体育祭②
体育祭期間中の準備期間中はグラウンドにテントなどを設営しているため部活がなくなる。
その分体育祭の準備が入ったりするのがだが今日は休みだ。
匠は頼まれていた放送用の機材をテントに運んでいた。
放送用の機材と言ってもスピーカーのような大がかりなものではなく、ただのマイクだったため一人で十分な作業だった。
マイクを所定の位置に置いてスピーカーに接続した。
接続がきちんとできているか確認するためにマイクをたたく、ではなくマイクに向かって「あー」と声を出した。
今までの匠なら声を出すなどしなかっただろう。
これも成長なのか。
作業を終えてグラウンドから去ろうとすると一人の生徒に目がいった。
今日は準備がない、部活もない、故にグラウンドには誰もいないはずだ。
匠はその生徒が誰なのか気になった。
だがすぐにわかった。
遠目でもわかるほどその生徒のことを知っている。
匠はいつも通りポケットに手を入れたままその生徒の方に歩み寄った。
「九条、自主練か」
バッドが空を切る音が響く中、匠が努に聞いた。
よほど集中していたのだろうか努は匠の足音に気づかなかったようだ。
匠の声に一瞬ビクッとなりながらも匠の顔を見るとほっとした表情になった。
「精が出るな」
匠はすこしわらいなが少し笑いながら言った。
今までならば笑うどころか努に声もかけなかったかもしれない。
匠は今までの匠ではない。
匠は昔の匠に近づいていた。教師に憧れ。教師になれたことを喜んでいたあの頃の匠に。
一方の努はその言葉を聞くと少しくらい表情になってしまった。
「・・・・・・俺、野球続けていいんですかね・・・・・・」
匠は部活のことをあまり知らない。
部活を持っていない分他の教師に比べてその手の情報網は鈍いのだ。
神妙な雰囲気を漂わせる努を心配した。
「どうした?」
「他の部員が上手すぎるんですよ・・・・・・俺なんかじゃ・・・・・・」
春にも同じようなことを聞いたような気がする。
だが今回はそのときよりも深刻なようだ。
匠は何と言っていいか迷った。
しかしその逡巡は一瞬で終わった。
なぜならやりたいことをする楽しみ、やりたいことができる喜びを誰よりも知っているからだ。
「努、どうして野球部に入ったんだ?」
優しい語り口で言った。
努は匠の顔をまじまじと見た。
こんなに優しい口調の匠は初めてだった。
優しさにあふれ、包容力にあふれていた。
「・・・・・・好きだからです」
「どうして」と改めて聞かれると少し迷ったが自分の頭の中に最初に浮かんできた素直な気持ちを答えた。
匠はその答えを聞いて安心した。
「じゃあ、野球をしていて楽しいか?」
「はい」
その答えを聞いて微笑んだ。
「だったらそれでいい。自分の好きなことをやった方がいい。九条も知っていると思うが俺は昔から教師になりたかった。なれたときは嬉しかった。なりたての頃は毎日が楽しかった。まぁ、その後いろいろあったがな・・・・・・それでも、今もまた楽しくなってきた」
そこでいったん話しを区切った。
一秒ほどの沈黙が駆け抜ける。
「だから九条も好きなことをしろ。他の部員と競い合うのも部活の醍醐味だが、自分がのびのびとやるのも部活だ。自分の全力をぶつけろ」
匠は右手で拳を作って努の胸にポンッと軽く当てた。
努は状況を把握できていなかったが、徐々に把握してきた。
そして喜びに満ちた顔になった。
「はい!」
それだけ言うとまた素振りに戻った。
匠は体を反転させて歩き去った。
匠の言葉に努のバッドの音が応えていた。




