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第二章 16

 

 チェコの家に呼ばれて、二人で食事を取った。

 昨日と同じメニューだった。とても美味しく、満足のいくものだ。

 昨日と違うのは、彼女の服に模様が描かれていないのと、お香も焚かれていない。アクセサリィの類も身に付けていなかった。昨日は、ネックレスを付けていたが、それは棚の上に大事そうに置かれていた。

「女性はオスのブルジの世話はできないのか?」食後の後、俺はきいた。

 俺は椅子に座り、彼女は対面のベッドに腰かけている。距離を取っているのは、彼女の心遣いだろう。

「できない。基本的に、男が一頭のオスのブルジを相棒にして、生涯を過ごすの」

「フリーのブルジが九頭もいたが、あれは食用とか、人の方に不幸があったのか?」

「まぁ、そうね」

「女性はメスのブルジの世話をする」

「うん」

「ゴーヤの父親は、一度もこの村には戻ってきてないんだよな?」俺は急に話題を変えた。

「えっ?そう。行方不明」彼女は驚いた表情を浮かべたが頷いた。彼女の顔は、竈に照らされて、表情が見える。光源を十二時の位置とした時、俺が四時で彼女が八時の位置に座っているからだ。

「手綱の加工の技術は、母親から継承したのか?」俺はきいた。

「うん」

「既に作った作品はあるのか?」

「あるよ。一つだけ」

「キムチの手綱か?」

「そう。なんで?」彼女は僅かに目を見開いて驚いた。

「彼のブルジだけわかったのは、自分が作った手綱だからだろ?」

「そう」

 …………。

 ゆっくりと静かに、深呼吸した。

「チェコの両親は、同じ時期に死んだのか?」彼女は思い出したくもないだろうが、踏み込むことにした。

 彼女は息を呑んだ。両目を見開き、一瞬だけ時が止まったような。でも、竈の火の揺らめきが、彼女の背後の影が、時間の経過を知らせていた。

「うん」彼女は口だけを動かした。

「その理由は?」

「なんで?」彼女の声色は低くなった。でも、外に漏れないように、声量は押し殺している。

「もしかしたら、明確な原因があるのかと思って」

「あるよ」

「それはなに?」

「きいてどうするの?」

「わからない。好奇心だ。答えたくなかっ…」

「事故だって、キムが言ってた」彼女は真っ黒な言葉で遮った。

「……そうか。それを信じているのか?」

「まさか」彼女は呆れたように息を漏らした。

「殺されたのか?」

「たぶん。……どうして?」

「そうだったら、辻褄が合う」

「合うかな?」

「合わないな。怖いくらいに」

「そうね」

「わからないな。なにがしたいのか、全然わからない」

「そうだと思う。だって、私もわからないから」

 乾いた木が破裂する音がした。

 でも、二人とも視線を外さなかった。

「ブルジを殺したんだな?」俺は確かめた。

「……うん」彼女は頷く。

「その罪をどうやって償うつもりだったんだ?」

「今と同じ。間違えただけ」

「それが通用するとは思えない」

「でも、起きてしまえば、覆せない。去年もそうだった。それに、厳罰なんて怖くない。怖いのは、夜に外に出たこと。外に出たら、ブルブル様を怒らせるのに。なのに、私に……」

「キムチが命令した。でも、それは他のブルジを殺すように指示されたはずだ。でも、キムチのブルジを殺した」俺は確かめた。

 彼女は頷く。

「そうか。その理由は?」

「理由?」彼女は首を傾げる。

「…………わからない。どれなんだろ?」彼女は引きつった笑みを浮かべた。

「両親がキムチに殺された理由は?」

「さぁ。わからない。でも、キムは、お母さんのことが好きだったみたい。それをお父さんに盗られたと思ってた。たぶん、それが気に入らなかったんだと思う。私の顔は、お母さんに似ているの。だから、私は何度も呼ばれる。でも、私のお父さんは、キムの兄だから、一番したい行為ができないみたい。だから、日に日に歪んで……。もう、終わらせたかったのかも」

 最後のセリフは、ひとつ前の質問の答えだろう。話している内に、整理されたみたいだ。

 思った以上に、捻じれた村だ。

 皆が、ちょっとずつ壊れている。

「どうしたい?」俺はきいた。

「なにが?」

「許せないんじゃないのか?」

「許せない」

「だったら…」

「でも、仕方ない」彼女は呟いた。

 …………。

「そうか」俺は頷いた。

 この村には、ブルブル様という不思議な神様がいる。元は人間だったらしい。神様が創った不思議な動物と一緒に暮らし、不思議な法が定められている。家と家の間に、塀はなく、敷地の境界線もない。それどころか、玄関の扉もなく、動物を閉じ込める柵も、外敵から身を守る為の壁もない。

 どこにも境界はない。なのに、シャボン玉に包まれているみたいに、皆の心を透明ななにかが、明確に縛っている。

 もう、取り返しがつかないほど、歪んでしまっている。壊れてしまっている。

 だから、正した方が良いだろう。

 そう思っていた。

 つい、今の今まで。

 でも、それは不可能なのかもしれない。

 歪んだ人を排除すれば、正しくなるのだろうか?

 そうすれば、最後に誰が残るのだろう?

 歪んだ法を排除すれば、正しくなるのだろうか?

 そうすれば、この村になにが残るのだろう?

 間違っていると思う。

 彼女がこんな目に合うのが、正しいわけがない。

 でも、どう正すのだろう?

 この村の外からやってきた俺は、正しいのだろうか?

 夜なのに、平気で外に出る俺は、この村の人間からすれば異常だろう。彼女はそのことで苦しんでいるのだから。

 腹が減ったからコンビニの弁当を盗んで、寒くなったから服屋で洋服を着たまま支払いもせずに外に出た。そんな行為が許されるはずがない。あっという間に捕まって、料金以上の損害を受けるだろう。夜に外に出るのは、そんな常識を破っている感覚なのだろう。もしかしたら、墓を荒らしたり、寺に火をつけるほどの愚行なのかもしれない。不吉な結果が、全て結び付けられるほどの。

 俺は身勝手な正しさを押し付けようとしていただけなのではないか?

 こんな生活が続いたなら、彼女は完全に壊れてしまうだろう。

 だから、ここの法を壊して、滅茶苦茶にするのか?

 悪人を斬るのは簡単だ。

 たぶん、村中を相手にしても勝てるだろう。

 でも、村人が残らないのなら、それはただの殺戮だ。

 自分の価値観を押し付けるなら、そうなる。

 ここの法が間違っている。それを利用するやつも間違っている。それに従う人も間違っている。

 間違いを斬れば、なにも残らなくなる。

 ゴーヤもチェコも、乾いた布の端に零した墨汁のように、少しずつ蝕まれているのだから。

 だったら、親しくなった人にだけ、肩入れをするのか?

 それが正しいのだろうか?

 自分と価値観が似ている人を助けて、違ったものを斬り捨てて、それでいいのだろうか?

 止めよう。

 危なかった。

 間違うところだった。

 自分の正義を押し付けて、無駄に人を斬っていただろう。

 彼女の為だと偽って、自分の責任を転嫁していただろう。

 人を殺す罪の重さを和らげようとしただろう。

 寸前のところで、留まった。

 でも、それが正しいのだろうか?

 わからない。


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