことは、ああいった作業は楽しいだろう。生き物でも、機械でも、自分の思った通りに動く対象を眺めるのは、愉快なものだ。支配欲とかそんなものじゃなく、もっと根源的な喜びを得られる。
たぶん、狩りを行っていた時代のDNAが今も残っているのだろう。罠を仕掛けて、獲物が掛かる。数日ぶりのご飯になるのだから、その喜びは至上のものとなる。それだけじゃなく、自分が思った通りに獲物が掛かるのは、それだけで楽しいだろう。未来への予測と、その努力に見合う十分な結果は、全ての原動力となるし、人間の生きる意味の一つでもある。
愛とか、子どもとか、伝統とか、仕事とか、家族とか、友達とか、そんなものよりも、大事な気がする。
「ここって祭りでの結果が、全てだから」彼女は呟いた。
「全て?」
「全て。今の長のキムチも、前回の祭り優勝者だし」
「えっ?一番偉いやつを、祭りで決めてるのか?」
「そう」
「なんで?」
「ブルジがいれば、この村は安泰だから。それを一番上手に操れる人の言うことをきいてればいい。それがどんな要望だろうと」
「……そっか」
それだけだと、問題が多そうな気がする。手先が器用な職人がいたとしても、その人が政治も上手いとは限らない。それどころか、どこか気難しい人かもしれない。どんな人がブルジの調教が上手いのかは知らないが、大きなリスクを含んだシステムだろう。
「それじゃ、ゴーヤがああやって練習しているのは……」
「優勝する為。頑張って貰わないと」俺のセリフを遮って、チェコは呟いた。