第一章 3
気配を感じて目を覚ました。
すぐ横に置いておいた刀に触れる。
弼で張り付けられたような瞼を無理やり剥がして、目を開けた。起き上がると同時に、刀を構えて、周りを見渡す。
太陽は、もう昇っていた。焚火は消えている。景色はいつもと変わらない。
でも、見られないものがあった。
まだ、距離はある。一キロ以上離れているだろう。
あれは、馬車だろうか?
四足歩行の馬のような生物の足音と、その背後の大きな家のような建造物が動く音が聞こえる。建造物からは、鈴だろうか?金属がぶつかる音が、振動の度に聞こえてくる。どこかに吊り下げているのだろう。牽引されている建造物は、大きく、さらに鮮やかに着色されている。朱色と金色と黒の華やかな建物だ。大きな車輪も付いている。
それが、こちらに向かってきている。
思ったよりも馬が速く、あと百メートルくらいまで接近されている。
大きい。
建物も大きいが、馬のサイズが通常の倍はある。馬の背の位置でも、四メートルほどある。頭の位置は六メートルくらいだろうか。それに、脚の付け根の筋肉が凄まじく、見るだけで圧倒されてしまう。こげ茶色の馬で、操舵の為のロープが体に付いている。そこから背後の建物と繋がっているようだ。
建物は、高さ三メートル以上もあり、縦横に四メートルくらいの大きさだ。人工の建造物であることは間違いない。いくら異世界でも、こんな建造物をタンパク質かなにかで生み出す生物がいるはずがない。ヤドカリや蟹などとはわけが違う。
巨大な馬は、俺の前で止まった。
距離は五メートル。
馬の鼻息が、ここまで届いた。生暖かい空気を感じる。
刀は鞘に収めているが、いつでも抜ける準備をしている。構えも同様だ。
この大きさでは、能力だけで斬るのは難しいだろう。異能も使う必要がある。ただ、表情や構えに敵対する素振りを見せてはいない。相手の出方を伺う必要がある。接近と同時に攻撃してこなかったのだから、悪意を持って近づいてきたわけではないだろう。
馬車というか、車輪が付いた小屋を運んでいるのに近い。その家のドアが開いた。
ドアも高い位置にあるので、見上げる形になる。地面と接しているのは、建物の外側に設置された車輪だけなので、家の基礎部分もしゃがめば見えるだろう。馬にさえ踏まれなければ、中腰になるだけで、轢かれずに済みそうだ。
ドアの奥にいた人物に驚いた。
……?
なんで?
「リズ?」俺は呟いた。
彼女はもう一歩前へ。
外の明かりのお陰で、彼女の顔が良く見えた。
リズじゃない。瞳と髪の色が黒だ。でも、リズとそっくりだ。
双子だろうか?瞳と髪を赤に染めれば、リズとの違いがないだろう。身長や体格も全く同じに見える。
もしかして、リズ本人だろうか?フリルが沢山付いている黒のワンピースを着ている。ドレスだろうか?
「なんでこんなところにいるの?」リズにそっくりな女性は言った。声の高さが少しだけ違う。喋り方というか、話すスピードも違った。
「…いや、わからない」俺は答える。
「わからない?なにが?」
「ここに居たくて居るわけじゃない。というか、ここがどこなのかもわからない」
「居たくない人が立ち入れる場所じゃないんだけどな。水も食料も全然ない土地だけど」
「ああ。それは知ってる」
「なんの目的があって、こんなところにいるの?」
「とりあえずは、街に行きたい。ここは水や食料が全然ない土地だから」俺は周りを見渡して、肩をすくめた。
彼女は鼻から息を漏らした。僅かに口角が上がっている。ジョークは通じたようだ。
「そう。それじゃ、ついでについてきてもいいよ」彼女は言った。
……。
敵意は無さそうだ。年齢は十代。たぶん、十五とかそれくらいだろう。歳は近いはずだ。彼女こそ、こんなところでなにをしているのだろう?散歩にしては装備が豪華だ。
「その前に、私のことを知ってる?」彼女の表情は一変して、こちらを睨んできた。
「…知らない。名前は?」ゆっくりと発音した。
「………クロ」彼女は一度、瞳を上に向けた後に答えた。
「そうか」俺は頷いた。間が気になった。たぶん、偽名だろう。やはり、リズではないのだろう。名前ではなく、今まで話してきて、それがわかった。
「そっちは?」彼女は言った。
「……シト」迷ったが、前任者の名前をそのまま使った。元の世界の本名を名乗っても良かったのだが、リズやカリンと会うには、シトの名前の方が都合がいい。彼女らは、俺のことをシトと認識しているからだ。もし、彼女らが、俺を探しているなら、シトの名前を使わないと、伝わらないだろう。コドクノシロでも、シトと名乗って生きてきた。
「水すら持っていないみたいだけど、どうやって生きてきたの?」彼女は見下ろしたまま言った。
「昨日、この葉を少し食べた」俺はサボテンモドキを指さした。
「もうちょっとマシな嘘を付けば?それ、毒を含んでいるけど」
「ああ。それでか。沢山食べると調子が悪くなる」
彼女は呆れたように笑った。
「食べてみせて」彼女は言った。
……。
元々、朝食にする予定だった。ただ、彼女が完全に味方だと確信したわけじゃない。こちらの隙を見て、攻撃してくる可能性はある。彼女との距離は十五メートルほど。でも、お互いに射程距離かもしれない。
彼女はこのなにもない土地を巨大な馬車を利用して移動しているのだから、荷物の中に水や食料がある可能性が高い。だったら、それを分けて貰えるのではないかと、淡い期待をしていた。こんなに不味いものを食べたくはないし、毒があると知ったので、口にするはより一層抵抗がある。
ただ、それは甘えだ。なるべく、彼女から借りをつくりたくない。なら、食事は自分で確保した方がいいだろう。
彼女の動きに警戒したまま、サボテンモドキに近づいた。そして、昨日とは違う葉を斬った。彼女と馬を視界に入れたまま、葉の皮を刀で剥いて、その中身を口にした。
「たぶん、原住民でもそんなもの食べないよ」クロは言った。
それはそうだろう。こんなにも不味いのだから、他のものがあれば、そっちを選ぶ。栄養があるのかどうかも怪しい。
「それより……」彼女はこっちを指さした。そして、馬車から飛び降りた。地面まで一メートルはあるが、彼女の着地は軽やかだった。その動きは、カリンを思わせた。つまり、動けるタイプの人間なのだろう。洗練されていて、無駄がない。
彼女がこちらに歩いてきたので、より一層、警戒する。脚を大きく開いて、半身で構えた。
「待て」少しだけ声を大きくした。
彼女は全く気にする様子がない。意に介さずに近づいてくる。
距離は五メートル。
後ろに下がろうと重心を移動させた瞬間に、背後から気配がした。
振り返った時には、両手、両足の自由は奪われていた。
ロープ?
地面から直径五センチほどのロープが幾つも生えている。それが、俺の体を拘束している。勿論、ここは、突然ロープを生やすような奇怪な土地じゃない。
そうじゃなく、彼女の異能だろう。
「異能か。なんの真似だ?」俺は彼女を睨みつけた。振り解こうと体に力を込めるが、ビクともしない。ロープの縛る力がそれほど強いのか、それとも、体が全く動かない為、力が入りづらいだけなのか。もう少し、あそびがあれば、力が込めやすく、対処も可能だったかもしれない。
油断した。
否。
油断などしていなかった。でも、彼女との会話で、気が緩んでいたのは、確かだろう。彼女の顔がリズと似ていたのも、関係があるかもしれない。
右腕を縛るロープが、さらに強くなった。血液が止まり、指先に力が入らない。刀を地面に落としてしまった。
クロはそれを拾う。こちらを見ない。興味は刀にあるようだ。彼女は、刀を右手で持って、それを眺めた。その後に、振り回して確かめているようだ。
彼女は、突然、刀で地面を斬った。
「おい」思わず声が漏れた。そんなことをされては、刃こぼれがおきてしまう。
彼女は俺の言葉を無視して、刀を見る。そして、今度はサボテンモドキの葉に向かって、ゆっくりと振り下ろした。勿論、振り下ろす速度が遅いので、斬れない。葉が下に移動して、刀の衝撃を逃がしたからだろう。今度は、素早く振り下ろして、葉を斬った。
彼女に剣術の心得はないようだ。握りも、振り下ろし方も、素人の所作だった。
「特別、切れ味がいいわけでもないみたい。どうやったの?」彼女はこちらを見た。
「その刀は友人から貰った大切なものだ。触るな」俺は彼女を睨んだ。
「オーラが特別多いわけでもないし」彼女は無視して、独り言を呟いた。
「この異能を解け」俺は言った。
「異能?」彼女は驚いたようにこちらを見る。「もしかして、あなた、魔術師?」
「……たぶん、そうだ」
「たぶん?」彼女は首を傾げる。
異世界転生だか、異世界召喚だか、異世界転移だかは知らないが、いつものように眠って、目が覚めた時には、魔術師だったシトの体で目覚めたのだ。
そして、魔術と異能があるこの世界の住人となった。ただ、俺自身は、魔術を扱えない。その理由もわからない。だが、異能は扱えた。そのせいで、コドクノシロでは、浮いた存在となっていたが、今は関係ない。
魔術に関しては、からっきし駄目だったが、特別な魔術師が扱える能力だけは扱えた。これは、スキルに近いかもしれない。
『ドライバッテリィチープハート』
それが俺の魔術師としての能力の名前だ。刀を手にすれば、なんでも斬れるチート能力だ。長いので『チープハート』と略している。
サボテンモドキは、能力を使って斬った。彼女はそれを不思議がったのだろう。
「もしかして、呪術?なら、プラント出身か。でも……」彼女は独り言を呟いた。
「これを解け」俺はもう一度言った。
「刀の切れ味を良くする力?」彼女は興味深そうにこちらを見た。
「……そんなところだ」ホントはなんでも斬れるのだが、それは黙っていた。誤解されたままの方が都合がいい。
「ふーん。これ、斬れる?」彼女は後ろに手を回して、次に見せた時には、右手に黒い塊を握っていた。ワンピースの後ろに隠していたのだろうか?
彼女は異能を解いた。ロープは突然消えて、自由になる。彼女は刀を差しだしてくれた。俺を警戒している様子はない。それだけ余裕があるのだろうか?刀を右手で受け取った後、左手で、彼女が投げた黒い塊をキャッチした。金属製の立方体だった。一辺が十センチくらいだろう。かなり、硬い。
「斬っていいのか?」俺はきいた。
「うん」彼女は頷く。
彼女を見る。俺の命を奪うつもりなら、ロープで縛った時に、いくらでもやりようがあっただろう。それをしなかったのは、殺意はないと受け取っていいのだろうか?でも、完全に信頼するわけじゃない。
俺は黒い金属を空中に投げて、そのまま両手で刀を握った。
そして、落下してきた金属を空中で切断した。
真っ二つだ。
空腹で喉も渇いているが、それくらいはできる。
『ドライバッテリィチープハート』は、指定した対象なら、なんでも斬れるからだ。異能と違い、オーラを消費しないし、どれだけ能力を使っても疲れない。MP消費なしで使える、固有スキルみたいなものだろう。これは、一部の魔術師にしか備わっていない能力らしい。魔術師によって、能力は違う。例えば、鎧を纏う能力などもある。
クロは、地面に落ちた金属を拾って、その断面を眺めた。
「オーラは使っていない。やっぱり呪術か。でも、面白いかも。ねぇ、私と一緒に旅をしない?」彼女はこちらを見た。
「……いや、俺にも目的がある」
「どんな?」
「人を探している。あと、倒したいやつがいる」
「どこにいるの?」
「わからない」
「だったら、目的を達成するまで、私と一緒に旅を続けたらいい。こんなところにいるってことは、全く見当もついていないんでしょ?」
「…まぁ、そうかな」
「それじゃ、一緒に行こう」
「お前になんの得があるんだ?」
「あー。やっぱ気になる?」彼女はそこで妖しく笑った。「ちょっと、協力して欲しいことがあるから、ついでに手伝って欲しい。暇でしょ?」
「暇でもない。強くならなきゃいけない」
「その面倒も見てあげる。どうせ、今のままじゃ力不足だから」
「…失礼なやつだな」
「正直なの。私って」
「お前は何者なんだ?」
「今は放浪万屋」
「なんで、俺なんだ?」
「別に、特に理由なんてない。敢えて探せば、こんな水も食料も全然ない土地で会ったからかな」