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第二章 3


 ブルジは、大きな牛のような見た目だった。

 三メートルは超える長さに、高さが二メートル弱ほど。牛というより、バイソンや水牛に近いのではないだろうか。立派な角もあり、筋肉も浮き出ている。これが突進してきたら、かなり怖いだろう。ただ、大人しい性格のようで、むやみに人間を襲ったりはしないようだ。

 オスとメスの見分け方は簡単で、角がクワガタのような形なのがオス、羊のように回転しているのがメスらしい。

 ブルジの数は多く、視界に入るだけでも七十頭くらいはいる。近づくと獣臭がするが、それにも慣れた。柵はなく、完全な放牧らしい。基本的には、集落から北の外れに集まっている。どこかに逃げてしまわないのか心配したが、十分な信頼関係があると、ゴーヤは語った。たぶん、餌付けが上手くいっているのだろう。

 この集落の男性は、子どもから老人まで、自分のブルジを持っているそうだ。それぞれが、独自のやり方でブルジを育てている。立派なブルジにする為に、世話を欠かさないという。どうやら、ブルジ祭りでは、それを競うらしい。つまり、成果の発表の場なのだろう。

 この集落の女性は、チャルの栽培と加工を行っている。チャルは、麦のような見た目だった。違いは葉が大きいこと。その種というか、実というか、穀物になる部分の皮を取り除き、食べられるようにするのが、彼女らの仕事らしい。あとは、メスのブルジの世話や皮の加工なども女性の仕事らしい。

 集落の人口は六十人とのことだ。老人は、六十代くらいの人もいたので、単純計算すると、同じ年代の人が十人くらいになる。ゴーヤは十八歳だった。集落では若い方らしい。ただ、成人は済ませてあるから、もう、子どもではないとのことだ。

 集落の人間は、俺に対して、警戒することもなく、また、親しく接することもなかった。一定の距離を保ったまま、ジロジロと眺められる。皺が入っている老人や大人は、眉間の皺を寄せて、より一層皺を濃くしていた。まぁ、悪くない対応だろう。集落から出て行けと、怒鳴られることもなく、また、俺と関わるゴーヤを責める様子もない。

 村長というか、長に挨拶をしなくていいのか、とゴーヤにきいたら、彼は案内してくれた。

「貢物を持たずに挨拶をするやつは、初めてだ」ゴーヤは長の元へ歩きながら、そう言った。

 長の家は、やはり、立派だった。この集落で一番大きいだろう。また、集落の中央にもある。ただ、構造上の限界があるようで、ゴーヤの家の一・五倍程度の大きさだ。

 意外にも、長は若かった。三十代くらいだろう。筋肉質で、ゴーヤよりも少し大きい。髪や衣服に装飾が施されている。貝殻だろうか?鮮やかなアクセサリィを身に付けているので、見分けるのは簡単そうだ。髪はオールバックで艶があった。

「南からやってきました。シトといいます」俺は挨拶をした。

「キムチだ。どのくらい、ここにいる?」長は睨むような眼差しで言った。

「あと、五日ほどの滞在を希望します」

「わかった。四日後には、ブルジ祭りがある。その邪魔だけはするな」

「わかりました」

 長への挨拶は、それで終わった。

 てっきり、老人が長だと思っていた。長老と呼ばれ、全ての権力を握っている印象が、部族にはあったからだ。ここには、六十代くらいの老人もいたが、彼らもキムチの指示に従うのだろうか?

 こういう閉ざされた集落では、長く生きていれば、それだけで、知識が集まる。例えば、狩りの仕方や、獲物の習性、川の増水時の対策や、不慮の事故が起きた時の、解決方法など。それらは、生きてきた時間が長ければ、それだけ知識が蓄えられ、有利になるだろう。ネットに繋がらないのだから、全てのことに対して、自分よりも年上から習う必要がある。そうなると、必然的に、年長者を敬うことに繋がり、老人が長老となる。

 警察や法律のないここでは、揉めごとの解決に、有無を言わさぬ権力者の力が必要になるのではないだろうか?それは、自分より若い人間よりも、歳を取っていた方がいい。そんな気もするが、ここは、もっと柔軟なようだ。

 キムチは頭がいいのだろうか?その頭を使ってこれまでにも、実績を残したのかもしれない。それで、長になったのだろう。

 それにしても、牛を一頭丸ごと貰うのは、ハードルが高いのではないだろうか?余っている様子もないし、一頭を食料にすれば、村人の数日分にもなる。ブルジの肉がなければ、あの不味いチャルを煮たものしかないのだろう。もう少し、村人から信頼されてから頼んだ方が、確率が高くなりそうだ。

「ゴーヤ。その人が外からきた人?」ゴーヤと、ブルジの元へ向かう途中で、声を掛けられた。

 黒髪の女性で十代に見える。髪は胸までの長さで、愛嬌のある顔だった。女性も同じような服を着ている。少しだけ目のやり場に困る。彼女の左手には、ブレスレットがあった。鮮やかな貝殻や石に穴を開けて、ブレスレットに加工したものだろう。

「ああ。そうだ」ゴーヤは答えた。

「シトといいます」俺は名乗った。

「私、チェコ。外ってどんな感じなの?」彼女は警戒心が薄いようで、こちらに近づいてきた。

「おい。迷惑を掛けるな」ゴーヤがチェコを制した。

「大丈夫。でも、俺もそんなに知っているわけじゃない」俺は答えた。

 異世界に飛ばされて、知っているのは魔術師が暮らすコドクノシロの中だけだ。そこでは、壁の外は滅んでいると教えられた。魔術師が使う霊脈が枯れたから、土地が腐ってしまっていると思っていた。でも、ここのように、綺麗な場所も残っているようだ。

 それともう一つ。自分が魔術師だと言わない方がいいのかもしれない。クロは、異能と呼ぶな、と言っていた。それは、異能と呼ぶのは魔術師だけだからだ。特定されるのを避ける為に、注意したのだろう。

 元々、旧時代の支配者階級だったのが、魔術師らしい。ギアが使えない時代に、魔術で他の民族を圧倒していたとのことだ。だとすれば、自分が魔術師だと名乗らない方が良いのかもしれない。幸い、俺には魔術師の誇りはない。魔術も使えないので、ボロも出ないだろう。

「シトはどんなところで育ったの?」チェコは笑みを浮かべたままきいた。

「育った?」少しだけ、答えに困った。どんなところにいたのか、ときかれたら、魔術師のことを伏せて、コドクノシロでの生活を言えばいい。でも、育ったのは、元の世界だ。

 学校があり、部活があり、他人の目と、空気を読んで暮らしてきた。異世界に比べれば、つまらない毎日だ。

「同年代の子どもたちが、一カ所に集められて集団生活をしていた」俺はコドクノシロについて話した。元の世界のことなんて、話したくもない。

「親は?」

「いない」

「そう。私と同じだ」

「えっ?」彼女が笑顔のまま話すものだから、聴き間違いかと思った。

「そうなのか?」

「うん。二人とも一年前に……」

「そうか」こういう時に返す言葉を知らない。人と関わって暮らしてこなかった弊害だろう。

「お互い、頑張ろうね」彼女は明るく言った。

「なにに?」

「人生に。これからに」彼女はニッコリと笑った。愛嬌のある可愛らしい表情だと思った。

「ああ」俺は頷いた。

 チェコとは別れて、二人でブルジの元へ向かった。

 地面をよく見ると、糞がそこら中に落ちている。大きな塊なので、踏まずに済みそうだ。でも、小の方はここら一体に染み込んでいるのだろう。綺麗な草原だが、寝っ転がるのは、絶対に嫌だ。

 ゴーヤは、目当てのブルジがいるのか、一直線に歩いていく。

「見分けがつくのか?」俺はきいた。ブルジの首輪も、番号や色での違いはなく、全て同じに見える。全てのブルジが、首輪から手綱がぶら下がっている。野生ではないと、一目でわかる。

「ああ。自分のだけは、全然違って見える」ゴーヤは答えた。

「へぇ」近くの二頭の顔を観察したが、全く同じに見える。毛の色も同じなので、見分けるポイントがない。筋肉量などが違うのかもしれない。

 近くのブルジに近寄って、横から触ろうとした。

「駄目だ」ゴーヤの大きな声が聞こえた。驚いて、そちらを見る。彼の顔は、これまで見たことがないほど、険しい剣幕だった。

「ごめん。触るのは駄目なのか?」俺は近くのブルジから離れた。

「ああ。人のブルジに触れるのも、餌を与えるのも禁止されている」

「わかった。知らなかった。悪い」

「いや、俺が教えていなかった。申し訳ない」彼は頭を下げた。

 彼が歩き出したので、それに続いた。彼が目指す先に、一頭のブルジがいる。それが彼のブルジだった。他との違いは全くない。このブルジだけは、触れてもいいとのことだった。彼が許可したからだろう。

 思った通り、表面に見える筋肉は見掛け倒しじゃなく、柔軟性に富んで、しなやかだった。

 これを燻製にしたものを、昨日食べた。元の世界の牛もそうだが、生きている姿は美味しそうじゃない。

 家畜の生きている姿を見ると、インスタントな感傷に浸れる。でも、この感情は偽善みたいで、好きじゃない。どれだけ可哀そうに思っても、結局、食うのだから。食べる前に、どれだけ感謝の言葉を並べても、祈りを捧げても、口にした美味しさの前では、上書きされてしまう。かといって、涙を流しながら食べたいとも思わない。自分のそういう性格を理解しているから、少しだけ心の感度を下げた。文化祭の劇を冷めた目で見る時と同じモードだ。この状態なら、感動したり、傷つくこともない。

 家畜が生きている間だけ、善人のような面をしたくない。可哀そうと思いながら、生き物に接したくない。そうじゃなくて、もっと、覚悟が必要だろう。

 例えば、小学校の教室で鶏を育てることになった。ヒヨコから育てて、大きくなり、食べるのか、食べないのか、みんなで考える授業だ。命の大切さを扱う授業なのだろう。その結果、食べることになる。名前を付けて育てたその鶏だけ特別視する理由がないからだ。その鶏だけ食べないのは、正しくないのだろう。感情を抜きにした時に、食べない理由がない。だから、食べることになる。

 きっと、いつもより、箸を綺麗に持って、お茶で流し込むこともなく、改まって食べるのだろう。馬鹿なだけなのに、ムードメーカと自負している生徒は、大声で「美味い」とか言って、笑いを取ろうとするのだろう。数日間は、その鶏のことを考えるだろうし、鶏肉が出された日には、思い出すかもしれない。命の大切さを学べたように気がするだろう。

 ただ、そんなことをしなくても、人間は想像できる生き物だ。実際に育てなくても、食材のありがたみを感じられる。大人は、子どもの想像力を舐めているのだろう。

 だから、もし、多数決になれば、俺は食べない方に手を挙げるだろう。自分が関わった命の重さと、他の生き物は違う。自分が関わっただけで特別になるのだから、食べない理由にもなるはずだ。長く生きることが鶏にとっての幸せなのかはわからないが、殺されて食べられることが鶏にとっての幸せではないだろう。

 ただ、当然のように、他の鶏肉は食べ続けるし、生の魚だって食べるだろう。自分の票は、食べない方に入れるが、それでも、多数決の結果調理されたのなら、それを食べると思う。

 今、目の前にいるブルジの中の一頭は、その内、殺されて、食べられるのだろう。その未来が決まっているのなら、初めからそう接しないと、後で疲れるのは自分になる。でも、だからって、食料として見ることもできない。だから、覚悟が必要なのだろう。

「あれっ?メスのブルジは、肌に模様があるのか?」俺は気になることをきいた。角が回転しているブルジの、横腹の部分に引っ掻いたような模様があったからだ。

「ああ。あれは、食べる為に抉ったんだ」ゴーヤはブルジの手綱を持ったまま答えた。

「抉った?生きたまま?」

「そうだ。ブルジは傷の治りが早い。殺さなくても、肉の一部を抉れば、その内、治る。だから、また食べられる」

「痛みはないのか?」

「当然、ある」

「……そうか」

 命までは絶たないのか。

 どちらが、動物の為になるのだろうか?

 まだ、わからない。考えないと。



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