少し余談 匠と彩羽のクリスマス①
これは匠と彩羽がまだ学生時代の話しです。
もしも匠たちの歯車が狂わされてなければ・・・・・・
「はぁ、はぁ、はぁ」
大学4年の匠は駅構内を走っていた。
周りが白い目で見てくる。特に今日は一人で走っていることがおかしい。そんな日だ。
匠も走りたくて走っているわけではない。だが、走らなくてはならない。
(ち、遅刻だ・・・・・・)
息を切らしながら全力で走り続けた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
なんとか待ち合わせ場所に着いた匠は限界に来ていた。
手を膝について精一杯息を整えようとする。
目の前の息が白くなっているにもかかわらず額からは汗が出ている。
(い、い、彩羽は・・・・・・)
匠は周りを見たが姿が見つけられずにがっくりしていた。
「こら。女子を30分待たせるなんて。何事だ」
うずくまるような格好をしていた匠の上から声が聞こえた。と同時にほおにぬくもりを感じた。
匠はゆっくりと顔を上げた。
そこにはわざとらしくほおを少し膨らませた彩羽がいた。
ぬくもりは彩羽の持っていた缶コーヒーだった。
彩羽はその缶コーヒーを匠に渡した。
「約束すっぽかしたのかと思ったよ」
しょうがないね、と言いながら微笑んだ。
「い、彩羽・・・・・・帰ったのかと・・・・・・」
匠は少し涙目になっていた。
「何言ってるの?今日はクリスマスだよ。恋人の日だよ。たっくんと過ごさなくてどうするの」
と言うと匠の手を引っ張って走り出した。
「たっくん、ほら、行くよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ・・・・・・もう足が・・・・・・」
「自業自得でしょ」
匠の訴えに耳を貸すそぶりを見せず、足を緩めなかった。
二人の周りは気温が実際よりも温かい空気が包んでいた。
「彩羽、今日は本当にごめん」
「いいよ。怒ってないし」
二人はすでに走るのをやめ、横並びで歩いていた。
匠が遅れたことを謝ると彩羽は口では怒っていないとは言いつつそっぽを向いた。
「どうせ、ギリギリまで研究してたんでしょ。私は有機化学よりも下の女ですよ」
「ち、違うって。今日は・・・・・・その・・・・・・」
わなわなしながら言い訳?をしていた。
その姿が面白くて彩羽は吹いてしまった。
「ははははは。冗談、冗談。たっくんらしいね」
「いや、それは違うくて・・・・・・」
「じゃあ、どうしたの?」
「そ、それは・・・・・・」
匠は黙ってしまった。
彩羽は訝しく思った。クリスマスに彼女に言えないこと?
「あっ、でも安心してくれ。俺が好きなのは彩羽だけだから」
彩羽の雲行きが怪しくなったのを見て、誤解が生まれないように言った。
そのまっすぐな告白にほおを赤くした。
「そ、そんなにはっきり言わなくてもわかってるよ」
顔が熱すぎる、と彩羽は思った。
今、氷をおでこに当てれば一瞬でとける自信があった。
その姿に周りにいる恋人たちも見とれてしまった。
「たっくんってさ、どうして研究職に就こうとしないの?実験にすごい合ってるんでしょ?」
「俺は昔から教師になりたかったから」
彩羽の体感温度は微熱までに収まっていた。
話すことはたくさんあったがなんとなくこの話にした。
「なら、アカデミックは?教授にも勧められてるんでしょ」
「俺は高校の教師になりたいからな」
「ふーん、今カノの前で昔好きだった人の話するんだ」
彩羽はこれで匠が慌てると思った。
匠が慌てた姿を見れば自分ももう少し落ち着くことができると思った。
だが、匠は慌てる様子もなく、
「違うよ。好きだったんじゃなくて憧れてたんだ。そこに恋愛感情は一切ない。一緒になりたいじゃなくて、一緒の立場になりたいと思っただけだ。一緒になりたいと思ったのは彩羽が初めてだよ」
匠は自分の教師という夢を確実なものにしてくれた一人の教師のことを思い出していた。
「そう言えば、彩羽はどうして教師に・・・・・・って彩羽!」
彩羽が教師を目指し始めた理由を知らなかったと思った匠は隣にいる彩羽を見たが、彩羽は顔を真っ赤にしてうつむいていた。
「大丈夫か、彩羽!熱か?とりあえず、座れるところに・・・・・・」
匠はキョロキョロと見回して座れそうな場所を探した。
そのとき服の袖がキュッと引っ張られるのを感じた。
見ると彩羽が袖口を握っていた。
「ち、ちがうよ・・・・・・たっくんが悪いんじゃん・・・・・・」
「えっ、俺が?マジで?何したっけ」
必死に自分の行動に失礼がなかったか匠は考えた。
(違うよ・・・・・・こんなところでプロポーズみたいなことを・・・・・・)
思い出そうと腕を組んでいる匠を見て彩羽は思った。
(でも、そんな少し鈍感だけど、優しくて、想いをはっきり伝えられるたっくんが私も大好きだよ)




