序章②
『フレースヴェルク戦争』
『死体を飲み込む者』の意を冠するこの戦争が終わったのは、たったの十九年前だった。
黒髪、黒眼を持つアンサラー人と、赤髪、赤眼を持つガェヴォルカ人が軍隊をぶつけ合い、互いに敵国の人間と大地を絶望的に蹂躙した、四十年にも渡る不吉な夢のような戦争。
ことは、銀髪、銀眼を持つゴエティア人を殺し尽くした『ゴエティアの大粛清』に始まると伝えられている。
アンサラー・ガェヴォルカ・ゴエティアの三種族が暮らす、四方を海に囲まれた『グルヴェイグ大陸』では、“互いの国を侵略せず”と不可侵の条約が定められていた。
これはグルヴェイグ大陸に太古より伝えられていた、『いつかくる、海の外からの敵』に備えてのものであった。三国が争うことによる戦力の消耗と国力の低下を防ぐためのものだ。出自の不明な伝承に過ぎないものとされていたが、三国の王はその伝承に従い、守り続けてきた。そして互いの国が発展し、戦力を増強するための努力も惜しまなかった。
他種族と比べて身体能力で劣り、直感力に優れるゴエティア人は、植物のような有機物や鉱石のような無機物に宿る力を見出し、それを『精霊』と名づけて具現化する『魔術』を生み出して大陸に広めた。『火槍』や『水刃』と呼ばれる攻撃魔術がそれだ。
強靭な肉体を持ち、近接戦闘を得意とするガェヴォルカ人は剣術・槍術・斧術・弓術などの武器を使った『戦闘術』を突き詰め、肢体強度に劣る他種族でも扱えるよう昇華していった。
身体能力ではガェヴォルカ人に劣り、直感力(これは後に、『魔力』と呼ばれるようになる)ではゴエティア人に遠く及ばないアンサラー人は、両種族が生み出した『魔術』と『戦闘術』を組み合わせた『魔戦術』を編み出す。
『魔戦術』は近接~遠距離と間合いを選ばぬ柔軟性に優れ、戦いにおいてどちらの中核をも担えるという可能性を秘めていた。ただ、戦闘においてこれを効果的に駆使するには生来の才が必要だった。『魔術』を行使するための『魔力』、『戦闘術』を扱うための『身体能力』の両方を兼ね備えていなければならなかったからだ。そのため三種族における強力な『魔戦術』の使い手は、数えるほどしか生まれなかった。
結果、発展していくのは『魔術』と『戦闘術』の二極となる。
そんな折、ゴエティア人は新たな魔術を生み出した。命を落とし、大気に漂う人や獣の魂から精霊を具現化させる魔術。後世で『死霊魔術』と記されるものだ。制御には従来の魔術よりも遥かに魔力を必要とするが、その威力は絶大で圧倒的であり、その使い手は生まれながらに強大な魔力を有するゴエティア人のみにほぼ限定されていた。
植物や鉱石とは異なり、かつて自我を持っていたそれは簡単な命令を解する知能を備えていた。魂から具現化させた精霊を肉塊や鉄塊に宿らせ、不死の軍団を造りだす。
そして、ゴエティアの王は考えた。
死霊魔術を用いれば、グルヴェイグ大陸を我が物に出来るのではないかと。
六十五年前。グルヴェイグ暦千二百一年に、ゴエティア国は不可侵の条約を破り、グルヴェイグ大陸を手中におさめようと侵攻を開始した。
ゴエティア国から大陸を守るため、アンサラー・ガェヴォルカの両国は同盟を結んで戦い、辛くもこれに勝利した。
この戦いこそが『ゴエティアの大粛清』と呼ばれている戦争だった。
戦いはゴエティア人という種の完全な死滅によってひとときの終息を向かえるが、六年後にガェヴォルカ国王ズウォナとアンサラー国王ロロィによって二国間の戦争となる『フレースヴェルク戦争』が開始された。
大陸の覇権を握るための戦争は激化の一途を辿り、敵国の人間であれば年齢性別にかかわらず殺さなくてはならないという泥沼の戦いとなった。
だが戦いは、前王の死と共に新王として即位したガェヴォルカ国王エオトルと、前王ロロィを殺害して王となったアンサラー帝王バアルのふたりが密かに結んだ戦争締結の条約によって、突然の終結を迎える。
戦いに疲れ果てていた人々は諸手を挙げてそれを祝福し、二度と戦争を繰り返さないと誓いを立てた。
両国王は和平を永く固いものとするため、互いの国の王族を人質として交換する取り決めをした。しかし人質とは名ばかりで、彼らは両国から新たな家族として迎え入れられることになる。人質として送られた彼ら自身も、そこを自身の母国として骨を埋める決意を固めていく。相互にできる、戦争を繰り返さないための努力だった。
しかしこれは、十二年の後に幕を閉じることとなる。ガェヴォルカ王と、アンサラーから送られてきた人質である王族の兄弟が、同時に事故で世を去ったのだ。
『フレースヴェルク戦争』から十九年。
王族の人間が消そうと尽力し続けた戦争の傷跡は、いまでも人々の心の底に澱となって降り積もり、漂っている。