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第二章 17

 

 祭りが始まった。

 メスのブルジの首を切り、その肉を焼いて、村人に振る舞っていた。

 ブルジの皮は、綺麗に剝ぎ取られた。見事な手際だ。それをやったのは、村に住む女性だった。

 その他にも、チャチャは飲み放題のようだ。あまり美味しくはないから、ありがたくはないが。

 村人は、殺気立っている人が何人かいる。中学最後の部活の大会前のような緊張感だ。結果次第で長が決まるのだから当然だろう。だが、殆どは、いつもより陽気だった。チャチャを片手に、肉を食べる。贅沢な食事だろう。たぶん、優勝は望めない人たちなのだろう。

 オープニング行事も挨拶もなく、村人とブルジが移動を始めた。いきなり始まるようだ。俺は離れた位置で見守る。二十メートルほど離れた位置に、村の女性たちも集まり、行事を伺っていた。彼女らは、アクセサリィを身に纏い、服にも模様が描かれていた。勝負服というか、一張羅というか、特別な日に着る服なのだろう。皮の服の裾から細い紐が何本も垂れている。昔のリーゼントのスターと同じ価値観なのだろうか。

 大きな歓声も緊張感もなく、突然、競技は始まった。障害物競走のようだ。ブルジが木で組まれた障害物を、避けて進む。タイムを計っているわけではなく、どちらが先に往復してくるかで競うようだ。巨大なブルジが身軽に走る様は、見応えがあった。

 ゴーヤとフリーマンとキムチが、圧倒的だった。勝負にもなっていない。三人の中から、長が決まるだろう。

「始まったね」隣にチェコが座った。

「ああ」俺は競技から視線を逸らさずに答える。

 この競技に勝ったのは、キムチだった。

「フリーマンのブルジは、脚の調子が悪いのか?」俺はきいた。

「うん。もう、歳だから。去年、フリーマンのブルジは殺されて、新しいブルジを与えることになったんだけど、キムチが老いたブルジを指定したの」

「……そうか。それはフェアじゃないな」

「うん」

「フリーマンとキムチなら、どちらが長に相応しいと思う?」

「あんまり変わらない」

「そうか」

 次の競技は二頭での綱引きだった。リーバイスを間に挟んではいないが、一トンの牛の力比べは迫力があった。

 ゴーヤの番になった。相手はフリーマンだ。ブルジの首にいつも巻かれているロープと、綱引き用のロープを、キムチが括り付けた。ブルジは所定の位置に付いて、準備ができている。キムチは、ロープの中央部分を掴んでいる。彼が離せば、開始の合図だ。

「初め」キムチが叫んだ。

 それと同時に、ゴーヤとフリーマンは、自分のブルジに鞭を打つ。恐らく、あの鞭はギア能力に必要不可欠なのだろう。

 そして、勢いよく、ブルジは走り出した。ロープはすぐにピンと張り、ブルジの脚元の草は抉れて土が剥き出しになっている。この競技は駆け引きも重要だ。相手のブルジの息が切れたタイミングや、攻めが終わった瞬間にいきなり全力を出せば、一気に流れをもっていけるからだ。ブルジ自身の体力や筋力も重要だが、それだけではないのが魅力だろう。飼い主の頭脳や戦略が鍵となる競技のようだ。

 お互いのブルジは均衡している。やや、ゴーヤの方が優勢だろう。

 その時、ロープがいきなり切れた。

 急に力が抜けたことにより、二頭のブルジは勢いよく転んだ。

 観客の驚く声は、大きくなり、ざわめきだった。

 ゴーヤとフリーマンは、お互いのブルジに駆け寄った。

 俺も立ち上がって、そちらに向かった。チェコも付いてきたようだ。

 ゴーヤとフリーマンのブルジは、脚に怪我を負ったのか、立ち上がらない。その周囲に人だかりができている。村人をかき分けて、その中に入る。

 ………やはり。

 ロープの切れた位置がおかしいと思った。結び目が解けたのかと思ったが、そうじゃない。ロープの中央の部分で、綺麗に裂かれていた。予め、そこに小さな切り傷をつけておけば、二頭のブルジが引っ張る力で、自然とそうなるだろう。ロープは古いが、他の箇所に傷などはない。

 キムチの顔を見る。

「試合を続けるか?」キムチは二人に言った。審判のような厳格な態度だ。

 二人はその言葉を無視する。とても続行は不可能だろう。

 キムチの顔に僅かな笑みが浮かんだように見えた。顔は真剣なのに、口角だけが上がった。

 ……。

 立ち上がって、戻ることにした。

 汚いものを見た。

 近づきたくない。

 今、彼を取り押さえれば、証拠となる小さな刃物を見つけられるだろう。たぶん、掌に収まるサイズだ。鋭利な石かもしれない。もしくは、周囲にそれらしいものが落ちているかもしれない。

 でも、そんな証拠を見つけても、誰も意見できない。彼はこの村の長なのだから。たぶん、今年もそれは続くだろう。

 最終競技は、午後からだった。

 ゴーヤとフリーマンを囲っていた人たちも、やがて、元の位置に戻って行った。

 時間が余ったので、ブルジの肉を頂く。味や食感は牛肉に近く、それよりも少しだけ歯ごたえがある感じだ。とにかく美味い。この肉は、削った肉ではなく、殺して捌いた肉だ。

 明日には、この村を出て行く。ブルジを貰えるかは、怪しいところだ。キムチと親しくなり、彼の指示に従っていれば簡単に手に入っただろう。今からだと遅いかもしれない。

 食事を終えてブラブラと歩いていると、集落の外れに一人座っているゴーヤがいた。そちらに向かう。

「ブルジの怪我はどうだったんだ?」俺は座り込む彼の正面に立ってきいた。

 ゴーヤはゆっくりと顔を上げた。やつれた顔で、十歳は老けて見えた。

「ああ。命に別状はない。ただ、脚を怪我したので、もう、競技に参加はできない。今年は終わりだ」

「そうか。あんな事故はよくあるのか?」

「まさか」彼は無理やり笑おうとしたが、引きつった表情にしかならなかった。

「次は来年か」

「そんな時間はない」彼は呟いた。

「なんで?」

「俺が勝たなきゃいけなかったんだ。クソッ」彼は何度も拳を地面に振り下ろした。

 皮膚が破れ、拳には血が付く。

 でも、彼はそれを止めなかった。

「妹の為か?」俺はきいた。

 彼は止まった。こちらを見る。

「ああ。そうだ」彼は頷く。その瞳には、涙が溜まっていた。

「でも、なんで知っている?」彼はきいた。

「殺されたのは、キムチのブルジだった。殺したのはチェコだ。彼女の破れたブレスレットが、地面に落ちていたんじゃないのか?俺が到着するまでに急いでその石や貝殻を集めた。集めた石は、川の中に捨てたんだろう」

 彼は目を見開いてこちらを見ている。

「ブレスレットの欠片を現場で拾ったんだ。彼女はあの日から、ブレスレットを身に付けていない。だから、ゴーヤは犯人が誰かわかっていた。手綱から、殺されたのが、キムチのブルジだともわかった。でも、彼女が、キムチのブルジを殺したのが、村人にバレたら、彼女に厳しい罰が下るだろう。だから、ブルジを隠して、手綱を交換した。まず、キムチの手綱を、ダンのブルジの手綱と入れ替えた。それ以外のブルジだと、バレるからだ。でも、ダンのブルジをキムチに使われるのが、許せなかった。だから、フリーのブルジの手綱と、キムチの手綱を入れ替えたんだ。ダンのブルジは、フリーのブルジに紛れている。フリーのブルジには、キムチの手綱が、そして、ダンの手綱は、ゴーヤが処分した。手際が悪かったのは、焦っていたからだろう。ダンは、ゴーヤの父親になってくれたんだろ?」

「ああ。そうだ」

 ゴーヤの父親は、旅人だったのだろう。旅人とフリーマンの娘との間に生まれたのが、ゴーヤだ。そしてその後、フリーマンの娘は、キムチの兄のダンと結ばれ、チェコを産んだ。ゴーヤとチェコは同じ母親を持つ兄妹だ。だから、二人は一緒に暮らしていたと、言っていた。

 ゴーヤはブルジの死体を隠蔽し、それを言わなかった。妹が不利になるので、口が裂けても言えなかったのだろう。

「なんで勝ちたかったんだ?」俺はきいた。

「チェコの為だ。あいつは、もう、これ以上は耐えられない。助けるには、俺が長になるしかなかった」

 ゴーヤは、誰よりも早くに起きて、特訓をしていた。優勝だって狙えただろう。でも、こうなってしまっては無理だろう。

 たぶん、キムチの策略によるものだ。一度手にした権力を手放せないのだろう。

 汚いやり方だ。

 でも、だからといって、俺になにができるだろう?

 キムチは、チェコにフリーマンかゴーヤのブルジを殺すように命令したのだろう。さらに、彼女に酷い仕打ちを日常的に行っていたらしい。でも、それはチェコから聴いただけで、真実かどうかはわからない。彼女が嘘を付いている可能性だってある。

 午前に行われた綱引きでも、ブルジを怪我させた決定的な証拠があるわけでのない。経年劣化の可能性だってあるだろう。それとも、第三者が傷を入れた可能性だってある。

 キムチは、悪いやつらしいが、俺に対しては普通に接してくれた。話が通じないわけでもない。権力が彼を変えただけで、根は良いやつなのかもしれない。

 そんな彼を、斬るのは簡単だ。首だって一瞬の内に斬り落とせるだろう。

 でも、そんな権利が俺にあるだろうか?

 殺すほどの罪を彼が犯したのだろうか?

 そこまでの罪はないように思える。

 なら、手足の一本でも斬り落とすか?

 それは彼にとって罰となるだろう。妥当な裁量なのかもしれない。

 でも、彼の犯した罪に対する正しい罰を、部外者の俺が決める権利はない。

 神様にでもなったつもりだろうか?

 この村には、法に近いものが存在する。それに従って罰を受けるべきだろう。長には、その罰が適応されないとしても、法に従う他ない。

 俺は彼の悪事を見たわけでもないし、証拠もない。

 人を斬りたいわけでもない。

 ほぼ確実に、彼は黒だろうが、罪を償う心を持ち合わせていないとも思えない。その余地は残っているだろう。それなのに、部外者の俺が勝手に手を下していい道理がない。彼が罪を受け入れ償うのなら、俺が彼を斬って負わせた傷は、不要になる。そのせいで、更生に支障をきたすかもしれない。

 今の状況は、ゴーヤやチェコにとっては、理不尽で耐えがたいものだろう。

 でも、仕方がない。

 正しいかどうかはわかるが、それに対する裁きまで決める権利がないのだから。キムチは、長となって、それなりに悪事に手を染めたかもしれない。だから、それを手放したくないと、考えている。力を失えば、報復される可能性だってあるからだ。彼の行動は、狂気でもなんでもない。人間らしい行いだろう。頭がおかしくなって、暴れ回っているのなら、取り押さえるくらいの力は貸すが、そういうわけでもない。

 ゴーヤやチェコと親しくなったから、彼が悪者に見えているだけかもしれない。別の視点から見れば、全く違った見え方だってあり得るだろう。

 だから、キムチに対して、なにか裁きに近いことなんてできない。

 仕方がない。

 来年まで耐えるしかないだろう。

「シト」ゴーヤは言った。

 その声は震えていた。

「なんだ?」

「助けて欲しい」彼は俺を見上げた。

 歯を食いしばっている。顔が震えて、赤くなっている。目から大粒の涙が零れた。

 彼は、耐えてきたのだろう。

 今日まで、ずっと。

 今日の為に、特訓を続けてきたのだ。

 誰よりも努力を続けた。

 それを理不尽に踏みにじられた。

「わかった。なんでもするよ」俺は答えた。

 これは、彼が泣いていたからじゃない。

 彼の努力を評価したからじゃない。

 理不尽に憤りを感じたからじゃない。

 キムチが悪人だとわかったからじゃない。

 悪人に裁きを下すなんて、人の道から外れた、神様の真似事なんてできない。

 でも、通さなければならない筋があるだろう。

「宿と飯の恩がある」俺は跪く彼に、手を差し出した。



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