第一章 5
透き通るような湖の近くに、馬車は止まった。
かなり移動したらしく、左右に大きな山がある。そこに降った雨が長い時間を掛けてろ過されて、ここに溜まったのだろう。見たことのない植物も生えていた。食べられるものもあるのではないだろうか?
馬車の中で、パンを貰ったので、それは既に口にしている。小麦からできているかどうかは知らないが、同じような穀物が原料だろう。食パンのように柔らかくはなく、しっかりと詰まっているパンだった。一日中馬車で移動して、もう日が沈みそうだ。歩いてここまでくるのに、どれだけ掛かるだろうか?その前に力尽きるだろう。クロと出会えて、ホントに良かった。
水を補給した後、服を脱いで、体の汚れを落とした。体中が砂の膜に覆われていた感覚があったので、久しぶりに本物の肌に触れたように感じた。水は冷たいが、我慢できないほどでもない。水浴びを終えて、同じ服を着た。これしか持っていない。学生服のような白いパンツにシャツ。その上に、青いラインの入ったオーバサイズのジャケットを羽織っている。腰のベルトに刀を差して、元通りだ。
水浴びが終わった後、馬が池の水を飲んでいた。クロに頼まれた通り、焚火の準備をした。乾燥した木を集めるだけでいいと言われたが、それだけでは、火は付かない。最初は燃えやすい乾燥した草や木の皮が必要になる。そこから火を大きくするのだ。
「まだ終わらないの?」材料を集めていると、彼女が馬車から降りてきた。
「そんなにすぐに火は付かない」俺は答える。材料を集めたとしても、そこから火を付けるまでには、数分は掛かる。かなりせっかちなのだろうか?
「集まってるじゃん。ていうか、草なんて一瞬で燃え尽きるのに、なんで集めたの?太い木だけでいいって言ったのに」彼女は俺が集めた材料を見て言った。
「いきなり太い木は燃えない」俺は答える。焚火に関しては、もう素人ではない。手順も手慣れたものだ。
「私も原始人だと思ってる?言っておくけど、私はお腹が減っても毒草を食べないから」そう言って、彼女は太い木を燃やした。
一瞬の内だった。コドクノシロにいた魔術師たちは、火の魔術も扱えた。でも、彼女がやったのは、そうではない。
「異能か」俺は呟いた。
彼女はこちらを見る。それで、太い木だけを集めろと言ったのか。確かに、太い木を燃やせる火力を持っているなら、草も枝も集める必要はない。でも、そんなことができるなんて、想定していない。それができるなら、初めから言って欲しかった。
「魔術師が言う『異能』には、正式名称がある。『異能』って言葉は、傲慢な魔術師が勝手につけた呼び名だから」彼女は両手を焚火の炎に向けながら言った。
「ギア。それが正式名称。ギア使いとか、ギア能力者とか、ギアとか、そんな風に呼ばれている。オーラを纏うやつというより、オーラをもう一段階発展させた、自由に扱えるやつをギアと呼ぶことが多いかな。たぶん、そこで一段階ギアが上がるからだと思う。ギア能力者が使う特異な能力をゴーストと呼ぶ。魔術師同士の会話以外で『異能』って言わない方がいい」
「なんで?」俺はきいた。
「魔術師ってバレるから」
「バレたらマズいのか?」
「人によっては、その場で殺される」
「穏やかじゃないな」
「仕方がない。こんな世界だし」彼女は諦めたように微笑んだ。
「お前のゴーストは、ロープを生み出し操る能力と、炎を出す能力か?かなり系統が違うみたいだけど、そんな風にでもできるのか?」
「えっ?まぁ。そんなとこ。条件をどうするかって問題だから」
濡れた髪が焚火の熱で渇くように、焚火を挟んで座った。
異能こと、ギアを習得すると、大まかに二つの利点がある。一つは、身体能力の向上だ。スピードや跳躍力、パンチ力や防御力など、様々な能力がオーラを体に纏うことで向上する。これだけでも、圧倒的な力の差となる。オーラを纏っていたなら、素人の金属バットを腹に食らっても、大したダメージにはならないだろう。
もう一つは、そのオーラを使い、特殊な能力として扱える。魔術師は異能と呼んでいたが、世間ではゴーストと呼ぶらしい。クロのロープもそうだろう。モグラは、虫を生み出し操っていた。この特殊能力は、願望がそのまま力として具現化する傾向がある。サンプルは少ないが、そのように観察された。
魔術師の持つ能力と、ギアの決定的な違いは、体力を消耗するかどうかだ。魔術師の持つ能力は、固有スキルのようなもので、体力を一切消費せずに発動できる。俺の『ドライバッテリィチープハート』は、刀さえ手にすれば、一歩も歩けないほど弱っていても、金属を切断できるだろう。ただ、ギアの場合は、そうじゃない。力を使えばその分だけオーラを消耗し、それはそのまま体力を削る。当然、疲れていれば、安定しない力だ。魔術師は、基本的に、魔術と固有スキルを使って戦う。ただ、固有スキルを手にした魔術師は、才能ある一部の魔術師だけらしいが。俺も魔術師だが、魔術は使えないので、固有スキルとギアを使って戦う。
今晩はここで野宿するらしい。夜通し走り続けたら良いのに、とも思ったが、馬にも休息は必要なのだろう。
「火を焚いたから、虫は寄ってこないと思う。それじゃ」彼女は馬車に戻ろうとした。
「あれっ?俺だけが外なのか?」
「あったり前じゃん。部屋が一つしかないんだから」彼女はしかめっ面をした。
「まぁ、そうか」それが当たり前の感覚だろう。コドクノシロで麻痺していた。
「この辺は肉食の獣もいるだろうけど、油断しなければ、たぶん、大丈夫」
「人を襲うのか?」
「そういうやつもいるだろうね」
「なぁ。一つだけきかせてくれ」
「なに?」彼女は立ち止まった。
「なんで、俺を信頼している。寝込みを襲われると思わないのか?」
「ああ。うん。襲ってきたら殺す。死にたくなかったら、許可なく私に触れるな」彼女は冷たく睨んだ。
「いや、そうじゃない。そんな言葉だけの抑止が意味を持たないのが、異能…じゃなくて、ギアなんだろ?」
つまり、ギア能力者は、拳銃を持った人間以上の強さを持つ。寝込みを襲えば、誰だって簡単に殺せるだろう。今日、知り合った人間が近くで眠っているなんて、不安に思うはずだ。隔離して、閉じ込めても不思議じゃない。そのせいで、コドクノシロは半壊したのに。彼女の余裕はなんだろうか?
「私とあなたじゃ、強さのレベルが違う。今の私は本調子の百分の一も出せないけど、そこから百分の一くらいの力を出せば、あなたには勝てるから」
「ガキみたいなことを言うんだな」
彼女はニッコリと笑った後、馬車の中に消えて行った。
溜息をついて、周りを見渡す。巨大な馬は、脚を畳んで横になっている。今日一日で、大きく変化した。彼女と会ったのが、一番の要因だろう。こんな広いサバンナで出会えて、ホントに幸運だった。彼女はこの辺の地理にもそれなりに詳しいらしい。明日には、街に着くそうだ。
焚火の炎をぼんやりと眺めていた。馬車の中で硬いパンを食べたが、栄養も空腹も満たされてはいない。湖の水をたらふく飲んで誤魔化したが、それでも足りない。獣がいるなら会いたいものだ。
その日は、そのまま横になっていたら、いつの間にか意識を失っていた。