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第一章 2


 水と食事を絶ってから四日が経過した。

 三日間、水分を摂取しなければ、人は死ぬとか、動けなくなるとか、そんな話をきいたことがある。まぁ、死にはしないだろうけど、間違いではない。それに近い状態だからだ。

 気温は三十度くらい。湿気が少ないので、不快感はない。太陽は真上。景色は変わらない。風はいつも弱い。

 ちょっとした丘を登ったら、その先に水溜まりがある。

 そんな妄想ばかりを繰り返す。何度目だろう。

 サバイバルにおいて重要なのは、水、食料、火、シェルタらしい。この内、火とシェルタは諦めている。一カ所に留まり生活を続けるなら、必要になってくるが、今は移動を続けなければならない。毎晩、シェルタを造って、火を起こす体力が勿体ないだろう。幸い、ここは、夜でも気温が二十度を下回らない。風は弱く、体温と体力を奪われるほどではない。だから、火も必要ない。猛獣が現れてくれたら、涎を垂らして喜ぶだろう。

 今、必要なのは、水と食料だ。

 三百六十度、地平線まで見渡せられるが、それらしいものはない。これが絶望だろう。

 ここが大海原で、一週間、凪のせいで船が進まなかったとしても、ここよりは希望があるのではないだろうか?釣り糸を垂らせば、魚が釣れるかもしれない。魚から僅かな水分も摂取できるだろうし、腹も満たされる。毎日、十時間以上も歩き続ける必要もない。

 魚が釣れなかったとしても、釣り糸を垂らすだけで、希望になる。それが例え、餌もなく、糸に針だけを付けたものだとしても。釣り糸を垂らす行為、そのものに意味があり、目的となる。あとは、風が吹くか、魚が食いつくのを待てばいい。可能性は低いだろうが、ゼロじゃない。

 でも、ここはどうだろう?

 例えば、歩くのに疲れて、この場に寝転がって休憩しても、地面からタケノコが生えてくるわけでもない。ハゲワシが頭を突いてくれるわけでもない。水と食料を見つける為には、歩かなきゃいけない。でも、地平線まで、それらしいものが、見当たらない。

 それがずっとだ。

 ずっと。

 何日も。

 景色は変わらない。偶に、泥水がある。それを啜って腹を壊すが、飲む以外の選択肢などない。生き物は見ない。蚊も蠅も飛んでいない。昆虫を見つけたら、それをそのまま食べるだろう。でも、それすらいない。諦めて、立ち止まりたくなるが、それが一番、死に近づく行為だ。

 北に進んだのは間違いだったんじゃないか?そんな疑問が脚を重くする。粘着質な糸に絡まったように、体が鈍くなる。このまま進み続けても、意味がないように思える。

 少なくとも、戻れば、水は確保できる。そこから、また、進む方向を決めればいい。

 戻るか?

 立ち止まり、振り返る。

 振り返っても、全く同じ景色があるだけだ。

 目を閉じて、大きく深呼吸した。

 駄目だ。

 悪い方向に思考が進んでいる。

 早く水を飲まないと、体が持たないから、余計にそうなるのだろう。

 鞘から刀を抜いた。

 ゆっくりと。

 でも、体は滑らかに動く。

 異世界にきて、何度も繰り返した動きだからだろう。

 目を閉じて、大きく息を吐く。

 目を開けて、五メートル前にある樹の枝を斬った。

 振り返る。

 一歩で十メートルほど移動した。

 斬った枝が、ゆっくりと地面に落ちた。

 滑らかな切り口だ。

 往復で二十メートルを無駄にしたが、それ以上に心の平安を得た。

 刀を鞘に戻して、斬った枝に向かった。

 能力ではなく、異能を使って斬ったので、切断面を確かめたかったからだ。悪くない。疲れているからオーラの総量も減っているが、それでも、これだけのパフォーマンスができれば上々だろう。

 そのまま顔を上げて、北に向かって進んだ。

 三時間ほど歩き続けると、紫色の大きな花が咲いていた。何度か見かけた花だ。これはサボテンに近い植物だろう。サボテンモドキと勝手に名付けている。たぶん、多肉植物に分類されると思われる。それが花を咲かせているのだ。サボテンと違って棘の類はない。外敵がいないから、植物も身を守る必要がないのだろう。花の直径は一メートルほど。老いた犬が横たわるように力なく咲いているが、これがこの植物の花の咲かせ方なのだろう。目にするのは三度目だ。花びらに触れると、乾燥していないのがわかった。花びら特融の柔らかさと、艶っぽさがある。植物の葉の一部を刀で切断した。葉の硬さや内部の構造は、アロエに近い。ただ、葉の厚さが拳ほどはあるし、幅も四十センチはある。

 この葉は、少しだけなら食べられる。多量に摂取すると、腹痛や嘔吐や下痢の症状が表れるが、少量であれば、体が耐えられる。毒があるのかは不明。たぶん、含まれるのだろう。でも、この近辺では、数少ない水分を含んだ食料だ。葉の表皮を刀で剥き、中のゲル状の薄緑色の部分を口にした。

 苦い。

 不味いなんてものじゃない。食えたものじゃない。でも、食べられるものがこれしかないのだから、仕方がない。このサボテンのような、アロエのような多肉植物は、数十キロの範囲に一つだけ、ポツンと生えている。種をどうやって飛ばしているのかは不明だ。花を咲かせているのだから、鳥や虫を媒介させて、種の存続を図っているのだろうが、それらしい生物は見当たらない。そもそも、この植物の花には、蜜がない。樹齢は、そこらに生えている広葉樹よりも、長いだろう。

 コンビニのおにぎり程度の量を食べた。空腹は収まらないが、これ以上はチキンレースのようなもので、一歩でも許容量を超えれば、全てを失うことになる。もう、失敗したくない。こんなサバンナのど真ん中で、嘔吐と下痢に見舞われるのは、二度とごめんだ。

 それに、空腹の一口目から、既に舌が拒絶反応を起こしている。歯磨きの時のように、舌が口の中の最下層に引っ込んでいるからだ。なるべく、舌に触れないように咀嚼して、無理やり飲み込む。口の中に残った水分には、吐き出したくなるほどの苦みが残っているが、それも、無理をして飲み込む。水で流し込みたいが、その水がないから、困っているのだ。

 違和感があり周りを見渡したが、原因となるのは、目の前のサボテンモドキと勝手に呼んでいる多肉植物以外に見当たらない。今日は、この辺で休むことにしよう。明確な目的地もないので、どこまで歩くかの采配が難しい。なるべく進みたいが、食料や水がある場所まで、数日掛かる可能性だってある。その場合は、焦っても意味がない。

 精神的に参る毎日だ。

 元の世界に住んでいた時に、旅をしたいと思った時がある。学校に行かずに、電車で遠くに行って、綺麗な景色を見てみたいと、ぼんやりと考えていた。

 その理想と、現状との違いは、幾つかある。一つは、目的地だろう。村や集落があれば一番良いが、それらしいところがあるのかも不明だ。それに、どこにあるのかも検討もつかない。

 その次に、現在地がわからない。太陽を頼りに北に進んでいるが、真っすぐ北に進んでいるわけでもないだろう。たぶん、歩いてきた道をアプリに表示させれば、クネクネと曲がっているはずだ。

 本州の山口から青森まで、地図を持たずに歩けと言われたなら、迷いながらでも、目的地に辿り着けるだろう。標識や看板を頼りに、もしくは、海沿いを歩けば辿り着く。自分が今、どの辺りにいて、ゴールまでどの位なのかがわかれば、計画も立てられるだろう。今は、それができない。

 目印になる建物も皆無で、間違い探しのような景色が、ずっと続いている。北に進んだ先に、目当ての場所があるのかどうかもわからない。

 学校生活には飽きていた。異世界というものに憧れも抱いていた。

 でも、これはないんじゃないか?こんな絶望からの始まりだろうか?全てを失ったばかりなのに。

 思考とは別に、体は動いていた。折れた枝を集めて、その中でも乾燥しているものを選んだ。太い木の枝に、刀で窪みを作り、そこに枝を立てて、いただきますのポーズで、立てた枝を挟んで、何度も手を擦り合わせた。細い枝を回転させて、その摩擦熱で火種を創る原始的な方法だ。

 異世界にきた時に、元の世界と違ったところがいくつかある。その中の一つは、自分の体が違う。今、俺がいるこの体は『シト』と呼ばれている人物の体だ。異世界で目覚めた時に、シトと呼ばれる人の体で、俺は目覚めた。どうしてそうなったのかはわからない。誰かの能力が関係しているのか、それとも、偶然なのか、神様の仕業なのか。

 なにもわからない。

 ただ、俺はシトと呼ばれる人物の体を操っている。前任者であるシトの記憶はない。ただし、この世界の文字は読めたので、前任者が学習した記憶は使えるのかもしれない。記憶喪失になっても、言葉は話せるし、文字も読めるし、卵の割り方や、自転車の乗り方は忘れない。それと同じように、前任者の体の記憶は残っているのだろう。ただ、どんな人物だったのかは、一切わからない。今の体を乗っ取られるような格好良い設定も、今のところない。

 そして、この体の一番の恩恵は、運動神経が良く、さらに、体力も凄まじいところだ。元の世界の十種目金メダリスト並みの運動神経はあるだろう。それは、オーラを使わない、生身でのことだ。

 つまり、この体だから、何日も歩き続けていられるし、原始的な火起こしでも、苦にならない。今の環境は最悪だが、悪いことばかりでもないのだろう。元の世界の俺の体のままだったら、とっくに死んでいただろうから。

 細い煙が出てきた。地面に生えている根の短い細い草を集めたものを火種に被せて、息を吹きかけた。草を丸めた中心部分が、僅かに赤くなる。もう一度。

 火の玉のように草全体が燃えたので、樹の枝に移して、火を大きくした。こういった作業も慣れたものだ。前は憧れていたが、それは、キャンプや災害時に使えれば良いと思っていただけで、それ以外の選択肢がない状況など望んではいなかった。日本に住んでいるなら、キャンプも災害も一時的なものだからだ。

 焚火の炎が安定した頃には、太陽は低い位置にあった。ここで留まって正解だろう。サボテンモドキは、切断した状態で持ち歩くと、すぐに腐る。黄緑色のゲル状の部分が、茶色く変色するからだ。黄緑色の時点で不味いのだから、茶色に腐った状態を口にしたくない。毒とわかって口にするほど、余裕があるわけでもない。だから、明日の朝になったら、もう少しだけ食べて、ここを出発すればいい。

 太陽が完全に沈むと、満点の星空となる。天の川らしいモヤも見える。本当に、天に川が流れているように見えるのだ。星座の名前だけは、指の数ほど知っているが、どれがどの星座なのか、元々知らなかったから、今見ているものが、元の世界で見た星空と同じかどうかはわからない。それに、元の世界では、ここまで沢山の星は見られなかった。写真で見た程度だろう。こんな綺麗なものに名前を付ける理由もわからない。これら全てに名前を付けようと思う精神構造を知りたいものだ。たぶん、その場には、二人以上いたのだろう。

 風で樹が揺れる音と、時々、焚火から発せられるパキッとした乾いた音を聞きながら、目を瞑った。



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