第1話:ボーイ・ミーツ・G
「………な、何だこれ?」
目の前の光景のあまりの酷さに、思わず声が漏れた。
本当に何だこれ?
この状況は何なんだ?
俺、御法司 は、とても混乱していた。それはそれは混乱していた。
なんかもう言葉では言い表せないくらいに混乱していた。
今日は7月7日。とても普通の日だ。
時刻は夜の7時過ぎ。すごく普通の時間だ。
場所は岡山駅前の広場。世界一普通の場所と言っても過言ではない。
何もかも普通でいつも通り――のはずだった。
その証拠に、俺の目の前では、普通の駅前らしく多くの人がうろついている。
例えば、スーツを着込んだサラリーマンっぽい人。
例えば、流れに逆らって進んでいく忙しそうな人。
例えば、ながらスマホをしているギャルっぽい人。
他にも、すでにかなり酔っぱらっている陽気な人。
などなど、本当に大勢の人々が目の前を行きかっていた。
何の変哲もない日常の、ありふれた光景だ。
ただ1点、それらの人々がみんな等しくゴリラであることを除けば。
自分でも何を言っているのか分からないが、そもそも何が起こっているのか全く分からない。
全く意味は分からないが、俺の目の前では――
例えば、スーツを着込んだサラリーマンっぽいゴリラ。
例えば、流れに逆らって進んでいく忙しそうなゴリラ。
例えば、ながらスマホをしているギャルっぽいゴリラ。
他にも、すでにかなり酔っぱらっている陽気なゴリラ。
などなど、本当に大量のゴリラが蠢いていた。
えげつないくらい変哲があり、全く見たことのない地獄のような光景だ。
ここで、もう一度最初の疑問に戻りたい。
何だこれ? この状況は何なんだ?
※※※※※
――数分前。
俺は、駅前の電気屋でのんきに買い物をしていた。
よく思い出さなくても、店員は人間だった。周りのお客も人間だった。当然のことであるが、ゴリラの「ゴ」の字も存在していなかった。当たり前であるが、人間は人間の見た目をしていたのだ。
だが、買い物の終了と同時に平穏な生活も終了したらしい。
店を出ようと、自動ドアをくぐるとそこはゴリラの国だった。振り返っても店内はゴリラの国になっていた。
疲れているのかな? と思い、目をごしごしとこすった後、もう一度ゆっくり見てみた。しかし、ゴリラは消えなかった。
混乱しているのかな? と思い、大きく深呼吸をした後、もう一度はっきり見てみた。まだ、ゴリラは消えなかった。
夢を見ているのかな? と思い、頬をつねった後、もう一度しっかり見てみた。それでも、ゴリラは消えなかった。
何度見直してもゴリラが消えてくれない。ゴリラはそこに確かに存在していやがるのだ。
つまり、俺が自動ドアをくぐった瞬間に何かがあって人がゴリラになった、という事になる……のか? ……何かありすぎでは?
※※※※※
目の前の光景が信じられず、ふらふらと電気屋から駅前広場まで来た俺は、改めて地獄とご対面。そこで、ようやく現実を受け入れ『何だこれ?』という疑問を抱くに至ったのである。
どうやら、世界はゴリラで満たされたらしい。見渡す限り全ての人はゴリラだ。人間の見た目をした人間はただの一人も見当たらない。ゴリラの大群が服を着て夜の駅前を闊歩していやがる。
だが、問題はそこじゃない。いや、人がゴリラになっていることも大問題なのだが。それを上回る問題があるのだ。
一番の問題。それは、パニックが起きていないこと。人がゴリラになっているにも関わらず、だ。
普通、服を着たゴリラが歩いていたらパニックになるだろう。ていうか、なれ。今もなってくれ。『もしかしてゴリラになってる~!?』みたいなやり取りがそこら中から聞こえてくるのが普通のはずなのだ。
だが、ゴリラどもはパニックなど起こさず粛々と過ごしている。まるでそれが当然であるかのように。
そして、ゴリラどもは別に「ウホウホ」言ってるわじゃない。普通に日本語を話しているのだ、ゴリラのくせに。見た目以外は普通の人間のままなのだ、ゴリラなのに。
傍から見ると、ゴリラの見た目をした人間がうろついているだけなのだ。みんな何してるの? ハロウィーンには4か月くらい早いよ? 仮装だとしても趣味が悪すぎる。今すぐその毛皮脱いでくれ。
ここで、声を大にして主張しておきたいが、俺はゴリラになっていない。
俺の手にも足にも顔にも毛皮はないのだ。俺は人間をやめてないぞ!
ただ、俺だけが人間の見た目であることも注目されている様子はない。
つまり、人間がゴリラの見た目をしているという現状と俺だけが人間のままだという現状を正しく認識しているのは俺だけという事になる。
ここで、三度、最初の疑問に戻りたい。
何だこれ? この状況は何なんだ?
みんなゴリラの姿のまま普通に過ごしている。多数派は圧倒的にゴリラであり、民主主義に則れば正しいのはゴリラだ。
…………俺がおかしいのかな? …………違うよな?
落ち着け。混乱しているだけだ。俺はおかしくない。おかしいのは絶対に世界の方だ。そう信じないとやっていけない。
待てよ、この惨状は岡山だけか? まさか世界中ゴリラ? そんなことある?
てか、俺はどうすれば良いんだ。何をすればいいんだ。頼むから誰か助けてくれ。
そんな風に俺が悩みに悩んでいる時、後ろからドンっとぶつかられた。
完全にボケっと突っ立ていた俺が悪い。
とりあえず、謝ろうと振り返ると、
「あっ、すいません」
「…………っ。いえ、こちらこそすいませんでした」
…………何もおかしくない。
ぶつかった二人がお互いに謝った。ごく普通の常識的なやり取りだといえよう。
そのやり取りが、スーツを着たゴリラと普通の人間の間で行われた。ただ、それだけだ。何もおかしなところはない。……おかしく…………な……い。
「………………っ」
…………限界だ。
これ以上自分を誤魔化したら心が壊れる。
「な、なっ……」
今まで、こらえていた思いが口からこぼれる。
「なんっじゃこりゃぁあああああああああああーーーーーーっ⁉」
というより、思いっきり叫んだ。