第二話 01.突然の告白
翌日の朝、自宅の布団の中で目覚めた七篠 は猛烈な倦怠感に襲われていた。
それと同時に空腹までがやってきて七篠の腹の中で喚きまわっている。
「体がだるいーお腹空いたー」
昨晩はいつも通りの食事量だったのだが、実は全然物足りないと感じていた。そもそも七篠は少食なので、母親もそんなに食事をたくさん作ってはいない。日によっては残してしまうこともあるので、当然といえば当然の話である。
いつもより時間を使って制服に着替えた七篠が自分の部屋からキッチンへと移動すると、食卓の上にはトーストとハムエッグ、サラダにコーンスープとコーヒーが並べられていた。
さらにいうとトーストとハム、それに卵の数がいつもより一つずつ多い。
「え、なんで?」
思わず七篠は母親に理由を尋ねた。
「何が? お腹減ってるんでしょ? しっかり食べていきなさい」
「どうして、お腹が空いてるってわかったの?」
「そりゃ分かるわよ、家族だもの。昨日の晩も足りなかったなら遠慮せず言えば良かったのに」
「そうなんだ。ありがとう母さん」
「多すぎるなら残しても良いわよ。後で食べるから」
七篠は席について手を合わせると
「いや全然大丈夫。いただきます」
用意された食事を全部平らげたのだった。
◇◇◇
朝食後、歯を磨いて顔を洗った後に家を出て、いつもより少し遅めに学校に到着した七篠は真っ直ぐ教室へと向かう。余裕をもって教室に到着した七篠は、そこで何やら室内の雰囲気がおかしいと感じた。
クラス中の生徒達が教室内のある人物を見ており、中には仲の良いグループで集まって何やらヒソヒソと話している者もいるのだ。
七篠もそのグループの視線の先へと同じ様に視線を向けると、原因にすぐに気が付いた。そこには凛とした雰囲気をまとい、綺麗に背筋を伸ばしたまま自分の席に座っている上沢 緋女の姿があったからだ。
「(サッカー部の人に告られて――ヒソヒソ)」
「(手ひどく振ったって――ヒソヒソ)」
七篠は何があったのかと思い、上沢に近づこうとした。
すぐにそれに気付いた上沢に拒絶の視線を送られた為、その場に踏みとどまる。
それは七篠がいらぬトラブルに巻き込まれない様にとの彼女の気遣いだった。
しかし、ここ最近上沢が七篠に対し何やら剣呑な雰囲気で睨みつけている事を知っている一部のクラスメイト達は、この二人の間にも何かがあったのではと、今度は七篠の方へと視線を向けヒソヒソと話はじめたのだ。
部外者から一転、騒動の渦中に取り込まれた七篠はそのままおとなしく自分の席へ戻るしかなかったのである。
それから五分もしないうちに担任教師が教室に現れ朝のHRが始まった。担任教師が連絡事項を伝え終えるとすぐにHRは終了する。
上沢は席を立ちあがると、クラスの後ろにある自分のロッカーへと移動して、一限目の教科書を取り出し始めた。
遠巻きにしながらクラスメイトの視線が彼女の行動を追いかける。
その中には七篠の視線も含まれており、複雑そうな表情を浮かべながら上沢を見つめていた。
無表情のまま自席へ戻ろうとする上沢を見ていた何人かのクラスメイトは彼女と目が合ったらしく、その全員がばつが悪そうな表情になると顔を背けていく。そこを何も言わずに黙って席へ付く上沢。そんな彼女を遠巻きに見ていたクラスメイト達もやがてはそれぞれ自分の席へと戻っていった。
七篠もそっと自分の席へと戻るとそれとなく上沢の様子を窺ってみた。
上沢は相変わらずの無表情だが、あの顔はかなり怒っているのを七篠は身を持って知っている。
まあ上沢が怒るのも無理のない話だろうと七篠はそう思った。実際の所、上沢は内心ではブチ切れているようで、その後教室内の温度が三℃ほど上がり、E組の生徒は少し早めの夏気分を味わう事となったのだった
◇◇◇
放課後になり七篠は園芸同好会の倉庫へと向かっていた。いつも通り校内の草花の世話をするためだ。
今日はそれが終われば教室で上沢と落ち合う約束になっていた。日中にいつの間にか机の中にそう書かれた手紙が入っていたからであり、恐らくそこで蜂使いについて何らかの話があるのだろう。
「あの……」
上沢は武力行使する気満々のようだが、七篠は出来れば向こうの事情を聞いて平和裏に話し合って解決したいと思っていたりする。
「あのっ」
その為にどうすべきかは問題が山積みなのだ。
「し、七篠君!」
「え?」
名前を呼ばれた気がした七篠は我に返ると、頭だけを動かして肩越しに振り向いた。
だが七篠の後ろには誰もいない。
気の所為だったかと再び顔を前に向けると、今度は背中をチョンチョンと突かれた。
「わっ!」
「ひぇっ!」
慌てて体ごと後ろに振り返ると七篠のすぐ真後ろには体を小さく丸める様にして立つ小柄な女子生徒の姿があった。
その女子生徒は身長が七篠より二十センチ近く低かったので、顔だけを振り向いただけではすぐに気が付かなかったのである。七篠はその女子生徒を見て彼女のボブカットの髪型に見覚えがある事を思い出した。
昨日の放課後、昇降口付近にいて七篠と目が合った女子生徒にそっくりだったからである。
「あ、ごめんすぐに気が付かなくて。それに驚かせちゃったみたいだけど大丈夫?」
「いえ、その、大丈夫です。こちらこそごめんなさい。」
俯いたまま、両手をお腹の前で組み可愛らしく親指と人差し指を閉じたり開いたりしているその女子生徒を見ながら七篠は数歩後ろへと下がった。
女子生徒との距離が近すぎると感じた為、少し距離を空けたのである。
すると俯いていた女子生徒はそれに気付いたのかチョコチョコと七篠が離れた分の距離を詰めてきた。女の子との距離が近いと必要以上に緊張してしまう一般的な男子高校生である七篠はさらに後ずさる。
だがやはり目の前の女子生徒は七篠が離した分の距離を詰めてきたのだ。
「えーっと、何か僕に用があるの?」
たまらず七篠は女子生徒に対し軽く両方の手を前に向けて出して静止を促すようにしながら、その女子生徒に質問した。小柄な女子生徒の足がその場で止まり、七篠との距離が離れたことでようやく彼女の全身が目に入ってくる。
その女子生徒は全体的に小柄でマスコット的な可愛らしい雰囲気を纏った女の子だった。
頭が俯き加減になっているため顔の上半分が髪に隠れており表情がよく窺えないが、緊張のためか顔が紅潮している様に見える。五月に入りだいぶ気温も上がってきているのだが、彼女は制服のブレザーの上着とブラウスの上にはベストを着用しており、それも関係しているのかもしれない。
七篠が質問した後に足を止めたまま動かなくなった女子生徒の姿を見つめつつ黙ったまま返事を待つ。
だがその間にどうしても七篠の視線は無意識のうちに女子生徒のある部分に吸い寄せられてしまっていた。
それは小柄な彼女の身体的特徴の中で一際大きく存在を主張しており、大抵の男にはまず抗えないだろうと思える女性の持つ魅力の一つであり、しかしそれは個性という言葉がある以上誰にでも持ちえるものではないモノである。
実際に昨日知り合った長身でスレンダーなクラスメイトはここまで立派なモノをお持ちではなかった。
そう、ブレザーやベストを着ていてもその存在を隠し切れない大きな奇跡が彼女の胸部には存在していたのである。
平凡で健全な男子高校生である七篠でもやはりその魅力には抗えず、見てはいけないと思いつつもどうしても目がそちらを向いてしまうのは仕方のないことだろう。
「あの、F……」
沈黙していた彼女が、意を決して話し始めた為、七篠は慌てて視線を顔へと向け直した。
「エ、エフ!?」
だが突然の話しかけに驚き、彼女の言葉を聞いてそのまま声に出してしまう。
「えっ? はい、私はF組の播磨 結衣といいます」
七篠の反応に少し不思議そうな顔になりながらも、少女は自分の名を名乗りペコリと軽く頭を下げると、そのまま七篠の方へと向けて頭を上げた。
彼女のつぶらな瞳からのびる視線と七篠の視線とがピタリと合い、彼は思わず息を呑んだ。
播磨と名乗った少女の整った可愛らしい顔がきょとんとした表情に変わったかと思うと、すぐに頬を綻ばせる。
しばらくそうやって見つめあっていると、播磨は小首を傾げながら七篠に微笑みかけてきた。
そのあまりにも自然な仕草の可愛らしさに、七篠は思わず心臓の鼓動が早くなり、そのまま彼女の顔に見蕩れてしまう。だがすぐに七篠は冷静さを取り戻すべく自分自身に心の中で言い聞かせた。
『勘違い』するな、なんか距離が近くて、良い匂いがして、じゃなくて、めっちゃ好意的にグイグイ来てる感があるが、それは全部気のせいだと。
急に自分にモテ期が来るわけがない。
そんな妄想なんてこれまでに一度も叶ったことなどないではないか、と。
七篠はすぐに気を取り直し、自分も自己紹介をするべくちょっと格好をつけながら名乗ろうと思った。なんだかんだ考えながらも、ひょっとしてほんの少しくらいは可能性があるんじゃないかと思ったからである。
「あ、ああ、はいはいF組の播磨さんね。えっと僕は……」
「七篠、如人君でしょ?」
だが本人が名乗るより先に七篠にニコリと微笑みながら播磨が答えてしまった。しかもいつの間にか両手を後ろで組んで少し前かがみになりながら上目遣いで七篠を見つめるというポーズで。
もはや七篠の理性は崩壊寸前だった。もうこのまま彼女に騙されて怪しげな壷とか石とか買わされても良いと思えるくらいに舞い上がってしまったのだ。
それでも表面上は勤めて平静を保ちながら、心の中では逸る気持ちを必死に抑えつける。あくまでもクールに冷静になれと心の中の自分が告げてきていたからだ。
果たして彼女のここまでの振る舞いが自分に対する好意からくるものか、それともそれは自分の勝手な勘違いなのか。
細心の注意を払いながら七篠はその質問を投げかけようと決めた。
なぜならこれからする質問の後の返事の内容が重要なのだから。
決して誤解されないように、はっきりと聞き取りやすいように丁寧に伝える必要があるのだ。
「うん合ってるよ。そ、それで播磨さんは僕に何か用事があるのかな?」
相変わらず少し格好をつけながらそう言った七篠は播磨のちょっとした仕草をも見逃さないように、冷静さを演出しながら彼女の顔を観察する。
次の播磨の返事で今後の運命が決まるのだ。
平凡な男子高校生である七篠如人の青春がその返事でバラ色になるかもしれないのである。
播磨は少し顔を伏せた。七篠がそんな彼女の顔を観察していると、その顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
しばらくの間沈黙が続いた。
だが、やがて播磨が意を決したのか軽く深呼吸をすると、バッと顔を上げて七篠の顔を見据えながら、問いかけた。
「七篠君って今付き合っている人いますか? もしいないなら私と付き合ってもらえませんか?」
そう七篠に対し彼女は告げたのである。
七篠如人は心の中で雄叫びをあげ渾身のガッツポーズを決めたのだった。
次回、七篠の返事
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