第一章 廃村のゴーレム①
グルヴェイグ大陸の国境は、南北を縦断する形で引かれている。
国境を境に東部がガェヴォルカ領、西部がアンサラー領となり、大陸最南部にはかつてのゴエティア領があった。しかしグルヴェイグ大陸に属しながらゴエティア領のみ、その領地は大陸外にある。『石の道』と呼ばれる左右を海で挟まれた崖の道を橋とした先に、離れ小島のような形で存在していたのだ。
『ゴエティアの大粛清』により、ゴエティア国は文字通り血で汚れた島となった。ゴエティア人の亡骸は埋葬されることなく野晒しにされ、戦争後は島ごと打ち捨てられることとなった。もともと資源に乏しかったゴエティア国に、アンサラー国もガェヴォルカ国も執着はない。ゴエティア王が大陸への侵略を決意したのは、自国と比べて豊富な資源を持つ両国を羨んでのことではないかとも言われていた。
いくばくかの後ろめたさや、実態のないものに対する恐怖のようなものもあったのかもしれない。現在は近寄る者もなく、ゴエティア領は島ごと無人の残骸となっていた。
ナナトが暮らすリゼバンとブモラは、フレースヴェルク戦争終結後に造られた街である。
グルヴェイグ大陸中央部。国境を挟んで東西にある両街は、もともとは最前線の軍事拠点だった。戦争の走り、ガェヴォルカ・アンサラーの両国はそこを互いに最優先の攻撃目標とした。
幾度にも渡る占領と奪還の繰り返しから外壁は崩れ、施設自体が使い物にならなくなり、戦略的な価値はなくなっていく。それでも両国は、熱病にうかされたかのようにリゼバンとブモラを奪い合い続けた。ただ、自国の優勢を知らしめるためだけに、リゼバンとブモラは破壊され廃墟と化していった。
戦争終結後、両国王はリゼバンとブモラを新たに街として再建させることを決めた。
それだけではなく、友好の証としてアンサラー領にあるブモラをガェヴォルカ人の住む街とし、ガェヴォルカ領にあるリゼバンをアンサラー人の住む街とした。両街付近には駐屯地が設けられ、ブモラをアンサラー兵に、リゼバンをガェヴォルカ兵に守備させた。これは実質的な領地の交換、あるいは街全体を侵攻防止の保険にしたと言える。
さらには戦後の厳しい生活環境の中、両国王は街に移住する者を援助すると約束し、それを求めて多くの人々が集っていった。彼らは生き延びるため互いの憎しみに目を瞑り、知識や技術を交換して協力し合い、街を発展させていった。その結果、リゼバンにはガェヴォルカ人が、ブモラにはアンサラー人が少数ながらも集団で住むこととなり、両種族入り混じっての生活をするようになった。
それが、他の街に暮らす人々に裏切りと映るとわかっていても。
リゼバンとブモラはその成り立ちから、完全に対となる造りとなっていた。東西南北に門を構え、それぞれ北地区に仮設の軍事施設を、南地区に商業・医療・教育などの施設を、東地区と西地区に居住区を置き、街の中央部に巨大な噴水を造っていた。
そして、両街の四方を囲む壁。
友好の街と呼ぶにはいささか高く厚過ぎるそれは、他者から見れば手を取り合いながらも欺瞞を恐れる象徴のように映るだろう。いつか和平は破られ、武器を向けられることを確信しているかのように。
だが壁には秘密があった。
街に住む人間しか知らない、互いの信頼の元にのみ成り立つ秘密が。
テオヤの記憶に違いはなく、西門では頭部以外を真紅の甲冑に身を包んだ門番長のメェガと、その部下であるキーリオが番をしていた。髪と眼の色に倣った真紅の甲冑はガェヴォルカ軍兵の証となり、漆黒の甲冑はアンサラー軍兵の証となる。
ナナト達からストンガの話を聞いたメェガは、綺麗に切り揃えた前髪を指先で分けながら険しい表情を見せた。
「――ここ最近、魔物が増えたと報告を受けてはいたけれど……。ストンガなんて、私は見たこともないわ」
ウィツィが小さく首を振る。
「俺だって昨日までは図鑑でしか知らなかったよ。信じられないなら、俺達の修練場へ行ってくれ。死体が転がっているはずだ」
「ウィツィが嘘をつかないことは知っているわ。クリブさんやテオヤならなおさらだし」
女性ながらにリゼバンの門番長を務めるメェガは、ナナト達の昔からの友人でもある。
色白で細身。背もけして高くはない。そして肩に触れる癖のない綺麗な赤髪を、密かに自慢に思っている。甲冑を纏わぬ彼女を見れば、誰もが門番長どころか軍人だとすら思わないであろう。しかし、腰に携える長短二本の剣から繰り出される苛烈な一撃は、彼女が実力で己の地位を勝ち取ったのだと証明していた。
キーリオが訊ねる。
「キミ達が言う修練場って、毎日通っている南の森の近くですよね? いままでも、こんなことはあったのですか?」
彼もナナト達との交流は長い。常に物静かで丁寧な口調を崩さず、耳に掛かる長めの赤髪を無造作に撫でつけている見た目も地味な青年だ。しかし面倒見は良く、頻繁にナナト達の稽古相手になってくれていた。ショートソードとラウンドシールドを組み合わせた強固な守りと鋭い撃ち込みを併せ持つ優れた戦闘スタイルは、普段の彼からは想像出来ないほどの勇壮さだった。二十二歳の若さで門番長を務めるメェガを、四つ年上の彼が上手くサポートしていた。
ナナトが答える。
「ガルムと遭遇することはあった。けど、ストンガは初めてだよ」
クリブが問う。
「魔物は手負いだった。ガェヴォルカ軍で、魔物狩りをしたって話はあったかい?」
「私は聞いてないわ。そういう報告ってあったかしら?」
「もし入っていたのなら、真っ先にメェガさんへ報告しますよ。警備の強化や、南の森の巡回が必要になりますし」
『南の森』とはリゼバンとブモラの南方を東西に渡っている広大な森で、ナナト達が修練場と呼んでいる広場と隣接していた。
テオヤが訊ねる。
「アンサラー軍が魔物狩りをしたって可能性はない?」
「それはまずありえねぇよ、テオヤさん」
メェガに代わって、ウィツィが答える。
「ブモラ駐屯地のコイオスさんがそれを知っていれば、間違いなくこちらに報告を入れるはずだ。そういうことに関しては、あの人は面倒臭いくらいに几帳面だからな」
メェガは意外だとばかりにウィツィへ視線を向ける。
「あら? ウィツィって、コイオス隊長と知り合いだったの?」
「まぁ……同じ街で暮らしているしな」
「そう。コイオス隊長を疑うわけではないけれど、いちおう私の方でも確認してみるね。ウィツィはこの後ブモラへ帰るのでしょう? 今日は護衛を用意するから、ちょっと待っていてくれる?」
「申し出はありがたいけど必要ねぇよ。帰りはナナト達と一緒だからな」
「父さんの使いで、知り合いのところへ薬を貰いに行くんだ」
話の続きを引き受けたナナトに、メェガが訊ねる。
「クリブさんとテオヤも?」
「クリブさんは道場があるの。他に行くのは私とチトリ」
「いや、俺も行くよ。この面子なら単体の魔物に遅れを取りはしないだろうけど、群れに遭遇しないとも限らない。戦力は多い方がいいからね」
道場は? と、驚いた顔でナナトが訊ねる。
「キミ達をブモラに送ったら、俺は馬車でリゼバンに帰るよ。すこし遅れてしまうだろうけど、夕方からの乱稽古には間に合うさ」
「遅刻とか嫌いだって言っていたじゃねぇか。信条がどうのって。それはいいのか?」
「うちの道場の信条は『弱者を守ること』だよ。もっとも、キミ達は弱者ではないけれどね。年長者として、この状況で放り出すような真似はしたくないんだ」
メェガが頷く。
「クリブさんとテオヤが一緒なら安全ね。でも、こちらからも護衛は出させてもらうわ」
そして彼女は右手を顎に当て、しばらく何事かを考える。次いでキーリオを見た。
「レーニは今日、非番だったっけ?」
「はい。そのはずです」
「なら、護衛はレーニに任せましょう。みんなが戻ってくるまでには連れてきておくわ」
レーニはメェガ達と同じく、リゼバンの門番だ。
「ちょっと大袈裟すぎねぇか? 俺達は街道を通るんだぜ。街道に魔物は出ないだろう?」
面食らっているウィツィに、悪戯っぽくメェガが笑む。
「おじさんとお姉さんはね、あなた達が心配なのよ。不要だろうけど、護衛につかせて」
テオヤがくすくすと笑う。
「ああ、なるほどね。そういうことなら、お願いしましょうか」
ナナトが頷く。
「それでクリブおじさんとメェガお姉さんの心労が減るなら、断る理由はないね」
クリブが苦笑いを浮かべた。
「おじさんかぁ。なんとか俺もお兄さんに負からないかな?」
「結婚して子供がいる男の人はみんなおじさんなのよ。知らないの?」
メェガの自論に、どういう理屈だよ、とウィツィが面倒臭そうに言った。
「それより待ち合わせはどこにするんだ? ここでいいのか?」
そうですね、とキーリオが答える。
「レーニは駐屯地にいるはずですから、準備に時間は掛からないと思います。すぐに呼び出して、待たせておきますよ」