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第二章 2

 

 一人の青年が、南の端にある家の中から現れた。

 短髪で吊り目、眉も細く吊り上がっている。体が大きいわけではないが、細いわけでもない。太ってもなく、ほど良い筋肉が乗った格闘家のような体型だった。

「南の方からやってきました。シトといいます」先に挨拶をした。それ以上に詳しく身分を説明できないのが、自分でもおかしい。

「お連れの方は?」彼は近づいてきて言った。腰には鞭を携えている。

「わかりません。用事があると出て行きました。行く当てもないので、しばらくお世話になっても良いですか?仕事があるなら、手伝います」なるべくにこやかに言った。

「……そうですか。俺はゴーヤといいます。外から人がくることが殆どありませんから、皆警戒しているようです。うちで良ければ、空いているベッドを使って貰って構いません」

「ありがとうございます」随分とあっさりと受け入れられたな、と思った。刀を持った見知らぬ人なんか、普通は目も合わさないだろう。

 ゴーヤと名乗る青年は、二十歳くらいに見える。自分より五つほど上だろうか。眼つきは鋭いが、どこか落ち着いている人物だ。野菜のゴーヤの発音ではなく、英語のGOの後にヤがついたイントネーションだった。坊やと同じアクセントだ。

 服装を近くで観察すると、大きなビニル袋の底に首が通るだけの隙間を開けて、そこに頭を通して、腰を紐で縛っただけのような恰好だった。ビニル袋ではないので、左右の脇腹部分に隙間がある。そこは、靴紐のように交互に紐で結んで、体に密着させているようだった。保温性があるようには見えないが、この場所は夜でも冷えないのだろう。動物の皮は分厚く、細かい加工は難しそうではある。太腿から先には服を身に付けないポリシィがあるみたいだ。

「この集落に名前はありますか?」俺はきいた。

「ブルブルです」彼は答えた。

「ブルブル」俺は覚える為に口にした。いとまきまきの歌のように『ル』の部分にアクセントがあった。

「この地に伝わる神様の名前も同じです」

「神様?」

「はい。神様の名前もブルブルです。この地を救ったのは、ブルブル様ですから」

「そうですか」返答に困った。

 宗教を信じてはいない。それは元の世界からそうだった。でも、他人が神様を信じるのは、別に構わない。本人の自由だろう。そう思う気持ちと、なんで、神様なんか信じているのか、問いただしたい気持ちも僅かにある。ただ、その疑問は、閉じ込めておいた方がいいだろう。こちらに歩み寄る気持ちがさらさらないのだから。

「今日はもう日が暮れます。中に入って下さい」彼は自分が出てきた家を右手で示した。

「ありがとうございます」お礼を言って、彼の後に続いた。

 家は、木造の平屋で、壁には粘土質の土が使われていた。この周辺には、立派な樹も生えている。屋根は木と植物でできていた。

 彼に続いて、家の中に入る。鍵はなく、植物の種を紐で結んで、簾のようにぶら下げているだけだった。それがドアの代わりなのだろう。虫も人も入りたい放題だ。家の中はワンルームだけだった。中央に柱があり、あとは周りを囲う壁。土を固めたベッドや椅子もあった。右手のベッドの上には、柔らかそうな草が敷き詰めてある。

 部屋の中にベッドは三つあった。その内、二つは使われている様子はない。草が敷き詰められていないからだ。彼は左手の壁際のベッドを指さした。

「今日はそちらで眠って下さい。もう、遅い時間なので、硬い土の上になりますが、明日には準備しておきます」彼は言った。「そう言えば、いつまでここにいる予定ですか?」

「一週間ほどと考えています」俺は答える。

「わかりました。では、明日にでも準備をします」

「別に、俺が今からでも取ってきますけど」

「いえ、そういうわけにはいきません。もう、日が暮れます。夜に外を出歩くことは、禁じられているからです」

「この集落の全員がですか?」

「そうです」

「誰にですか?」

「ブルブル様です」

「……そうですか」そう言われると、返す言葉もない。郷に入っては郷に従えというが、お世話になるのだから、なるべく従った方が摩擦は少ないだろう。

 ゴーヤが示した西側のベッドに触れた。壁と同じ材質だ。しっかりと渇いて固まっており、触れても指に土が殆ど付着しなかった。でも、掌をズボンで拭った。

 この家は、骨組みとして、木が使われている。その隙間を埋める為に、粘土質の土を使っているのだろう。家の間取りは正六角形だ。六本の柱が地面と垂直に立っている。そして、中央に一番太く長い柱があるので、計七本の柱で支えられている。周りの六本の柱の頂点から、それよりも長い中央の柱の頂点に向かって、斜めに細い木が組まれている。その斜めの木に、器用に草を編んで屋根にしているようだ。

 家の中央は広いスペースで、ベッドや土器などは、部屋の端に置かれていた。入口は南に一つだけ、広くはないが、圧迫感もない。二人部屋の学生寮の一室よりは、マシなのではないか?六角形だから計算が面倒だが、六角形の一辺が二メートルはある。ただし、部屋の端の部分は、天井が低くなっているので、壁に近づくと、天井の草に頭が触れそうになる。

 なんとなく、秘密基地を連想した。そんなものを造ったことはないが、ここにいると、好奇心が刺激される。他の家も、外観は同じだった。家の大きさに僅かな違いがあったので、家族の数などを考えて、造っているのかもしれない。

 ゴーヤは、草を乗せた自分のベッドに腰かけている。俺も離れた位置にある自分のベッドに腰かけた。もしかしたら、ここはベッドではなく、椅子なのかもしれない。ベッドの幅は狭く、シングルサイズのベッドの幅もない。一メートルくらいだろうか。勿論、野宿をしていたので、屋根と壁があるだけで文句はない。野宿の場合は、地面の凹凸や小石が気になったが、ここだと、そういった心配もないだろう。

「ここに一人で暮らしているんですか?」俺はきいた。

「そうです。ああ、そういえば、飲み物も用意してませんでしたね。すみません。客人がくることなど、殆どないものですから」

「いえ、お構いなく」

 彼は立ち上がって、土器の方へ歩いて行った。

 この家の南側の辺には、入口がある。入ってすぐ右手の辺に沿うように、ゴーヤのベッドがあり、その隣の辺は物置のようだ。大きな瓶が目立つ。そのさらに隣、つまり、玄関と反対側の壁には、調理スペースのような場所がある。そこには土器や壺などが、それなりに綺麗に置かれている。玄関から左側の二つの辺は、草の敷いていないベッドが壁に沿うように二つある。俺は、玄関に近い方を使っている。中央にある柱の近くには、木製のテーブルが置かれている。釘ではなく、蔦を使って縛っているだけだ。物を置く分には構わないが、あのテーブルの上では文字が書けないだろう。テーブルの天板部分は、細い木を幾つも並べているだけだからだ。丸太椅子が一脚だけその近くにあった。その対面側には、土を盛った椅子がある。それがこの家の殆ど全てだ。

 ゴーヤは、カップのような小さな土器を二つ持って、その内の一つを俺に渡してくれた。受け取ると、かなり重い。中身は液体だった。液体の重さだけではなく、カップ自体の重さもあるのだろう。

 ゴーヤは自分のベッドに座り直し、こちらを見ている。

「これはなんですか?」俺はきいた。

「チャチャといいます。ここの一般的な飲み物です」

 カップの中を見る。乳白色の液体だ。少しとろみがある。ミルクかなにかだろうか?ゆっくりと口に近づけて、口をつける前に匂いを嗅いだ。

 匂いは悪くない。

 カップを揺らして粘性を確かめる。水というより、大量の水分で百時間煮込んだ雑炊みたいな粘度だ。

 飲み物なら水を持っているし、近くに川が流れている。そちらの方がありがたいが、おもてなしを拒否すると、今後の関係に隔たりができそうだ。ブルジを貰わなければならないのだから、仲は良くなっていた方がいい。

 恐る恐る、液体を口にした。

 酸っぱい。苦いし。

 それに、なんだ?

 これは……。

「もしかして、酒か?」俺はきいた。

「そうだ」彼はニッと白い歯を見せた。そして、自分の分のチャチャを勢いよく飲んだ。

 元の世界では十五歳だった。この前任者の体も同い年らしい。ただ、この世界に飲酒の年齢制限があるとは思えないし、それを取り締まる組織もない。

 アルコールは、元の世界で一度だけ間違えて飲んだことがある。美味しいとは思わなかった。それ以来、口にしていないが、アルコール飲料独特の味というか、苦みというか、体が拒絶する反応が、このチャチャからもした。たぶん、大人は、アルコールを無理やり飲んでいるのだろう。

「一週間もいるなら、仲良くなった方がいいと思って」ゴーヤは言った。「お互い、敬語を止めないか?」

「ああ。わかった。でも、これが、ここでの挨拶なのか?」俺は苦笑いを浮かべる。

「そうだ」

 もう一度、チャチャに口を付けた。酸っぱくて、苦い。発酵しているのだろう。美味しいとは思わない。でも、飲めないこともない。

「これはなにでできてるんだ?」俺はきいた。

「チャルを発行させたものだ。まだまだあるから、遠慮するな」

 チャルがなにかは知らない。穀物だろうか?アルコール飲料は、穀物か果実から作られているらしい。どうやって発酵させているのかは知らない。一度、どこかの部族が、発酵させる為に、口に含む方法を見たことがある。チャチャが、それでないことを願うばかりだ。

「ちょっと待っていてくれ」ゴーヤは調理場に向かった。彼は調理場の上の天井を外した。五十センチ四方の屋根だった部分を地面に置いて、竈に火を付けた。煙はその穴と、屋根の隙間から抜けて行っている。穴を造らなくても、一酸化炭素中毒にはならないだろう。

 家の中を観察しながら、待っていた。チャチャは二度ほど口をつけたが、殆ど減っていない。

 ゴーヤが土でできた器に料理を乗せて持ってきた。調理をする前から観察していたが、彼は一度も手を洗っていない。大きな瓶の中に水を溜めているようだが、それは、調理に使っていた。水道水があるわけでもないし、川までは少し歩かなければならない。それに、もう、外は暗くなっている。ブルブルと呼ばれる神様が禁止しているので、手も洗えないわけだ。

 でも、確かに、街灯もなく、松明も見当たらないここでは、暗くなってから外を出歩くのは危険だろう。何度も怪我をしたのかもしれない。それで、都合のいい神様が禁止したのではないだろうか?一見、意味のない仕来りや教えにも、それができた理由があるはずだ。

 ゴーヤがテーブルに運んだ料理は、穀物をべちゃべちゃに煮たものと、軽く炙った植物と、乾燥させた肉のようなものだった。彼は土の椅子に座り、俺は丸太椅子に座った。

「これはどんな料理なんだ?」俺はきいた。

「これはチャルの実を煮たものだ。こっちが、チャルの葉。これは燻製にしたブルジの肉だ」

 チャルは、今、手に持っているカップの中の液体の元になった植物だったはずだ。米をお粥や日本酒にしたのと同じ要領だろう。チャルのポテンシャルが高ければ、この料理も美味しいはずだ。

「こうやって食べる」彼は葉を手に持って、それでお粥のようなチャルを掬った。サンチュのように、葉でお粥を巻いて口にした。彼が、やってみろ、と目で訴えてくる。

 頷いて、同じようにして食べた。

 葉は繊維質が硬く、口の中に残った。白菜の嚙み切れない部分だけで、できているみたいだ。中のチャルは、味がほとんどしない。味付けらしい味付けもしていないのではないか?

 はっきり言って、美味しくない。でも、サボテンモドキの百倍は美味い。それに、毒もない。だからか、何度も頷いていた。クロに貰った硬いパンも味がしなかった。そう考えると、コドクノシロを出てからは、ろくなものを口にしていない。

 ホテルの朝食で、このチャルが出てきたら、一口だけ食べて、あとは残すだろう。コンビニでパンやおにぎりを買えばいい。でも、ここだと、こんな料理でもありがたかった。

 ゴーヤは、ブルジの燻製を手に取った。親指程度の小さな塊で、赤黒い。彼は、ナイフでそれを切った。そしてその欠片を口にした。俺の前にも、同じ大きさの燻製肉がある。彼のナイフを借りて、肉を切った。かなり硬そうな肉だ。

 彼に見つめられながら、ブルジの燻製肉を食べた。

 硬い。

 嚙み切れない。

 でも、美味い。

 噛めば噛むほど、味が染み出してくる。肉のうま味と、濃い塩味。スモーキィな香りが鼻の奥から溢れ出した。

「美味い」自然と笑みが零れていた。

 ゴーヤは、俺の顔を見て安心したように笑った。

 なんとなく、通じ合ったような気がした。お偉いさんが、会食で大事な取引をする理由もわかった。こういうことなのだろう。

「一週間っていうのは、運がいい」ゴーヤは言った。

「なんで?」

「五日後に、ブルジ祭りある」



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