第一話 8.謝罪と和解
七篠 が目を覚ますとそこは保健室のベッドの上だった。上沢に殴られて気を失ったはずだが、誰かがここまで運んでくれたらしい。
「目が覚めたのか?」
そう言いながら顔を覗かせたのは上沢 緋女だった。
「ひぃぃっ」
彼女の顔を見た瞬間、七篠は情けない声を上げ布団を頭から被って震えだした。さっきの事が完全にトラウマになっているようである。
「待て、もう何もしない、とにかく一度布団から頭を出せ」
そう声をかけられて七篠は恐る恐る布団から頭をだし上沢のほうを向く。よくみると上沢の額には手当ての跡があり制服から体操服へと着替えていた。
その七篠の様子に気が付いたのか上沢は、「制服が汚れたから着替えたんだよ」と七篠に事情を説明する。
「お、お前の血で制服が汚れたから、クリーニング代を寄越せってことですかぁ? ひぃぃぃっ」
再び布団の中に篭ろうとした七篠を青筋を一つ浮かべた上沢が無理やり引っぱり出した。
「誰もそんなこと言ってないだろうが! ちょっとこっちを向け!」
少々強引に七篠の顔を自分のほうに向けると、彼は泣きながら許しを請うように拝み始めた。
「か、〈神様〉どうか助けてください」
「誰に頼んでんだ。お前も候補者だろうが!」
上沢は半ば呆れるように七篠にそう言うと、両手で彼の両肩を掴んだ。
「と・に・か・く・だ! 一回落ち着いてアタシの話を聞け」
だが七篠の表情は未だ怯えに染まったままで、完全に心が折れてしまっているのが分かる。
それを感じ取った上沢は目を瞑り、軽く息を吐くと「しかたねぇな」と呟き、両手を七篠の肩から離す。それからゆっくり七篠の頭の方へと自らの両方の手を移動させ、そっと優しく抱きかかえたのである。
上沢は七篠の頭を、そのまま自分の胸の方へと引き寄せる。
「ふぇ?」
七篠は間の抜けた声を出すと、固まったまま動けなくなってしまう。
「ごめんなアタシが悪かった。本当にごめん」
上沢は怖がって怯える小さな子供をあやすように、優しく頭を撫でながら七篠に謝罪したのだった。
◇◇◇
それからしばらくして落ち着きを取り戻した七篠は、保健室のベッドの上で顔を真っ赤にして俯かせたまま微動だにせず正座していた。
上沢はベッドから少し離れた場所にある椅子に腰掛けており、七篠に背を向けたまま両手で頭を抱えた状態で「あー」とか「うー」とか唸っている。
「あの、それで何で誤解が解けたの?」
先に意を決したのは七篠だった。上沢に誤解が解けた理由を尋ねたのだ。その言葉を聞いて上沢は体を七篠の方へと向けなおすと彼の質問に答える。
「お前の能力は蜂を創る能力じゃなかったって事さ」
「何故それがわかったの? 僕の能力って何? それを教えて欲しいんだけど?」
七篠からすれば当然の疑問だった。そもそも七篠本人は自分の能力がどういうものなのか知らないのだ。
あの時上沢に攻撃されたのも、彼女に自分の能力を証明できなかったからである。それなのに目を覚ましたら誤解が解けていたなんて都合が良すぎる話だ。なので七篠はどうしてもその理由を聞かなければ納得できないと思ったのである。
泣き腫らした目で真っ直ぐ自分を見つめてくる七篠に対し、上沢は静かに話しはじめた。
「お前が気を失ってから何があったかを話すのは簡単だ。だけどその前に一つ言っておかないといけないことがある」
「それはなに?」
七篠は間髪いれずに聞き返す。
「お前は神になりたくないんだよな? アタシがお前に理由を話したら、今度こそ本当に戻れなくなる。だから理由を聞くのは止めとけ」
「戻れなくなるって? どこに?」
「普通の生活にだ」
「もう充分普通の生活じゃないと思うよ?」
「それでもだ。ここで引けばこれ以上痛い目にあわずに済む。蜂野郎ならアタシが何とかする」
「なんでそこまで?」
「アタシには能力を使う理由がある。その為には最終的に〈神〉になる事も厭わない。だがお前にはそれがない。戦う理由も意志も、覚悟もない」
「それは……」
「誤解は解けたんだ。それで良いじゃないか。少なくともお前が蜂野郎に関わる必要はもうない」
「でも蜂の能力者は君を狙うんだろ? 今日も怪我をしてたじゃないか」
「こんなのは大した怪我じゃないよ」
「それでも……自分の能力は知っておきたいんだ」
「能力はそれぞれの人間の本質が具現化する」
「え?」
「アタシが教えなくても、お前が本当に能力を使いたいと望むのなら自然と理解して使えるようになるさ」
「能力を使いたいと望む……」
「少なくともアタシはそうだった」
上沢はそう言うと右拳を自分の胸の前に移動させた。
そうして移動させた右拳に視線を落とすと少しの間沈黙したのである。
「とにかくだ。アタシはあれから何があったかを話すつもりはない」
「そんなっ、酷い!」
「酷くねえよ、むしろ感謝してもらいたいもんだぜ」
「感謝って……」
感謝という言葉を口にして、七篠は忘れていた大切な事を思い出した。
「そうだ、僕は君にお礼を言わなくちゃいけなかったんだ」
「はあ? なんだ急に? お礼だと? そういえばさっきもそんな事言ってたな? アタシがお前に何をしたよ?」
「僕が入院している間に学校の植物の世話をしてくれてたでしょ? そのお礼だよ」
「植物の世話? 知らん! それはアタシじゃない」
「え? 本当に?」
「何でアタシがそんなことしなきゃいけないんだよ」
「えっ? だって芦名さんが小柄な可愛らしい女子生徒だって……」
そこまで言って七篠は上沢をもう一度よく観察する。
上沢の身長は七篠とほぼ変わらない。ひょっとすると数ミリ、いや数センチくらい負けてるかもしれない。
その事実に気付いて、七篠の頭は上沢のある箇所を見るような角度でピタリと止まってしまう。
だがその頭が止まった位置が悪かった。彼の視線の先にあるのはスレンダーで少し控えめな彼女の胸部の辺りだったのだ。
さっき抱きかかえられた時、心が落ち着いた七篠が、想像してたのと何か違うなーとか、あまり良い感触ではないなーとか口が裂けても言えない事を思ってしまった箇所なのだが、それは彼が墓まで持って行こうと心に決めた秘密である。
それはともかく七篠が口から発した小柄という言葉と、彼のその視線は綺麗に結びつき、当然のごとく上沢に気付かれる。
女子は意外と男子のそういう視線には敏感なのである。
「どこ見てんだ、コラ!」
七篠の視線が自分の胸部を凝視していると感じた上沢は左手で胸を隠しながら、右の掌底を軽く七篠の額に当てるとそのまま上に突き上げた。
有無を言わさず顔面にパンチを叩き込まなかったのは、上沢の配慮である。
ここで殴ってまた泣かれても困るし、というか泣かしてしまうと、またそれを自分で慰めることになりかねない。そんなのはマッチポンプもいい所だ。まあ仮に殴ったとしても今回の場合は七篠の自業自得なので慰める必要など無いのだが、上沢はそんな事には気付きもしなかった。
「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。あ、いや、大丈夫、僕たちまだ高校生だから、成長期だから」
「やかましい!」
ベチッと良い音を立てて上沢のでこピンが七篠の額に、クリティカルヒットする。
「あいたっ!」
「とにかくその植物の世話をしてた女子ってのは、アタシじゃねえ」
「わかった。信じるよ」
「……それじゃ、今日はここまでにしよう。もう体も大丈夫だろ?」
「そうだね。なんかスゴイお腹が空いてるしね。上沢さん、明日から頑張ろうね」
最後の七篠の言葉を聞き、椅子から立ち上がろうとしていた上沢の動きが止まった。
「頑張る? 何を?」
上沢が問いかけると、七篠は何故かキラキラと瞳を輝かせながら返事をした。
「蜂使い探すんでしょ? 僕も手伝うよ」
「手伝うだって? 何を言ってるんだお前は?」
「一人じゃ大変でしょ? 人探しは人手が多いほうが良いよ」
「お前、今日泣くほど怖い目にあったろ?」
「誤解は解けたじゃないか。話してみて上沢さんは良い人だってわかったし」
「アタシが良い人?」
「うん、だって僕のために真相を話さなかったんでしょ?」
「なんでそう思う」
「僕が〈神様〉になるつもりがないのを知ったから、これ以上巻き込まないように真相を言わなかったじゃない」
「だったら! それがわかってるなら、何で手伝うなんて発想になるんだよ!?」
「一度でも能力を使うと正式な候補者になる。〈神様〉から能力を貸してもらった日、僕はそう聞いた」
「だから、今ならまだ普通の生活に戻れるって……」
「そこが違う。もう遅いんだ。僕は事故にあった日、既に能力を使っているんだ」
「え? あ……」
「道路に飛び出した子供を庇うために咄嗟にね。その後トラックに撥ねられて、意識を失ったからどんな能力か分からなかったんだけどね」
七篠のその話を聞いて上沢は保健室に移動するまでにしていた彼の擬似人格との会話を思い返していた。
(でもね目の前に困ってる人がいたら絶対に助けようとする。それが能力を使うことになってもね。そういう性格なんだ)
確かに七篠の擬似人格の言った通りであり、そして上沢が思った通りの性格だった。
「馬鹿正直で、超の付くお人好しか……」
上沢は七篠に聞こえないようにポツリと呟くと、絶対に好きになれない性格だわコイツ、とそう思った。
恐らくここで突き放しても、コイツは絶対に諦めないだろうとも。それどころか勝手に動いて事態を悪化させる恐れまであるとさえ思えるのだ。ならば一先ず自分の目の届く範囲に置いておいたほうが良さそうだ、と結論付けた。
「わかった。手伝いたいなら構わない、但し勝手なことはするな、何かあったらすぐにアタシに報告しろよ? 良いな?」
「うん。よろしくね上沢さん」
そう言って七篠が上沢に右手を差し出し握手を求めてくる。
その手をどうするか一瞬考えた上沢だったが、結局七篠の手を握り返すと、七篠の目を見ながら「蜂野郎の件が片付くまでだからな」と述べ、そのまま手を離して顔を背ける。
そこで上沢は、ふと違和感を覚えた。
「?」
顔を背けた上沢の視線の先には保健室の扉があるのだが、その扉が少し開いているのだ。
あの扉を自分はきっちりと閉めたはずだと、上沢はそう記憶していた。それなのに扉が少し開いている。
いつの間にか、外から中を窺える程度の隙間が開いていたのだ。
その事実に気づいた時、上沢の目には扉の隙間の向こう、廊下側を移動する何者かの影が映ったのである。
誰かに見られていた?
今のやり取りを?
どこから?
上沢の心の中で警鐘が鳴り響く。敵ならば良い。それならば探し出してぶちのめすだけだ。だがそうじゃないならヤバイ。ついさっき学んだばかりである。誤解はトラブルの元なのだ。
上沢は慌てて保健室の扉の前まで移動し、その扉を開こうとした。だがそれは叶わず、それよりも先に扉が独りでに開いたのである。
「あら? まだ残ってたの貴方たち?」
扉を開いた人物の正体は病院から戻ってきた保健教諭だった。人影の正体もコイツかと思った上沢だったが、あえて今は何も聞かない事を選択しておく。
そんな突然動きを止めた上沢を、後ろから見ていた七篠が彼女は驚いて動けなくなったんだなと勘違いする。
そして上沢に代わって保健教諭に返事をしたのである。
「すいませんもう帰ります」
「保健室で変な事してないでしょうね?」
などと上沢を見ながら冗談めかして言う保健教諭に対して
「してませんよ。あいつはただのクラスメイトです」
などと上沢がそっけなく返した。
「あらそうなの? あともう少しで表側の校門が閉まるから早く帰りなさい」
「はい。七篠そこにカバン二つあるだろ?」
「うんあるよ。あれ? これ一つは僕のだね」
「さっき着替えたときついでにな、もう一つはアタシのだ。ここまで持ってきてくれ」
七篠がベッドの下にあったカバンを二つ持ち扉の前まで移動すると片方を上沢に手渡した。上沢はカバンを渡されるとさっさと保健室から出て行った。
「それじゃ先生さようなら」
七篠も後に続き保健室を出ようとすると保健教諭が七篠に話しかけてきた。
「草花にしか興味ないと思ってたけど、そうじゃなかったのね」
「えーと、違いますよ先生。ただのクラスメイトです」
上沢に迷惑をかけないように七篠はきっちりと否定しておく。
「あらそうなの? ふーん」
保健教諭はつまらなさそうに返事をすると七篠に軽く手を振って彼を送り出した。
その後保健室を出た上沢はそのまま表門を通って帰宅し、七篠は草花の世話ができていない事を思い出し、下校時間ギリギリまで同好会活動を行なった。
こうして七篠と上沢の長かった一日が終了したのである。
◇◇◇
この日、七篠如人と上沢緋女は〈次の神〉を目指す者達との争いの渦の中に本格的に足を踏み入れることになった。
これから先、二人にどれほどの過酷な運命や様々な出会いと別れが訪れるのかそれは誰にも分からない。
だがひょっとすると彼らを候補者にした〈神〉だけは最初からその結末を知っていたのかもしれない。
自分の後を託すのが誰になるのかという事を。
第一話 了
次回から第二話です。
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