花火大会④ ラスト
「・・・・・・すまんな、こんな話」
均衡を破ったのは匠だった。
匠は弱々しく立ち上がった。
筋力が著しく衰えたのか手足に力が入らない。
脱力感が体の動きを妨げる。
視界がぼやけ、焦点が合わない。
歩こうとすればバランスを崩して倒れそうだ。
「忘れてくれ。こんな空気にしたが花火大会楽しめ」
自分の体に鞭を打って歩きだす。
何人かの生徒が匠を見るが声が出ない、何を言っていいかわからない。
匠も見られていることを知りながら何も言わずに去ろうとした。
「匠先生!」
来夢の声に匠は足を止めた。
だが振り返ることができなかった。
もう涙を我慢するのも限界だ。これ以上生徒の顔を見ると心が取り返しがつかなくなる気がする。
「な、んだ・・・・・・」
言葉を絞り出す。
これしか言わなかったのではなく、これしか言えなかった。
「私たちは先生の生徒です。先生は私たちの先生です」
来夢の目からは涙があふれている。
声も涙ぐんでいたが精一杯の力を込めて声を出す。
「先生は確かに色々なものを失いました。でも、それは先生の責任ではありません。先生の愛情を、先生のやる気を、先生の情熱を理解できない人たちの責任です」
(やめてくれ・・・・・・それ以上は・・・・・・)
「でも今は私たちがいます。先生のことを受け入れることのできる私たちがいます」
(やめてくれ・・・・・・)
「私たちだけじゃありません、双葉先生、潮理事長、他の先生方も全員匠先生のことを理解して受け入れています」
(や、め・・・・・・)
「昔のことはいいじゃないですか。先生には今があって、今が先生にとってかけがえのないものになれば」
(あ、り・・・・・・)
「だから、だから先生!」
「私たちと一緒にもう一度先生のなりたかった『先生』を目指しましょう!私たちが先生を支えます!だから先生は私たちを頼ってください!私たちも先生が『先生』になれるようにたくさん頼りますから!」
その言葉は力強かった。
来夢の声には精一杯の明るさが、精一杯の優しさがこもっていた。
その言葉に匠は涙を我慢することができなくなっていた。
来夢の温かさに。
来夢の優しさに。
匠は感謝した。
「あ、ありがとう」
振り返りながら匠は言った。
その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていたが笑っていた。
それは微笑みでも、微少でもなく本当の笑顔だった。
「はい」
来夢も笑顔で答えた。
作り笑いではなく、こちらも本当の笑顔だった。
ヒュー!ドン!
花火が上がる時間になった。
7人は花火大会の会場から少し離れた高台にいた。
「よくこんな穴場知ってたな」
穂高が努に向かって言った。
「もしかして実は九条君ってロマンチスト?」
心春は意外な一面を見た、と言うような目を向ける。
「ちげぇよ。兄貴が花火大会のときにきれいだからって告白に使ったらしくてな。それを小耳に挟んだだけだ」
その小耳に挟んだだけの情報は覚えられるのに勉強は覚えられないんだ、とは誰も言わなかった。
「まぁ、その後振られちまったけどな」
と言い終わって努はしまったという顔をした。
会話をしていた穂高と心春もあっ、と言う顔をした。
3人は恐る恐る匠の顔を見る。
「ん?」
匠はいきなり3人に同時に見られる理由がすぐには出てこなかった。
だがさっきの会話の内容から大体の予想がついた。
多分蓮と彼女が他者の行動によって引き裂かれたせいだろう。
「別に気にすることはない。俺はもう吹っ切れている」
と匠が優しく微笑む。
今まででは決して見せることのなかった微笑み。
普通の人が見たらなんとも思わないだろう。
だがこの場にいる人にとっては大きな一歩だ。
「赤色、Liですか?」
「あっ黄色!じゃあ、あれはNaだね」
来夢と莉子が匠の横に立ちながら言った。
「朝比奈、綿貫、せっかくの花火が台無しだぞ」
匠はいらないことを教えたなと思った。
「いいじゃないですか。先生と私たちの大切な思い出ですよ」
「そうそう、後それに私のことは莉子って呼んでよ」
2人の楽しそうな姿に匠のほおも緩む。
それを見てクスクスと笑う来夢と莉子。
花火も終盤になってきた。
この時間も終わりかと匠はしみじみと感じていた。
匠は来夢たちを見た。
その目は死んでいなかった。何年ぶりかに生気が戻っていた。
その顔には人間らしさが戻っていた。
ふと6人が匠の少し前に並んだ。
匠が訝しく思っていると、
「「「匠先生!」」」
穂高、努、心春、莉子、仁志、来夢の6人が匠の方を向いて呼びかける。
「どうした?」
相変わらず抑揚が少ない。
だが6人は明るい声になったと感じていた。
次々に打ち上がる花火が6人を照らす。
匠にはちょうど逆光になって6人の顔は見えなかった。
だがそれがちょうどよかった。もし6人の顔が見えていたらまた涙があふれていたかもしれない。
「「「先生、・・・・・・・・・・・・」」」
6人の声は花火の音でかき消された。
だが声は届かなくても心は届いた。
匠はその心をしっかりと受け取った。
自分の忘れていた、自分が拒絶していた、『優しさ』という心を。
7人の仲にできた新たなつながりを上空の花火は笑って見守っていた。




