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融血の簒奪王  作者: Alpha
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序章①

「くたばれよ! ナナト!」

 二メートルに届かんとする上背から、赤髪の青年はさらに両腕を振り上げて、眼前に立つ黒髪の少年の頭上へと渾身の一撃を振り下ろした。

 ナナトと呼ばれたのは、左目を眼帯で覆った少年だ。彼は向かい合った巨躯の青年を、眼帯をつけた左目側の死角へ入れぬよう平行に回避行動を取る。赤髪の青年が繰り出した木剣の斬撃は、ナナトの右肩を掠めて土煙を巻き上げながら草地を砕いた。その破壊力に寒気を覚えながらも、ナナトは青年の顎を狙って木剣を鋭く横薙ぎに振るう。

 青年は迷うことなく地面にめり込んでいる自身の木剣を放し、上体を後へ反らしてその切先をかわした。彼はそのまま腰を捻り、体勢を戻しながら少年の顔面へと石塊のような拳を繰り出す。ナナトは後方へ飛んで青年との間合いを取った。

 そして憮然とした表情で、ナナトは二つ年上である幼馴染の青年に抗議をする。

「ウィツィ! いま、くたばれって言っただろ!」

「言ったっけ? まあ気にするなよ」

 悪びれた態度も見せず、ウィツィは肩まで伸びた軽く癖のある赤い髪をかき上げながら答えた。強靭、巨躯な肉体を持つ者が多いガェヴォルカ人の中でも群を抜く長身と、彼が好んで身につける皮製で黒地の胴衣から覗く隆起した全身の筋肉。そして左の紅い瞳の下から顎まで垂直に続く刀傷が、見る者の目を否が応でも引きつけた。

「いやマジで。毎日俺を殺す気で修練するのやめてくれない?」

 相対するナナトは、ウィツィの胸元までしか背丈がない。しかしそれでも、大陸に住む平均的な十七歳の少年としては、けして低い身長ではなかった。少女のような顔立ちのせいか一見すると華奢な印象を受けるが、二の腕や太腿、胸板は同年代の彼らのそれと比べて幾まわりも厚い。

 アンサラー人の特徴である黒髪は襟足を短く刈り、前髪は左眼を覆う黒革の眼帯を隠すかのように左側だけ長く伸ばしていた。

 茶を基調としたクロースを纏い、街の門番から貰ったガェヴォルカ軍の真紅の甲冑を灰色に塗り替え、その胸当て部分だけを加工して装備している。

「馴れ合いみたいな訓練じゃ強くなれないだろうが。それに死んだら死んだで、親父さんとチトリに治して貰えばいいだけだしな」

「父さんもチトリも、死人を蘇らせるのはさすがに無理よ」

 呆れたようにそう言ったのは、切り株に座ってナナトとウィツィの修練を眺めていた細身の女性だった。

彼女の隣では赤髪を短く刈り、髭を生やした大男がにこにこと笑っている。

 女性は立ち上がり、黒髪を束ねている真紅の髪留めをつけ直した。やや目尻の下がった優しげな容貌と、それに相反する彼女のすらりと伸びた四肢と引き締まった筋肉は見るものを不思議と魅了した。ナナトと同じデザインの純白の胸当てが太陽の光を受けて淡く煌く。その佇まいは騎士のそれを連想させた。腰に下げた純白の鞘の刺突剣は、母から譲り受けた形見の一刀だ。

「お? テオヤさん、もしかして稽古つけてくれるのか?」

 ウィツィが期待に満ちた眼差しを向ける。

「そんな時間はないでしょう? ブモラの街へ行くのを忘れたの? 今日の修練はここまで。ウィツィは剣を拾いなさい」

「ああ、そうだったそうだった」

 女性の言に従って、ウィツィは地面にめり込んでいる木剣を引き抜いた。かなり深く突き刺さっていたようだ。丈の短い草と大量の土が裏返る。

 ウィツィはそれを幼馴染の少年が辟易とした目で見ているのを見逃さなかった。得意気に自身の丸太のような腕を撫でて見せる。

 ナナトはそれを完全に無視し、黒革の眼帯下の汗を拭いながら姉の傍へと向かった。

「――どうだった? テオ姉、クリブさん」

「私はいつも見ているから……。クリブさんから見て、ふたりはどう?」

 テオヤは隣に腰掛けている赤髪の男性へと視線を移した。

 そうだねぇ、と言いながら、クリブは髪と同色の無精髭を筋肉の盛り上がった右手でごしごしとこする。彼は笑顔を絶やさぬまま、うーむと唸る。

 ウィツィほどの背丈はないが、その身体を覆う肉の壁は彼のそれよりも更に太い。長年の修練によって叩き上げられたものだ。身に着けているのは、クリブ自身が営む槍術道場の紅い道場着。裾や襟元がほつれているが、本人には気にする素振りもなかった。

「……前にも言ったけど、ウィツィはまだ無駄な動きが多いね。大振りの一撃で仕留めようとせず、コツコツと軽く当てるつもりでやっても、キミの腕力なら充分に相手の体力も気力も削れるよ」

「そういう戦い方、性に合わねぇんだよなぁ。でも、クリブさんの助言だ。心がけてみる」

 ウィツィはガリガリと赤髪を掻き、切り株に立てかけておいた一メートル五十センチを超える鋼鉄の戦斧を軽々と肩に担ぐ。斧刃が八十センチもあるバトルアックスだ。

「向いてないと思えることでも、やってみると新しい発見があるかもしれないからね」

 わかったと、クリブの言葉にウィツィが頷く。

「ナナトは正確に急所が狙えるようになっているね。それは、相手にとってかなり脅威だよ。けれど急所ばかりを狙っていては、攻撃を読まれやすくもなってしまう。撃ち込みをもう少し散らすようにしてみたらどうかな?」

「撃ち込みを散らす……」

 眼帯の位置を調節しながら、ナナトは復唱した。「ありがとう。フェイントを入れるってことだね。さっそく明日からやってみるよ」

「でもまあ、うちの道場の師範代よりは確実にふたりの方が強いけどね。テオヤにいたっては俺よりも腕が立つくらいだ。キミは今年でいくつになるんだったかな?」

「二十一よ」

「そうか。俺より十も下なんだね。師匠の差が如実に出ているみたいで情けない限りだ」

 クリブの言葉に、テオヤは慌てて顔の前で両手を振った。

「クリブさんはたくさんの門下生を指導しているのでしょう? ふたりを見ればいいだけの私とは立場が違うもの。それに魔術を使わずの近接戦なら、私じゃクリブさんには勝てないわ」

「そう言ってもらえると気が楽になるね」

 魔術を抜きにしても、自分がテオヤを打ち倒す場面なんて想像できない。けれどクリブはそれをわざわざ口にしたりはしない。自身を卑下してのことではない。

 彼女は魔戦術の使い手だ。こと戦闘に関してテオヤは、誰と比べても圧倒的だった。

『魔戦術』。優れた肉体と格闘センス、そして生まれつき高い魔力を持つ者のみが扱える白兵と魔術を組み合わせた戦闘術だ。グルヴェイグ大陸における戦士達のほとんどは白兵での近接戦闘か、魔術を用いた中・遠距離戦闘かのどちらか自分に合うスタイルを選択して特化してゆく。なぜならその両方の習得を目指しても、多くの者は白兵か魔術に特化した相手に太刀打ちできる程には強くなれないからだ。

 大陸において魔戦術の使い手は、生まれながらに選ばれた者であると同義であった。

 クリブは目を細め、眩しそうにテオヤを見詰めた。

 同じ戦士としてテオヤの才は正直羨ましい。彼女はまだまだ、どこまでも強くなれる可能性を秘めている。それは自分にはないものだ。

 次いでクリブは、ナナトとウィツィに視線を移す。

「……ナナトもウィツィも、直に俺を越えるんだろうね。楽しみだ」

「そんなこと。まだまだクリブさんには敵わないって」

 ナナトが慌てたように顔の前で手を振った。その様を見て、クリブは本当にテオヤとナナトは良く似た姉弟だと微笑ましく思う。とても血が繋がっていないとは思えない。ナナトが生まれて十七年、ふたりは姉弟として暮らしてきた。

 テオヤに家族の血が流れていなくとも関係なく。

 クリブは街で槍術道場の師範をしている。始祖は彼の祖父で、十九年前に終結した前大戦では多くの武功をあげた。戦争終結後は、テオヤ・ナナト姉弟が暮らすリゼバンの街へ移り住み、そこで槍術道場を開いた。

 その祖父も一昨年に亡くなって、いまはクリブが最高師範として門下生達の指導にあたっている。テオヤ姉弟とは彼女らが幼い頃からの付き合いだった。

 クリブは愛槍を手に立ち上がり、伸びをした。アールシェピースと呼ばれるその槍を、彼は二十歳の頃から使っている。スピアーヘッド下部に鍔をつけた特徴的なシルエットの武器だ。背骨がゴキゴキと音を立てた。自分でも、老いたとわかる。

「――さて、いつまでも若者達に気を使わせるのは申し訳ないからね。そろそろリゼバンの街へ戻ろうか。今日はブモラのサナ婆さんのところへ薬を貰いに行くんだろ?」

「ついでにナナト達は俺の家で一泊だ。クリブさんも来るか? お袋が飯を用意してるぜ」

 ウィツィがにっと笑う。強面の彼だが、その笑顔には歳相応の幼さが残っていた。

 ナナトやクリブとは違い、ウィツィはブモラの街で暮らしている。リゼバンとブモラは国境を挟んで対をなしている街で、ウィツィは毎日片道一時間半をかけて徒歩でリゼバンへと通っていた。南にある森近くの、この修練場でテオヤから戦いの手解きを受けるためだ。

「行きたいけどね。今日の午後は道場があるから」

「たまには師範代の連中に任せてもいいんじゃねぇの?」

 勝手を言うウィツィの肩をナナトが小突いた。

「無茶言うなよ。クリブさんはそんなことしないって知ってるくせに」

「つまんねぇなぁ」

 ウィツィが舌打ちをする。

 ほぼ同時だった。

ウィツィは弾かれたように、背を向けていた森に向かって鋼鉄の大斧を八相に構えた。目を凝らし、接近してくるものがなんであるのかを見定めようとする。

 木々をすり抜けて疾走する黒い塊は、間違いなくこちらを目指していた。

 鉄槍を下段に構え、クリブがウィツィの横に並ぶ。

「魔物か? ウィツィ」

「たぶん」

 ナナトは両刃の剣を抜き正眼に置いた。斬撃と刺突の両方に優れるバスタードソードだ。

「……俺にはまだ見えないな。正面?」

「ああ。真っ直ぐこっちに向かってやがる」

 四人の中で唯一、ウィツィのみが魔物の姿を捉えることができた。ガェヴォルカ人は生来、アンサラー人よりも五感の鋭い者が多い。中でも彼は生まれつき視覚、嗅覚、触覚が他のガェヴォルカ人と比べても並外れて鋭く、特有の臭いと殺気を放つ魔物の接近を見逃すことはありえなかった。木の陰に身を隠しながら距離を詰めてくるそれは、長い黒毛を振り乱し、牛に似た体躯と二本角を持つ、一つ目の魔物。

 テオヤが刺突剣の切先で魔物を指す。

「微かに見えるわね。ガルムかしら?」

 ガルムは野犬に魔獣の血が混じった大陸全土に生息する魔物で、凶暴だが知能が極端に低い。武器を扱える者であれば、群れに襲われない限りまずやられることのない相手だ。

 ウィツィの表情が険しくなる。

「違う。……ストンガだ」

「ストンガ? そんな大物と街の近くで遭遇するなんてありえるの?」

 ウィツィの言葉に、テオヤが驚いた声を返す。

 ストンガは、その姿がナナト達にもはっきりと見える距離まで接近していた。ウィツィは魔獣を凝視する。黒毛のあちこちが濡れたように光っていた。あれは恐らく。

「血に濡れている。手負いだ」

 クリブが槍を持つ手を絞る。

「ガェヴォルカ王立軍が魔物狩りでもしたのかな? 逃げ延びて、街の近くへ迷い込んでしまったのかもしれない。角に注意してくれ。串刺しにされたらまず助からない」

「くるぞ!」

 ウィツィの怒声を合図に、ストンガが角で木の幹を削りながら一同の前へと躍り出た。

 ストンガの一つ目は赤く血走り、口の端からはだらだらとよだれを垂れ流していた。蹄でガリガリと地を削りながら、四つの獲物を値踏みするように、ゆっくりと頭を振っている。巨大な岩の塊のようにも見えるそれは、まごうことなく捕食を求めていた。

 テオヤが魔術の詠唱を始める。火の精霊の力を借りた『火槍』の術だ。詠唱はすぐに完成する。テオヤは狙いを定めるように左手をストンガの顔面へと向けた。前触れや、しるしのようなものはなく、突如生み出された炎の槍がストンガの一つ目を貫いた。

 ボオオオオオオッ! と、脳に直接響くような咆哮を上げ、ストンガは激しく頭を振りながら跳ね回った。怯みそうになるのをどうにか堪え、ナナトはストンガの正面へ走り込む。脇構えから、両刃の剣を魔獣の眼球目掛けて横に薙ぐ。視力を完全に奪えば、戦いは有利になるはずだった。

 ギィン! と乾いた高音を上げながら、ナナトの剣が弾かれた。斬撃が当たる瞬間、ストンガが偶然に頭を下げたのだ。眼球を狙った斬撃は魔獣の角に阻まれ、その目的を達することができなかった。

 バランスを崩したナナトがたたらを踏む。

 その瞬間を、怒りに燃えた魔獣は見逃さなかった。

 ストンガは頭を低く落とし、角先をナナトに向ける。魔獣の角は、一跳びでナナトに届く距離だった。ナナトの背中に冷たい汗が噴出す。まずい。避けられない。

 ストンガの蹄が、土煙を巻き上げる。

 しかし、ストンガは動かない。ストンガは動けない。

 右のこめかみから撃ち込まれた鉄槍が、左のこめかみから槍先を覗かせていた。

 柄を握ったクリブが、ナナトに微笑みかける。魔獣は目の縁から血の泡を滲ませ、痙攣をしながらも前進をしようと前足を振り上げた。

「せあっ!」

 掛け声と共に、テオヤが魔獣の眼球へ刺突剣を深々と突き立てる。一拍遅れて、ウィツィがバトルアックスをストンガの側面から力任せに振り下ろした。戦斧は魔物の背骨を砕き、内臓を引き裂いて大地にその刃を食い込ませる。断末魔の叫びを上げることもなく、ストンガは体液を撒き散らしながらその場に崩れ落ちた。

 クリブは槍を魔獣の頭蓋から引き抜いて、血脂をストンガの黒毛で拭う。

「大丈夫かい? ナナト」

「――うん。助かったよ。ありがとうクリブさん」

 ナナトは小さく息を吐き、剣を鞘へおさめた。テオヤがナナトの肩に自身の手を乗せる。

「狙いどころは良かったわ。でも横薙ぎよりも突きか逆袈裟で切り上げるのが正解だったかしら」

「けどまぁ、ナナトのおかげで隙ができたな」

 ウィツィは覆いかぶさるように、ナナトの肩に腕を回してきた。血の臭いが鼻につく。「やるじゃねぇか。俺より先に斬りかかるなんて」

「ウィツィの足が震えていたから」

 もちろん嘘だ。ナナトは動かなくなったストンガを見下ろした。

 四肢から滲みでる血が、大地を汚していく。

「……こんなのと遭遇するなんて、初めてだ」

 ナナトは思わずそう呟いていた。

 テオヤは魔獣へ背を向ける。

「念のため、駐屯地の軍人さん達にも報告しておきましょう。今日の西門の番は門番長のメェガさんだったわね。彼女なら、きちんと対応してくれるはずよ」

 そうだね、とナナトは空を見上げて、太陽の位置を確認する。

 それは真上を過ぎ、西に傾き始めていた。

「――急いでリゼバンに戻ろう。チトリを待たせるとうるさいから」

「違いねぇな。あいつ、すぐに拗ねるからなぁ」

 戦斧を肩に担いだウィツィが思い浮かべるのは、不満げに頬を膨らませる幼馴染の少女の姿だった。

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