第一章 4
大きな馬の後ろの建物は、リアカーのように、二つの大きな車輪が地面に接している。車輪のホイール部分は、金属製だった。アルミやスチールだろうか?鉄や金ではないことは、一目でわかる。軽くて強度のある素材なのだろう。その外周にタイヤのようにゴムが付いている。このタイヤも巨大で、直径が三メートル、幅は五十センチもある。
建物の入口は、一・五メートルの位置にあり、そこまでの階段らしきものはない。老人には入れない構造だ。いざとなれば、スロープが出てくるのだろうか?
建物の柱は朱色の木材で、白の壁に金色の装飾が施されている。黒の三角屋根だ。たぶん、雪も積もらないだろう。豪華絢爛といった建物だが、それに車輪が付いて、巨大な馬に引かせている。この世界のキャンピングカーのようなものだろうか?それとも、彼女が特別で、名家のお嬢様なのだろうか?昔の時代劇などで見る、貴族や殿様を運ぶ駕籠を巨大にしたかんじだ。
建物と馬は、太いワイヤのようなもので繋がっている。ロープではないのは、ロープだと馬が止まった時に、馬の背後に建物がぶつかってしまうからだろう。ワイヤと建物が結合されている場所は、金属で補強されていた。木造では、強度が足りないのだろう。
「取り敢えず、入ったら」クロはしなやかにジャンプして、建物の玄関部分の足場に着地した。建物入口は、二つあり、馬の進行方向側に一つ。最初、クロはそこから現れた。たぶん、そのドアは、進行方向の確認や馬の様子を伺う為の簡易のものだろう。そして、もう一つは、進行方向とは反対側にある。そちらの方が大きくて立派なドアがあった。メインとなるのはそちらで、どちらにも、ドアの外に少しだけ足場が付いている。足場が壁からせり出しているのだ。角材を打ち付けただけだが、幅が三十センチはある。
彼女に続いて、後方のメインのドアにジャンプした。建物の中に入り、ドアを閉めた。
部屋の中はワンルームで、オレンジ色の光が灯っていた。万屋と言ったのは本当らしく、珍しそうなものが骨董屋のように並んでいた。壺やお茶のセットや武器や宝石に貴金属など、数も種類も豊富だ。安物でないことは、一目見ただけでわかった。一流のものは、なぜだか、それがわかる。服だって、十万を超えるものは、一目でわかる。それがなぜだか言語化できないが、雰囲気で伝わるのだ。ここにあるものも、そうだった。
アンティークのテーブルと椅子が部屋の中央にある。彼女はそこに座っている。彼女は、対面の椅子を俺に勧めた。
もう一度、部屋の中を見渡す。八畳くらいの部屋だろう。天井は一般的な住宅と同じくらいだ。二階への階段はないが、建物の外観からして、屋根裏部屋というか、スペースがあるだろう。ベッドは進行方向右手に一つ。シーツには皺が入っており、彼女が使っているのは、間違いないようだ。
彼女の対面に座る。椅子は二脚だけだ。彼女の前には、陶器のポットとカップがある。俺の前にも、空のカップがあった。
「飲み物は自分でよそって」クロは言った。
喉が渇いている。
飛び掛かりたいほどの衝動を抑えて、紳士的にカップに注いだ。もう、飲んで良いだろうか?あの苦いサボテンモドキから摂取した水分が、四日ぶりだった。当然、あの量では足りない。体が水分を欲している。
「飲んだら?」彼女は見透かしたように言った。
リズと顔がそっくりなせいで、心を読まれたのかと思った。だが、俺の表情や仕草を見れば、それくらいはわかるのだろう。隠しきれていなかったようだ。
カップの中の液体を飲む。
温かい。
初めて飲む味だった。お茶に近く、僅かに苦いが、うま味もある。とても美味しい。あっと言う間に空になってしまった。
「気にしないで、好きなだけ飲んで」彼女は言った。
もう一度注いで、それを飲み干し、また、カップに注いだ。二杯も飲み干したので、体の渇きは癒えた。砂場におもちゃのコップで水を注いだ時のように、水分が体中に染み入るのを感じた。
その時、馬が走り出したのがわかった。クロの他に人の気配はない。自動運転なのだろうか?室内は静かなもので、振動も少ない。サスペンションは見えなかったが、タイヤのゴムが優秀なのだろうか?
「それじゃ、仕事の話をしようか」彼女は言った。「まず、あなたの目的はなに?」
「友人を探している。あとは、離れ離れになった原因となる敵がいたんだが、そいつにも勝てるようになりたい」俺は正直に答えた。
「その友人の特徴は?」
「言葉で言って、理解できるのか?」
「能力の特徴を教えてくれれば、見たことがあるかどうかがわかるから」
「全員、魔術師だから、魔術が扱える」
「あなたは?なんで、さっき縛った時に、本を取り出さなかったの?魔術師って、片手を塞ぐのが好きなのに」
「俺は魔術が扱えない。魔導書の出し方もわからない」
「えっ?」彼女はそこでしかめっ面になった。「オーラを纏っているみたいだけど」
「そう。なんでか、オーラは扱えた」
「扱えるとか関係なく、魔術師は使わないやつらだと思った」
「そうらしい」
「あなたは、壁に囲まれた中で集団生活をしていた?」
「……ああ。そうだ。なんでわかったんだ?」
「若い魔術師は皆そうだから」
「そうなのか?」
「目的があるんじゃない?」
「目的?だから、友人を探している。あと、勝ちたいやつもいる」
「それ以外の」
「ご飯が食べたい。街に行きたい」
「違う。もっと、大きな目的。使命といってもいい」
「ああ。厄災を殺すことか?」
「厄災ね…。あなたも厄災を殺したいと思う?」
「世界を滅ぼしたなら、許されることじゃない」
「そう。まぁ、いいや。厄災に関しては、しばらくは忘れた方がいい。今のあなたの強さを一とするなら、厄災一人の強さは一万以上だから」
「そんなに強いのか?」
「強い」
「なんで知ってるんだ?」
「万屋だから」彼女はニッコリと笑ってカップを口に運んだ。
クロは、リズと声も似ている。骨格が似ていれば、声も似るというが、その通りなのだろう。知り合ったばかりなのに、なんでも話してしまうのは、リズに似ているせいだろう。
リズは、とびっきりの美人だった。この世に二人といないほど、美しい顔をしていたが、それと同じ顔が、目の前にいる。
俺が探しているのは、カリンと、リズと、モチャと、ピンクライムと、マチルダだ。コドクノシロで一緒だったが、敵の襲撃に遭い、離れ離れになってしまった。集合場所をコドクノシロにしてもいいのだが、どこにあるのかわからないし、周りにはなにもないので、畑が駄目になっていた時は、手遅れになる可能性が高い。それに、今のまま戻っても、同じ結果になるだけだ。強くならないと、集まる意味もない。
クロに街まで連れて行って貰えたら、そこで下りて、修行をしなければならない。ここは、食べるものにも困るので、生きるのに精一杯だ。
厄災は、世界を滅ぼした原因だ。枯れた大地も、厄災の仕業だという。四人の厄災を殺すことが、コドクノシロに集まった百人の子どもたちの使命だった。
ただ、俺はその中のシトという魔術師の中に転生というか、突然、魂が入ったような形になるので、その使命はそこまで重要視していない。この体の前任者であるシトの記憶を引き継がなかったので、その使命も持ち合わせていない。異能が異端だという魔術師の考えも、よくわからなかったくらいだからだ。
厄災を殺す理由は、この刀を貰ったエリックの遺言だからだろう。
「それで、協力して欲しいことって?」俺はきいた。
「うん。そうだね。別に簡単なことなんだ。とある人を殺して欲しい」彼女はお使いを頼むような表情で言った。
「穏やかじゃないな」彼女の顔を睨みつける。
「そうでもないよ。悪人を裁くのは好きでしょ?」
「なんで?」
「プラントはそうやって教育されているから」
「プラントって?」
「あなたたちがいた集落。ヤンミャク・ドクタデブリを崇めてるんでしょ?」
「崇めてるっていうか、彼が造ったんだから、感謝はしている」
「そうだね。私は、魔術師の誇りとか、使命とかそんなのに興味はない。話し合いができるとも、分かり合えるとも思ってないし。でも、利害が一致しているなら、協力はできるはず」
「利害が一致しているのか?」
「プラントを襲った敵の居場所を知っている。そいつに会わせてあげてもいい」
「……お前の仲間なのか?」彼女のセリフが引っ掛かった。会わせるって言い方が変だ。
「仲間じゃない。どちらかというと、敵かな。彼の親を殺しちゃったし」
「あの鮫に親なんているのか?」
「……鮫?」彼女は眉間に皺を寄せた。
「巨大な鮫のことじゃないのか?」
「プラントを壊滅させたのは、鮫なの?」
「ああ。そうだ」
「モグラ君は別のプラントを襲ったのか」彼女は呟いた。
「モグラ?モグラって、虫を使うやつか?」
「あれっ?知ってるの?」彼女は少しだけ驚いた表情を浮かべた。
「ああ。そいつなら倒した」
「誰が?」
「俺が」
「あなたが?」
「ああ。偶然だけど」
「そんなことないと思うけど」
「巨大な芋虫を出したり、百足みたいな虫を操る男だろ?」
「そう」
「俺一人の力じゃないけど、倒したのは間違いない。強いやつだった」
「へぇ。油断してたのか。……そっか。死んじゃったか」彼女はどこか、遠くを見た。
「知り合いなのか?」彼女の悲しそうな表情がそう見えたからだ。
「別に。親を殺しちゃったから、少しだけ面倒を見てあげた時期がある。三カ月くらいだけど。でも、私のことが嫌いだったから、邪魔ばっかりするんだよな。たぶん、私を殺そうとしてたんだと思う」
「複雑だな」
「まぁね」
「それで、鮫のやつは知っているか?」
「鮫ね。地面を泳ぐやつ?」
「ああ。その鮫だ。体の大きさも、十センチくらいのやつから、六十メートルを超えるやつまでいる。群れでいると思うが」
「あれは、まぁ、突然変異の鮫だね。どこにでもいる。世界中で被害が出ているみたい」
「鮫の目的は?」
「さぁ、人間を食うことじゃない?」
「なんで食うんだ?」
「餌だから」
「そうか。そいつに勝ちたい」
「今のままじゃ無理だね」
「わかってる」
苦い思い出だ。なす術もなく、一方的に食われた。巨大な鮫の腹の中にいて、そこから抜け出したら、このサバンナにいた。だから、食うのに困っているのは、鮫のせいといえる。
彼女はカップを持ち上げて口を付けた。その視線はどこか遠くを見ている。
「悪かった」俺は謝った。
「なにが?」彼女はこちらを見た。
「モグラってやつを殺して」
「別に。そうしないと、モグラ君に殺されてたんじゃない?」
「どうだろうな?わからない」
「仕方がない。こんな世界で生きているんだから。皆が皆、やりたいように生きたらいい」彼女は諦めたように言った。
沈黙。
馬車の中なのに、静かなものだ。防音がしっかりしているのだろう。テーブルの上のカップの中の液体も、波打つことはない。もしかしたら、馬が止まっているのだろうか?でも、減速したなら、その力を感じるだろう。なにも感じていないのだから、等速で移動を続けているはずだ。
「モグラ君からの復讐を楽しみにしていたのに。死んじゃったか」クロは、静かに呟いた。