第一話 6.誤解
見事に不意をつかれた。
七篠 如人はまだ熱の残る自分の腕の痛みを感じながらも、すぐそこにいる上沢 緋女から視線を少しずらして倉庫のほうへと向ける。
少し離れた場所にある倉庫の前、そこには倒れたまま動かない男子生徒の姿が見えていた。
この場を離れていた間にいったい何が起こったのかはわからないが、どうやら自分は上沢に何か誤解されているらしい。
とにかくその誤解を解かなくては不味いと七篠は考えた。
まずは上沢を落ち着かせて話をしなくては、そう思い少し体を動かそうとしたその瞬間、肩を上沢に殴られた。
「勝手に動くんじゃねえよ」
上沢から動かないように命令される。
「ちょ、ちょっと待って! 一度話を――
「黙れっ! こっちの許可なく喋るな。質問はこっちがする。お前は聞かれた事だけ答えろ」
「いや、だから落ち着い――
「声が聞こえなかったのか? もう射程に入ってる、次に勝手に口を開いたら直ちに攻撃する」
どうやら上沢は本気で言っている様で、これ以上彼女を刺激するのは良くないと思った七篠は黙って頷いた。
こうなった以上、向こうの質問から何かを掴みそれを材料に誤解を解かなくてはならない。
そう考えた七篠は、とりあえず黙って彼女の言う事を聴くことにした。おとなしくなった七篠を見た上沢は少し落ち着いたのか尋問を開始する。
「お前の目的はなんだ」
「目的? えと……何か怒らせちゃったみたいだから謝りたいのと、あとお礼を言いたかったんだよね」
「謝る? お礼? お前ふざけてるのか? 蜂を使ってどうしたいのか聞いてんだよ!」
「蜂? え? 上沢さんも気付いたの? ひょっとして捕まえたとか?」
「とぼけるのもいい加減にしろよ? 蜂がお前のところに逃げたから今こうなってんだろうが!」
「僕のところ? ああ今さっき飛んできた蜂か! 上沢さんはあの蜂を追いかけてたんだね。でも何で……あ、ひょっとしてあそこで倒れてる人と関係あるの? もしかして蜂に刺されたとか?」
ゴツッという音が七篠の頭で鳴る。上沢にまたしても殴られた音だった。
「痛っ! なにすんのさ」
「とぼけんなっつってんだよ! もういい、くだらない茶番はやめだ! 実力行使でいく」
額から流れていた血を手で拭った上沢は、七篠に対して吐き捨てるようにそう言うと、再び彼の顔に視線を向ける。
上沢の言葉を聞いた七篠は、「もうすでに何発も殴られているんだけど」と抗議しようかとも思ったが、さらに怒りの炎に油を注ぐだけになりそうなので諦めた。
とはいえこの状況をどうにか切り抜けないといけないのは確かなので、色々と考えてはみるが、すぐには何のアイデアも浮かんではこなかった。それに加え上沢に殴られた箇所は未だに熱を帯びており、なんだか体全体が熱を発しているような感じさえ覚えているのだ。
そうしている間にだんだんと呼吸が荒くなり始めた。大量の汗が噴き出したかと思うと、全身に倦怠感が広がり、いつの間にか立っているのがやっとの状態になっている。
「はあ、はあ、はあ……なんだこれは、いったい?」
「お前の体温が上がってんだよ。もうそろそろ四十度は超えてるんじゃないか?」
「体温が上がってる? はあ、はあ、なんでそんな?」
「それがアタシの能力だからだ。お前が蜂を創り出し操る能力を持っているように、アタシは熱を操る能力をもっている」
「はあ、はあ、能力? 僕はっ、き、君の言う蜂なんて知らない」
「まだとぼけんのかよ? お前も候補者なんだろ?」
「え? ま、まさか上沢さんも、そ、そうなの?」
「白々しい、それを知ってて自分が〈神〉になるのに邪魔だからアタシを襲ってきたんだろうが」
「い、言っておくけど、ぼ、僕は〈神様〉になるつもりはないし、そ、それにっ君を、襲っても、いない」
「……アタシ等は普通の人間よりは丈夫らしいが、それでも不死って訳じゃない。果たしてどの程度まで丈夫なんだろうな? お前の体で試してみるか?」
「もう、やめてよ、う、上沢さん、ぜ、全部、君の勘違いだ、ぼ、僕は、蜂使いじゃあない」
とうとう立つことができなくなった七篠は、その場に膝から崩れ落ちた。
「いいや、お前が蜂野郎だ。アタシはお前の首筋に止まった蜂がお前の体の中に取り込まれた所を見たことがある」
「え?」
まったく身に覚えのない出来事を突然言われた七篠は体のだるさも思わず忘れ、衝撃の言葉を放った上沢の顔を見た。
「言い逃れできると思うなよ? 神候補になったことで動体視力も上がってるんだからな? 見間違いなんて事は絶対にない」
「そ、それって、いつの話?」
「何をとぼけてる? 一週間前の昼休み、お前は机で寝たふりをして蜂を創り出しどこかに飛ばし何かを偵察していただろうが。そして戻ってきた蜂を再び自分の体内に戻した。お前の席のすぐ傍には窓があるからな。蜂が窓から入ってきたとしてもすぐに体内に戻してしまえば他のクラスメイトに気付かれる可能性は少ないって訳だ。お前の失敗はアタシにそれを見られていたことだ」
確かに七篠は一週間前の昼休み、昼食後に自分の席で寝ていた。
だがそれは決して寝たふりをしていた訳ではなく、前の日が七篠の好きな漫画の新刊の発売日で、いつもより夜遅くまでその漫画を読んでいた為、その日は寝不足で眠かったのである。
「そ、その話って、僕が蜂を創って飛ばすところを、き、君は、み、見たとでも言うの?」
「……見てないな」
「そ、それなら……」
「それでもアタシはお前が、蜂野郎だって今は確信してるぜ」
「な、なぜ?」
「こんな状況まで追い込まれてるのに、それでもお前は能力を使わない。いや使えないって言ったほうがいいか? お前の能力が蜂を創りだして人に取りつかせるって事がばれている以上、アタシには使えないわな」
「ご、誤解だ。ぼ、僕は能力なんて使えない。じ、自分がどんな能力を持っているのか、自分で理解してないんだよ!」
七篠は朦朧とする意識を何とか繋ぎ止め、必死に自身の潔白を訴え続ける。
「あ……」
しかし七篠は、そんな自分の主張を聞く上沢の表情を見て思わず絶句した。彼女の顔には、瞳にもそれ以外の顔のどの部位にも何の感情もなかったから。人の持つ温かみや情などそういった一片の熱すらも彼女から感じられる事がありはしなかったのだ。
そう、七篠の瞳に映る上沢緋女の表情は完全な無だったのである。
その表情の意味が自分に対する失望なのか、それとも興味すら失せたということなのか、はたまた別の感情なのかはもうわからない。
ただ彼女は小さく呟いた。
「上等だ……熱くなってきたぜ?」
目の前の少女は両の拳を握りしめると、殆んど動くことが出来なくなっている七篠に対し、常人を遥かに超えるその身体能力をフルに発揮して、数えるのも馬鹿らしくなるほどの回数の攻撃を叩き込んだのである。
そうして校舎裏に幾度も、人が人を殴る鈍い音が鳴り続けた。
上沢からひたすら攻撃を受け続けた七篠は、やがて少し離れた地面に思いきり叩きつけられたのである。
上沢は何故か自分の両拳を観察すると、そのまま続けて倒れたままの七篠の方へと視線を向けた。
死んでしまったのではないかと思うほどに、地面に倒れたままの七篠はピクリとも動かなくなっている。
そんな二人の様子を少し離れた草の上に止まって観察している蜂がいた。
やがて蜂は何やらカチカチと口を鳴らすと、その場所から静かに何処かへと飛び去っていったのだった。
次回、主人公対決決着
七篠君、能力発動します。
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